聖なる夜に黒ニーソ
深夜に目を覚ますと、部屋の中に白い女が立っていた。
割と本気でビビった。今日がクリスマスだから天使が来ただとか、そんなメルヘンは五歳で捨てた。天使の羽も輪っかも無いし、もっと言えば足もない。
とっさに右手が電気のスイッチに伸びる。白のLEDが点灯し、照らし出された室内には引っ越し荷物の段ボールと。
「お邪魔してます! 夜這いにきたので既成事実を作らせてください!!」
「……なんて?」
白の下着を身につけた、高校生くらいの女の子が気をつけの姿勢で立っていた。
「正座」
「すみませんでした……」
見ず知らずの女子高生に不法侵入されて、ハイそうですかと夜這いされるはずもなく。ベッドに腰かけた俺の前には、白の下着と黒ニーソを身につけた黒髪少女が正座していた。
『キレイ』よりは『カワイイ』が似合う娘だ。背は小さいし黒目がちな目をしていて幼く見えるが、目つきや所作はどこか大人びている。親御さんの教育がきちんとしている証拠……なのに、それがなぜ夜這いという暴挙に出たのだろう。
とりあえず座布団は荷ほどきしてあって助かったと、そんなことに安心しているあたり俺もだいぶ混乱している。
「聞きたいことは色々ある。むしろ聞きたいことしかないんだが、名前と歳は?」
「海原 奏、十六歳です……」
「やっぱり未成年か。で、海原さんはなんで俺に夜這いを?」
「そ、それよりまずは一戦どうですか旦那! 据え膳食わぬはなんとやらって偉い人も」
ピッピッピッ。
「もしもしポリスメン」
「ごめんなさい警察は許してください」
「正直に言うならやめるが」
「はい、言います……」
ちなみに俺がかけた番号は『一一七』。
時報である。
「うちの父は工場をやってるんです。ジュースのカンカンを作るちっちゃな工場です」
「町工場ってやつだな」
「そんなやつです」
「で、その工場がどうした?」
もうなんとなく予想はついているが、一応訊いておく。
「つぶれそうなんです……」
「やっぱりか」
「このままだと、母もラインのトーマさんも事務のミッちゃんも路頭に迷っちゃうんですよ……」
親の会社が倒産しないよう、なんとかして金を手に入れたい。
そこで、金持ちとコネクションを持とうとしたと。いろんな意味で。
「だから俺となんやかんやして既成事実を作ろうと思ったわけだ」
「なんやかんやして投資してもらうか、あわよくば結婚まで持っていこうかと……」
結婚。
「攻めの姿勢すぎる」
「ブレーキのない最新型だねってよく褒められます」
「本人が褒められてると思うなら、褒められてるんだろうな」
「ふへへ」
「で、いざ俺の貞操を貪ろうとしたところで俺が目を覚ましてしまったと」
「いえ、その……」
何か言いよどむように目を泳がせている。違うのだろうか。
どう見てもそういう状況だったが。
「その、ですね」
「うん」
「お家に忍び込んで、ベッドの横に来て、服を脱いだまではよかったんですけど」
「うん」
「私もえっと、経験不足といいますか、初めてなのをそこで思い出しまして。どうすればいいか分からなくって」
「うん?」
「ニーソは脱いだ方がいいのか履いてた方がいいのか、悩んで脱いだり着たりしてたら物音で目を……」
「なぜそこで悩んだ」
「ちなみにどっちがお好きです?」
「個人的には、履いてた方が」
「正解だった!」
最初に『足がない』と錯覚したのは、暗闇と黒ニーソが同化していたかららしい。
正座で伸ばされて光沢を放つ黒ニーソを強調してきたので、なんとなく目をそらした。白い太ももと白い下着との対比がなかなか目に毒だ。
「まあ失敗した時点で正解ではないんだが」
「ですよね……。どうしましょうね、おとんの工場……」
とりあえず、俺のところに来た理由は分かった。でももうひとつ聞いておかないといけないことがある。
「ふたつめの質問」
「ぺっくし」
ぺっくし。
あまり聞かない音だが、くしゃみらしい。
「ティッシュいる?」
「ありがどうございまず」
今日はクリスマス、つまり十二月の深夜である。
そんな真冬に下着で正座していれば底冷えするのも無理はない。
「……ミルクでも出そうか?」
「どっちのですか?」
牛のか、人のかってか。
「牛のだ」
「ですよね」
「とりあえず服を着ときなさい。温めてくるから」
「くぁー、温か~」
「…………そうか」
芋ジャーだった。
マグカップのホットミルクをくぴくぴと幸せそうに飲み干す奏の私服は、まさかの学校指定ジャージだった。やたらビビッドな赤に、ちょっとくたびれた袖口がリアルな現役学生感をかもし出している。
「もうちょっと色気のある服で来られなかったのか……。いや、来られても困るが」
「どうせ脱ぐし、忍び込むなら動きやすい方がいいかなと……」
「にしても高校のジャージって」
「あ、これ中学のです」
中学のだった。よく見ると胸に『中』の校章が入っている。
「部屋着にするよな」
「見た目はともかく品質はいいんですよね」
「夜這いにはその『ともかく』が重要なんだが」
「……たしかに!」
世界広しといえど、芋ジャーで夜這いを試みた女はこいつが初めてなんじゃなかろうか。
