婚約破棄ですって!?ふざけるのもいい加減にしてください!!!
「アリーゼ・シジュナス伯爵令嬢!
私、タトナ侯爵家次男ビルマス・タトナは今、この場を以て貴女との婚約を破棄する!! 私の大切な友人に対する悪質で冷酷な振る舞い! 嫉妬にかられてそんな事をする貴女とは結婚など出来るはずがない!! 貴女が嫌がってもこの発言は覆されない!
婚約は、破棄だ!!!」
学園の卒業パーティの会場に響き渡った声に、一瞬にして会場内は静まり返った。
何事かと皆が動きを止め、声を発した者の周りに居た者たちは、関わり合いたくないと直ぐにその場を離れた。
瞬く間にその場に空間が現れ、その中に取り残される様に3人の人物が立っている。
片方は、声を発した男性とその男性に縋るように身体を預ける女性。
もう片方は、扇で顔を隠しながらも身体の震えを抑えきれずに震え、緊張したように立つ女性。
その人物たちを知らない者たちも、現状から男性の方がタトナ侯爵令息でそれと対峙している女性がシジュナス伯爵令嬢なのだと分かった。
では、男性の横にいる女性は誰か?
察しの良い者は、その女性が先程発せられた言葉の中に出てきた "私の大切な友人" なのだろうなと気付いた。そして、呆れた目でタトナ侯爵令息を見た。
何事かと音楽隊が演奏を止めてしまったが為に、卒業パーティの会場内はシン……と静まり返ってしまった。
しかしそんな事を気に止めもしないビルマスは、むしろ今が自分の為の舞台なのだと胸を張って、目の前のアリーゼ・シジュナスを見る。
アリーゼは顔を隠した扇から顔を上げる事なく震えている。
それに気を良くしたビルマスは鼻息荒く
「心優しいミーナはお前の仕打ちに心を痛めている! 陰でミーナを悪く言うだけに飽き足らず、ミーナの持ち物を隠し、ミーナを周りから孤立させ、ミーナが怪我をするように仕向けた! ミーナはずっと一人で耐えていたのだぞ!! 私に迷惑がかかるからと! 私が婚約者が居る身で他の女性に現を抜かすような男だと周りから思われては困るからと!! お前は私とミーナの仲を勝手に邪推して誤解した挙げ句に勝手に嫉妬して、ミーナを排除しようとしたんだ!! その考えが私を侮辱しているに等しいと、何故考えなかったんだ!!!」
と叫ぶ。
叫びながら、ミーナと呼ばれた女性の腰を強く抱き寄せて、ミーナを胸に抱くその姿を見た全ての人が、邪推??、誤解???、と怪訝に思った。
婚約者同士であっても人前でエスコート以外で触れ合うなど不純な行為だと思われるのに、彼らはこんな公の場で、婚約者同士でもないのに抱き合っている。この会場に居る全ての者がその事に不快な気持ちになり、訝しむ目を向けている。
しかしそんな目線に気づきもしないビルマスは、きっと凄く自分の顔に自信があるんだろうな、と思わせるような表情を作って、目の前の令嬢、自分の婚約者であるアリーゼに非難する目を向ける。
視線の先のアリーゼは扇を両手で持って更に身体の震えを強くさせた。その様は、婚約者に責められて、怯え震えているようで、まともな令息たちは、こんな場所で、一方的に自分の婚約者を責めるビルマスに嫌悪感を感じていた。
ビシッッ
と静かな会場に何かが壊れた音が響く。
全ての人が不思議に思った瞬間。
扇で顔を隠し震えていたアリーゼは顔を上げた。
その顔は誰が見ても怒りに染まっており、彼女の正面に立っていたビルマスやミーナのみならず、2人の後ろにいてその表情を見た全ての人の喉から「ヒッ……」と音が漏れた程だった。
「嫉妬……ですって……?
嫉妬、したですって………!?
こ、こんな侮辱耐えられません!!
