勝負服にはピラミッド
「ご主人かっくいー」
「こんな雑に褒められてもちょっと嬉しい自分が悔しい」
「身体は正直ってやつですね!」
「女の子がそんなこと言うんじゃありません」
奏にネクタイを締めてもらいながら、鏡に写る自分を横目に確認する。
引っ越しにあたり衣類のほとんどは置いてきてしまった中、持ってきた数少ない服のひとつ。じいちゃんが作ってくれたこのスーツに袖を通したのも久しぶりだ。これがなければ俺は私服とスウェットだけで熊本に来ていたことだろう。
男なら一着の勝負服を持っておくべし、というじいちゃんの持論に感謝するばかりだ。
「よし、こんなもんかな」
「水も滴るいい男って感じですよご主人!」
「おうおう、もっと言えもっと言え」
「よっ、雨男!」
「違う、そうじゃない」
「年がら年中ビッチャビチャ!」
「おい」
「肩にちっちゃいナイアガラのせてんのかい!?」
「褒め言葉のバリエーションが偏りすぎだろ」
「源内さんはこれでもお菓子くれるんですけど」
電気屋さんらしい。褒め倒すとお菓子をくれるので、小学生の時分には電池や電球を買いにいくのが楽しみだったそうだ。
「地域に助けられて生き延びてるなぁ……」
「いい町でしょ」
「まあ、そんな地域性なら今日もそこまで心配することはない、か?」
なぜ俺が急にめかしこんでいるのか。
理由は単純。奏のご両親にご挨拶するからだ。新しくバイトを始めたことは奏から伝わっているらしいが、工場長のお父さんが東京出張中とのことで挨拶は後回しになっていたのだ。工場の立て直しに関わる話だけにこればかりはお父さん不在では始められない。
「よし、行くか」
「はーい」
「それと奏、繰り返しになるが」
「はい?」
「外でコートは脱がないように」
「それ、なんかいかがわしいですね」
「女の子がそんなこと言うんじゃありません」
仕事着としてメイド服を手放さない奏に釘を差し、俺たちはワンルームを出発した。
「はい、こちらが私の家でもあります『海原製作所』です」
「ほー、これは立派な」
失礼ながら、聞いていた話からボロッボロに黒ずんだトタンの建物を想像していたのだが。
清潔そうな水色の外壁に『海原製作所 Unabara Manufacturing』と青字で掲げられた平成仕様の工場だった。
「仮にも食べ物に使う道具を作ってますからね」
「ああ、ジュースとかのカンカンだっけ」
「見た目だけでも取り繕って営業さんをだまくらかす。処世術です」
「言い方よ」
「でもほんと、最近はグー●ルマップで外観くらいは確認されちゃうから大変なんですよ……」
「世知辛いな……」
どんなに苦しくても外見は保たないといけない。工場なのに芸能人のような総合的セルフプロデュースを求められては、経営も苦しくなるというものだろう。
「そしてあちらが名物の規格外品ピラミッドです!」
そんな工場の庭には、見上げるばかりのピラミッドがそびえていた。アルミの銀色が美しい。
「……地震で崩れたんじゃなかったっけ?」
「みんなの手で再建されました!」
「楽しそうな工場だなぁ」
「でしょー!」
グ●グルマップには映らないアングルなんですよ、と胸を張る奏。
前言撤回。そんなことしてるから経営が傾くんじゃないだろうか。
「……とまあ、こうして奏との関係は良好であることをアピールしつつ工場も褒めてみたわけだが」
「姑息ですけどいい作戦だと思いました」
「むしろ皆さんの目が厳しくなってる気がするのは気のせいか」
「そうですかね?」
金の力で無理やりモノにしたと思われても困るので、仲の良さを見せていこうと思ったのに。入口近くで始めた寸劇は、阿蘇の火山もビックリの冷たい目で迎えられた。
「とりあえず、入ろうか」
「ラジャりました! みんなただいまー!!」
奏が入ると、近くにいた人たちが駆け寄ってきた。
「お嬢!」
「おかえりなさい!」
