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ep82 ちなちゃんとお話②

「山口さんって、山口彩美さん?」


 確認するようにちなちゃんに尋ねると、ちなちゃんは悲しそうに頷いた。わたしはその名前を聞いて、山口さんがちなちゃんの恋のライバルだったことを思い出す。

 そう言えば、一度山口さんに絡まれたことあったっけ。その時、ちなちゃんたちがいつから付き合ってるのかとか、付き合った経緯とかを聞かれて、それで最後に、伝えておけって言われたことがあって――。


 「篠原くんに纏わりついているのは目障りだ」って、ちなちゃんに伝えとけって言われたんだ。


 全身から血の気が引くのを感じて、寒気を覚える。身体が震えた。あの時、山口さんの怒りは相当のものだった。もし嫌がらせの犯人が山口さんだったら……。正直、山口さんが一番あり得る。


「篠原くんのお見舞いに行った時も、稚奈に怒ってたみたいだったから……。山口さん、未だに篠原くんのこと諦めてないみたい。稚奈のこと睨んでくるし、すごく怖くて……」


「……そう、なんだ……。篠原くんには、言ったの?」


 わたしがちなちゃんに聞くと、ちなちゃんは哀しそうに首を横に振った。


「言えないよ。だって、山口さんは篠原くんにとって、大事なお友達みたいなんだもん……」


 親しくしている人のことを何の根拠もなく悪く言われたら、篠原くんだってきっといい気はしないだろうと、言い出せずにいるのだ。

 たしかに、山口さんが嫌がらせの犯人である証拠はないから、犯人だって言い切れない。決めつけるのはよくないかもしれないけれど、わたしたちにしてみれば、山口さんは十分怪しい。


「ちなちゃんが言いにくいなら、わたしから言ってみようか? ちなちゃんが嫌な目に合ってるのは、事実なんだし。怪しいと思ったら、気を付けるに越したことはないと思うし」


 山口さんに睨まれることも、わたしが山口さんに絡まれたことも、一応、篠原くんの耳に入れておくくらいはしてもいいはずだ。篠原くんなら、山口さんに対しても上手く対応してくれるはずだし。


「お願いしちゃっても、いいの? なるちゃん」


「もちろんだよ、ちなちゃん。わたしだって、ちなちゃんのために何かしたいもん。早く、嫌がらせとかも無くなってほしいしさ」


「ありがとう、なるちゃん!」


 ぎゅっとちなちゃんに抱き着かれて、わたしもちなちゃんの背中をぽんぽんと叩く。何もできないかもと思ってたけど、少しはちなちゃんの力になれそうだ。


 そろそろ帰ることを伝えると、ちなちゃんは玄関口まで見送りに出てくれた。


「今日はお話を聞いてくれてありがとう。おかげで元気になっちゃった!」


「何かあったら、絶対に言ってね。わたしはちなちゃんの味方だから!」


「うん! ありがとう、なるちゃん!」


 ちなちゃんに手を振りつつ、門を抜ける。

 これから勉強会だから、急いで篠原くんの家に向かわないと。


「遅くない?」


「ぎょえっ!!!」


 門を出た瞬間に、声がかかって、思わず飛び跳ねる。塀に寄りかかるようにして、さっき別れたはずの新島くんが立っていた。


「な、ななななんでいるんですか! 帰ったんじゃなかったんですか!!」


 驚きすぎてばくばく鳴っている胸を抑えて新島くんに尋ねると、新島くんは気怠そうに肩をすくめた。


「あんたを無事に家まで送る約束だったから」


「だ、だからって、ずっと待ってたんですか!?」


 鬱陶しそうに、新島くんが頷いた。


 待ってたって、40分近くはちなちゃんと喋ってたけど??


 わたしが呆然としていると、新島くんは訝し気に眉を寄せた。


「帰らないの?」


「あ、いえ。実はこれから、まだ寄るところが……」


「はぁ? いい加減にしろよ。俺だって早く帰りたいんだけど」


 いや、勝手についてきたのそっち!


「そ、そうは言いましても、これから篠原くんの家で勉強会ですし……」


「篠原の?」


 苛立っていた新島くんの表情が、驚いたものに変わった。


「わりとがっつりめの勉強会なので、勉強道具がないと暇だと思いますけど、新島くんも来ますか……?」


 本当は新島くんを連れて行きたいなんてカケラも思ってないけど、どうやら(うち)に帰るまではどこまででもついてきそうな勢いだったので、一応聞いてみることにする。


 ちなちゃんの参加も拒否してた神谷くんが、受け入れるかどうかはわからないけど。


「行く」


「はは。……そうですか」


 やっぱり、わたしが家に帰るまでは、新島くんも帰らないつもりらしい。





 篠原くんの家に到着すると、新島くんは興味深そうに家の外観を眺めた。


「ここが篠原ん()?」


「そうです」


 軽く会話をしつつ、インターホンを鳴らす。インターホンから篠原くんの声がした後、家のドアが開いた。


「津田さん、いらっしゃい」


「お邪魔します。あの、すみません、遅れちゃって」


「ううん。事前に連絡をくれていたし、本田さんからも聞いていたから大丈夫だよ」


 私服姿の篠原くんが、軽やかに微笑んで言うと、その視線が新島くんへと映った。


「新島くんも来たんだ?」


「あ、あの。新島くんが、わたしを無事に家まで送り届けるまで帰れないって。勉強会が終わるまで、新島くんも良いですかね?」


 わたしが篠原くんにお伺いを立てると、篠原くんは、新島くんの方を見た。


「後は俺が送るから、新島くんは帰っていいよ」


 にこりと微笑んだ篠原くんを、真っすぐに新島くんが見つめる。僅かに間が空いた後、(なぜだか、ふたりの間で無言のやり取りがあった気がした)新島くんは、はぁと軽くため息をついた。


「わかった、俺は帰るよ。じゃあな、津田さん」


「は、はい。また明日……」


 なんだか追い返したみたいになってしまったけど、良かったのだろうか。


「津田さんの送り迎えを頼んだのは俺だって、新島くんに聞いた?」


「あ、はい。約束がどうのとか言って……」


 新島くんが帰って行くのを見送っていると、篠原くんが話しかけてきた。


「遠藤さんの件があって、頼りになるのは新島くんだけだと思ったんだけど、どう?」


 わたしは、はっとして篠原くんを見た。そうだ、前々からそのことで篠原くんに文句を言おうと思っていたのだ。


「どうって、めちゃくちゃ困りますよ! なんで、よりによって新島くんなんですか!」


 おかげで毎日別の意味で胃が痛くなっている。そうクレームをつけると、篠原くんは眉を下げて苦笑した。


「ごめんね、津田さん。でも、役には立ったでしょう?」


「そりゃあ、まぁ……。守ってくれたことは……ありましたけど……」


「そう、よかった」


 篠原くんが穏やかに頷くと、リビングの方へと行ってしまった。


「篠原くんって、こういうところは強引なんだよなぁ」


 こうすると決めたことは絶対に揺るがない。テストを受けさせようとした時も、相談室登校を勧めた時も。いつも、いつのまにか外堀を埋められていて、気付いた時にはそうなるように流されてしまっている。


 篠原くんって、結構(したた)かだ。


 今後も、無事に学校生活を送るためには、わたしの胃を犠牲にするしかないらしい。わたしはお腹をさすりながら、深くため息を吐いた。

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