勝負服にはピラミッド-3
「ごちそうさまでした。いいですよね、いきなり団子」
「いえいえ、大したおもてなしもできず」
応接間を出ながら、ある意味では念入りに歓迎されていたなとそんなことを思った。
「ごしゅじーん、車出してくれるって言ってますけどどうしますー?」
「従業員に用意するよう言っておきましたので」
「そんなわざわざ」
「いえいえ、このくらいは」
出迎えがアレだっただけに気を利かせてくれたらしい。家までは徒歩圏内だが、せっかくだしお言葉に甘えるとしよう。
そう思って駐車場に向かいかけた俺の足が止まった。
「トラックなんだが」
「立派でしょ!」
「二十トンなんだが」
「ハンドルがですねー、おっきいんですよ!」
「わあ、ひと抱えはありそうだかっこいー。……いや、さすがにこれをタクシー代わりには」
後ろでは奏のお父さんが「なんでタクシーを呼ばなかった」「大きいほうがいいかと」と従業員と小声で揉めている。
「あ、そうだご主人!」
「奏がそういう閃いた顔をするのはなぜか不安になる」
「ひどい」
「それで?」
「バイクなら持ってる人がいます!」
「バイクか」
「サイドカー付き!」
「ほほー。一度乗ってみたかったんだよな」
なるほど、サイドカー付きなら俺と奏が乗れる。送迎車としては珍しいが俺も男の子、心惹かれないといえば嘘になる。
「すごいんですよ! こう、恐竜みたいにでっかくてですね? 難しい漢字と赤と白の模様が描いてあって音がどぅるんどぅるんどぅるんって」
「……どぅるんどぅるんか」
「どぅるんどぅるんのぶいんぶいんです!」
明治知ってる。それリーゼントで眉毛のない兄ちゃんとかが乗るやつだ。
「奏」
「はい!」
「俺な、伯母さんから隠れてここに来たんだ」
「ですね!」
「隠遁生活なんだ」
「知ってます!」
「敷かれたレールを走る退屈な大人たちをブイブイ言わせながら風を切って夜露死苦カムホームしたら、どうなる?」
「ご近所の話題をひとりじめですね!」
「隠遁できないな!」
「……たしかに!」
歩いて帰ろう。そうしよう。
タクシーに電話していたお父さんにその旨を伝えて、俺は健康的な選択をした。
「最後までなんともはや……」
「いえいえ、娘さんがこんなに明るい子になった理由がよく分かりました」
「ご主人、褒めてます?」
「お褒思褒」
お前が褒められたと思ったなら褒めてる、の略である。
「ふへへ」
「せめてお見送りはしますので」
「そんなそんな」
話している間にお母さんが集めてくれたのか、手の空いていた人たちが見送りにきてくれた。別に親切心で投資したわけじゃないだけにちょっと申し訳ない。
「トーマさーん、笑顔! 笑顔!」
「……ウッス」
かと言って目も合わせてもらえないのはちょっとさみしい。五人ほどに見送られる中、見るからに不機嫌そうなお兄さんがひとりいる。
まわりをチョロチョロする奏を邪険にしない辺り、悪い人ではなさそうなんだが。
「あの、俺なにかしました?」
「さあな」
「こ、こらトーマ! 失礼だぞ!」
「でも社長! オレ、この前いいスーツ着たおっさんに写真見せられたんですよ! この男知らないかって!」
「……は?」
写真? 俺の?
それを持って聞き回ってる男がいた?
