君と僕の3ヶ月( 2 )
7月4日 日曜日 午前0時2分
僕はまたあの日と同じ海に来た。
先週とひとつ違うのは、麗が先に来ていたということだ。
麗は立ったまま空を見上げ、星を眺めていた。
僕が麗の傍まで行くと、麗がこちらを振り向いて優しく微笑む。
『良かった。また、来てくれた』
安堵したように息を吐き、そう呟いた。
「この前来るって言っちゃったし。それに、僕が来なかったことで君が死ぬようなことがあったら、それこそ後味が悪い」
そう、僕らは先週、僕が麗の生きる理由になるという不思議な契約を交わした。
僕には全く利がないのだけれど。
それに気づいたのは先週、麗と別れ、家に帰り自分のベッドに入った後だった。
契約を交わした時はただ1つのことが頭の中をぐるぐる回っていて、そんなことを考える余裕がなかったのだ。
僕はまた、この前のように仰向けに横になり夜空を見上げた。
僕がそうしたら、麗も同じように横になった。
しばらくの間、沈黙が続いた。
僕はずっと輝き続ける星を見ている。
唐突に、ある1つの疑問が僕の頭に浮かんだ。
「ねえ、麗はこんな夜中に1人で来ても平気なの?その、親、とか」
僕がそう聞くと麗は『うーん』と少し考えてから口を開いた。
『私の家、結構そういうの緩いんだよね。だから平気なの。まあ、普通は女子1人で夜中に出歩くなって言われるよね。なんかね、私の親が子供の時も結構自由だったらしくて、その名残かな』
そう言って麗は苦笑した。
「そうなんだ」
『優は?優こそ平気なの?』
僕も少し考えてから答えた。
「僕の家も自由なんだ。自分のことは自分で責任もって行動すればいいって。」
『そっか』
それからも僕らはお互いに踏み込みすぎず、たわいもない会話を続けた。
そこで、麗はどちらかと言うと母親の方に似ていること。
また、2つ年の離れた兄と、3つ年の離れた妹がいること。
そして、本当だったら今大学1年生だが、ある事情があって学校にはあまり行けていないことが分かった。
なぜ行けていないのか、また、なぜ生きる理由を探していたのか気になったが、直接聞く勇気は僕にはなかった。
会話が途切れると、麗が唐突にまた口を開いた。
『ねえ、ちょっと遊ばない?せっかくここ海なんだし』
そう言って麗が起き上がったので僕も麗に続くように起き上がった。
そうして、麗は僕の手を引き、海に向かっていく。
麗が言う遊びがどんな遊びか気づき、僕は慌てて止めようとした。
「ちょっとまって、濡れるじゃん」
それを聞いた麗は、こちらを振り向き、悪戯な笑みを浮かべた。
『私は水着着てるから大丈夫』
「いや、僕は着てないんだけど」
そう言って彼女の手を僕から離し、引き返そうとした時、僕の背中にヒヤリとした何かがかかった。
麗が水をかけたのだ。
振り返ると麗が笑っている。
『ほら、遊ぼうよ!海の中冷たくて気持ちいよ!』
まるで小学生のようにはしゃいでいる。
麗を見ていると僕まで小学生に戻った感覚に陥る。
僕はため息をついて、引き返すのをやめて靴を脱ぎ、ズボンの裾をめくって、麗の方に向かった。
そして容赦なく麗に水をかけた。
『ちょっと!女の子に容赦なくない?』
そう言って笑っている。
「麗が先に水をかけてきたんだよ。売られた喧嘩は買おうと思って」
そう言ってまた水をかけた。
麗も負けじと水をかけてくる。
5分くらいお互いに真剣に水をかけ合っていた。
2人とももうびしょ濡れだ。
冬だったら確実に風邪を引いていただろう。
『あはは!やっぱ楽しいね。久しぶりだなぁ、こんなにはしゃいだの。さ、そろそろ疲れたし出ようか』
そう言って麗は海から出ようとした。
その時、麗の足がよろけた。
転ぶ、そう思った時麗が僕の服の袖を掴んだ。
「うわっ」
“ばしゃーん”
僕と麗は壮大に転んだ。
というより、僕は麗に道連れにされた、という表現の方が正しいと思う。
「ねえ、僕を巻き込まないでくれる?」
麗は悪びれた様子もなく笑っている。
『ごめんごめん。そこに優がいたから、つい掴んじゃった』
「そこに山があったから、みたいに言うのやめてくれない?」
そう言って麗の方を見ると麗と目が合った。
すると唐突に麗が声を上げて笑い始めた。
『ぷっ。あははははは!!』
「なんでそんなに笑ってるの?」
『だって、なんかおかしくって。真夜中の海で高校生が私服で思いっきり遊んで、挙句の果てに2人揃って転ぶとか、なんのコントだよって思って』
確かに今はとてもおかしな状況だと思う。
麗はまだ笑っている。
ケラケラと笑っている麗を見ていると、なんだか僕まで笑えてきた。
「ふっ、あははは」
気がつけば声に出して笑っていた。
しばらくの間、2人で大声で笑っていた。
やっと笑いが収まってきた時、我に返った麗が目を見開いてこちらを見てきた。
『優が笑ったところ初めて見た!笑ってた方がいいよ、優は』
そう言って嬉しそうに微笑んだ。
麗に言われて、そういえばここ数ヶ月笑ってなかったな、と思い起こした。
“あの事”があってから僕は笑うことを忘れていた。
楽しい、面白いと感じなくなったのだ。
そう思うと、こんなにも意味もなく笑ったことに対して僕自身とても驚いた。
「……僕もこんなに笑ったのは久しぶりだ」
『そうなんだ。じゃあ久しぶりに笑った相手が私で嬉しいな』
こちらを見て麗が笑う。
『あ、そういえばまだ出てなかった。出ようか』
僕も麗に言われるまでここが海の中だと忘れていた。
僕と麗は今度こそ本当に海から出た。
服が水を大量に吸い込んでいたのでとても重かった。
出たらその場で服の水分を絞れるだけ絞り出した。
そうしてもまだとても重い。
僕は靴を履き麗の方を見た。
「じゃあ、そろそろ帰るね。水で重いし」
『うん。私も帰ろ』
家の方向が真逆だったので、そう言い合うと、お互いに背を向けて歩き出した。
少し進んだところで後ろから大きく声をかけられる。
『優』
振り返ると少し不安そうな目をして麗がこちらを見つめている。
『来週も来てくれる?』
「そういう約束でしょ」
そう言うと麗は目を細め、『ありがとう』と呟き、また背を向けて歩き始めた。
最後に見せた麗の表情がなんとなく気になり、しばらくの間、僕は遠ざかる麗の背中を見つめていた。
それからも僕は毎週あの海に行った。
麗とたわいもない話をする時間は、僕にとって心安らぐ時間だった。
最初は麗の生きる理由のためにここに来ていたはずなのに、僕もこの時間を楽しみに待つようになっていった。
いつの間にか麗が、僕の生きる理由になっていた。
何ヶ月もの間笑えてもいなかったなんて、なんか切ないです。どんな傷を抱えているのか、もう少ししたら明らかになる予定なので読んでいただけると幸いです!!