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東京徘徊  作者: むぅにぃ
2/5

2.板橋区2

 大山アーケードから少し離れたところに、古めかしい旅館を見つける。今晩はここに宿泊することになった。

「都会にこんな旅館があるなんてねえ」久美子が懐かしそうに部屋を見渡す。

「なんか地方にでも来たみたいだね」わたしまで浮かれた気分になった。

「あらあ、いいわねえ。修学旅行のようだわ。ちょっとワクワクしない?」三千代がのんびりとした口調で言う。

「それどころじゃないんだけどな、実際のとこ」生真面目な美詩衣は現実的だった。まあ、いつものことだけど。

「まあ、とにかく」久美子がコホンとセキをする。「今後の行動を決めない? 明日はまず、区役所へ行ってみようと思うの。他区へ移動するにしたって、パスポートが必要らしいし、あれこれと相談してもらえそうよね」

 

 小一時間ほど「真剣な討論」が続いた。区役所へは行くとして、果たしてそこでパスポートはとれるのか。板橋区を脱出すれば元の世界へと戻れるのか。この4人にしては、なかなか熱く語り合ったと思う。

 もっとも、ひとしきり話したあとは、通常のペースに戻ってしまったが。

 近所のコンビニで買ってきたお菓子や飲み物をテーブルいっぱいに広げ、いつもの女子会が活発に行われた。あの美詩衣ですら、わたしのばか話に食いついてきたほどである。

 誰もが心の内では不安なはずだが、いまだけはそれを忘れようとしていた。

 

 翌朝、わたし達は電話のトルゥルゥルゥルゥという音で目を醒ます。

「はい、もしもし」電話に近かった三千代が受話器を取った。「はい……はい……。はあ、そうなんですかあ。はい、わかりました……」

「誰から?」とわたしが聞く。

「あのねえ、旅館の女将さんからなの。わたし達にお客さんが来ているんですってえ」

「客って、こっちじゃあたしらに知り合いなんかいないはずだろ」美詩衣が不思議そうに口をへの字に曲げた。

「来るとすれば、役人でしょうね」久美子が額に手を当てながら言う。考え事をするときのクセだ。

「役人がなんで?」とわたし。

「どうやったかまではわからないけど、きっとわたし達がよそ者だってことを嗅ぎつけたんでしょうよ」久美子はキッパリとした口調で断言した。


 そろって降りていくと、待ち合い席に座っていた作業服姿の男が立ち上がる。ひょろっとして、どこか頼りなさげな若い男だった。

「おはようございます、みなさん。よくお休みになれましたか?」よく通る声で話しかけてくる。「わたくし、板橋区の出入区管理局よりまいりました佐藤と申します」

 わたし達も代わるがわるあいさつを返した。

「それで、わたし達にどんなご用でしょうか?」久美子がたずねる。

「あ、はい。この界隈では見かけない若い女性4人組がこちらに宿泊したという情報をいただきまして、板橋区民かどうかを確認させてもらいに来ました」ていねいではあるが、どこか探るような含みがあった。

「それなんですよう」すがるように三千代が口を開く。「わたし達、どうしてだかわからないんですけれど、別の世界から来ちゃったらしいんですう」

「信じてもらえないかもしれませんが、本当なんです」わたしも必死になって訴えた。


 驚いたことに、佐藤は納得したようにうなずく。

「なるほど、なるほど。そういうことでしたか」

「信じてもらえるんですか?」拍子抜けしたように久美子が言った。

「ええ。ごくまれではありますが、過去にもいくつかの事例があるのですよ。さぞや心細かったことかと思います。あなた方が元いた場所へ戻れるよう、手助けをさせていただきます。さっそくですが、『タワー』へご一緒願えますか?」

 わたし達は互いに顔を見合わせる。

「タワーってなんだ?」美詩衣が質問した。

「タワーというのは区の『センター』になります。まあ、戸籍や入出区の管理、その他もろもろを統括している施設ですね」

 わたしは久美子に「区役所みたいなものだね」と耳打ちする。聞いていた三千代も、うんうんとうなずいていた。


 「タワー」はすぐ近くだった。わたし達の世界で「大谷口給水塔」と呼ばれていたもので、こちらの板橋区では白亜の城である。

「なーんだ、あそこかあ」美詩衣が肩をすくめた。

「何かの施設だとは思っていたけれど、管理局だったとはねえ」久美子は城を見あげながらつぶやく。

「さ、さ。中へお入りください」佐藤にうながされ、わたし達は城へと入った。内装を見るかぎりでは、どこにでもある役場といったところ。窓口がずらっと並び、「出納受付」とか「戸籍係」などとプレートがさがっている。

「こちらです」佐藤に連れて行かれたのは、階段を降りた地下だ。窓口があるのは同様だけれど、1階と違ってまったく人がいない。

「いかにも『アジト』といったふうだな」美詩衣はそう感想をもらしたが、まさにそんな様相を呈していた。どこか怪しげである。


「こちらの部屋へどうぞ」ドアには何も書かれていなかったが、通された部屋は柔らかそうなソファーと品のいいテーブル、オーク製の棚が置かれていた。「ソファーにお座りになって、お待ちください。ほどなく区長が見えますので、詳しいお話をお願いします」

 なかなか落ち着いた感じの応接室だ。三千代はソファーの座り心地を確かめるかのようにもぞもぞと腰を動かしているし、美詩衣は部屋の中をくまなくチェックしていた。久美子は例によって額に手を当てて、何か考え事をしている。

