7挺目 水
高度なSMプレイを始めた鈴木とその後輩を置いて、下足室で靴を取ると俺は裏口から校舎の外に出た。表口から出なかったのは単に混んでいたのと、もしかしたら、不知火が人目のつかない校舎裏で虐められているかもしれないと思ったからだ。
いやまあ、流石に無いとは思うが。
「って、フラグ立てながら振り向くと......!?」
俺がバッと勢いよく振り向くと其処には不知火が一人で立っていた。彼女は俺の姿を見るなり、あからさまに嫌そうな顔をする。
「ぬいたん、こんなところでどうしたんだ?」
俺は不知火に近付かず、10m程の距離を取ったまま話しかけた。
「ぬいたん言うな。......友達を待ってるの。お前は早く帰って」
突き放すような口調でそう話すぬいもち。昨日、彼女が『友達』と形容した者は入矢を始めとする俗に言う『虐めっ子』という奴であった。
そのため、友達を待っていると言われても俺には到底、信じられない。
「じゃあ、その友達、俺にも紹介してくれよ」
俺が笑ってそう言ったとき、校舎の二階の窓が開いたのが見えた。丁度、不知火が立っているところの真上だ。
俺がまさかと、目を凝らすと其処にはあの入矢の姿があった。嫌な予感がする。
「不知火! 逃げろっ!」
俺はそう叫ぶが、上の入矢に気づいていないらしい不知火は首を傾げて動かない。俺は気付くと不知火の元に走っていた。彼女との10m程の距離を俺は一気に詰める。
そして、彼女をギュッと押し出した。......瞬間、頭上から大量の水が俺に降り注ぐ。バケツか何かで水を落とされたのだろう。
「つめた。つっめった!? おい! 逃げんな! おいこらっ!」
俺がそう叫ぶと、二階の窓から此方の様子を見ていた女子達はそそくさと逃げ出した。
「どうしたのそれ」
不知火は首を傾げてそんなことを聞いてきた。まるで俺が好き好んで濡れているかのような言い草である。
「お前の身代わりになってやったんだよ!」
「恩着せがましい」
「そうだね! 俺の自己満だったね! 何かごめんね!? モッチーは濡れてない!?」
「ええ。少し、靴と靴下が濡れたことを除けば」
それは良かった。俺は安堵する。
「俺の犠牲は無駄じゃなかったということか。良かった。良かった。さっむ」
「というかお前もだけど、教材は大丈夫?」
「あ、本当だ。うわ、悲し」
俺が慌ててリュックの中身を確認すると、案の定、教科書やノートに水が染み込んでいた。
「家に帰ってからジップロックに入れて凍らしなさい。凍らせた後、重石を乗せて解凍すれば幾らか元に戻るらしいわ」
不知火は手袋をした手でスイスイとスマホを操る。どうやら、彼女の手袋はスマホ操作可の手袋だったらしい。
「マジか。やってみる。わざわざ、調べてくれてありがとうな。今日は生姜焼きにするから楽しみにしといてくれ」
「分かった。......後、私のことを庇って、水を浴びたお前が風邪でも引いたら此方も気分が悪いから気を付けなさい」
「おう! 勿論だ!」
俺は不知火が俺のことを何やかんや心配してくれている事実を噛み締めながら、力一杯にそう返事した。
⭐︎
ピピピピッ、ピピピピッという音が俺の脇に挟まれた体温計から部屋中に鳴り響く。
「ゴホッ、ゴホッ、ゴホホホッ。37.9℃か」
昨日、あれだけ濡れたせいで免疫力が下がってしまったらしい。喉も痛いし、咳も出るし、思いっきり風邪を引いた。
「何というか、本当に愚かしいわね」
「うっせ、うっせ。俺は学校休むからぬいは先に行っといてく......待て。何故居る?」
不知火はナチュラルに俺が寝ているベッドに腰を下ろして、俺を見下ろしていた。
「昨日の生姜焼きの容器、返すの忘れてたから。鍵空いてたし。不用心すぎるでしょお前。私が強盗なら殺されてたわよ」
そう言って不知火は俺の首に手をやり、絞め殺す真似をして来た。
「あっつ」
「37.9あるからな。後ぬいたん、風邪うつるから早く学校行って?」
不知火の腰が真横にあるこの状況は凄く嬉しいんだが。
「マスクは付けてるから大丈夫」
今日も不知火の口には彼女のシンボルとも言うべき黒マスクが付いていた。
「......もう良い時間だろ。マジで早く行かないと遅れるぞ。ゴホッ」
「黙れ」
「黙れ!?」
「私も今日は休むことにしたから問題無い。物凄く不本意ではあるけど、看病するから」
「......?」
何を言われたのか俺は直ぐに理解出来なかった。何を言っとるんだこのグザデレは。
「薬、有るの? 無いなら家から持ってくるけど」
「いや、無いけど......」
「だったら、家から持ってくる」
「いや、え? は? 何で不知火学校休んでまで俺の看病してくれようとしてんの? え、何でそんな聖人みたいな感じなん? お前本当に不知火?」
俺の言葉が気に入らなかったらしく、彼女はギロリと蛇のような目で俺を睨んでくる。あやっぱコイツ不知火だわ。
「お前が風邪を引いたのは、昨日の連中から私を庇ったのが原因でしょう。私は全く感謝もしていなければ頼んだ覚えも無いけれど、それでお前が風邪を引いて苦しんでるのを放っとくのは何と無く気分が悪い。それだけ」
「・・・・」
俺は無言で不知火の顔を見つめる。
「何? あまりその気持ち悪い視線を向けないでくれる? フォークで眼球突き刺すわよ。くたばれ」
いや脅しこっわ。
「......薄々気付いてたけど、不知火って優しいよな」
「は?」
「俺が入矢に腹蹴りされた時も心配してくれてたしさ」
「二つとも、私が間接的な原因になっていることだからよ。......てか、そう考えると私に付き纏うせいで滅茶苦茶、不利益被っているわねお前。学習しろ」
語勢は強いが、訳すと『酷い目に遭ってしまうから私と関わらないで』と言っている訳なので、やはり不知火は毒舌なだけで普通に優しいことが分かる。
「いや、でもさ、俺の看病の為に休んだら不知火の勉強が遅れるだろ? 俺、不知火に迷惑掛けたくないからさ。学校、行ってくれないか?」
俺がそう言うと、不知火は無言でスマホを取り出し
「もしもし、不知火望奈です。はい。風邪です。霊群蒼君と一緒に帰っていたので移されたのかもしれません。はい、分かりました」
と、学校に電話を入れた。
いや、移されたとか人聞きの悪い言い方すんなよ。そして、ちゃんとフルネームで俺の名前覚えてくれてたのね。
「頑固だなお前」
「私、半不登校で週に一回くらい休むの。だから、お前が心配することは何も無い。お前の看病も、私が不登校を決め込んでいる事実からくる焦りを誤魔化すための口実だから」
「......そか」
「薬持ってくるから。寝てろ」
「は〜い」