「大丈夫だった!?」
「コートをお預かりします!」
「ううん、コートは……。あ、もう外じゃないからいいんだっけ。ありがとー」
「…………お嬢さん、その服は?」
「いいでしょー! お仕事着がメイド服!」
ヒソヒソされてる。すごいヒソヒソされてる。絶対変態だと思われてる。大事なお嬢にコスプレさせて喜んでる変態だと思われてるやつだこれ。
「あ、ご主人! この人がトーマさんですよ!」
「ああ、ピラミッドとかラーメンの。お話はお嬢さんからかねがね……」
「…………ウッス」
グレーの作業着を着た坊主頭のお兄さんだった。ほぼ無言でにらまれると普通に怖い。
なんでこんなに敵視されてるんだろう、俺。
「奏、そろそろ親御さんに」
「はーい。みんなもお仕事がんばってねー!」
「お嬢もお疲れ様です!」
奏に対する態度と俺に対する態度が違いすぎる。これ以上ここにいたらカンヅメにされそうなので、奥にあるらしい応接室へと奏に案内してもらう。
さすがに親御さんはここまでじゃないだろう。俺も自分の都合でやってることだから恩着せがましいことは言えないけど、経営の助けになる投資なのは間違いないわけだし。
「ただいまー。おとん、東京から帰ってるー?」
「ああ、帰ったぞ」
「おかえりー!」
「ああ、ただいま」
この人がお父さんか。奏と顔はあまり似てないけど、身長が小さいのはこの人の遺伝子かもしれない。いかにも工場経営者という感じのがっしりした人だ。
「それで奏さん、その人が」
「うん、雇い主の与空さん!」
「そうなの、この方が……」
お母さんの方は涼やかな目元にすらっと背の高い美人だった。顔つきも似ているし、奏もあと五年もしたらこんな感じになるのかもしれない。身長以外は。
「とりあえず、座りなさい」
「あ、はい」
なんだろう。
表に出さないだけで、従業員以上の警戒心を感じる。これは明らかに何かおかしいと思い、隣の奏に小声で耳打ちしてみる。
「おい、奏」
「なんですか?」
「俺のこと、どう説明してあったんだ?」
「紹介したい人がいる、って言いました」
「おい」
それはアレをアレするときの言葉では。
「あ、お父さんもお母さんも! お茶とお菓子は!?」
「あ、ああ、そうだった」
「ごめんなさい、ちょっと緊張しちゃって」
「大事な人だから粗相しないでって言ってたのに、もー!」
大事な人だから。
大事な人だからって。これは完全にアレだと思われているやつでは。先に俺から話さないとダメなやつなのでは。
「えー、壮大なる誤解がある気がするので、先に私とお嬢さんの関係を説明させていただきたいのですが」
「え?」
「あら?」
「私は与空明治といいます。私には資産家の祖父がいたのですが……」
「大変失礼を致しました!!!!」
「い、いえいえ間違いは誰にでもあるので」
「私どもを助けてくれようという方に向かってなんともはや……」
ものすごい勢いで頭を下げられた。父親みたいな年齢の人のそこまでされるとさすがに申し訳ない。
「わ、私、みんなにも伝えてくるわね!!」
「お前、従業員にも言ったのか!?」
「だってみんなが聞いてくるから……」
「は、早く知らせてこい!」
「はいはいはい!」
「オレはお茶を淹れてくるから! あ、与空さん少々お待ち下さい!」
「あ、はい」
バタバタとお父さんは給湯室へ、お母さんは作業場へと向かっていった。主人とメイドはなんだか分からないままに応接室に取り残されている。
とりあえず、なかなか賑やかで悪い人たちではなさそうだ。そそっかしさが玉に瑕だけど。
「奏」
「なんですー?」
「ご両親のこと、好きか?」
「はい!」
奏が良くも悪くもこんなふうに育った理由が、なんとなく分かった気がした。
工場の外観をネットのマップで見て発注を判断する人、本当にいるから気を抜けない。
中身さえしっかりしてればいいと思うんですけどねー。