 わたしはといえば、棚のティー・セットを見つめ、ミルク・ティーが飲みたいなぁ、などと思っていた。


 5分ほどして、ノックの音ととも男が入ってくる。白髪で恰幅のいい、60代半ばの人物だった。

「お待たせして申し訳ありません。わたしが板橋区区長の長田です」親しげな声と赤ら顔は、まるで髭をむしったあとのサンタクロースといった風情である。

 わたし達も立ちあがり、めいめいにあいさつをした。

「それで――」区長は向かいのソファーに腰掛けながら切り出す。「あなた方が別の世界から来たというのは本当ですかな」

「はい、別の板橋区から来ました。こちらとは町の造りこそ似ていますが、店も建物もまったく違います」久美子がまず、簡単に説明した。

「ほうほう。自宅へは行ってみましたか?」

「行こうと思ったんだけどな、電車にも乗れなかったぞ。別の区へは行けないんだとよ」と美詩衣。昨日の駅員から受けた扱いに、いまだ憤慨しているらしかった。


「わたし達の世界じゃ、区どころか県だって自由に行き来できたんですよう。だって、みーんなひっくるめて日本という国なんですもの」三千代は訴えるが、のんびりとした口調のため、少しも深刻そうには聞こえない。

「それは興味深い」と区長。「わたしどもの住む世界は、すでにみなさんご存じの通り、区が1つの国家として存在するわけでしてな。『東京都』の外に『県』があることは聞いたことがありますが、あくまでも噂の域を出ない話なのですよ。その日本とやらが国であるとすれば、ほかにも国があるということでよろしいですかな?」

「日本は海に囲まれた国で、隣にユーラシア大陸がありますよ」わたしは社会の授業を思い出しながら言った。

「ええ、そうです。ほかにもアメリカ大陸などがあり、世界中に200近い国があるんです」と久美子が補填する。

「もしかして、地球のことも知らないのか」ぼそりと美詩衣が言った。

「地球?」案の定、区長は首を傾げる。

「地球っていうのはですねえ、わたし達の住んでいる星のことなんですよう」三千代が説明した。「こちらではどうか知りませんけれど、わたし達のいた世界では、地球という星に大陸や島があってですねえ、それぞれにたくさんの国があるんですよう」


「ますます興味深い!」区長は興奮したのか、思わず手を打ち鳴らす。「われわれのいるところとは、空に浮かぶあの星同様、丸い天体というわけですな。海のことは知っております。海に面した区もありますからな。しかし、海を隔てて国があるとは、いやはや。そして区が国の中のごくごく一部の地域だとはまた、想像を超えていますなあっ!」

 わたし達4人は、その後2時間ばかりかけて、代わる代わる世界の成り立ちについて伝えた。少なくとも、こことは違う別世界について。

「こっちの世界じゃ、冒険をするってことはないんですか?」わたしは素朴な質問をぶつけてみた。

「それはつまり、東京都を出る、ということですかな?」逆に聞かれる。

「ええ。県の存在はご存じなんですよね?」久美子があとを継いだ。

「東京都はとんでもない広さですぞ。とてもとても、人の足でなぞ行き着くことなどできますまい」それが区長の答えだった。「そもそも、わたしどもは区の中で十分に満足していますからな。板橋区だけで、一周するのに数ヶ月もかかるでしょう」


 なるほど、こちらの世界のことがなんとなくわかってきた。わたし達の世界では区など半日もかからず縦断できるけれど、こっちでは広さまでも違っているらしい。何しろ、区が一国にも匹敵するのだから。

 そんな世界を冒険するのはさぞや胸躍ることだろう。けれど、いまはそれどころではないのだ。

 久美子がわたし達の気持ちを代弁してくれた。

「お話はそれくらいにするとして、わたし達が元の世界へ帰れる方法はあるんでしょうか?」

「そうですなあ」区長は天井を仰ぐ。「これはわたしが子どもの頃、祖母から聞いた話ですが、西の最果てには『八王子』というところがあるそうです。東京都23区から外れた場所で、なんでも『別世界への門』があるのだとか。まあ、おとぎ話でしょうな。なんせ、誰も行ったことがないのですから」

「でもさ、佐藤って人が言ってたぞ。前にも異世界から来た人がいるって」美詩衣が鋭く切り込んだ。

「ええ、もう何十年か以前のことです。その方々は、いまもこの板橋区に住んでらっしゃいますよ。どうあっても、元いたところへは帰れないと悟ったからですな」


 それを聞いてわたし達は一様に心を折られる。

「ですが、こちらへ来たということは帰る方法もきっとあるんじゃないでしょうか」久美子は粘った。「八王子へ行けば、何かわかるはずです。どうか、わたし達にパスポートをもらえないでしょうか」

 残る3人もうなずく。たとえおとぎ話だったとしても、可能性があるのならそれに賭けたかった。

「板橋区は他区との交流がほとんどなく、パスポートは出せないのです」と区長。「ただし、出国許可証なら可能です。まずはお隣の『台東区』へ行かれるとよろしい。そこでならパスポートの申請ができますからな」

「ありがとうございます、区長」わたしは思わず腰を浮かした。

「本心をいえば、ここ板橋区にとどまることを強くおすすめしたい。ほかの区は、いろいろと感心しない地域ですからなあ」

「わたし達、どうしても帰りたいんですう。少しくらいの危険、みんなで力を合わせればなんとかなりますよう」おっとりとした話し方にもかかわらず、このときの三千代には断固とした決心が感じられた。

「わかりました」区長は立ちあがると、ドアを開けて声をかける。「佐藤君、おーい、佐藤くーん。至急、出国許可証の発行を頼む。4人分だ。頼んだよ」

 廊下の奥から、佐藤が「はーい、了解しましたー」という声が返ってきた。

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[一言] 東京がとんでもない広さで、八王子が最果て…! 私たちが知っているようで知らない世界がここにあるのですね。地球自体が倍以上の大きさになっているのか、人間の感じ方が違っているのか…とても興味深い…
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