メイド服には大型二輪-2
三井さんのバイクで海原製作所に向かいつつ、俺たちはクールに作戦会議を繰り広げていた。
「で、どうすんだ実家帰りして。従業員の皆さんに白兵戦やってもらうわけにはいかんぞ」
「聞こえません!!」
バイク、初めて乗ったけど。なるほどエンジンの鼓動と後ろにかかるGとアスファルトの近さが心地いいけど。
風、めっちゃうるさい。かなり大声を出してやっと会話ができる世界だ。
「じっかにー!」
「はい!」
「むかってー!」
「はい!」
「どうすんだー!」
「時間ムカデに魯山人!?」
大声出してもダメだった。
「海外のコミックにありそうだな!」
「キャップが好きです!」
「そこは聞き取れるのかよ!」
そして趣味が渋い。今どきの女子高生ってああいうのがいいんだろうか。
そうこうしているうちに、どうやら距離を詰められたらしい。背後の曲がり角から四輪駆動の車が三台現れた。まっすぐこちらに向かってくるあの挙動、間違いなく追手だ。
「きたか! くそ、映画みたいなカーチェイスが始まるのか!? 始まってしまうのか!?」
“バックします バックします バックします”
「あっ、スミマセーン」
ぬっ、と。
俺たちと追手との間の角から、高さ三メートルのコンテナが顔を出した。
「どけ! 急いでるんだ!」
遠巻きだが、追手の車の窓から顔を出した男はそう叫んでいるのがなんとなく分かった。そんな男に対し、運転席の男は親指でクイクイと自分の前方を指差した。
「そうしたいのは山々なんスけどー、僕の前にあと四台のトラックがいましてー」
「なに!?」
「順番にバックしてくるんでー、ちょっとお待ちいただっきゃーす」
「どういう運送システムだ! 交通の邪魔だろうが」
「だから日の昇る前にやってるんスけどねー。お兄さんたちこそ朝早くから物騒なかっこで何してるんスかー?」
「ぐっ、い、いいから早く通過しろ!」
「へーい、ではパンツァー・フォー!」
「それは前進だろうが!」
「詳しいッスね、お兄さん。観てました?」
「あ、いや、その……」
「やっぱうさぎさんチームが可愛いですよねー」
「チーム単位で語るな! ひとりひとりを見てやれ!」
「思ったよりディープな人だった件」
ゆっくりとバックしながら、運転席の青年はのらりくらりと追手の追求をかわしている。
だがおかしい。日が昇る前でも、住宅街を大型トラックが数珠つなぎでバックしてくる作業なぞあるだろうか。それによく見ればあのトラックは、たしか。
「俺の送迎に使おうとしたやつ……」
海原製作所の所持品だった。
「ユー兄!」
「かなちゃーん! お兄ちゃんだよーー!」
「ぐっじょーぶ!」
「おーいえー!」
空気を読んでちょっと足を止めたバイクの後部席で、奏が運転手のお兄さんと手を振りあっている。それを横目に、三井さんが俺に頭を下げてきた。
「急ぎのところすまない。しばし時間をやってくれ」
「助けてもらった身で文句は言いませんけど……。奏にお兄さんなんていたんですか?」
「あやつは兄ではない」
「あれ?」
「『お兄ちゃん』と呼んで欲しいと要望した、と聞き及んでいる」
「……なんで?」
「趣味とのこと」
趣味。
趣味で社長の娘にお兄ちゃんと呼ばせる男。どんなメンタルの持ち主だ。
「奏、そうなん?」
「『お兄ちゃん』だと妹のいる人がギクッとするってことで、ユー兄になりました!」
「そ、そうか。個性的な人だな」
「ゴリキュアも全員言えるって言ってましたから、ご主人とお話が合うかも!」
「三井さん! 時間ないんで先へ行きましょう!」
「ミッちゃんでよい」
そう言いつつ、バイクに再び火が入る。強烈なGを後ろ向きに感じた瞬間、お兄ちゃんトラックはすぐさま背後に消えていった。
「というかご主人!」
「なんだ!?」
「カーチェイス、期待してました? 実はひそかに期待しちゃってましたー!?」
こんにゃろう。
「……奏、インフルエンザの予防注射は?」
「へ? まだですけど?」
「助けてくれた礼に、ぶっといやつをズブっといくか?」
「ごめんなさい!!!」
注射嫌いの女子高生の悲鳴を聞きつつ、バイクは見慣れた町並みへと突入していく。引っ越してきて一週間もたっていない俺でも見覚えのある辺りということは、つまり俺の家、そして海原製作所の近所だ。
「もうすぐウチですよご主人!」
「そうだな」
「このまま逃げ切れればいいんですけど……!」
「おいこら」
いや、それがフラグになるのはマンガや小説の話であって、これは現実なのは分かっているのだが。それでもやっぱり噂をすれば影ということわざもあるわけで。
「ッ、新手か!」
お兄ちゃんトラックが足止めしているのとは別の集団だろう。白いボックス型の車が背後から向かってきているのが目に入った。
「ミッちゃん、このままウチの前を通って!」
「承知」
奏はまっすぐ実家へ向かおうとするが、何か策があるのだろうか。
海原製作所はただの缶工場。あるものといえばせいぜい建屋と、トラックと、いきなり団子と塩と、あとは……。
「おいまさか」
「ごーごー!」
「承知承知」
「おいおいおいおい」
