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東京徘徊  作者: むぅにぃ
3/5

3.台東区1

 出区許可証の発行を待つ間、区長はわたし達に紅茶をふるまってくれた。オーク製の棚に置かれた、あのティー・セットで。

「このミルクティー、すっごくおいしい!」思わず声に出た。

「うんうん、紅茶の香りとミルクの濃厚な味わいが絶妙よねえ」三千代も激しくうなずく。

「区内の茶畑でとれたイタバシ・グレイという紅茶でしてな、別区への主立った輸出品なのですよ」ホクホク顔で区長は言った。

「わたし、ふだんはコーヒーしか飲まないんだけど」久美子はそう言いつつ、さらに一口、カップを傾ける。「確かに芳醇で口当たりがいいですね、この紅茶。いっそ、このまま紅茶党になってしまおうかしら」

「うちの親が紅茶にうるさいんで、いつもつき合わされてるんだよね。だからある程度は紅茶についちゃ知ってるんだが、これってダージリンにそっくりだよ。それよか、もっとうまいけどな」と美詩衣。モックじゃいつもチョコ・シェイクばっかり頼むくせに、以外と舌が肥えているんだなあ。


 30分ほど経ってノックの音と同時に、佐藤が書類を手に入ってきた。

「お待たせしました。出区許可証ができあがったので、お届けにまいりました」

「うん、ご苦労さん」区長が受け取り、ソファーに座ったままのわたし達に手渡す。「この書面を台東区の管理官に見せなさい。事情を話せば、パスポートを発行してくれるはずだ。そこの佐藤君が君たちを関所まで案内してくれる。旅の幸運を祈ってますよ」

「ありがとうございます、区長」久美子は立ちあがり、ペコリとお辞儀をした。わたし達もそれに倣って礼を言い、ドアへ向かう。

「それでは、わたしに着いてきてください」佐藤がわたし達をうながした。

「なあ、佐藤さん。台東区までは遠いのか?」美詩衣が聞く。

「いえ、すぐですよ」佐藤は足も止めずに答えた。

 てっきり地上へ出るものと思っていたが、地下に続く廊下をひたすら歩き続ける。10分ほど進んだところで、「非常口」と書かれた鉄のドアに行き当たった。

「着きましたよ。この扉の向こうが台東区となります」佐藤は振り返ると、にこやかに言う。「ここから先はあなた方だけでお通りください。元の世界に戻れるよう、心から願っています」


 久美子はノブに手をかけ、重いドアを引いた。錆の剥がれ落ちる音ともに、白い光が差し込んでくる。

「おおっ、なんでこんなのがここにっ?」半ば開いたドアから向こうをのぞき込んだ美詩衣が、素っ頓狂な声をあげた。

「みっしーってば、どうしたのよう」三千代も美詩衣の頭越しに首を伸ばす。「えーっ、あれってあれって、もしかしてあれよねえ?」

 わたしは矢も楯もたまらず、2人を押し退けるようにしてドアの隙間に身をねじ込んだ。勢い余って、そのまま外へ転がり出る。数歩進んだ辺りで顔を上げると、なんと目の前には軍服を着たサイが立っていた。かたわらには、これまた大きな秋田犬が鎮座ましましている。

「うわぁっ!」思わず腰が引け、その拍子に尻餅をついてしまった。

「薫っ」と久美子が叫ぶ。叫ぶばかりで、誰も駆け寄って助けようという気配はなかった。そんなあ! と心の声を洩らしたが、無理からぬ話ではある。

 何しろ、3メートルにも達しようかという恐ろしげなサイが仁王立ちをしているのだから。


「そっとだぞ、そっと。いいか、薫。刺激しないよう、ゆっくりとこっちに戻ってきな」ドアの近くで美詩衣がささやく。

「そうよお、薫。ちょっとずつ後ずさりすればねえ、サイもきっと襲ってこないと思うのー」三千代もそうアドバイスしてくれるのだが、おっとりとした口調に説得力もへったくれもなかった。

「いい、薫? サイは目があまりよくないの。だから、あんたのことが見えてないはずよ。音を立てちゃダメだからね」久美子はそう説明するが、目の前の猛獣は明らかにこちらをじっと睨み付けている。

 とはいえ、巨大なツノで突き刺されるのはイヤだったので、みんなの言うとおり、できるだけ静かに後ずさりを始めた。スカートのお尻が土で汚れるなぁと憂うつになったが、秒速10センチでずりずりと距離を開けていく。

