勝負服にはピラミッド-2
「もー、おとんもおかんもそそっかしいんだからー」
「奏が一番悪い」
「反省しなさい」
「あと二着で着回しは限界だからメイド服を増やしなさい」
「あれ!?」
しばらくして戻ってきたご両親といっしょに元凶たる奏を説教し、場を仕切り直す。まずは、とお互いに深々と頭を下げた。
「ご挨拶が遅くなりました。娘さんにはお世話になっております」
「いえいえ、こちらこそ大変失礼を致しました」
「うちの娘はその、とても素直に育ちましたので。万一のことがないよう男はみんなオオカミだと教えているうちに私たちも神経質に……」
「はあ、男はオオカミですか」
食われかけたのは俺の方なんだが。
赤ずきんの明治ちゃんだったんだが。
「ご、ごしゅじーん……?」
「分かってる、分かってるから」
そのくだりになった途端に捨て犬みたいに腕を掴んでくる小動物を振り払う。
さすがに親の前で「こいつが俺に夜這い未遂しました」と言うのは誰も幸せにならないので、出会いのくだりは適当にぼかして伝えてある。
「それで与空さん、かなり複雑な事情がおありのようですが、娘を雇ってくださると?」
「ええ、一年契約で」
「それで給与額が……」
「月に百十万円。現金でお支払いします」
「まあ」
お母さんが口元をおさえて驚いている。奏もそのうちこんな風に……なる気はあんまりしない。
「いかがですか?」
「奏から聞いてはおりましたが改めて聞くと驚きますな……。願ってもないお話です。本当によろしいので?」
「ええ。むしろ、娘さんを独身男に預けることに親御さんの反対があるかと思っていました」
「むろん、反対しましたとも」
私も親ですから。そう言って、お父さんは茶碗の玉露をひと口すすった。
「失礼を承知で申し上げますが、あなたは見知らぬ他人でしかもお若い」
「そうですね」
どちらも事実だ。
「十六の娘を預けるなど言語道断と思いました。しかし奏に強く説得され、実際にお会いして人柄を見てから判断すると約束しまして」
「なるほど」
「図らずも試すような形になってしまいましたが、あなたであれば奏をお任せできます。娘がああまで言った理由が分かりました」
ここまで褒められるとさすがに照れくさい。それにしても奏が俺のことをそこまで持ち上げてくれていたとは。
「奏、お前そんなに俺のことを……」
「もうおとんと一緒にお風呂入らない、って言ったらこうなりました!」
「『娘がああまで言った』ってそういう方向?」
ちょっと上がりかけたお父さんの株価が、横軸を下向きに貫通して奈落に消えた。感動を返せ。
「というか十六歳ってお父さんとお風呂入るもんなの?」
「え? あ、その、たまにですよ! たまに!!」
「うちの娘は素直ですので」
奏は焦ってるしお母さんも苦笑いしてるけど、『どの家にもその家だけのお経がある』って外国のことわざにもあるし。
よその家庭のことに口を出しても仕方ないので話を進めることにする。
「えー、どこまで話しましたっけ」
「給与額までですね」
「ああ、それを一年契約のとこか。じゃあ手続きをどうするかですね。こういうのは初めてなのでそこは明るくないんですが」
「では書面の準備は当社でしますので……」
「私は実印がありませんのでサインと拇印の書式で……」
ご挨拶のための訪問と言いつつ、今日の本題はお金の話だ。お互い分かっているから回りくどいことはせず単刀直入に金額と支払い方法の話に入っていく。
と、そこで奏が俺の袖を引っ張った。
「ご主人ご主人」
「奏、今は大人の話をしているんだ。パソコンでゴリキュアでも観ていなさい」
ゴリキュア。テレビでは日曜朝に放送しているステゴロ至上主義の女児アニメである。
「そこまで子供じゃーないんですけど!」
「子供が観るものとは限らないぞ?」
「もしかしてご主人も……」
「待て、今年は観てない」
「今年『は』……?」
「で、何か訊こうとしたんだよな。なんだい奏、なんでも訊いてごらん?」
決してごまかそうとしたわけではない。フリフリの服っていいよなーと思って、そこから発展進化成長を続けてたらたまたま目に入っただけで、ごまかすほどのものでもない。
「月給百十万円が一年って、つまりいくらもらえるんですか?」
「この流れで子供以下の質問をぶっこむ度胸はすごいと思う」
「それ、褒めてます?」
「奏が褒められたと思ったなら褒めてる」
「ふへへ」
「すみません与空さん……」
「能力より人格という教育方針ではあったのですが、ちょっと偏りすぎたようで……」
能力より人格。立派な方針だとは思うけど程度というものがあるのでは。
「というか人格者は他人の遺産を目当てに夜……」
「たらりらたらりらーーー!!!」
奏よ、かき消してるつもりらしいが逆効果だと思う。
「どうしたんだ奏」
「前から急に歌ったり踊ったりする子だったけれど……」
「なんでもないから!!」
家での奏は唐突に歌ったり踊ったりするらしい。
思った以上に愉快な一家なのは十分に分かったが、ここにいると無限に時間が溶けそうなのでこの辺りにしておく。向こうも忙しいだろうし。
「それでは、今話した通りで」
「ああはい、書面ができたらご連絡します」
「では、これにて」
「あ、与空さん、よければお昼でもいかがですか?」
席を立ったところでお父さんに引き留められた。
これはどっちだろう。ご馳走になるのはやぶさかでないけど、ただの社交辞令だったら困るし……。
「ちょっとお父さん」
「どうした?」
返答に迷っていたら、お母さんが何か慌てている。
「今日はいきなり団子とお塩しか用意が……」
「あっ、こら!」
いきなり団子と、塩。
塩。
「娘についた悪い虫が帰ったあとに撒くつもりだったやつですね?」
「あ、いや、その」
「いいんですよ、誤解はとけたので」
「重ね重ねすみません……」
社交辞令とか考えなくてよさそう。だいぶ正直に生きてるぞこの家族。
とはいえ準備がないなら仕方ない。高い寿司をとらせたりしても申し訳ないし、今日のところは帰ろうか。
「ご主人ご主人」
「どうしたー?」
「今日のは小麦粉にお芋だけのやつですよ!」
「……ご馳走になっていいですか?」
「あ、はい! 喜んで!」
「蒸します!」
シンプルな味で普通に美味かった。
うちの妹は小3くらいまで父と入ってた気がします。