私がビルマス様の事で嫉妬したなどとっ!!! なんて事をおっしゃるの!?!」
アリーゼのその叫びを耳にした者は皆 驚愕した。
ビルマスも驚愕して目を見張った。
しかしアリーゼは止まらない。
手元の扇は既に半分に折れていた。
「わたくしは再三タトナ家に婚約解消をお願いしてきました!
貴方が虫唾が走る程に嫌いだから!!
でも貴方のお父様が受け入れてくれなかった!!
貴方の顔も見たくなくて茶会も夜会も断っていたでしょう!?
学園でだって貴方を見かけないように過ごしていたわたくしが嫉妬したですって!?!
大嫌いな貴方の為に嫉妬したですって!?!
ふざけないで下さい!!!!
ありえない!!!!!
お父様が勝手に結んだ婚約で! わたくしはこの話を聞いた時には泣き叫んで3日3晩寝込んだほどだったのですのよ!!
そんなわたくしが嫉妬したですって!?!?
よくもそんな妄言をこんな公の場で騙ってくださったわね!!!
酷すぎるわ!!!!
わたくしの尊厳を傷付けて辱めるなんて、貴方には人の心がないの!?!
信じられない!!!!
そちらが婚約解消を受け入れなかった癖に! こんな場所で婚約破棄を叫ぶなんて何が目的なの!?!
本当に意味が解らないわ!!!!
この侮辱にわたくしは耐えられません!!!!
正式に訴えさせていただきます!!!!
もう二度とそのお顔を見たくはありませんが! しっかり縁を切る為にも、裁判所でお会いしましょう!!!!!」
そう一気にまくし立てたアリーゼは、肩を怒らせながらビルマスに背を向け歩き出した。
「ま!待てっ!!」
アリーゼの言葉を全然呑み込めていなかったが、その怒りの強さだけは理解したビルマスが慌ててアリーゼを呼び止める。
裁判までは考えていなかった。
そんなに話を大きくする気はさらさらない。ビルマスが婚約破棄を言い渡し、アリーゼが泣きながら追いすがる。それを宥め仕方なく受け入れたビルマスにアリーゼが感激して謝罪する。心を入れ替えたアリーゼがミーナの存在を受け入れ、婿入りしたシジュナス伯爵家で正妻のアリーゼと愛人のミーナの2人を交互に時には同時に可愛がってやりながら楽しく過ごすつもりだった。それがビルマスの考えだった。
それなのに、何故アリーゼは裁判などと言い出したのか。ビルマスは理解出来ない。
裁判なんて駄目に決まってる、と内心大慌てなビルマスを冷ややかな目で射抜いたアリーゼは、振り向きかけた体勢のままで、
「わたくし、裁判の準備をしなくてはならなくなったのでこの場はこれで失礼させていただきます。
あぁ、ビルマス様の横に居られる貴女。ミーナ様と呼ばれておりましたわね。
わたくしにありもしない罪を捏造された事、しっかり訴えさせていただきますね。
わたくしを侮辱した事、絶対に許しませんから………」
アリーゼから絶対零度の視線で射抜かれたミーナは「ヒッ!」と喉から声を零して身を縮み上がらせた。
そんなミーナがビルマスの服を掴んで離さないので、ビルマスはアリーゼを追いかける事ができずにその場に立ち尽くす。
一連の騒動を見せられた会場内の人々からは呆れと失笑と不満の声が上がり。気を取り直して始まった音楽と卒業パーティの中で、問題を起こしたビルマスとミーナは、早々に教師たちから追い立てられる様にして退場させられた。
〜*〜*〜*〜*〜
その後、行われた裁判ではアリーゼが提出した証拠や存在証明の第三者の証言によりアリーゼの圧勝。
ビルマスは、名誉毀損や侮辱行為、精神的苦痛を与えた等諸々で賠償金や慰謝料などを払う事になり、ミーナにも同じような沙汰が下った。
ミーナの親であるイハバロ子爵夫妻は突然の大惨事に泡を吹いて倒れたという。
当然、アリーゼとビルマスの婚約は公的に解消された。
ビルマスの父であるタトナ侯爵は、息子の婚約者である伯爵家からの再三に渡る婚約解消の話を「いっときの迷い」や「若い頃にはよくある」や「今だけの遊び」などと言ってなんだかんだと有耶無耶に流し、当の息子をちゃんと教育しなかった話が社交界に知れ渡り、『お金の為に嫌がる令嬢を無理矢理婚約者にした非人道的な当主』、だと他の貴族から距離を置かれる事となった。