 するとサイはキバをニッと剥いて、かがみ込んできた。あ、これはもうダメだ。頭からボリボリと食われるな、そう覚悟する。

「このドジっ子め。ほれ、わしの手につかまれ」軍服を着たサイは手を差し伸べてきた。


 あまりにも意外な出来事に、わたしは唖然としてしまう。振り返ると、久美子も美詩衣も三千代も、口をあんぐりと開けていた。

「ご、ご親切にどうも――」条件反射のようにその手を握るわたし。サイは、藁人形でもあしらうかのように、軽々とわたしを立たせてくれた。そのわたしを、お供の秋田犬が興味津々に嗅ぎ回る。

「おまえ達だろう、出区者というのは。板橋区から連絡は受けている」よく響くバリトンでそうたずねる。「わしは台東区の治安部隊を率いるサイゴー将軍であるっ」

「あ、初めまして。柴田薫っていいます。後ろの子はわたしの友達で、大沢久美子、大谷美詩衣、黒田三千代です」わたしはおそるおそる名乗った。

「聞いておるぞ。おまえ達は別の世界から来たのだそうだな」サイゴー将軍はまたキバを見せる。どうやら威嚇などではなく、愛想笑いのつもりらしかった。

「え~、そうなんですようサイゴー将軍」安全だとわかったのか、三千代がふわふわと近寄ってくる。釣られるようにして、残る2人もやって来た。


「さぞや心細いことであろうな」サイゴー将軍はねぎらいの言葉をかける。発声こそ轟音ではあるが、端々に温かい心遣いを感じた。「わしもかつて、別の区を訪れたことがある。人間しかおらず、10日と経たずに里心が出てしまいおったわい」

「わたし達、こちらの区でパスポートがもらえると聞いて来ました」久美子は持っていた出区許可証を手渡す。

「まあ、慌てるな。まずは台東区へようこそ。中でくつろいで欲しい。そのあとで、じっくりと話を聞かせてもらおう」サイゴー将軍は反対側のドアを指差した。堂々とした門で、ドアには頑丈そうな鉄格子がはめられている。門の上にはでかでかと「上野地域 UENO ZOONE」と書かれた看板がかかっていた。

「あのロゴ、どっかで見たような気がするんだよなあ」美詩衣が首を傾げる。

「どうやら、台東区の『センター』のようね」額に手を当てながら、久美子はそう推論をくだした。


 門をくぐると、とたんに獣臭がプーンと漂う。建物内の造りは板橋区のセンターとあまり変わりはないけれど、窓口にいるのは動物ばかりだった。ハイエナやイノシシ、チーター、ナマケモノなどの中型動物がほとんどだったが、小さな窓口にはリスやモモンガ、大きな窓口にはライオン、ゾウ、キリンが座っている。みんな役所の制服と腕カバーをつけ、忙しそうに働いていた。

 先を歩いていたサイゴー将軍は、途中にある「入出区管理」と書かれたプレートのある窓口で立ち止まる。

「ここにいる4名にパスポートを作りたい。必要書類はあとで持っていかせるから、準備をしておいてくれ」

「了解しました、将軍」メガネをかけたコアラは事務的に答えた。

「なんだか、びっくりだわあ。この区ってば、動物ばっかりなのねえ」三千代がささやく。

「なな、カワウソいるかな、カワウソ。あたし、動物んなかじゃ一番好きなんだ。あの生意気そうな顔がいいんだよな、また。触りてーなー」いつになく美詩衣がワクワクしていた。

「あんた、そういえば好きだったよね、カワウソ」と久美子。「でも、ここじゃちょっと控えたほうがいいわよ。なんてったって、動物の治めている区なんだから。あたし達だって、知らない相手からいきなり『わー、かわいい』って言われたら怖いでしょ?」


 サイゴー将軍に連れられて入ったのは、3階奧にある「区長室」だった。学校の校長室にそっくり。最低限の備品しか置かれいないところまでよく似ていた。窓を背に立派な机がでんとかまえていて、校長先生の代わりに大粒の真珠のネックレスを付けた白黒模様の動物が座っている。

「ねえねえ~、あれってパンダよねえ」三千代がわたしに耳打ちをした。

「どう見てもそうだよね」わたしも小声で返す。

 コホンとサイゴー将軍が咳払いをし、

「区長、こちらが別世界から迷い込んだという4人です。おまえ達、この方が台東区区長のロンロン女史だ」と紹介した。

「ようこそおいでくださいました、みなさん。パスポートをお渡しする前に確認しておきたいことがあります。こちらの世界へ来るハメになったいきさつや、今後の予定についてもお聞かせ願えますか?」ロンロンの口調はどこか愛嬌があって、心の中の心配事を和らげる効果があった。

