死に損なった僕
20☓☓年6月20日日曜日午前0時
僕は海に来ていた。
真夜中だからか、周りには誰もいない。
まるで地球上で僕しか存在していないみたいに静かだった。
初夏の生暖かい風が僕の髪をなびかせる。
ゆっくりと、海に向かって歩いていく。
僕は今日、死ぬ。
理由なんて、自分が生きている理由が分からなくなったから、それだけで十分だ。
死へと導いてくれているかのごとく風が僕をそっと後押しする。
ああ、やっと楽になれる。
とてつもない高揚感とともに、海へ足を踏み入れた。
その時だった。
『君、死ぬの?』
反射的に声のした方へ振り向く。
そこには優しく微笑んでこちらに向かってくる少女がいた。
白いワンピースに白いキャペリンを被って、まるで天使が現れたかのようだった。
「ちがうよ」
僕は咄嗟に嘘をついた。
『その状態で違うって言われても説得力に欠けるなぁ』
そう言って彼女は砂浜に仰向けで寝転んだ。
不思議な人だ。
「何してるの?」
『たまに夜こうしてここに来て星を見てるの。ほら、横になると空しか見えなくなるでしょ?余計なものが映らないからとっても綺麗なんだよ』
まるで僕が邪魔と言われてる気がした。
別に今更赤の他人にどう思われようが全く構わないのだけれど。
「そう」
そして僕はまた海に向かって歩き出した。
『やっぱり死にに来たんじゃん、ここに』
「別に君には関係ない」
ほんとに不思議な人だ。
目の前で人が死のうとしてると気づいたのに慌てもしないし止めもしない。
「止めないの?」
僕はまた足を止め彼女に聞いた。
人が死ぬのになんでこうも落ち着いていられるのだろうか。
『止めるって、なんで?』
「いや、こういう時って普通死ぬなとか言われるものだと思ってたから」
だってそうだろ?ドラマとか漫画でも自殺しようとしてる人に死ぬなって手を差し伸べるとかよくある話じゃないか。
『……あ、もしかして君、止めて欲しいの?』
「ち、ちがうよ」
そう言うと彼女は笑った。
『だって、私が今君を止めてもそれは一時的なことに過ぎないでしょ?きっとまた死のうとするじゃん。それなら、死ぬって覚悟を決めた時に死なせてあげた方が幸せじゃない?』
彼女の言っていることは正しい、と思う。
確かに一時的に死を回避させることができたとしても、止められた人は、何も変わらない今に絶望し、また死を選ぶだろう。
「……そうだね」
僕はまた歩き始める。
足の付け根くらいまで海に浸かった時、唐突に彼女が口を開いた。
『ああ、でもやっぱり目の前で死なれると後味悪いや。だから今はやめてくれない?』
何を言っているのか意味がわからない。
「さっきと言ってること矛盾してるけど」
『……そうだね』
そう言うと彼女は立ち上がり、歩き出す。
躊躇うことなく海に入り僕の方に向かってくる。
そして僕の腕を掴んだ。
『ほら、ここから出よう。
……それとも、君が死ぬなら私も一緒に死のうかな。ああ、それがいい。そうしよう!』
急にそんなことを言うもんだから僕は慌てて彼女の手を引き砂浜に上がった。
流石に見ず知らずの人を自分の死に巻き込むようなことはしたくない。
「なんで急にあんなこと言ったの。その、一緒に死ぬ、なんて」
すると彼女は落ち着いた表情で口を開く。
『後味が悪いからって言ったでしょう?なんか私が見殺しにしたみたいになっちゃうじゃんって思って』
「もし、それでも僕の意志が変わらなかったら、君はどうしてたの」
少しあきれた口調で僕は言う。
『そしたら……一緒に死んでたよ』
そう言った彼女は僕の方を見て優しく微笑んだ。
彼女の笑顔を見ていると今さっき自分が死のうとしてたことが嘘だったんじゃないかとすら思えてくる程優しい笑顔だった。
「……そう」
少しの間沈黙が走る。
「……じゃあ、僕は行きます。君はきっと、
とても優しい人なんだろうね」
『それはちがうなぁ。私が本当に優しい人だったなら、きっと君を死なせてあげてたよ。私は自分が人を見殺しにするような酷い人間になりたくなくて止めたんだから、結局は自分のことしか考えてない自分勝手な人間だよ』
彼女がそう呟いたのを背に聞いて僕はその場を去った。
僕は彼女は優しい人なんだろうと思う。
彼女は自分勝手と言っていたけれど、本当にそうだとしたら、見ず知らずの死のうとしている人に向かって、
《君が死ぬなら一緒に死のうかな》
なんて言えないだろう。
帰路を歩いていた僕の脳裏にふと、彼女の微笑みが浮かんだ。
その笑顔はふわふわしていてまるで天使のようだった。
どこか儚げで、とても美しかった。
しかし、彼女はなぜこんな真夜中に、しかも1人で海に来たんだろう。
歩きながら僕は彼女の言葉をもう一度頭に思い浮かべた。
《死ぬって覚悟を決めた時に死なせてあげた方が幸せじゃない?》
1番印象に残っている言葉だ。
なぜならこの言葉に僕はとても共感したからだ。
なぜ共感したのか。
それは僕がそうだったから。
止めて欲しくなかったから。
死ぬと決めた時に死にたかったから。
そう思って、僕ははっと気がついた。
彼女も僕と同じで死にに来たんじゃないだろうか。
だから《一緒に死のうかな》なんて言ったんじゃないか。
その言葉は本当にただの優しさではなかったのかもしれない。
どうせ死のうとしてるのなら、いつ死のうが誰と死のうが関係のないことだからだ。
もし仮にそうだとして、どうする?