海原製作所が見えてきた。やっと日が顔を出そうかという時間なのに、工場前に人が集まっている。そして工場の庭には、天にそびえるトーマさん謹製のアルミ缶巨大ピラミッド。
その前を、俺たちの乗ったバイクはノンストップで通り過ぎた。
「5、4、3……」
後ろからトーマさんの声で何やら不穏なカウントダウンが聞こえる。やる気か。本当にやる気なのか。
「今!」
銀色の三角形が、崩落した。
爆音。轟音。激音。
その三つを足して二乗したくらいの大音量が轟き、道いっぱいに空き缶が広がった。アルミ缶などひとつやふたつ転がっていたところで自動車にはどうということもないが、道を埋めつくすほどとなると話が違う。
「とんでもねえ……」
「耳がキーンってします……」
俺たちを追ってきたボックスカーは缶にタイヤをとられ、または駆動部に巻き込んで次々に足を止めてゆく。少なくともこの道は片付けるまで使えまい。
なるほどこれを狙っていたのかと、納得していいのか呆れていいのか分かりかねている。
「とりあえず助かったよ……」
「いえーい……」
俺たちもダメージは負ったが、とりあえず追手の足は止まった。場所を考えてもここがチャンスだ。
「三井さん、止めてください!」
「承知」
バイクが止まってすぐにサイドカーを飛び降り、後部席の奏に手を差し出す。この小さな身体、乗るのはともかく降りるのは手助けがいるだろう。
「奏、お前はここで降りろ」
「え、なんでですか?」
「俺はこのまま福岡を通って九州を出る。悪いがメイドはお役御免だ」
明日から始まるのは隠遁生活で逃亡生活だ。無関係の女の子を連れていくわけにはいかない。
奏にしても、出会って数日の男とあてのない旅に出るのは抵抗があるだろう。
「私も行きますよ!」
「……は?」
「一年契約ですから!」
抵抗、そんなになかったらしい。
「そうだが。それはそうなんだが」
「ご主人、どうせ家に一年分のお給料置いてきてたりするんでしょ?」
「なぜ分かる」
「メイドなんで!」
答えになってないが、正解だからどうしようもない。
「それにほら、油揚げに卵を入れて甘辛く煮たやつ。あれもまだ作ってませんし」
「でも学校とかは」
「通信制ですから郵便が届いてネットが使えれば大丈夫です!」
「親御さんは」
「『もらった給料分はきっちり働くこと』っていつも言ってるんで!」
「娘がそれを理由に出奔することまでは想定してない気がする!」
「いいんですよ。おとんも少し娘離れすべきなんです! こうでもしないと私と一緒じゃないとお風呂に入れない人になっちゃいますんで!」
つまり半分は海原家の家庭の事情らしい。
「いや、しかしだな……」
「いいじゃないですか。ご主人だってほら、ヒロインがいれば悲壮な逃亡生活を送る青年、いなければただのプー太郎ですよ?」
「なんだその偏見」
「それに……」
そう言って、奏はちらと海原製作所を振り返る。その前では、奏のご両親がこちらをハラハラした顔で見つめていた。
「それに?」
「ご主人のおじいさんだって、おばあさんと二人だったんでしょ?」
「奏、そのために……?」
「約束しましたし!」
じいちゃんがやり残したことをやる。それも俺の目的だ。
それに付き合うっていう約束を果たすつもりらしい。
「……いつも家やホテルで寝られるとは限らんぞ」
「スキマ風には慣れてます!」
「飯はまあ、なるべくいいものを食わそう」
「うぇーい!」
「男女のふたり旅だから間違いが起こる可能性は……いや、さすがに無いか」
「どういう意味ですか!?」
気をつけよう。
「本当に、来るんだな?」
「もち!」
だいぶ予想外の連続だったけど。今も頭が追いついてはいないけど。
この子となら、きっと旅は楽しくなる。ひとりでじいちゃんの墓参りを続けるような道のりは、きっと光あるものになる。そんな予感だけは確かにある。
「……分かったよ」
「分からなくてもついていきますけどね!」
「ははは、じゃあ改めてよろ……」
よろしくと、握手を差し出そうとした右手。その腕が金縛りのように止まった。
それは爽やかな朝の決意を吹き飛ばす、ぬめっとした悪寒。熊本に来る前はたびたび感じていた『アレ』が、俺の背中をゾゾッと駆け抜けてゆく。
「ご主人?」
「……ろ」
「ごしゅじーん?」
「発進しろォ!!」
「むぇ!?」
「委細承知」
先に指示を出し、サイドカーに飛び乗る。これはただの予感だ。でも当たったら最悪の予感だ。まさか、いるのか。まさか、来ているのか。
そんな焦りに駆られた俺の耳に、聞き慣れた、聞き慣れてしまった声がぬるりと滑り込んだ。
「明治ちゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんんん!! ママって呼んでいいのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
次回、名前を呼んではいけないあの人登場
呼んでしまうとママと呼ばされます。かつて日置市民の全てが彼女をママと呼ばされたことがあり、その悲劇は今もなお語り継がれています。嘘です。