「次からは制服で来ます!」
「次はないから。来なくていいから」
「でも、お兄さんの十二億円がないとおとんの工場が……」
十二億円。
やはり知っているらしい。ふたつめの、俺にとって重要な質問はそれだ。
「それだが、なぜ俺が遺産を相続したことを知ってる?」
「へ?」
「じいちゃんの遺産をもらって、こっちに越してきたのはつい昨日だ。まさか一日で特定されるとは思ってなかった」
俺みたいな若造が、工場を救える金なんて普通は持っているはずがない。それをわざわざ狙ってきたということは、俺が相続人だという確信があったに違いない。
どこから情報が漏れたんだ。
「えっと、お兄さんって与空さんですよね? 与空 明治さん」
与空明治。たしかに俺の名前だ。
「ああ、合ってる。どこで知った? どうやって知った? 誰から聞いた?」
「ネットのニュースで」
ネットの。
ニュースで。
「俺、ニュースになったの?」
「はい」
「見して?」
「えっと、どうぞ」
奏が差し出した格安スマホの画面には、どことも知れないニュースサイトが表示されている。そこにはたしかに『資産家の孫、十二億円を相続』の記事が掲載されていた。
俺の写真つきで。
「……プライバシーとはいったい」
「怖いですよね」
「怖いよな。遺産を狙って家に忍び込む女とかいるし」
「……怖いですよねー」
たまたま近所に越してきた男の顔を見て、ニュースで見た御曹司だと気づいた。
どうやらそれだけのことらしい。なんてこった。
「いろいろとツッコミたいところはあるが、まあ、事情は分かった」
「わ、分かってもらえたんですね! あの、ちょっとだけ待ってください、心の準備しますから!」
「脱ごうとするな脱ごうとするな」
ジャージのファスナーに手をかける奏を制止する。
ちらっと見えたジャージの下は、年季の入った手編みっぽいセーターだった。
「……そのセーターは?」
「これですか? 小学校の時にお母さんが編んでくれたやつです!」
「小学校の服、まだ着れるのか……」
目測だが、奏の身長は百四十センチ台なかば。
脱いだところを見ていなければ普通に小学生と間違えそうだ。脱いだところを見ていなければ。
「ほっといてください」
「それで色気の勝負に出ようと思った根性は認めるが」
「……体の他に何も無いんだから、しかたないじゃないですか」
いたずらにしては大袈裟で、詐欺にしてはお粗末。たぶん、彼女の言葉に嘘はない。
本当に親の工場と従業員を助けようとやって来た、背丈が小さいだけの普通の子なのだろう。
「その心意気は買う。でも体と引き換えにってのはダメだ」
「心も欲しいんですか」
体は好きにできても心までは……的な。
「芋ジャーで何言ってんだ」
「私も恥ずかしくなってきたんで忘れてください」
「体で稼ぐにしても、もっとまっとうなやり方はあるって話だ」
「まっとうなやり方」
「料理、できるか?」
「お料理ですか? えっと、お金持ちの御曹司ってフランス料理とか食べるんですよね? ちょっとそこまでは」
「油揚げに卵を入れて甘辛く煮たやつ」
「作れます」
「採用」
「採用?」
「ハウスメイドとしてなら雇う、って言ってる」
俺の提案に、しかし奏は下を向いた。
「そんな普通のバイトで、工場が立て直せるわけないじゃないですか……」
「月給は百十万円でどうだ」
「ひゃ」
「百と十万円」
「わんみりおんあんどわんはんどれっどさうざんど?」
「円(YEN)」
なぜ英語。
「な、なんでそんな」
「何しろ十二億円あるからな」
「ダメですよ! 対価の合わない仕事は受けるな出すな、っておとんも言ってるんですから!」
正しい報酬をお互いに支払うことで、健全な関係ができるのだと熱弁する奏。しかし俺にもこれだけ払わないといけない事情がある。
「それだけ払わないといけない理由ならちゃんとある」
「理由? なんですか?」
「説明してもいいが……。それには問題がひとつあるんだ」
「問題」
小首をかしげる奏に、俺は自分のスマホを突きつけた。
「現在時刻が午前三時だってことだ」
もうサンタさんは来てくれない時間だろう。性なる夜を過ごした人もそうでない人も、みんな寝静まっているに違いない。
ホットミルクのおかげもあってか、奏の目もだいぶ半開きになっている。
「……どうりで眠いなーって」
「今日はタクシー呼んでやるから。明日また来なさい」
「わかりました……。あ、でも最後にひとつだけ」
「なんだ?」
スマホでタクシーの電話番号を検索しながら、隣で左右に揺れている奏に耳だけ傾ける。
「なんで百十万円なんですか?」
「増税したからな」
旅モノが書きたい欲求が抑えられず書きました。
明治と奏が逃避行という名の日本美食巡りをするお話になります。
筆者は47都道府県を鈍行列車またはバイクで踏破済みなので、行った人にしか分からないネタを仕込めると思います。行き先のリクエストなどあれば感想でもらえると嬉しいです。
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