戻るか?
しかし、
《死なせてあげた方が幸せじゃない?》
彼女の言葉が脳裏から離れない。
もし、死にに来たのならそのまま死なせてあげた方が……。
そこまで考えて、僕は今なぜ彼女の幸せを考えているのだろうと唐突に思った。
僕は彼女に死なせて貰えなかったじゃないか。
死なないと選択したのは自分だが、彼女に声をかけられていなければ確実に死ねていただろうから。
戻ろう。
彼女は僕が死なせない。
僕のことを死なせてくれなかったように。
半ば無理矢理こじつけたかのような理由を背に僕は海の方へ走り出した。
息が乱れる。
苦しい。
けれど僕の足は止まらない。
5分ほど走るとさっきまでいた海が見えてきた。
遠目に白い影が見える。
きっと彼女だ。
近づくにつれて彼女の姿がよりはっきりと見える。
やはり彼女は海に入っていた。
その時僕の推測は外れていなかったのだと理解した。
その水はすでに彼女の腰ほどまである。
やっと砂浜にたどり着き直ぐに彼女の後を追い海に入った。
彼女に追いつき腕を掴む。
そして強引に彼女を海から連れ出した。
彼女はとても驚いた顔でこちらを見つめている。
「僕の事は死なせてくれなかったのに君だけ死ぬのって卑怯じゃない?」
僕がそう言うと彼女は笑った。
何がおかしいのだろう。
『ふふっ。私死のうとしてないよ?
ちょっと涼もうかと思って』
そう言って彼女は自分のワンピースをめくってこちらに見せた。
『ほら、水着着てるから濡れても大丈夫なの』
彼女の言葉に拍子抜けした僕は次の言葉を発せないでいた。
すると彼女が口を開いた。
『君、何歳?』
「?……17」
あまりにもこの場に無関係な質問すぎて戸惑いながらも僕は彼女の質問に答えた。
『へぇ〜意外。私のがもっと年上と思ってた。私18だから1個下だね。君、童顔?』
彼女はイタズラ好きな小学生のような顔をして笑っていた。
なにか言い返してやりたくて出た言葉は、まさに小学生のくだらない喧嘩のような言葉になってしまった。
「君は20超えてるように見えるから老顔だね」
『酷いなぁ。でも老け顔って将来若いね〜って言われるから良いもん』
こんなたわいもない会話を誰かとするのはいつぶりだろう。
彼女と話しているととても心地が良かった。
おそらく他のことを何も考えずにいられるからだと思う。
『……じゃあ私行くね。バイバイ』
そう言い帰ろうとする彼女を僕は咄嗟に引き止めた。
「あ、あの」
その行動に自分でとても驚いた。
なぜ引き止めたのか分からなかった。
ただ、口が勝手に動いたのだ。
彼女はキョトンとした顔でこちらを見ている。
何か言わなければ。
「君が死なないか心配だから送ってく」
必死に考えて出た言葉がこれだった。
彼女はさっき死のうとした訳じゃないと言っていただろう。
矛盾した言葉に自分でも何を言ってるのだろうと思う。
彼女はとても驚いた顔で僕の方を見た。
『え、私死のうとしてないよ?だからいいよ』
「いや、でも、やっぱりこんな夜中に1人で海に来るなんて不自然だよ」
なんで僕はこんなに必死になっているのだろう。
僕なのに、僕のことが理解できない。
彼女は何かを考えている。
少しの沈黙の後彼女が口を開いた。
『じゃあさ、来週もこの時間にここに来るっていうのはどう?そうしたら私が死んでないってわかるでしょう?ってことで、私は帰るね』
僕に有無を言わせず彼女は帰っていった。
とても不思議な時間だった。
僕はまだ自分のことが理解出来ずに、ただその場に呆然と立ちつくしていた。
ただひとつだけ、彼女と話していると心の氷が解けてくような、とても温かい気持ちになった。
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