4.台東区2
わたし達はまず、用意されたホテルに案内される。
「まあ、なんて立派なホテルなのかしらねえ」三千代は「ホテル ズーパクサイド上野」と書かれた建物を見あげて言った。
「あたし、そんなにお金持ってきてないわ。支払い、どうしよう」久美子が困った顔をする。
「心配することはない」サイゴー将軍はフンッと鼻を鳴らした。「おまえ達はスペシャルゲストである。宿泊費は台東区で持たせてもらおう。滞在中にかかるあらゆる出費も不要だ。1歩町を出ればそこは大自然であるからして、十分な準備を整えてもらわなくてはならん」
これを聞いて一同はパアッと顔を輝かせるのだった。
客室はカテゴリー7、いや8といったところか。相当にグレードの高い部屋だった。
「まるでリッツ・カールトンみたいだわぁ」と三千代は手をもみ合わせて大喜び。
「ああ、こいつはいいホテルだ。帝国ホテルに泊まったことがあるけど、それ以上だぞ」美詩衣も大いに評価した。ああ、そういえばみっしぃの家はお金持ちだったっけなぁ。わたしなど、せいぜいハトヤホテルくらいなものだ。
「めちゃくちゃ広い部屋だね。迷子になりそう」わたしはざっと中を見回す。
「ふふっ、薫ったら」三千代が笑った。「でも、そうねえ。寝室だけで3つもあるし、それぞれがくつろげる個室まであるのね。奧のあそこ、きっとバス・ルームよねえ。期待できそうだわあ。わたし、お風呂が大好きなんですもの」
「とりあえず着替えないか? ほら、クローゼットに人数分の着替えが用意してあるぞ」美詩衣はクローゼットを開いてみせる。
「そうね。あたし達、学校から帰る途中でこっちに来たもんだから、制服のまんまだったっけ」久美子は着ている制服を見下ろした。
着替えを済ませ、わたし達はリビングルームへと戻る。中央に大きなガラス・テーブルがでんと置かれ、両脇にはレザーのソファーが据えられていた。
「まるで、あつらえたようにピッタリだ」美詩衣はカーゴチノパンをなでたり軽く叩いてみる。「ふつうカーゴパンツはだぼったいもんだけど、すごくフィットしてる。ストレッチ素材だからきつい感じもないし、いいなこれ」
「わたし、いつもスカートだけれど、とっても履きやすいわ。採寸したみたいにサイズもちょうどいいわ。わたしって大きいでしょう? お店に行っても、なかなか合うのがないのよ」パンツ姿の三千代というのも新鮮だった。改めて、脚が長いなぁと見惚れてしまう。
「でも、なんでカーゴパンツなんだろう」とわたし。
「きっと、旅をするのに行動しやすいと考えたんだと思う」額に手を当てながら久美子は推論した。
「ああ、そうだと思う。生地も丈夫そうだし、歩きやすいしな」美詩衣も同意する。
「タンクトップも伸縮性があって、生地も厚いよね。これも旅仕様ってことなんだ」わたしは合点がいった。
クローゼットにはジャケットやバックパックも入っていた。ジャケットは背中と肩、肘にゴムのようなプロテクターが入っている。
「このプロテクターって、押すと柔らかいけど、叩くと固いぞ。奇妙な素材だな」美詩衣はジャケットをこぶしで殴りつけながら言った。
「ああ、それね。たぶん、D3Oじゃないかなあ」歩く辞書の久美子が答える。「少なくとも、元いた世界ではそう呼ばれていたわよ。わりと最近に発明された新素材でね、ゴムのように柔らかいんだけど、衝撃を受けると固くなるの」
「まあ、それはいいわねえ。転んだりぶつけたりしても、わたし達の体を守ってくれそうだわあ」
「しかも、普段は柔らかいから、ゴツゴツした感じもないしね」わたしはこの不思議な素材に感心した。
バックパックの中身も調べてみる。コンパス、サバイバルナイフ、軟膏、非常用ビスケット、懐中電灯、ライターなど、旅に要りようなものが一通りそろっていた。何よりもうれしいことに、着替えの下着がそれぞれ3セットずつ入れてあったことである。
「至れり尽くせりだわね!」久美子は半ばあきれたように肩をすくめた。
正午近くになり、お昼ご飯はどうしようかという話になる。
「ルームサービスを頼む? それとも食堂へ行く?」久美子が意見を求めた。
「あたし、ちょっと町を見てみたいな。どうせ、明日には出発するんだしよ」美詩衣は言う。
「いいわねえ、みっしぃ。ホテルに来る途中で、おいしそうなレストランを見かけたのよお」と三千代がうれしそうに手をもみ合わせた。
「外食でいいかな」わたしも賛成する。「夕食はホテルですればいいんだしさ。わたしもみっしぃと同じく、どんな町か見てみたいなぁ」
久美子はうんうんとうなずき、テーブルの上のキー、それとクレジット・カードを拾いあげた。サイゴー将軍から手渡されたもので、いくらでも自由に使っていいと言われていたのだ。
「わかったわ。じゃ、みっちゃんが見つけたっていうレストランに決定ね」
