5.台東区3
スズメのやかましい声で目が覚めてしまう。チュンチュンなんてかわいらしいさえずりなどではない。甲高い早口だ。
「ねえねえねえねえ、聞いた?」
「なになになになに、言ってみなさいよ」
「あのねあのねあのねあのね、台東区に人間が来ているんですってよ。それも4人!」
「うんうんうんうん、知ってる。この部屋に泊まってるんだってさあ」
「ほんとほんとほんとほんと、人間なんて何十年ぶりかしらねえ!」
「まったくまったくまったくまったく、ほんとにねー!」
どうやら、窓の外で騒いでいるらしい。わたしは目をこすりながらベッドを降りると、窓まで歩いていってカーテンを思いっきり引いた。数羽のスズメが「わあっ!」と声をあげ、慌てふためき飛んでいく。
「なんだ、うるさいな。どこのどいつだ?」美詩衣が不機嫌そうに起きだした。
「いまのって、スズメよねえ。こっちのスズメも、やっぱり朝が早いのねえ」三千代もベッドで半身を起こし、のんびりと背伸びをする。
「ああ、朝なのね。谷根千へと行き、ライチョウのリゲルに会うんだわ。乱暴者だそうだけど、うまく折り合いがつくといいなあ」久美子はやっぱりしっかり者だ。起き抜けから今日の予定を復唱している。
「サイゴー将軍が迎えに来てくれるんだったっけ?」わたしは聞いた。
「うん、そう。お昼前には来るんじゃないかしら。朝ご飯を食べたら、準備して待ってなくっちゃね」
午前11時を少し回る。わたし達は支給されたカーゴパンツとジャケットを着て身支度を整え始めた。
「このジャケット、生地も厚くて見た目もごっついけど、思った以上に軽くて動きやすい」わたしは少し驚く。いまの時期、ちょっと歩くと汗が滲み出す。そんな中を長距離歩き回ったら、暑くて体力が持たないかもしれないと心配だったのだ。
「そうね。しかも、さらっとしていて着心地もいいわ。ゴアテックスかしら」久美子はどこかにタグが付いていないか調べている。
「あれだな、吸汗速乾っていうやつ」美詩衣も生地を手で触れて確かめた。
「こんなに分厚い記事なのにねえ、ほんと不思議だわあ」これは三千代の感想だ。
ピンポーンとチャイムが鳴る。続いて、
「わしだ、サイゴー将軍だ」と地に響くような大音声。
「あ、来た来た」わたしは小走りにドアへと向かった。「こんにちは、サイゴー将軍。わたし達、すっかり準備できてますんで」
「そうかそうか、夕べはくつろいでもらえたかな。では、さっそく出かけるとしよう」
忘れ物がないか確認したのち、わたし達は部屋を出る。いよいよ冒険の旅が始まるのだ。
ホテルの前には1頭のゾウがたたずんでいた。これに乗っていくのかと思ったがそうではない。すぐ後ろに車輪付きの屋形が置かれ、太い鉄の棒でゾウとつながれていた。
「おーっ、馬車ならぬ象車か。いいな、これ」美詩衣が興奮気味にはしゃぐ。
「わたし、ゾウさんに乗ってもよかったかも~」三千代はちょっぴり残念そうである。
「ともあれ、快適に目的地へ行けそうでよかった」現実的な久美子はホッと胸をなで下ろした。
「皆、乗ってくれ。谷根千までは3時間ほどで到着する。中に飲み物も用意してあるのでな、車窓など楽しんでいただきたい」サイゴー将軍がうながす。
最初に美詩衣が乗り込み、久美子、わたしと続き、しんがりを三千代が務めた。
中は向かい席になっていて、座席は赤いベルベットが敷かれている。真ん中に丸いテーブルが設置されており、赤い液体で満たされたボトルと人数分のグラスが置かれていた。
「ふわっとしたシートだわね。体が心地よく沈むよう」久美子はゆっくりと背にもたれかかる。
「この飲み物は何かしらあ。ひょっとしてワイン?」三千代はグラスをのぞき込んだ。
