ep102 終奏のクインテット
短い冬休みが終わって、3学期の始業式当日。わたしは中学生の制服に腕を通すと、朝の支度を終えてエレベーターで下り、マンションのエントランスを出た。
外に出た瞬間、曇りがちの空を眺める。これから始まる学校生活のことを思うと、憂鬱な気持ちになってしまう。自分で決めたことだけど、学校に行くのは怖い。
やっぱり行くの、やめようかな……。
頭の片隅に、ちらりと弱音が顔を出す。わたしは頭を振って弱音を振り払うと、歩き始めるつもりで顔を上げた。
「新島くん!?」
マンションの外にいる新島くんに、わたしは思わず声を上げた。
なんで、新島くんがここに?
新島くんの顔をまじまじと見ていると、新島くんは居心地悪そうに首の後ろをかいた。
「篠原から、復学するって聞いて、さ」
視線をあちらこちらにさ迷わせながら、言いにくそうに新島くんが言った。
「守ってやるって言っといて、結局怖い目に合わせたから。だから……まぁその……、篠原が忙しい時くらいは面倒見てやってもいいかな……て」
わたしはてっきり、守ってくれると言うあの話はうやむやになったのだと思っていた。でも、新島くんなりに遠藤さんとのことを気にしてくれていたらしい。
「……それは、どうも……ありがとう、ございます」
新島くんに親切にされるのはどうもなれなくて、おずおずとお礼を伝えた。すると新島くんは頷いて、わたしに背を向けて歩き出した。
わたしはなるべく新島くんに近づきすぎないように距離を開けながら歩く。お互い無言のまま、わたしはひたすら自分の足元を見ていた。
「沙織のことは、もう心配しなくていいから」
「え?」
唐突に新島くんが言ったことに、驚いて顔を上げる。新島くんは前を向いたまま続けた。
「まぁ、いろいろあってさ。……アンタに絡んでくることは、もうないと思うよ」
なぜ、遠藤さんはもうわたしに絡むつもりがないのか、肝心なところは教えてもらえず、余計にわたしは混乱した。
「じゃあ、わたしの面倒をみる意味、ないじゃないですか」
遠藤さんから守る必要が無くなったのなら、もう関わる必要もないはずだ。そう思ってわたしが尋ねると、新島くんは再び言いにくそうに目をさ迷わせながら頬をかいた。
「篠原には恩売っときたいし。アンタが学校に慣れるまでは、いろいろ大変でしょ?」
新島くんはようやくわたしの方を向くと、眉を下げて不器用に笑った。
わたしは「はぁ」と気の抜けた声を出して、いまいち納得がいかないまま頷いた。
新島くんがいたおかげで、弱音に負けて帰らずにすんだのはよかったけど、今は学校が怖いというよりも、別の意味で帰りたくなっている。
学校に近づきはじめると、わたしたちは以前もそうしていたように、周囲からは無関係に見えるような距離感で歩いた。
廊下を歩いていると、女子たちがはしゃいだように新島くんを取り囲む。なんだか、久しぶりに見る光景だ。新島くんと一緒に登校すると毎朝こんな感じだったことを思い出して、思わず遠くを見つめてしまった。
この集団に巻き込まれるのはキツイ。存在感を消しつつ、なるべく早急に教室に向かおう。
「あー、ごめん。今、友達といるから話はあとにして。おーい、津田。勝手に行くなー」
「へ?」
今期のアニメに想いを馳せていると、後ろから新島くんに声をかけられた。思考が吹き飛んで背後を振り向くと、女子たちのぽかんとした顔がわたしを見ている。
「へ、あ、あ、あの……?」
状況が呑み込めずに狼狽えていると、新島くんが片手でわたしの背中を押した。
「離れたら、守ってやる意味ないじゃん。ちょっとは学習しろよな」
「は……へ……? ……へ?」
わたしは狼狽えながら、新島くんと女子たちの顔を両方見た。女子たちも同様に戸惑っている様子で、わたしと新島くんの顔を交互に見ている。
「え……なに。悠真、いつの間にそのこと仲良くなったわけ?」
女子のひとりが、新島くんに尋ねる。
「そ。一緒に学校に通ってるんだよな、津田さん」
そうやって同意を求めるようにこちらを見られても、わたしは何もこたえられない。なにせ女子たちが、納得のいかない目をしてわたしを睨んでいるんだから。
どうして。人前では話しかけないって、約束だったのに。
……そうだ、新島くんってもともとそう言う人だった。三軍のことを見下していて、わたしみたいなブスが嫌いで、西田くんに陰湿で最低ないじめをするような。
もしかして新島くん、最初からわたしを守ってくれるつもりなんかなくて、陥れるために迎えに来たんじゃ――。
頭が真っ白になって全身に冷や汗が噴き出した。女子たちの視線が痛いくらいに突き刺さり、わたしを委縮させる。手足が冷たくなって、足が震えた。目の前が恐怖に滲む。
女の子たちに目を付けられたら、またいじめられる。こんなところにいたら、ダメだ。今すぐ逃げなきゃ。
どうしよう……足が震えて、力が入らない。
逃げなきゃ。
逃げなきゃ。
逃げなきゃ。逃げなきゃ。逃げなきゃ。逃げなきゃ――。
突然、ぽんと肩を叩かれて、わたしはびくりと肩がふるえた。新島くんの腕が、なれなれしくもわたしの肩にまわっている。新島くんに引き寄せられて固まっているわたしと同様に、女子たちも、新島くんの行動に呆気に取られたような顔をしていた。
混乱するわたしたちに向かって、新島くんは信じられないくらいに爽やかに笑う。
「つーわけで、もし友達いじめたら、俺が許さないから。その辺よろしくな」
新島くんは、堂々と女子たちにそう宣言した。
*
――神谷に、津田さんを見つけたと連絡して。