町の雰囲気はわたしの知っている台東区ではなく、どちらかといえば新宿のオフィス街に似ていた。ただし、通りを歩くのは種も様々な動物達である。ハツカネズミからオオカミ、ゾウと、実に多彩だ。インフラは大型動物を基準に造られているようで、どの建物も入り口が高い。わたし達が泊まっているホテルも、もちろんそうだった。ただ、それでは小動物に支障をきたすため、ちゃんと小型、中型のドアも用意されている。
「来る途中でちらっと見たが、やっぱすげえな。みんな動物ばっかだぞ」美詩衣はやや興奮気味で辺りをキョロキョロ見回した。
「クルマできたから、よくわからなかったけど、人間が1人もいないんだね」わたしも好奇心を抑えられずにいる。
「やだわあ、みんなわたし達のこと見てるよう」三千代は居心地悪そうに言った。
「そりゃあねえ。なんたって、ここは動物の治める区なんだもん」久美子がふふっと笑う。
そうだ、こちらの世界の台東区はわたし達の町とは何もかもが違っている。板橋区にいたときは、せいぜい建物の配置が変わったくらいにしか思わなかった。そうではないのだ。その実、あらゆるものが別なのである。隣の区ですらこうなのだから、さらに旅を進めていけばどんな世界が待っていることやら。
「ここよお」三千代が指差す。決して高級そうな装いではなかったが、居心地のよさそうなレストランだった。
「サイゼリアをもっともっとデラックスにした感じの店だね」わたしは感想を述べる。
「なかなかいい店だな。へんに固っ苦しいよか、ずっと好みだ」美詩衣もうなずいてみせた。
大型動物用の入り口の脇にある、中型の自動ドアを開けて、わたし達は店に入る。
「いらっしゃいませー」奧からコビトカバのウエイトレスが、小走りに駆けてきた。「あらまあ、人間のお客さんなんて珍しいっ! ささ、どうぞこちらのお席へ」
案内されたテーブルは見晴らしのいい窓際だ。通りを行き交う動物達がよく観察できる。
美詩衣は立てかけてあるメニューを手に取り、パラパラとめくった。
「あたし、ペスカトーレにする」
「じゃあねえ、わたしは――」回ってきたメニューを見ながら三千代がのんびりとした声を出す。「エビフライ定食にしようかしらあ。ねえ、あのう。これってさあ、洋食なのかしらね、それとも和食かなあ」
「うーん、あえて言うとすれば『和風洋食』って感じかな」久美子が真剣に答えた。それがおかしく、思わず吹き出してしまう。
久美子はカツカレー、わたしはデミグラ・ハンバーグ定食にした。
「おいしかったわねえ、あそこのお店」三千代は頬に手を当てながらニコニコしている。
「ハンバーグもほっくほくだったよ」わたしもすっかり満足だった。ホテルへと向かう足取りも、どこか弾んでいる。
「あたしのペスカトーレなんて、身の引きしまったムール貝がたっぷりのっていて、これまで食べたなかじゃ最高だった」
「カツカレーもね、こーんなに分厚いカツが惜しげもなく盛ってあったのよ。うちの近所のハムカツみたいなカツカレーとは、まったくの別物だったわ」久美子までもが大いに褒めちぎった。
昼時だからか、さっきよりも人通りがぐんと多くなる。わたしなど、なんどかヒョウやオランウータンなどの中型動物とぶつかりそうになった。というのも、足もとをすり抜けていくリスやフェレットなどの小型動物を踏んづけやしないかと、気をとられてしまうからだ。
一度など、膝の辺りを超低空滑空するモモンガをよけようとして、シマウマのお尻につんのめってしまった。シマウマは「ワンッ!」と叫んだけれど、わたしがすみませんと謝ると、「この時間は混雑してるからね、歩き慣れてない者にはやっかいなことでしょうな」と去って行った。
「ここに住んでいる人――っていうか動物達って、なんだかんだいって、みんな親切だよね」わたしは言った。
「うんうん、そうなのよねえ。よそ者だから、何かひどいことをされるかと心配してたけど」三千代もうなずく。
「あたしらのいた世界よか、案外と住みやすいかもな」美詩衣は言いくだした。
「サイゴー将軍にしてもロンロン女子にしても、ほんと、あたし達によくしてくれるわよね」久美子が思いを言葉にする。
ホテルに戻って、わたし達は現状を話し合った。この先の旅がどうなるのかを予想し合ったり、万が一、元の世界へ帰れなかった場合のことなどなど。
話の内容によっては、いっとき場が暗くなることもあったけれど、高校生のわたし達はとにかくエネルギーに満ちあふれていた。すぐに盛り返して笑い合い、いつしか、いつものたわいない雑談へと脱線してしまうのだった。
夜になり、ホテルの食堂で豪勢なビュッフェでお腹いっぱい食事をし、客室の広々としお風呂に全員で入り、夜遅くまで思いっきり楽しんだ。
寝室にはダブルベッドが2台置かれており、別々に寝る必要を誰も感じていなかったので、わたしと久美子、美詩衣と三千代とでそれぞれのベッドに潜り込んだ。
「そろそろ電気を消すわね」久美子がチェストに置かれたランプのスイッチを切ったあとも、まだしばらくは寝言のようにぽつりぽつりと言葉を交わし合う。
呼ぶ声と応える声との感覚がだんだんと遠くなり、いつしか眠りにつくのだった。