「それは台東区特産のベリー・ジュースである」開いたままのドアから、サイゴー将軍が説明する。「ワインはおまえ達にはちと早すぎるのだろう?」
窓の外に目をやると、いつの間に集まってきたのか、近所の動物達が見送りに来ていた。
「あの子達、リゲルに会いに行くんだそうだ」
「なんだってあんな面倒なやつに?」
「やめておいたほうがいいんじゃないのか?」
「うん、まあ、サイゴー将軍がついているしな。最悪のことにはならないだろう」
口々にささやき合っている。それを聞いて、なんだか不安になってきた。
「ねえ、みっしー。なんかやばくない?」
「薫は心配性だな。乱暴者といっても、しょせんはライチョウだろ。平気だって」美詩衣は気にも留めていない。
「では、これより出発する」サイゴー将軍は鐙に足をかけ、エイヤッとゾウに乗り込んだ。ゾウもホルンのようによく響く声で「アイアイサーッ!」と応える。
屋形がグラッと揺れ、車輪の軋む音が聞こえ始めた。
「動き出した!」わたしは思わず声を出す。「やっぱさあ、乗り物ってワクワクするよね!」
「薫って、ホント子どもだな。まあ、あたしもちょっとは楽しいんだけどよ」美詩衣もいつになく瞳を輝かせた。
「ベリー・ジュース飲もうよ~」三千代はボトルに手を伸ばす。
「なんか、気持ちが引きしまるわ。もう、後戻りはできないって感じ」久美子だけは真顔だった。「リゲルとはちゃんと話し合えるかしら。仲間になってくれたとして、その後の旅は楽になれるのかしらね」
三千代に注いでもらったベリー・ジュースのグラスを手に取ったわたしは、久美子の意見を聞いてうーんと考え込んでしまう。
確かに課題は山積みだった。
走り出したときは舗装された道路だったが、小一時間も行くと石ころのゴロゴロする悪路へと変わっていった。窓の外の風景も都会から一転し、だだっ広い平野がどこまでも続く。
「山口県に行ったことあるけど、秋吉台あたりの草原がこんな感じだったわ。もっとも、あそこには白い岩がゴロゴロしてたけど」久美子が言った。
「こっちの世界じゃ、ここも東京なんだよな。なんて広さだよ」あきれたように美詩衣はもらす。
「わたし達の旅をライチョウさんが手伝ってくれるっていうけどお、4人も乗せて運べるのかしらね~」三千代は疑わしそうに思いを口にした。
「きっと、ダチョウみたいに大きいんだよ」とわたしは推測してみる。
「でも、ダチョウじゃ1人しか背中に乗せられないじゃない」久美子が反論した。
「そうだな、ロック鳥くらいないとダメだろう」美詩衣は伝説の怪鳥を引き合いに出す
「でもお、とっても凶暴なのよね~? 仲間になってくれるかしらあ」三千代の心配は絶えなかった。
12時を少し回った頃、ふいに象車が止まる。サイゴー将軍が降りてきて窓からのぞこんだ。
「皆、そろそろ昼食にしようではないか」
「待ってましたーっ」三千代が素早く反応する。立ちあがった拍子に頭をぶつけそうになった。何しろ、4人のなかで一番背が高いのだ。もっとも、それについて指摘する者はない。本人がたいそう気にしていることを知っているので。
「てっきり、現地で獲物を調達するのかと思ってたぞ」美詩衣は冗談だかなんだかわからないようなことを言いだす。
「そりゃあ、お弁当ぐらい用意してるんじゃない?」わたしは言い返した。「何弁当だろうね。幕の内かな、それとも重箱かな。まあ、のり弁でもいいんだけどさ。ね、のり弁の主役って海苔じゃないよね。コロッケのほうだと思うんだけど」
「あたし、から揚げ弁当が好きなのよね。レモンとかついてたら最高」久美子はペロリと唇をなめる。
サイゴー将軍は象車の荷台からクーラーボックスを取りだして、わたし達のいる客車へと運んでくれた。
