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 師との二度目の邂逅を果たしたのは、それから一ヶ月後の六月二日。食中毒騒ぎで大わらわだった体育祭の翌日、休日午後三時頃だった。

 再会以来時間があれば、散歩がてらにこのスーパーまで足を運んでいた。普段使いの一等地の店と違い、こちらは割と頻繁に値引きがされている。そのお陰か最近、目に見えて食費が減っていた。

「今日は朝から会えそうな気がしていたんです」

「相変わらず物好きな奴だ。ところで」 

 以前と同じベンチに腰を下ろしながら、師は顎を手でしゃくった。

「昨日、ロウが久々に稽古を付けてくれと頼んで来てな。小一時間程付き合ってやった」

「あの子が?」

「ああ。しかもえらく吹っ切れた様子での。体捌きの癖と言い、まるでお前を相手にしているようだったぞ」

「そう、ですか……私からは特段、何か教えたつもりは無いのですが」

 教育者に有るまじき事だが、私は未だに言葉に因る指導が苦手だ。だから愛息に対しても組み手以外、特別何かしてやった覚えは無かった。

(しかし、そうか……あの子なりにけじめを付けられたんだな)

 矢張り、息子にとってレヴィアタ君は必要な存在なのだ。昨日の二人三脚も、直後に倒れ込む程必死になって、

(ん?となるとアダムの言う通り、あの子達は付き合っているのか?)

 試しにそう仮説を立て、数十年後の未来図を想像してみる。


―――お義父さん、お粥なら食べられますか?

―――ああ、有り難く頂こう。(ずずっ)美味しい……レヴィアタ君みたいなお婿さんが来てくれて、私達親子は本当に幸せ者だよ。


 おや、ちょっと所ではなく良いぞ。同性同士だから子供こそ出来ないが、下手な嫁を貰うより余程素敵な家庭を築けそうだ。

「どうした、コン?えらく幸せそうに遠い目をしおって」

「ああ、いえ……少々、老後の将来設計を」

「まだ五十も来てないのにか。変な奴―――ん?」

 皺の刻まれた眼で見張った先。公園の端の茂みから、不意に二つの茶色い耳が飛び出した。



 な、何じゃ??煌翁が訝しんだ次の瞬間、ガサッ!今度は首と前脚を現した。狐の頭部に、首から下は黄土色の皮膚に黒斑点が散っている。この生物、若しや、

「ふむ、妙ちきりんな格好の奴じゃのう。何処かの家のペットか?」

「師匠!あれ、ニュースで言っていたUMAですよ!?」

 まさかこんな白昼堂々、しかもこんな至近距離で遭遇が叶うとは。一応今日は人通りが少ない方だが、それでも完全に無人ではない。しかし幸い、現在彼に気付いているのは我々だけのよう。

「なぬ、あ奴が噂の?おお、確かに針状だ!」

 まるで子供のように、老翁は揺らめく金属製の尾を指差す。そこでようやく、鵺が己を観察する者達に気付いた。


「にゃあ」くいっ、くいっ。「ん、何じゃ?」「付いて来い、と言っているのでしょうか……?」


 手招きした鵺は背を向け、悠々と近くの公園へと入って行く。私達師弟は不思議に思いつつ、買い物袋を提げて彼の後に続いた。

「遊んで欲しいのか、お前」

 数年振りに訪れた北公園は整備予算が下りないのか、記憶より更に寂れていた。妻と息子がよく競争しながら漕いでいたブランコも、鎖が錆びたまま放置されている。他の遊具にも、最近ペンキを塗られた痕跡は無い。辛うじて雑草の除去はされているようが、整備された中央公園とは雲泥の差だ。

 そんな何処か物悲しい場所を、四つ足で以って軽やかに進む鵺。時折丸い目で振り向き、私達が付いて来ているか確認する。この場にアダムがいれば言葉を交わせるのだが、残念だ。

