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ep94 崩落の雨音

「こんちわ。沙織チャンの今カレでーす」


 悠真は数秒硬直したように、犬歯を覗かせて嗤う青年の顔を見上げた。口や目は緩やかに曲がっているが、目の奥が笑っていない。不自然に作られた微笑からはどことなく冷徹さを感じさせる。

 黒いショートボブの、前髪を左右に分けた髪型。左右の耳には、耳たぶだけでなく軟骨などにもピアスを開けている。指や腕にも、じゃらじゃらとシルバーのアクセサリーを付け、あごのラインは細く、血色の薄いきれいな顔をしていた。


 見たところ、男は悠真よりも年上だ。高校生くらいだろう。と言うことは、この男こそが、咲乃からの連絡にあった男に違いなかった。

 男の名前は須賀梗夜(すがきょうや)。高校1年生で、津田成海を探している。悠真が聞いていた情報はこれだけであり、なぜ成海が面識もないはずの高校生に追われるはめになっているのか悠真にはわからなかったのだが、これで理解できた。


「へー、お前がさーちゃんの元カレね。イイねェ、イケメンじゃん」


「なんなんすか。俺、もう沙織に未練ないですよ」


 下手なことをして、あまり須賀梗夜を刺激したくはない。悠真が前を向いたまま緊張して言うと、須賀はまぁまぁと悠真を落ち着かせるように笑った。


「そんな冷たいこと言わないでよ。同じ()と付き合った仲じゃん? さーちゃんの元カレがどんなヤツか、ずっと気になってたンだよねェ」


 まるで悠真の機嫌を取るような、なだめるような口調だったが、先程から須賀の、悠真を値踏みするような視線がからみついてくる。まるで、蛇に睨まれた(かえる)だ。ただ肩を掴まれているだけなのに、振り払うこともできない。


 悠真は密やかに深く息を吐いて、何とか心を落ち着かせようとした。


「ホントに俺、もう沙織とは終わったと思ってるんで。あの、友達待ってるんで、行っていいすか?」


 悠真が尋ねる。すると、悠真の肩を掴んでいた須賀の手に力が籠った。


「ダメだよ、俺が用あンだから。新島クンさァ、津田成海(・・・・)って()知ってる? 新島クン、その()と仲いいンでしょ?」


「……仲いいって言うか、クラスメイトっすけど。なんであんなの探してるんすか? ただの陰キャのデブっすよ」


「さーちゃんに頼まれてンだよね。新島クン(元カレ)に色目使ってるっていう津田成海ってオンナが目障りだから殺してくれってさ」


 須賀は、さもどうでもよさそうに言うと、深くため息をついた。


「でも正直、俺、その津田成海って()のことなんかどーでもいいンだよねェ。その()が新島クンに色目使おうが、俺には関係ないワケじゃん? まぁ、さーちゃんの頼みだし? そっち取っ捕まえたら、さーちゃんにあげちゃえばいいかなーって感じだケド。むしろ、俺が気にくわないのお前ね。今は俺がさーちゃんの彼氏なのに、いつまで元カレのこと引きずってンのって話」


 陽気な口調で喋っていたが、突然声を落とすと悠真をじろりと睨みつけた。


「で、閃いたワケ。新島クンのそのカッケェ(ツラ)ぶっ壊しちゃえばいいンだって。したら、さすがにさーちゃんも冷めるっしょ」


 陽気な口調に戻って話す須賀の言葉に、悠真は全身から血の気が引いていくのを感じた。こうして話しを聞いているだけでも、今沙織が付き合ってる男のヤバさがわかる。

 この男は冗談で言っているんじゃない。本気で言っているのだ。


 悠真は必死に頭を働かせ、須賀から逃げる方法はないかと周囲に視線を走らせた。


「ここじゃなンだから、移動しよっか。向こうで俺の友達(ダチ)待たせてっからさァ――」


「あ、悠真!」


 須賀が言い終えないうちに、日下が悠真を見つけて駆け寄ってきた。


「さっき、神谷から連絡が――って……その人知り合いか?」


 日下が現れたことで、須賀梗夜の注意が悠真から離れた。その一瞬をつき、悠真は身をよじって須賀の手から逃れると、日下の方へ走り出した。


「走れ!」


 日下に向かって悠真が叫ぶ。突然のことに驚きつつも、悠真に習って日下が後に続いた。走りながら、悠真が後ろを確認する。追いかける気がないのか、須賀は元の場所から一切動いていない。