先代当主の引退後に羽振りの悪くなった侯爵家が、新たに始めた事業が鰻登りな伯爵家に、ほぼ押し付けるような形で次男を伯爵家長女に婿入りさせる婚約を申し込み、強引に了承させたというのは有名な話であった為に、タトナ侯爵が幾ら噂を否定しても誰も相手にはしてくれなかった。
ビルマスとミーナは、公の場であんな茶番を行ったせいで「絶対に結婚しろ! これ以上恥を晒すな!!」と互いの親から怒られ、あの卒業パーティからなんとも言えない雰囲気になっていたものの結婚した。
しかし、2人が結婚したから全てが終わって幸せになった、なんて事は当然の如くありはせず。
アリーゼに支払うお金を、アリーゼ側がもう二度と2人に会いたくないので一括でしか受け付けない、払えなければどうぞ厳罰に、と言った事から、身内から犯罪者を出したくなかったビルマスの親とミーナの親がそれぞれ話し合った結果、タトナ侯爵家が纏めて立て替える事が決まった。
これによりミーナは実家のイハバロ子爵家から縁を切られ、身柄をタトナ侯爵家に管理される事になった。しかし当の本人はそれすらも理解していなかったかもしれない。
アリーゼに払うお金を立て替えてもらえたという話を聞いたビルマスとミーナはそれはそれは喜んだ。
自分たちで払わなくて良くなったのだ。やはり自分の親は優しい。これからまた今まで通りの生活が出来る、いや、今までより幸せな生活が出来るのではないか? だって学園は卒業したし、好きな相手と結婚した。別に家から出て行けとも言われていない。このまま侯爵家の人間として生きていける。
ビルマスは晴れやかな気持ちで自分の輝かしい未来に顔をニヤけさせた。そんなビルマスにしなだれかかったミーナもこれから始まる侯爵家での生活に胸踊らせた。
しかし当然ながら、2人の思い描いた生活は訪れない。
侯爵家へと連れてこられたビルマスとミーナは、不機嫌な顔で苛立たしげに足を揺するタトナ侯爵を前に何事かと身を寄せ合った。
「ビルマス。お前は今からテセール港から船に乗れ」
「え?」
父であるタトナ侯爵から言われた言葉が理解できずビルマスは聞き返す。しかし、それを父は気にしない。
タトナ侯爵がサッと手を振ると後ろに控えていた侯爵家所属の騎士達がビルマスの両腕を拘束してミーナから引き剥がした。
「え? ビルマス!?」
「な、なんなんですか父上!?」
慌てる2人を気にする事もなくタトナ侯爵はもう一度手を振った。
今度はミーナが、こちらはメイド2人に両脇から拘束された。
引き離される恐怖に互いに手を伸ばしたビルマスとミーナだったが、その手は触れ合う事なく引き離される。
そんな2人を見たタトナ侯爵は腹立たしげに2人を睨みつけた。
「ビルマス。お前は今日から遠征船に乗せる。大体1年は帰ってこれないが、1回の遠征で今回払った金額の4割分は稼げる。全て返済するまで船に乗れ。逃げたら命は無いと思え!」
「はぁ!? 何を考えているのですか父上!?」
ビルマスに構う事なくタトナ侯爵は続ける。
「ミーナ。お前は今から高級娼館に入れる。落ちた貴族令嬢ばかりが集められる娼館だ。お前のような何もできない女でもデカく稼げる。しっかり働いて金を返せ!」
「しょっ!? 娼館なんて! なんで私がそんなところに行かなきゃ行けないの!?」
ミーナは余りの恐怖に涙が出てきた。しかしタトナ侯爵はそんなミーナを冷めた目で見る。
「お前のような女が他にどうやって稼ぐ? チマチマと一生をかけて返すと言われてもこちらも待ってはいられないのだよ。
そもそもお前のような女が息子を誘惑しなければ、今頃は伯爵家からの援助金などを元手に新しい事業が起こせたものを……。
お前が全ての元凶なのだ!」
憎々しげに発せられた言葉にミーナは血の気が引く。
でもそれは責任転嫁ではないの?
