第一章 帰郷 4
夜。
俺とティアナはベッドに腰かけて、会わなかった間にあった色んなことを話した。
俺は修行時代のこと。
ティアナはあちこちを旅したこと。
話題は尽きなかった。
「南部にある亜人の国、ラティウムに初めて行ったときは驚きました。あの国は本当にいろんな亜人の方が住んでいて、初めて見る物もたくさんあったんです」
「ラティウムか。あの国には行ったことはないけど、亜人にはあったことあるよ。槍持った竜人族や槍持った小鬼の超強い爺さんとかね」
「ふふ、大体誰に会ったかは想像がつきます。当てて見ましょうか? 何か賭けてもいいですよ?」
ティアナが悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべた。
「おっと、クイズにしてはヒントが出すぎな気がするなぁ」
「そうですね。わからない人のほうが少ないと思います。剣・法・槍・弓・拳……五つの分野で頂点に君臨する五人の武人、〝五極星〟。その一角にして槍の道を極めた最強の槍使い、槍王ヨーゼフ。そしてその弟子にしてラティウム王国の王族、竜人族の姫君アウレリア・ラティウム。どちらもとても有名な亜人です」
「ああ、ヨーゼフ様は良い爺さんだしね。人助けに積極的だし、うちの師匠にも見習ってほしいよ」
「ふふ……あなたの師匠も優しい人ですよ」
そんなことを言うティアナにため息を吐きつつ、横に視線を移す。
すると、そこにはウトウトとしているティアナがいた。
時刻は深夜の二時。
目立たないように部屋は暗くしているし、そろそろ眠気が増してくる時間だ。
このまま無言でいれば寝てしまうだろう。
それは俺にとって好都合だ。明日、寝不足で動けなくなるくらいなら寝てくれたほうがいい。
だが。
「……レオさん……レオさんは嘘つきは嫌いですか?」
「突然どうしたの?」
「なんとなく……喋っていないと寝てしまいそうで……」
「無理しなくていいのに……そうだな。別に嫌いじゃないよ」
何とかして起きてようとするティアナの頑固さに半ば呆れつつ、俺は質問に答えた。
しかし、その答えはティアナには予想外だったようだ。
「本当ですか? 嘘をつくんですよ?」
「嘘にだって良い嘘と悪い嘘がある。真実がいつも優しいとは限らない。残酷な真実よりも優しい嘘のほうが人を救ったり、守ったりすることもある。だから嘘つきは嫌いじゃないよ」
「……レオさんは優しいですね」
そう言ってティアナは俺の肩に頭を預けてきた。
だが、上手く肩に頭を乗せることができず、そのままズルズルと落ちて行って、結局、俺の腿に頭が乗ることになる。
いわゆる膝枕状態だが、ティアナはそのまま俺を見上げて話を続ける。
どうやら眠くて思考も鈍ってるらしい。
「昔からレオさんは優しい人でした。変わっていなくて、私はとても嬉しかったです……」
「優しいねぇ。ティアナほどじゃないと思うけど?」
「私は優しくなんてありません……。だって、私は待ち伏せを受けたとき、助けられる人たちを助けなかったんですから」
その言葉から察せられることは多い。
助けられる力を持ちながら、ティアナは助けなかった。
多数の冥神教徒の待ち伏せを受けた状態で、周りを助けられる人は少ない。
けれど、それだけの力がティアナにはあるということだ。
いくら聖女付きの神官とはいえ、そこまでの力を持っているとは考えづらい。
しかも力を使わないということは、隠しているなり、使えない理由があったということだ。
そうなってくると、ティアナは何者なのか、ということになる。
しかし、それを探るのは無粋だろう。
もしも俺に伝えなければならないことなら、きっとティアナから言ってくるはずだ。
「けど、女の子は助けただろ?」
「助けたのはレオさんです……」
悲しげな表情をティアナは浮かべる。
その表情を見ていると、俺まで悲しい気分になりそうだ。
「昔……師匠に言われたことがある。すべてを救おうとすると必ず無理が出るって。人は神ではないから必ず選択を迫られて、誰かを見捨てる羽目になるって。だから……助けたいと思う人だけ必ず助けなさいって言われたんだ。俺はあのとき……聖女と君以外を助ける気はなかった。あの子には悪いけれど、君と一緒じゃなきゃ助けなかったと思う。だから、あの子の命を救ったのはティアナの行動だよ」
子供を落ち着かせるようにゆっくりと右手で髪を撫でると、ティアナは空いている俺の左手を握り締めた。
「正直に告白します……私は今の状況が怖くてたまりません……。殺されることが怖いんじゃありません。これからも多くの人が傷つき、命を落としてしまうことが怖い。その光景を見てしまうかもしれないのが怖い……私はそれに耐えられるでしょうか?」
「耐える必要はないさ。そんな光景は絶対に見せない。俺がなんとかするよ。そのために俺はここにいる」
新しい人生を歩み始めてから、誰かのために行動したことはほとんどない。
あくまで一つの道を極めるという、自分の目的のために行動してきた。
辛い修行に耐えてきたのもそのためだ。
けれど、例外があるとすればティアナだ。
たとえ冥神教団が関係していなくても。
たとえ俺の目的に関係なくても。
俺はティアナのために行動するだろう。
それがティアナへの恩返しだ。
今の俺があるのは、あの日、ティアナが師匠のことを教えてくれたからだ。