「何したか知らないけど絶対怪しいですよ、こいつ!」
「いや、与空さんには深い事情が……」
お父さんが冷や汗を流しているのを横目に、俺と奏は顔を見合わせた。
「お嬢、本当に大丈夫なのか? オレ、バカだけど話くらい聞くぞ?」
「トーマさん!!」
「お、おう?」
「その話! スーツの人の話!」
「詳しく! 詳細に! インディテール!」
「なんで英語……? いや、お嬢が言うなら話すけど……」
トーマさんもちょっと声をかけられたというだけで、それほどの情報は得られなかった。それでも、俺を探している人物がいたという事実はそれだけで十分に脅威で驚異だった。
「……って感じ」
「ご主人、どう思います?」
「間違いなく伯母さんの雇った探偵かなんかだ」
「思ったより早かったですねー」
「伯母さんも本気ってことだ」
トーマさんによると、スーツの男は熊本駅近くで俺の写真を見せて回っていたらしい。
俺がこの町に来るために使った駅だ。そこまで特定されているとなれば時間はあまりない。
「引っ越さないとですね。年末も空いてる引っ越し屋さんがいるといいんですけど」
「いや、その手の業者には手が回ってるはずだ。少なくとも市内の業者は全部クロだ」
「うぇ!?」
「勝てば賞金十二億円のかくれんぼだからな。そんくらいはするさ」
「だったらどうします?」
「ひとまず籠城だ。家から一歩も出ず、相手が捜索範囲を広げてこの辺が手薄になるのを待ってから動く。買い出しとか手伝ってくれ」
「かしこまり!」
「お菓子とラーメン、好きなだけ買ってやるぞ」
「ありあす!!」
ありがとうございます、なんだろう。たぶん。
ともあれ方針は決まった。あとはなる早で実行するのみ。
「じゃ、海原さん! そういうことなんで!」
「あ、ああはい。お気をつけて」
「あらあら……」
「行くぞ奏」
「はいご主人!」
のんびりはしていられない。俺は奏のご両親に頭を下げると、早足で家路につく。奏も狭い歩幅を歩数でカバーしてついてきている。
「せわしないな奏」
「同じペースで歩くと取り残されるんだから、仕方ないじゃないですか!」
「いや、足音が多いから居場所が分かりやすくていい。うっかりすると見落としそうだし」
「小さいって言いたいんですね分かります! でもこんな時に私の身長の話はしなくていいと思います!」
「……こんな時だからだよ」
「いいからそれダッシュ! ダッシュ!」
その日はスーパーで買えるだけの食料やら生活用品を買い込み、家に溜め込んだ。
「と、いうわけでさらば短き我が城よ、っと」
奏と大慌てで籠城の準備を進め、迎えた翌朝。今日も奏に来てもらって特A級引きこもりへの昇格を済ませる段取りになっているが、俺にそんなことをしているつもりはない。
「許せ奏。また今度な」
奏といっしょにいるところを直に見られたら、俺はうかつに逃げられなくなる。手がかりを求める追手が奏やご両親、ことと次第によっては海原製作所全体に迷惑をかけるだろうから。
だから、日も昇らない時間の空気はあまりに冷たいが、今この時に出発するのが最善だ。
「奏の給料を一年分先払いする相談、あれだけ済ませといて正解だったなー」
契約書にはサインできなかったけど、部屋の分かりやすいところに手紙といっしょに現金で置いておいた。あとは奏が不法侵入して見つけてくれるだろう。工場の今後はお父さんの運と手腕次第だ。
食料なんかも、あの家なら無駄にはしないでくれるにちがいない。
「さて、熊本駅から始発電車に……は危険だよな。ちょっと遠いがタクシーで福岡の大牟田市まで行って、大牟田線で福岡市に……」
とりあえず九州を脱出する算段を立てつつ、暗い道を歩く。
問題はタクシーを拾える大通りにまっすぐ出られるかだなと、慣れない道の案内をスマホに求めようと立ち止まった、その時。
止めたはずの足音が、一歩ぶん続いた。
「ッ!」
俺の足音に自分の足音を重ねながら尾行していた奴がいる。同じペースで足を出しつつも、歩幅を広くとって徐々に距離を詰めていた何者かがいる。
そう気づいたと同時、弾かれたように走り出す。それまで無音だと思っていた背後から聞こえる足音が最低ひとつ、いやふたつ。
「足音ネタが昨日の今日で役に立つとは!」
奏は歩幅が狭いから足音はせわしないなとからかった、その逆をされたわけだ。人を呪わば穴二つとはよく言ったもんである。
「相手が静かに追ってくるのは人目を避けたいからか? なら大声で叫べば……いや」
何しろ俺は未成年。本来なら保護者が必要な身で、法律上の扱いは家出少年とだいたい変わらないわけで。
騒ぎになって警察に保護されでもすれば、それこそ伯母さんの思うつぼだ。
「とりあえず人通りのある場所に……」
この辺りの地理に明るくないのは向こうも同じ。とにかく逃げ回って、振り切るか通りに出るのを期待するのが今の最善手だ。
「小説なんかだとここで……」
前の角から敵の新手が現れて挟み撃ちになるところだが、これは小説じゃなくて現実だ。そんな極端に都合の悪いことよりも、もっと現実的なことが起こる。
「ぐ……」
相手の方が速い。
そりゃそうだ、相手はギリギリまで足音を悟らせない追跡のプロなんだから。そこらの青少年とは体力の桁が違う。
「リングをグニグニしたりする筋トレゲーム、やっときゃ良かった!!」
子供が大人から逃げ切るのは難しい。そんな当たり前の現実を、こんな遠い地、暗い場所で思い知らされている。
足音が近い。いくら自分の足を速く動かしても、相手は無駄のない動きで距離を詰めてくる。あと五メートル。
四メートル。
三メートル。
二メートル。
……ああ、どうせこんなに早く捕まるなら。
「奏といきなり団子でも食っときゃよかった……!」
あと一メートル。
「いきなり団子、一人前ーーー!!」
終わりかけた追いかけっこは、横からの乱入者に遮られた。
セーラー服と機関銃
メイド服と……
熊本の道って、特に住宅街だと地形に沿って曲がりくねったところが多くて割と分かりにくいんですよね