 公民館から離れた後もしばらく走り続け、目に入った古いテナントビルの中に逃げ込む。階段の陰に潜み外を覗くと、誰も追ってこないのを確認して、ホッと息を吐いた。


「なんなんだよ、いきなり!」


 ゼイゼイと肩で息をしながら、開口一番に日下が文句を垂れる。悠真は、沙織が新しい彼氏に頼んで成海を追わせていることや、成海が危険な状態であること、そして、須賀の本当のターゲットが悠真自身であることなどを簡潔に説明した。


「篠原には連絡したのか?」


 日下が尋ねると、悠真は首を振った。


「さっき連絡したけど、返信がない」


「それじゃあ、俺たちが津田さんを助けないと」


 日下の言葉に、悠真は再び首を振った。


(ヒデ)はいいよ。俺だけで何とかするから」


 日下の気持ちは有難かったが、須賀が狙っているのは悠真だ。日下が危険な目に合う必要はない。悠真がそう思って言うと、日下は怒ったように顔をしかめた。


「こんな状況で置いて行けるわけないだろ。この辺じゃ、須賀梗夜はかなりヤバいって聞いてるし」


 本来日下は、誰かを傷つけたり、傷つけられたりするようなことが平気なタイプではない。西田をいじめていた時や、村上に制裁を加えていた時も、いつも日下は悠真がすることに難色を示していた。しかし、それでも日下が悠真を見捨てることはなかった。

 こうなると、悠真が何を言っても日下を止めることはできない。日下を巻き込んでしまったことに後悔しながらも、悠真は、日下に頼る事に決めた。


「……そう言えば、神谷からの連絡って何?」


 悠真が問うと、日下は自分のスマホを取り出して、神谷からのLINEを開いた。


「沙織と須賀梗夜が、この辺をうろついてるから気を付けろって」


「いやもう、遅ぇよ……!」


 悠真が神谷に悪態をつく。壁に背を預けてずるずると座り込むと、膝に顔をうずめて、これからどうやって成海の安否を確認するかを考えた。成海のスマホは、沙織から取り返したものを悠真が持っている。成海に連絡する手段はない。

 悠真は、須賀との会話を思い出していた。須賀の口ぶりでは、未だに成海を探している(・・・・・)様子だった。沙織の手から逃げのびて、どこかで身を隠しているのかもしれない。


「今の状況を神谷に連絡して、津田を探すように伝えよう。小林、中川、村上たちにも。津田をひとりにさせたらまずい」


 成海さえ無事に保護できれば、わざわざ高校生を相手にする必要はない。須賀に追われている状況では、悠真と日下が成海を探すのはリスクが高いため、成海のことは神谷たちに任せた方がいいだろう。


 悠真がそう説明すると、日下は頷いた。


「わかった。俺が神谷に連絡する」


「……あと、西田たちにも。あいつらなら、津田が行きそうな場所を知ってるかもしれないから。神谷にはなるべく人手を頼んで」


 西田や安藤の連絡先を悠真たちは知らなかったが、神谷に頼めばなんとかしてくれるだろう。


 悠真と日下は、手分けして知り合いにLINEを送ると、再び階段の陰から外の様子を窺った。私服を着た高校生くらいの男が3人通りかかったのを見て、悠真は須賀の仲間だと直感した。


「やべぇな。仲間つかって、俺たちのこと探してる」


「裏口から出るぞ」


 日下が言うと、悠真は背後の通路を指示した。通路をまっすぐ行くと裏口があり、そこから専用駐車場に出た。そのまま駐車場を抜けると大通りだ。

 ここから一番近い日下の家を目指して歩く。大きな十字路の信号が点滅し、赤に変わる。悠真たちは立ち止まり、信号が青になるのを待っていると、十字路の反対側に、ストリート系の服を着た男が、スマホを片手に何か話しているのを見つけた。