 わたし達は区長にうながされてソファーに腰掛ける。ロンロンもソファーの空いている席に座り、じっくり話を聞こうと身を傾けた。


「昨日のことなんです」久美子が切り出す。「あたし達、学校の帰りに板橋区――あたし達の世界の板橋区なんですが――にあるアーケードで、ファストフード店へ入りました。ハンバーガーを注文して席に着くと、なんだか空気が変わって感じられたんです。初めは気のせいかと思いました。けれど店の外に出ると、町の造りこそそっくりなのに、店だけがまるっきり入れ替わったようになっていました。通っている学校へも行ってみましたが、そこは高校ではなく幼稚園だったんです。それで気づきました。ここはあたし達の板橋区じゃないって」

 ロンロンは興味深い表情でうなずいている。

「わたし達、夕べは板橋区の旅館に泊まったんですけど、今朝早く、入出区管理局の人が来てセンターへ連れて行かれたんですよね。そこの区長から、八王子へ行けば元の世界へ帰れるって言われたもんで」とわたしは引き継いだ。

「八王子ですって?!」ロンロンが驚いたように顔をあげる。

「あのう、八王子までの最短ルートは、どう行けばいいんでしょうかあ」三千代が聞いた。


「最短も何も、あの地に入るには東京23区すべての入出区証明が必要になるのですよ。全部を回ったとして、どんなに急いでも50年はかかるでしょうね。とても現実的な話ではありませんよ。そもそも、八王子が本当にあるのかどうかも怪しいものです」ロンロンは済まなそうに答える。

 わたし達はお互いに相手の顔を見た。誰もが絶望の色を目に宿している。

「乗り物とかないのか? 例えばさ、飛行機とかヘリコプターとかよ」食ってかかるように美詩衣が言った。

「飛行機? ヘリコプター? それはなんなのだ」代わりにサイゴー将軍が聞き返す。「乗り物といえば、台東区ではゾウ・タクシーしか思い浮かばんなあ。どこかの区には『モノレール』というものがあるらしいが」

「クルマもないんですかっ?」わたしは思わず腰を浮かした。

「ええ、残念ながら聞いたこともありません」とロンロン。

 久美子はわたしを見ながら言った。

「こちらの世界では、内燃機関という概念がないらしいね。パスポートがあったとしても、これじゃ目的地まで行くのは無理だわ」


 場の雰囲気が暗くなり、気まずい沈黙が続いた。

「いっそ、オオワシにでもつかまって飛んで行けたらいいのになあ」三千代がふと洩らす。

「オオワシは無理ですが、あの人ならもしかすると……」ロンロンが考え考え言った。

「区長、それはあやつのことですかな? いや、いくらなんでもそれは」サイゴー将軍が言いよどむ。

「もっと大きな鳥がいるってことでしょうか?」久美子の瞳に輝きが戻った。

「いや、まあ。鳥には違いないのだが」とサイゴー将軍。

「空を飛んで行けりゃあ、あたしは何も文句を言うつもりはないよ。どこにいるんだ、そいつは。会いに行ってみるぞ」美詩衣はすっかりその気だった。

「谷根千に1羽で住み続けているライチョウがおるのだ。名をリゲルという」ようやくのことで口を開く。「とにかく粗暴なやつでな、ここ台東区では昔から頭痛の種なのだ」


「ライチョウってどんな鳥だっけ?」誰にともなくわたしは聞いた。

「高山に住むキジの仲間よ、薫。ほら、雪山なんかの写真でよく見るじゃないの。コロコロッとしてウズラみたいな鳥」薫がざっくりと説明する。うーん、そう言われてみれば覚えがあるかも。

「イヤだわあ、乱暴な生き物だなんてえ」三千代が困ったように身をよじる。根がおっとりとしているからか、少しも嫌そうに聞こえないのだが。

「いいじゃねえか、ライチョウ。リゲルっつたっけ? ウザいことを言うようだったら、あたしがビシッとキメてやっからよ」美詩衣はいつも強気だ。

「将軍、この子達をそこまで案内してもらえないでしょうか。いくらリゲルでも、治安部隊将軍のあなたが間に入れば無茶なことはしないでしょう」ロンロンが諭すように指示を出した。

「区長がそこまでおっしゃるのであれば、わしもこれ以上、何も言うことはありません」サイゴー将軍は軍人らしく、キビキビと答えるのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 軍服を着たサイ!かっこいいですね。 危険そうな地帯かと思いきや、動物の姿をした職員たちがみんな有能で親切でほっとしました。 でも全ての許可証をとるのに50年とは!地球全体を渡るよりも大変で…
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