某Kアニメーション会社放火事件についての考察
※気分が落ち込む恐れがあります。
この事件で気持ちが塞いでいるかたにはお勧めしませんので、ブラウザバックをお願いします。
昨日、京都の某アニメ会社で恐るべき事件が発生した。
便宜上、ここでは「K社」と呼称させていただくことにする。
すでにご存じの方がほとんどだと思うけれども、一応事件の概要をこちらにも記載しておく。
2019年7月18日、午前10時半すぎ、一人の男がK社の第一スタジオ1階に侵入し、40リットルのガソリンを撒いて、「死ね」などと叫びながら火をつけた。
建物は全焼。現時点(7月19日正午)で、すでに死者33名、負傷者36名という大惨事になっている。
数分後、府警によって身柄を拘束されたこの男は、「パクられた」あるいは「小説を盗んだ」等のことを話したとされている。
当該のアニメ会社は、日本国内のみならず世界的にも有名かつ高く評価されており、数々の人気作を制作した会社である。今回の事件を受け、世界中から心配や応援の声が寄せられているのはその証拠であろう。
かく言う私も、そのアニメ会社の制作した作品をいくつも拝見してきた一人である。子供が大きくなってきてからは、家族みんなで楽しく拝見してきた。
最初のうちは「へえ、K社ってアニメ会社があるのね」程度のものだったものが、やがて「ああ、今度の作品はK社の作品なんだ。それなら是非みてみよう」となるのにさほどの時間はかからなかった。
なにしろ、キャラクターといいその心理描写といい、また背景といい全体の演出といい、まことにクオリティが高いのだ。特に背景については、まるでその場のにおいや空気みたいなものすら感じられるような、繊細で美しい表現だった。まさにアニメーターの方々の瑞々しい才能を見せつけられる思いだった。
最初は単なるほのぼのした学園ものなのかなと思って見ていたものが、ラスト近くで思わず涙してしまった……ということも一度や二度ではない。
さらに、テーマについても基本的に、見る人に必ず希望を与えようとするものが多く、それでいて嫌味がない。そのバランス感覚が絶妙だった。
なおK社の作品には、オリジナルアニメばかりではなく、小説やマンガなどといった原作のあるものも多い。
昨今では、実際「こんなことならアニメ化なんてしなくてよかったのでは」と原作者を気の毒に思ってしまうような作品も多い。そんな現実の中、K社が手掛けることにより、その作品にさらに磨きがかかったと思えることが多かった。
一般的な視聴者からは目に見えないアニメーターさんたちのたゆまぬ日々の努力、これまで積み重ねてきた時間、思いの深さや重さは計り知れないものがある。そうして積み上げて来た素晴らしい技術と感性は、まさに日本の宝といっても良いものだっただろう。
いや、過去形にはしたくない。まさに「日本の宝なのだ」。
決して社員数の多い会社ではないということで、みなさん、こちらの会社に入るためには相当な努力が必要だったことだろう。どんな思いで、日々あたらしい作品を生み出そうと懸命に励んでおられたことか。
突然命を奪われることになった方々の無念も、そのご遺族の皆さまのお気持ちも、まことに想像を絶するものがある。
あらためて、お亡くなりになった皆さまとそのご遺族様へ、心から哀悼の意を表したいと思う。また、お怪我をされた方々には、お体のことはもちろんのこと、お心のほうも、一日も早いご快癒をと祈らずにはいられない。
そして思うのは、やはりこんなことをしでかしてしまった人物のことである。
「なぜ」という思いはどうやってもぬぐえない。
まず、もしも今報道されている通り、K社によって自身の創作物を「盗まれた」というのであれば、なぜきちんと法的な手段を取らなかったのだろうか、ということ。
第二に、そう思ってあちこちで愚痴を言ったり相談したりした場合に、周囲の人たちは彼をどう扱っていたのだろうか、ということだ。
こうした突発的に起こる(ように見える)事件を起こす人々には、概して「孤独である」ということが言えるように思う。それも、もはや「絶望的に」と言っていいほどの孤独な姿が見え隠れするように思うのだ。
やはり背景として、彼(あるいは彼女)が普段から不満に思っていることを受け止めてくれる、きちんとした「大人」がそばに誰もいない、ということがあるのではないだろうか。
もちろんそれも、ある程度までは本人の責任でもあるけれども。「周囲に人がいないのは本人のせい」というのも、また事実ではあるからだ。
が、それでもしも彼(あるいは彼女)が、SNSやどこかの掲示板など、匿名で無責任に様々な意見を書き込む場で自分の心情を吐露するしかない状況だったとしたら。
匿名であればこそ、それこそ子供じみた好奇心や嗜虐心にもとづいて口汚く罵られたり、思い違いを嘲笑われたりしやすいものだ。そんなことは、ここ「なろう」の感想欄をちらっと見るだけでも十分な証拠が山ほどあることではないか。
もしも、本当にそうだったのだとすれば?
そこから導き出されるのは、今回のような最悪のシナリオなのである。
孤独な人が、さらに嵩にかかって匿名の人々から揶揄され嘲笑われて攻撃的になり、前後の見境もなく非道な無差別殺人に及ぶ。
殺意の温床をつくりあげ、起爆剤ともなったネットの向こう側にいた人々には、こうした事件に関する責任は本当に「ない」と言えるのだろうか……?
ともあれ以上のことは、単に私の愚かな妄想を出ない話ばかりである。そのことはここに明記しておく。
ただ私も、彼にどんな背景があったにせよ、だからといって犯罪を犯すことを「是」とするつもりは毛頭ない。「だから俺は人を殺して構わないんだ、許されるんだ」は絶対に通らない道理なのである。
少なくとも、法治国家であるこの国では、人の命を奪うことが許されるのは、法的にそうしてよいと許可されているごく限られた人だけだ。
亡くなったアニメーターさんたちの多くは、恐らくその男の名前も人相も知らなかったのではないのだろうか。だとすれば、彼らはなぜ自分が殺されなければならなかったのかすら分からずに、命を絶たれたことになる。
そう考えると、まさに断腸の思いがする。
ご家族や近しい人の思いはいかばかりか。
ともかくも、今は傷ついた方々の早いご快癒を切に願うばかりである。
※作者の勝手な考察です。
そのため、特にご感想などは求めません。
悪しからずご了承くださいませ。