あの後、彩美は咲乃に言われた通り、LINEで神谷にメッセージを送った。
『篠原くんから、津田って女の子を見つけたことを、あんたに知らせろって言われたんだけど』
彩美がスマホをうち終わると、モヤモヤしたまま肩にかけたカバンの持ち手を握りしめて歩き出す。
数歩歩いたところで、スマホの通知がなる。画面を見ると、神谷から返信のスタンプが送られていた。
『了解』
自宅へ帰る途中だった彩美は、そのまま立ち止まると一体何が起きているのか神谷に問い詰めた。しかし、その問いに神谷がこたえることはなかった。
自分の知らないことが、裏で動いている。どうやらそれは、本田稚奈の友達である、“津田”という子が関わっているらしい。
家に帰った後も、彩美は、稚奈の家の前であった出来事のことを考えていた。
稚奈に津田という子のことで問い詰めていた時の咲乃の様子を。そして、津田を見た時の咲乃の表情の意味を。
咲乃は一体、何のために本田稚奈と付き合っていたのだろう。津田を守るためと言っていたが、それはどういう意味だったのだろうか。
翌日、彩美は学校で津田という女の子の姿を探した。咲乃との関係を、直接彼女に聞くためだ。しかし、その日から津田という子は、学校に来なくなっていた。
津田という子が学校に来なくなっても、学校での咲乃に変わった様子は見られなかった。ただ、本田稚奈とは完全に終わったらしく、ふたりでいるのを見ることはなくなった。
稚奈の方はまだ咲乃に未練がある様で、何度か咲乃のクラスの前にいるのを見かけた。だが、咲乃が稚奈を拒んでいることは、誰から見ても明らかだった。そして、周りが疑念を抱くより前に、神谷が誰彼構わず言いふらしたことによって、咲乃と稚奈が別れたことは周知のこととなった。
あれから何日か経ち、冬休みまで一週間を切った。津田という子は相変わらず学校に来ていない。彩美は、彼女がどういう理由で休んでいるのか知らなかったが、最近になって、なんとなくわかってきたことがある。
修学旅行後、風邪で休んでいた咲乃のお見舞いに彩美が行った時、咲乃と親しい本田稚奈が、適当な女友達を連れてやって来たのだと思っていた。しかし、それはどうやら違ったようだ。本当はその逆で、津田が本田稚奈を連れて来たのだ。
津田が、2年生の時の彩美のクラスメイトだったということも、当時担任だった増田に聞いてようやく知った。1年生の頃からずっと、不登校で、顔すら知らなかった、あのクラスメイトだ。
“津田成海”。ふたりが知り合ったきっかけは、増田の言いつけで、咲乃が不登校の子の家までプリントを届けにいったことらしい。増田は、咲乃が成海の勉強を見ていたことも教えてくれた。咲乃は責任感が強くて優しいから、不登校のクラスメイトのことを放ってはおけなかったのだろう。
以前、稚奈が言っていた。家で勉強を教えてもらっているというのは、実は成海の家で、成海のついでに勉強を見てもらっていただけだったのだ。
「なーんだ、そうだったんだ」
増田に話を聞いたあと、津田成海について色々わかって、彩美は心からほっとした。
咲乃が優しいから面倒を見てあげているだけで、彼が津田成海を好きになることは考えられない。何せ、あの容姿だ。太っているブスのことなんて、誰が好きになるというのだろう。
津田成海は咲乃を好きになっているかもしれないが、彩美には成海を恐れる理由にはならなかった。咲乃が、津田成海を相手にするはずがないからだ。
「あ、篠原くーん!」
彩美は咲乃の姿を見つけると、大きく手を振り、一目散に駆けて行った。
未だかつてこんなに気が楽になったことはなかった。津田成海など、もはやライバルですらない。彩美には取るに足らない存在だ。
もう、怖いものなんて何もない。好きな人を取られるなんて経験は、二度としたくない。
彩美は咲乃と冬休みの話を楽しみながら、心に誓う。
卒業式までに、咲乃にもっと近づいて、彼に告白するのだと。
*
机は全て後ろに下げられ、教室の真ん中には机を4つ合わせる形で設置されている。増田は目の前の親子に、向かいの席に着席するよう口頭で促すと、親子は緊張した面持ちで増田の指示に従った。
冬休みに入って、進路面談がしたいと申し出たのは、津田成海の方だった。10月に入って突然学校を休み、何があったのかを尋ねても、体調が悪いとしか理由を話さなかった彼女からの希望だった。
「久しぶりだなぁ、津田。身体の調子は平気か? つらかったりしないか?」
増田はなるべく威圧感を与えないように、目の前の席に座る成海に話しかける。成海は視線を落としたまま小さな声で「……大丈夫です」と、蚊の鳴くような声で答えた。
相変わらず、陰気で覇気がない。
増田は内心ため息をつき、母親へと目を向けた。
「今日はわざわざご足労いただき、本当にありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ冬休みなのに、先生にご無理を言ってすみません」
増田が頭を下げると、津田成海の母親は慌てて両手を振る。そして、言いにくそうに言葉を続けた。
「面談をするにあたって、実はその――先生の方からも止めていただきたいことがあるんです」
「止めていただきたいこと、とは?」
「実はこの子、突然、桜花咲を受けたいと言い出しまして……」
「桜花咲だって!?」
母親の言葉に、増田は大声を出して驚く。成海は顔を青白くさせたまま、俯いて座っていた。
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