旅立ちの日にはぬくもりを
「あーーーーもう! 恥を知れってんですよ!!」
後部席からサイドカーの俺ごしに、それでもはっきり聞き取れる声量で奏が声を張り上げている。大型バイクに乗ったメイドに怒鳴られるという事態に伯母さんの上半身も少しばかり引っ込んだ。
「え? 何? えぇ?」
「マサコさんでしたっけ!? お金欲しさにひとりぼっちの甥っ子をつけ回すなんて、プライドってもんがないんですかプライドってもんが!」
「朝子よ! あんた誰!?」
「見て分かんないんですか!」
「メイドにしか見えないわ!」
「だからメイドですよ!」
「今どき!?」
今どきとはなんだ。メイドはいつの時代も愛され尊ばれ必要とされるものだ。
「ご主人はねえ! ひとり暮らしなんてしたこともないのに、死んだおじいさんを想ってこの寒い中を熊本まで来たんですよ!? それをよってたかって追い回すなんて非道いと思わないんですか!?」
「奏、お前……」
「法律が許しても、私とお天道様が許しませんよ!」
「……ああ、よく言った。いいこと言ったぞ奏!」
「私、褒められてます?」
「これは普通に褒めてる!」
そうだ。
冷静に考えたら奏の言うとおりだ。法的にどうしようだとか、平和的に収められないかとか、そんなことをなんで俺が考えなくちゃいけないんだ。
正義は我にあり。十二億円は我にあり。そしてメイドは我にあり。それなのに、なんで俺が、俺たちが遠慮しなくちゃならないんだ。
「ふっふーん!」
「よーし言ってやれ奏! なんでお前が俺についてきたか!」
じいちゃんの足跡をたどる俺に、ひとりじゃ寂しいでしょと言ってくれたのが奏だ。そんな口約束のために、家族や仲間を巻き込み危険をおかしてまで一緒に来てくれたのがこのメイドだ。
カネしか見ていない、自分の都合しか考えない、他人の迷惑なんて顧みない。そんな伯母さんとはまるで違う高潔さがあるのだ。
「はい! ご主人のお金をウチに入れてもらうためです!」
「……いや、正直か!!」
「あれ?」
そういえば正直に育てられた子だった。そこでお金の都合を言っちゃう素直な子だった。
「こっちと大して変わらないじゃないのよ!」
「……あっ」
当然こうなる。「あっ」じゃない「あっ」じゃ。
あまりに盛大なブーメランを目にして、しばし流れる沈黙の時間。風の音だけが伯母さんと、奏と、その間でサイドカーに揺られる俺との間で鳴り響いている。
数秒の後、ブーメランが刺さったままの奏がとった選択は。
「食らえい!!」
「ぐえ!?」
投擲だった。
「物理攻撃かよ!」
「だってご主人……」
「というか何を投げた!? 工具とかじゃないだろうな!?」
伯母さんに大ケガをさせたり、あの高そうなベンツにでかい傷でもつけたらさすがに分が悪くなる。奏の良識を疑うわけじゃないが他に投げられるものなんてあっただろうか。
「いきなり団子です!」
いきなり団子だった。そういえばタッパーで持ってきてたんだった。
「食べ物を粗末にするんじゃありません!」
「してませんよ! だってほら、ミサコさんの口に……あっ」
「朝子さんな。口に入れりゃいいってもんじゃ……あっ」
「ッ! ッ!」
詰まらせていた。
ひと目見て分かるくらい喉に詰まらせていた。いきなり団子を口に突っ込まれた伯母さんは、顔を真っ赤にして目を白黒させながら悶え苦しんでいる。
それまで威圧的に座っていた車内の男たちも伯母さんの異常に気づいて浮足立っている。
「お、奥様!? 大丈夫ですか!?」
「おい、どうした!?」
「奥様が飛んできたいきなり団子を喉に!」
「はぁ!?」
「だから、メイドから飛んできたいきなり団子を喉に詰まらせたんだって!」
「メイドから飛んできたいきなり団子を喉に詰まらせただと!?」
「ど、どうする!?」
「医者に決まってるだろ!」
「しかし追跡が!」
「ここで与空明治を逃したら日本中を探しまわる羽目になるぞ!」
「奥様にもしものことがあったら元も子もないだろうが! 病院に電話して支度させておけ!」
腕のいいドライバーは冷静さを備えているものなんだろうか。意見の割れる男たちをまとめ上げると、彼の運転するベンツは流れるような動きで脇道へと入っていった。近くの病院を目指すのだろう。
