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自分の清算を済ませ、待たせていた師と連れ立ちスーパーの外へ。
「驚いた。そいつが噂のブラックカードとか言う代物か。店員が目を丸くしておったぞ」
店から約百メートル先、街路に面したベンチに並んで腰を下ろす。仕舞いかけたプラスチックの紙片が物珍しいらしく、しげしげと彼は眺めた。
「あの店ではカード払いの客自体滅多にいないからの。しかし学校の経営者とは、また大層な大出世じゃないか」
「いえ。妻には先立たれ、一人息子には愛想を尽かされた挙句の家出。幾ら事業で成功しても、家庭人としては失格ですよ」
「それを言うなら儂も肩の故障で武道家を引退して以来、坂を転がり落ちるように業が嵩んでこの体たらくじゃ。家族とも、彼是十年近く会っておらん」
溜息。
「まぁ、自業自得じゃがな……」
成程。年齢由来とは異なる眉間の皺はそれが原因か。
「お互いすっかり駄目になってしまいましたね」
「ああ。お前と修行に明け暮れた、あの山が懐かしいの……」
師と共に過ごしたのは、実家を命からがら脱出した直後の約一年間だ。行き倒れの私を、特異体質を見抜いていた筈なのに、彼は黙って介抱してくれた。あまつさえ槍の稽古や、両親が教えようともしなかった基礎的教育まで施して、
「一つだけ宜しいですか。あの日訪れた同門の方は、その後……」
師と違い、彼には人並みの欲が備わっていた。今更責めはしない。だが彼が現れたせいで、私はあの住処を離れざるを得なかった。そしてメアリー達と出会うまでの、長い長い孤独の時代が始まったのだ。
「ああ……あいつならとうの昔に死んだぞ。お前と違い、己の技量も弁えずに喧嘩を売るからじゃ」
一層深い息を吐く。
「あれでも一応は兄弟子だったと言うのに、馬鹿な奴め」
「そう、でしたか……お悔やみ申し上げます」
メインストリート程ではないが、眼前の道路にはひっきりなしに往来がある。だが我々二人の周りだけは青臭い隙間風が吹く、あの懐かしき古小屋にいるようだ。
―――どれ。俺は先生ではないが、読み書き位教えられんと示しが付かんからな。
そうやって囲炉裏端で習った字は、文字通りその後の自己教育の礎になった。今思えば私はあの頃、黄金などより余程素晴らしい物に恵まれていたのだ。人の真心と言う、この世で最も尊い宝に。
「ところで師匠。以前よりずっとお訊きしたかったのですが」
「何だ?」
「そのコン、と言う呼び方についてです。確か私は師匠に一度も名乗っていなかった筈。なのに何故、私の名がコンラッド・ベイトソンだと御存知だったのですか?」
すると彼は首を捻り、いや、コキコキと鳴らした。
「知らんぞ。正真正銘、今初めて聞いた」
「え?で、ではどうして」
ひょっとして金でコン、か?いや、師匠に限ってそのような悪趣味は、
「コンと言うのはの―――魂魄の魂、じゃよ」「魂魄……ですか?」
訝しむ弟子へ、老翁は続ける。
「左様。あの頃のお前は、魂を何処かに置いてきてしまった風に見えたのでな」
あの冷たく狭い檻の中に、か……そうかもしれない。現実には家ごと焼け落ち、とうに崩れ壊れた牢獄。だが悪夢の中、私は未だにあそこへ戻ってしまうのだから。
「だから儂は、お前の魂は確かにここにあるんだぞ、と。そう言い聞かせるつもりでずっと呼び慣わしていたのじゃ。しかし」
ニイッ。
「どうやらそれも、今となっては不要な心配なようだ。さて」
「いえ、師匠。これからも今まで通りに呼んで下さい、是非」
この脆弱な魂が、再び暗い過去へ彷徨わぬように。そして約束の日、笑顔で愛しき女性を迎えられるように……。
微妙なトーンの変化で察したのだろう。お前も隅に置けんな、小僧、がっはっは!虎老は大声で笑った。