「役場御用達の仕出し弁当である。味の方は保証できるぞ」
クーラーボックスを開けると、杉の木の折詰弁当が人数分入っていた。
「おお、こりゃ豪華な弁当箱だな。なかも期待できそうだぞ」美詩衣は折詰を手に取り、フタを開ける。たったいま作ったばかりのように、ほわっと湯気が立った。現れたのはウナギの蒲焼きだ。タレの甘い匂いが辺りに立ち込める。
「わおっ、まさかウナギだなんて!」と三千代は、これ以上はないくらいの笑顔をはじかせた。
「山椒の香りがまた、食欲をそそるよねっ」久々のウナギに、わたしもごくっと喉を鳴らす。
「見て、こんなに大きい! 天然物かしらね。脂が乗ってておいしそうっ」久美子も目をキラキラと輝かせた。
箸を取り、ウナギを一口分ほぐして口に運んでみる。とっても柔らかいのにしっかりとした歯ごたえがあった。数回噛んだだけで舌の上でとろけていく。
「おいしいっ! 今までに食べたウナギが、まるでドジョウみたいに思えちゃうよ」わたしはすっかり感激してしまった。
「うんうん、その例えはめちゃくちゃだけどよくわかるっ」久美子も頭をコクコクさせて同意する。
この弁当だけのために異世界へ来た甲斐がある、とさえ思った。
ガタゴト揺れる象車だったが、長時間乗っているとそれさえも揺りかごのように思われてくる。わたし達はいつの間にかうたた寝をしてしまい、目を醒ました頃には旅の終わりが近づいていた。
「あら~、わたしったらすっかり眠ってしまっていたわあ」狭い屋形の中で三千代は伸びをする。
「ああ、よく寝たな。この振動が心地いいんだ」美詩衣も首を肩の回りでぐるりと回した。
「そろそろ到着かしらね」久美子は腕時計に目をやる。「出たときは11時を少し回っていたから、かれこれ3時間になるわ」
窓の外を見ると、寝入る前にはちらほらと見えていた木々もなくなり、大小の岩ばかり転がる荒れ地となっていた。
「寒々としたところに来ちゃったね……」わたしはポツリとつぶやく。
「こんなところに好き好んで住むやつは、きっとろくでもないに違いない」美詩衣が決めつけた。
「それってライチョウのリゲルのことよね~」三千代がのんびりとした声を出す。
象車は速度を緩め、ほどなくして停車した。前方で、サイゴー将軍がゾウから飛び降りる音が聞こえる。ほどなくして、こちらへやって来た。
「ここからは歩きとなる。岩が多く、象車では進めぬからな」
4人は、それぞれ座席に置いたバックパックを背負い、列をなして外に出る。
足の裏を通して、とがった小石の感触が伝わってきた。かすかにツンとした臭いもする。
「これって、硫黄の臭いだわ」久美子が鼻をヒクヒクさせた。
「さよう、ここは火口に近いのだ。地面からガスが漏れだしておる」とサイゴー将軍。「さて、行くとしよう。足もとが悪いので気をつけるようにな」
歩き出して10分ほどすると、大きな岩が現れた。サイゴー将軍はわたし達にその岩陰に身を潜めるようにと指示を出す。
「見るがよい、あそこにいるのがリゲル、あやつだ」
岩の陰からそっと顔を覗かせると、巨大な石舞台の上に横たわる灰色の丸っこい鳥が見えた。図鑑で見たことのあるライチョウに似てはいる。ただし、図鑑では体長40センチほどと書いてあったのに、どう見てもはるかに大きい。
「目測だと、2メートルくらいはありそう」わたしは推測した。
「うん、それくらいはあるね。立ちあがったら、あたし達よりも大きそうだわ」久美子もうなずく。
「それにあの目つき。なんて悪そうなんだ」美詩衣はちっと舌を鳴らした。
「わたし達の世界のライチョウがあんなんじゃなくて、ほんとうによかったわ」三千代はふうっとため息を吐くのだった。