 男が、ふと悠真たちの方を見た。信号機が赤から黄色に変わる。悠真たちは踵を返して反対方向へ走り出す。信号が青に変わった瞬間、男は悠真たちを追って走り出した。


 大通りを走り抜けると、男が数人、悠真たちを見つけて追いかけてきた。

 すぐ横の歯科医院の脇を曲がり、細い路地に入る。複雑に入り組んだ建物の角を曲がる。後ろから、高校生が追いかけてくる。目の前の角で高校生と鉢合わせ、身をひるがえして来た方向にもどり脇道に入ると住宅街に出た。


 一粒のしずくが、ぽつりと鼻先に垂れる。雨の気配を感じながら、悠真と日下はひと気のない道を、がむしゃらに走り続けた。雨脚が次第に強まり、周囲にひと気が無くなってきたころ、悠真と日下は高架下に入って、激しく息を切らしながら、濡れた前髪を拭った。


 頭上で電車が走る音が聞こえる。逃げまわっているうちに、日下の家からは大分遠のいてしまった。


「これからどうする?」


 膝に手を付き、苦しそうに喘ぎながら日下が尋ねる。悠真はしばらく荒い呼吸を繰り返した後、「神谷からの連絡は?」と聞き返した。


 日下は制服からスマホを取り出すと、「まだ、津田さん見つかってないらしい」と答えた。

 成海も逃げのびているのか、それともとっくに沙織に捕まってしまったのか。成海の状況を確認する術は、悠真たちにはない。


「篠原から、津田を頼むって言われてんのに」


 ようやく息が整ってきたころ、悠真が呟いた。成海の行方が分からなくなっている今、本来ならば悠真が成海を探さなければいけないのに、現状は神谷たちに頼っている。状況的には仕方がないとはいえ、初めて咲乃から託された約束だ。悔しくないわけではなかった。


 その時、悠真の制服の内ポケットが震えているのに気付いた。成海のスマホだ。悠真が内ポケットから成海のスマホを取り出すと、ホーム画面にLINEの通知が表示されいていた。


 『西田晃良(にしだてるよし)』からの着信。成海を心配してかけてきたのだろう。


「篠原は、こういうこと(・・・・・・)も含めて、悠真に頼りたかったんじゃないか?」


 西田からの着信に悠真が驚いていると、日下が言った。


「クラスでも中心を張っていた悠真には、人をまとめる力があるからさ。篠原が動けなくなった時に代わりが出来るのは、悠真くらいしかいないんだよ」


 今、成海を探して、神谷、小林、中川、村上そして西田や安藤たちみんなが協力している。それは全て、悠真の機転と、彼が持つ人をまとめる力があってこそだ。


「篠原は、悠真が西田の力も借りること(・・・・・・・・・・)を、期待したのかもな」


 西田からの着信が止み、スマホの画面が暗くなると、悠真は成海のスマホを制服の内ポケットに戻した。


「俺も津田を探してくるよ」


 責任を感じて悠真が歩き出すと、日下は慌てて悠真を引き留めた。


「ちょっと待て、さすがに今は危ないだろ!」


「この雨の中じゃ、さすがに須賀たち(あいつら)だって諦めるでしょ。探すなら、今しかないじゃん」


「……それは、そうかもしれないけどさ!」


 一度言い出したら聞かないのは、悠真も同じだ。日下はため息をついた。


 ふと、日下が前方に目をやると、出口に立つ人陰に気付いた。外の光が逆光になっていて、シルエットでしか確認できないが、それは明らかに悠真たちよりも背の高い男たちで、こちらに向かって近づいてくるのがわかる。


 悠真と日下は危険を感じて、来た方を戻ろうと後退りしつつ、後ろを振り向く。しかし背後からもまた、数人の人陰が迫って来ていた。そして、男たちの姿が視認できるようになる頃には、悠真と日下に逃げ場はなくなっていた。


 須賀は鷹揚な足取りで悠真たちに近づくと、ふたりの肩に両腕をかけてもたれかかる。


「つーかまえたっ」


 気怠げに、須賀梗夜が嗤った。

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