せんば橋にはいきなり団子-1
「ご主人さまー!」
「どうしたー」
半ば事故、半ば成り行きで始まった奏との新生活。
男として憧れなかったと言えば嘘になる、メイドさんとの生活。しかも女子高生だ。中身はともかく顔は可愛い女子高生メイドだ。
そんな勝ち組ライフは、二日目にして大きな問題に直面していた。
「届きません!」
「だよなぁ」
奏が小さいのである。
高校生ともなれば成長期はだいたい終わっているはずで、ならば成人女性とほぼ同じ身長をしているはずなのだが。
奏の頭は、平均的身長な俺の肩にも届いていない。おかげで棚や収納のほとんどはリーチ外だ。
「奏、身長いくつ?」
「四捨五入して一五〇センチです!」
四捨五入して。
「一五〇センチ?」
「はい、一メートル半あります!」
「そうか、一メートルと半分か。ところで奏、そこに小さめの本棚があるよな」
引っ越しにあわせて買ったばかりの本棚を見上げる奏。木目調の棚には小説、マンガ、実用書まで区別なく収まっている。
「ありますね」
「その本棚、高さ一五〇センチな」
奏の頭は、四段ある本棚のてっぺんよりも明らかに低い位置にあった。
自分の目線より十センチは上にある本棚の天板を見つめること、数秒。
「奏、身長いくつ?」
「一四五.〇センチです……」
「センチの位で四捨五入してたんかい」
「う、嘘はついてないですし!」
というか。
「小数点以下、いらなくないか? ゼロなんだから」
「一四四.九が一四五の大台に乗った喜びは、ご主人さまにはきっと分かりません」
「ごめん」
とりあえず踏み台を買おう。奏にも持ち歩ける軽くてかさばらないやつを。
そんなこんなの新生活は、想像していたよりもだいぶ慌ただしいものになった。
徒歩圏内に住んでいる奏はサラリーマンよろしく朝に来て夜帰る。その間は家事をやったり引っ越しの片付けをしたりと、まあメイドらしいといえばらしい仕事をしてもらっているわけだが。
身長の件も含め、考えるべきことはまだまだある。
「そういえば奏、ちょっと聞きたいんだけど」
「なんですかご主人さま」
食器棚に皿を並べていた奏が、てこてこと寄ってきた。やはり小さい。
しかし、なんだ。
「……その前に、呼び方をどうにかしよう」
「ご主人さまじゃダメなんですか?」
「ダメってわけじゃないんだが……」
おかえりなさいませ、ご主人さま。
これぞメイドともいえる代名詞的セリフだ。メイドといえばご主人さま。ご主人さまといえばメイド。そう言っても過言ではない。
ご主人さまと呼ばれるのは男の本懐なのだ。
「だったらいいじゃないですか。あ、ご主人さまよりご主人様の方がいいとかです?」
「微妙なイントネーションで漢字に聞こえるだと……」
「私すごい!」
「すごいけどそういうことじゃないんだ」
ご主人さまと日常的に呼ばれることの是非を問いたいのだ。
「でも、男の人ってメイド喫茶とか好きですよね?」
「偏見とは言いがたい」
「メイドさんがメイド喫茶でご主人さまと呼ぶ。私が家でご主人さまと呼ぶ。そこになんの違いもありゃしないじゃないですか」
「違うのだ!」
うまく説明できないが、違うのだ。
「じゃあなんて呼べばいいんです?」
「それをこれから考えよう」
「んー、明治さま、とか?」
「ご主人さまとあんまり変わらないな……」
「えー」
「普通にさん付けでどうだ?」
「明治さん」
「奏」
「…………」
「…………」
「なんか、あれですね」
「ああ」
たぶん、奏も同じ感想を抱いているだろう。
「新婚さんみたいでこっ恥ずかしいですね」
「小学生と付き合ってるみたいで背徳感があるよな……あれ?」
微妙に違った。
「っ! っ!」
奏がやり場のない怒りを抑えるように、ふしぎな踊りをしている。
「奏」
「なんでしょう」
「俺は奏を高給で雇っている側だが、だからといって言いたいことも言えない世の中にするつもりはない」
「といいますと」
「不満があるなら遠慮なく表に出してほしい」
それでこそ俺の求める健全な主従関係というものだ。
「分かりました!」
「よしこい」
「ふんっ! ふんっ!」
「いてっ、いてっ! メイドが主人を足蹴にすんな!」
「女の子の夢の! 重みを! 知ればいいんですよ!!」
こんにゃろう。
「いてて……。じゃあ名字ならどうだ?」
「与空さま!」
「取引先みたいだな……」
「へい旦那!」
「寿司屋か?」
「主!」
「忍者か刀だな」
「御館様!」
「守護大名の尊称はちょっと」
「あなたが私の!」
「マスターか」
「ご主人!」
「おっ」
「マイロード!」
「強そう」
「若様!」
「……今までの中だと『ご主人』かな」
「分かりやした、ご主人」
なんか、『ご主人さま』の時より奏の態度が大きくなった気がするのは気のせいだろうか。
「で、なんだっけ」
「私になんか聞きたいことがあるんじゃないです?」
「ああ、そうだ。学校のことでな」
「学校」
初めて会った時、奏は十六歳と言っていた。順当に考えれば高校生ということになる。
着ているメイド服も文化祭で作ったと言っていたし間違いないだろう。
「今は冬休みかもしれんが、奏の学校にどう説明しようかと思ってな。バイトってやっていい高校か?」
学生を就労させるのだ。普通のバイトとも少し違うし、説明のひとつは必要だろう。親御さんも交えて早めに話し合った方がいい。
「あ、そこは気にしなくていいと思います!」
「そうなのか?」
「通信制なんで!」
通信制高校。
高校といえば、昼に学校へ通って勉強する『全日制』をイメージしがちだが。色々な事情でそれが難しい人のためにあるのが『通信制』だ。
テキストや動画による授業と課題の提出で単位を取得していき、課程を終えれば全日制と同じ高校卒業資格を得ることができる。
「なんでまた通信制に?」
「時間の自由がきけば、おとんの工場のシフトに入れるかなって」
「おぉ……」
「おとんからもラインのトーマさんからも『いいから勉強しろ』って言われてあんまり入れさせてもらえないんですけどね……」
「奏」
「へい」
「ケーキでも買ってきてお茶にしようか」
「あ、おかんが持たせてくれたいきなり団子ありますよ!」
ちょっと胸が締め付けられたので小休止とした。
続きます。
タイトルのせんば橋こと船場橋。熊本市に江戸時代からある史跡です。
なお熊本市の南隣にあたる宇土市にも同じ名前の橋があり、こちらも由緒ある史跡です。宇土市のほうは熊本地震でダメージを受けましたが、解体修理したものが今も見られます。