「あ、貴方の息子が私に言い寄って来たのよ!! 婚約者が居るのに他の女に鼻の下を伸ばすような息子に育てた侯爵様に責任があるはずよ!!」
「黙れ!! 言い寄った自分を棚に上げて侯爵家子息を愚弄するとは、なんと躾のなっていない娘だ!
こんな馬鹿な娘に傾倒するなどと、……ビルマス、お前は人を見る目がないな……」
そう言い残すとタトナ侯爵は2人に背を向け歩きだした。その後ろを執事が追う。
その様子に、ビルマスとミーナは自分たちが既に反論する事も許されずに切り捨てられたのだと理解した。
「ち、父上っ!!!」
「侯爵様っ!! お待ちください!! 侯爵様っっ!!!!」
2人の声にもうタトナ侯爵は反応しない。
ビルマスもミーナも互いを心配する事もなく、ただ自分を助ける為に、自分を拘束する者たちに泣きすがるが誰も反応を返してさえくれない。
遂には猿轡を噛まされ、体をロープで縛られると、それぞれの馬車へと放り込まれて連れて行かれた。
ビルマスは遠征船へ。
生粋の侯爵令息であったビルマスは遠征船の乗組員である屈強な平民たちを見た瞬間に自分では逃げられないと悟り、死んだ目をして船に乗り込んだ。しかし1年もせずに荒波に呑み込まれて大海の中へと姿を消した。
タトナ侯爵は、遠征船1回分しか金を回収出来なかった事を嘆いた。
ミーナは押し込められた高級娼館で自分の純潔を高く売る事が出来た。それを機に、上位娼婦への道を駆け上がる。
元来男に取り入る事に長けていたようで、ミーナはタトナ侯爵が思っていたよりも早い期間で立て替えてもらった金額分のお金を侯爵に返した。これにはタトナ侯爵もびっくり。
ビルマスと結婚した時点でミーナの身分は平民となり、ビルマスが行方不明となった事から、ミーナが望めばビルマスとの婚姻関係は解消出来る状態になっていたが、ミーナは婚姻関係をそのままに娼婦を続けた。人妻、未亡人、の肩書きがあった方が客が喜んだからだ。
一応タトナ侯爵も、ミーナに娼館を出たければ受け皿をこちらで用意すると伝えたが、こんなにおいしい仕事はないと、まだ買い手がある内に稼ぐ! と言ったミーナの考えを尊重して、そっとしておく事にした。
思ったよりも強かだったミーナはその後、娼館で稼ぐだけ稼いだ後に金持ちの商家の後妻に入った。
一方、ビルマスとミーナに迷惑をかけられたアリーゼは。
浮気された令嬢という傷は付いたものの、友人には当時の婚約者がどれだけ嫌いでこの婚約がどれほど嫌かを訴えていたので、婚約解消したこと自体は傷にならずに、むしろ同情された。
学園で学友として親しくしていた伯爵家三男の子息と婚約して無事に結婚。
伯爵家子息は婚約者も居らず、このまま平民となるのだなと漠然と考えていたところに降って湧いた棚ぼたに滅茶苦茶喜んだ。
アリーゼの性格も知っていたし、断る理由は何一つなく、話が転がり込んできた瞬間に飛びついた。
そして、アリーゼが引くくらいにアリーゼを全身全霊で愛したのだった。
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<誤字指摘ありがとうございますm(_ _)m>