「こうして間近で見てみると、意外と愛嬌の有る奴じゃの。しかしこ奴、儂等を一体何処まで歩かせるつもりだ?」

「さあ」

 進行方向の先には、こちらも老朽化の進んだ公衆トイレ。まさかと思った直後、ピョン!鵺は滑り込むようにその暗闇へ身を投じた。

 突然の事態に、条件反射で立ち止まる私達。入口から恐れ半分で覗き込んだ直後、漏れ出る悪臭に二人同時に唸る羽目になった。

「うえっぷ……おいコンよ、ここに入るのか?」

「いえ、止めておきましょう。元々彼を捕獲する気もありませんし」

 鵺には悪いが、追いかけっこはここで終わりだ。


「じゃな。まぁこの臭さだ、あ奴もすぐに出て―――」プルルルルル!プルルルルル!「ん?」「これは……携帯の着信音?」


 どうやら発信源は、目の前の暗がり内のようだ。だが持ち主がいないのか、一向に鳴り止む気配は無い。

(まさかこの落し物を交番へ届けさせるために、鵺は我々を誘ったのか?)

 だとすれば、彼の知能は明らかに動物以上だ。アダムに教えてやれば、きっとさぞや驚くだろう。それとも彼の事だ、当然だと吐き捨てるのか。

「ううむ、誰もおらんようじゃな。どうする?」

「一教育者としては、みすみす拾得しない訳にもいきませんね」

「分かった。老眼だが儂も手伝おう」

「ありがとうございます。では服に臭いが移らないよう、手早く済ませましょう」

 買い物袋を外壁に凭せ掛けるように置き、早速捜索開始だ。

 男子トイレ内の面積は、凡そ十五平方メートル。向かって左側に個室が二つ、右側に小便器四つ。決して衛生的とは言えず、所々黄ばみ、強いアンモニア臭を放っている。

 まずは手前側、左の壁を探る。だが蛍光灯が切れているのか、スイッチを押しても照明は灯らなかった。仕方なく自身の携帯を取り出し、ライトの代用に点灯する。とは言え、一番奥には下側が開くタイプの小窓。更に小便器の上にも等間隔に二つの嵌め殺し窓があり、床以外はぼんやりとだが見える状態だ。

(?何だ……アンモニア臭に混じって、妙な生臭さが……)

「師匠、何か変な臭いがしませんか?」

「ん?」

 老翁は首を左右へ振り、虎の黒い鼻をふんふんとヒクつかせる。

「済まん。今日は少し風邪気味での」

「そうですか」

 幾ら人間より鋭敏な嗅覚でも、詰まっていては仕方ない。

「音は正面からじゃな。丁度その辺りか?」

 代わりに聴覚を働かせ、彼が後ろから最奥を指差す。直後、タンッ!我々を待っていたのか、鵺が小窓へ跳んだ。逆光でシルエット化した異形はシャー、威嚇にも似た声を上げ、そのまま戸外へ飛び降りる。

「あ、おい!?何じゃ、あ奴は」

「用が済んだので、一足先に退散したようですね」

 悪臭の溜まり場に一秒たりともいたくないのは、UMAと言えども同じらしい。

「昼間出没したと言う事は、この近くにあ奴の住処があるのかもしれんの」

「可能性は高いですね。案外誰かに飼われているのかも」

 汚れの無い豹の毛並みと、明らかに人馴れした態度を思い出しながら呟く。

 アンモニア臭に少しずつ慣れるにつれ、余計に件の別な悪臭が鼻を突いた。嗅ぎ覚えがあり、且つ何処か生理的悪寒を催す……本当に何だ、これは?

 所有者の困惑に呼応し、手ブレするライト。その光が偶然最奥を照らした拍子に、一瞬白い物体が浮かび上がった。それがスニーカーの靴底であると認識した瞬間、反射的に一歩後ずさる。


 ドンッ!「あ……」「コン?おい、何があった?」


―――私は常々思う。この世界は何と幸福な夢幻だろう、と。


「コン……?」


―――心優しき理解者達に囲まれた、温かな眠りの世界。 


「お、おい……何とか言え」


―――共に仕えていたパートナーとは死別し、最愛の女主人とも現在は離れ離れ。だが他ならぬ二人のお陰で、私は守るべき者がいる喜びを知った。傍で慈しみ、共に在る尊さを……ならば、


「明かりを貸せ!一体何が……」


―――……ならばこの腐った悪夢は一体、何の暗喩だと言うのだ?





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