後に残されたのは、安全運転のヤンキーバイクに乗った主人とメイドと世紀末覇者。他の追手の姿はもう見えない。
「えーと」
「あー」
「うむ」
なんというかこう、なんだろう。
伯母さんを論破するとか。
譲れない想いを語るとか。
主人とメイドの絆を見せつけるとか。
そういう重要そうなイベントが大幅にすっ飛ばされた気はするのだけれど。
「助かったらしいな」
「ですね」
「左様」
これで俺たちの門出を阻むものはもういない。伯母さんもあっさり諦めはしないだろうが、福岡で飛行機か新幹線に乗れば俺たちの足取りは霧の中。当分の時間は稼げるに違いない。
俺たちは勝ったのだ。たとえそれがいっときのものであったとしても。
「奏」
「はい」
「腹、減ってる?」
「アイアム成長期」
「もう伸びてないだろ」
「アイアム! 成長期!! せい! ちょう! き!!」
なぜ英語なのかはともかく腹は減っているらしい。
「柳川でうなぎでも食べていくか?」
「うなぎ!」
「名物だもんな」
「でもご主人、うなぎは絶滅しそうなんですよ?」
「あれの原因は養殖用の稚魚の乱獲だから。柳川のは天然物だから」
「なるほど」
「それか寿司にするか?」
「おすし!!!」
「よし寿司にしよう」
奏のテンションで昼食を選びつつ、スマホで店を探しにかかる。
この辺りは有明海でとれる独特の魚介を使った寿司が食べられると、たしかじいちゃんも言っていた。
「三井さんにもごちそうしますよ」
「……ぬ」
「え?」
風のせいか、よく聞こえなかった。
「寿司は玉子しか食えぬ……」
「ミッちゃん、わさびが苦手だけどさび抜きを頼むのは恥ずかしいんですって」
「店員と目が合うと、頼めぬ……」
だから確実にわさびの入っていない玉子しか食べられない、と。こんなイケイケのバイクに乗っているのにそれは恥ずかしいのか、というのは置いておいて。
「よし、奏」
「はい!」
「奏がさび抜きを頼んで三井さんに渡すといい。奏ならまったくもって違和感がないから」
「どういう意味ですか!?」
「お嬢、頼まれたし……」
そんなこんなで大牟田の寿司屋で腹ごしらえを済ませた俺と奏は、大牟田駅前で三井さんと別れた。ここは西鉄天神大牟田線の南の端。出ていく電車は福岡天神方面のみの終点駅で始発駅だ。
駅前のロータリーから赤白のバイクが見えなくなるまで手を振った奏は、さてとー、と大きく伸びをして俺を見上げる。
「これから電車で福岡ですよね?」
「ああ」
「その次はどこに行くんです?」
「そうだな……」
これはじいちゃんの足跡を追いかけて進む旅。または伯母さんに追いかけられて逃げる旅。
どちらにしても、目的地も期限もないわけで。
「寒いし、電車に乗ってから考えようか」
「かしこまり!」
身長百四十五センチ、小さな歩幅でちまちまと歩くメイドをともなって改札をくぐる。全ては唐突で、ありあわせで、お世辞にも放浪ミュージシャンみたいなかっこいいもんではないけれど。
これが与空明治と海原奏の、一年とちょっとに渡る逃避行の始まりだった。
「ところでご主人、SNSってやるほうですか?」
「いや、あんまり。どうした?」
「さっきアナゴさんにいきなり団子をごちそうしたじゃないですか」
「朝子さんな。もうわざと間違えてるだろ」
「あれ、後ろの車の人に撮られてたみたいで」
「え?」
「動画がアップされて炎上してます」
「マジのマ?」
「マジマジのマーちゃんです。ほらこの通り」
奏の見せてくれたスマホの画面には、超速で拡散されてゆくドライブレコーダー動画の姿が。
「……あーうん、顔やナンバープレートは映ってないし身元は割れないな。セーフセーフ」
「セーフですか?」
「でもちょっとだけ遠くに行くことにしようか。特急に乗ろう特急に」
「かしこまり!」
逃げ場、あるといいな。
そんなことを考えながら奏と並んで電車を待つ七番ホームは、十二月なのに少しだけ暖かかった。
ぬくもり(炎上)
これにて旅立ちです。ここまでお付き合いくださりありがとうございます。
メイドとか旅行とか趣味全開の作品ですが、お楽しみいただけたでしょうか? そこだけ割と心配しながら書いてたりしてます。
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