だからこそ、俺はティアナのために拳を振るう。
ティアナは俺が助けたいと思う人だから。
「……レオさん……その……私は……」
「言わなくていいよ。言いづらいことは、本当に言いたいと思ったときに言えばいい。無理する必要なんてどこにもない」
そう言うと、ティアナは安心したように目を閉じた。
すぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。
穏やかな寝顔に安心すると、俺はベッドの端にある毛布をティアナにかける。
そして俺自身も目を閉じた。
目を閉じた理由は女性の寝顔をマジマジとみるわけにいかないというのと、外の音に集中するためだ。
修行で鍛えられた俺の耳は、常人より遥かに性能がいい。
集中すれば、どんな暗殺者にだって気づける。
「さて……どう動いてくる?」
警戒するのは辻斬りのみ。
あいつの力は底知れない。
もしかしたら、オスクロから貰ったチートまで使わなきゃ勝てないかもしれない。
いざとなれば、その覚悟もしておこう。
♰♰♰♰♰
「ううぅぅ……」
朝。
目を覚ましたティアナにおはようと言ったら、勢いよく距離を取られてしまった。
今、ティアナはベッドの端で毛布に包まり、半泣き状態だ。
「一応言っておくけど、何もしてないよ?」
「そ、それはわかってます! ただ恥ずかしいんです! 男の人に膝枕してもらって、そのまま朝まで寝ているなんて! はしたないにも程があります!」
「はしたないねぇ。まぁ、貞淑な女性のすることではないかな。襲われても文句は言えない状況だったし」
「なっ……!?」
恥ずかしがるティアナが新鮮だったので、ちょっとからかい交じりでそう言うと、ティアナは目を見開いて衝撃を受けたあと、恨めし気に俺をにらんできた。
「うー……レオさんは私をからかって楽しんでますね?」
「まさか。俺はティアナのことを心配して言ってるんだよ? 俺だからよかったものを、ほかの男だったらティアナの魅力に惑わされて、よからぬ行動をしたかもしれない」
「自分で宿に連れてきておいて、そんなこと言うなんて……」
「寝たのはティアナだろ? しかも俺の膝の上で」
「それは……! その……レオさんが髪を撫でるから、つい気が緩んで……」
苦しい言い訳だ。
その前からもう寝そうだったくせに。
ティアナもそれは自覚してるのか、言葉に自信がない。
さすがに可哀そうになったので、俺はこの話題を切り上げた。
「はいはい。そういうことにしておこう。じゃあ、そろそろ出発だ。外で騎士たちが動き出した。冥神教徒は隠れるのが上手いし、殲滅ってわけにはいかないだろうけど、身動きも取れないはずだ」
「なんだか納得がいきませんけど……話は理解できました。ですけど、それならもっと時間が経ってからのほうがいいんじゃないですか?」
「時間が経って、落ち着きを与えるとまた待ち伏せを受けかねない。騎士たちが動き出して慌ててるときが好機なんだ」
説明するとティアナはなるほどと頷く。
そして被っていた毛布から出ようとするところで、俺はある話を切り出した。
「ティアナ。頼みがあるんだ」
「はい? なんですか?」
「俺の師匠のことは内緒にしておいてほしいんだ」
「師匠のことを内緒に? どうしてです? あの方の弟子と知れば、どの国でも国賓級の待遇が待っていますよ?」
「けど、何かあれば師匠の名に泥を塗ることになる。俺自身から名乗らないかぎりは黙っていてほしい」
俺の師匠のことを知っているのは宰相とティアナだけだ。
宰相は立場上、それを口にすることはないだろうし、ティアナさえ黙っていれば周囲にバレることはない。
「……ご実家を気にしているんですか?」
「……家を追い出された長男が国賓待遇なんて受けたら、ルークラインの面子は丸つぶれだ。そうなると面倒なことになる。足を引っ張られる可能性もある。だから俺は流れの傭兵。偶然、君を助けたってことにしてほしい。あ、聖女様も俺の正体を知ってるか。そこらへんもお願いしてもいいかな?」
「……レオさんがそう言うんでしたら、私から何か言うことはありません。私のほうから聖女様にも伝えておきます」
答えながらティアナは不満そうだった。
よくもまぁ、他人のことでそこまで自分のことのように受け止められるものだ。
思わず感心してしまう。
確かに俺の成長を見せつけたほうがスカッとはするだろう。気分も良くなる。
けど、それをすれば向こうが敵に回る。
平時ならまだしも、今は敵にとんでもない奴がいる。
足を引っ張られるわけにはいかない。
「じゃあ決まりだ。それじゃあ――」
部屋を出ようと言おうとしたとき、俺は外の動きがおかしいことに気づいた。
集団の足音。
そして鎧の音。
間違いなく騎士の一団がこっちを目指している。
それとは別に高い魔力反応は二つ。
一つは騎士を率いており、もう一つは。
かなり近くにあった。
一瞬のあと、窓を割って一人の男が部屋に侵入してきた。
速い。
しかも俺が察知するのが遅れた。
かなりの使い手だ。
けど。
「おいおい……扉を使えよ」
そう言いながら、俺は移動しようとする。
しかし。
「動くな」
気づいたら剣を突き付けられていた。これまた速いけど。
窓から入ってきて、いきなり剣を抜くとは。物騒な奴もいたもんだ。
呆れつつ、入ってきた奴の顔をよく見てみる。
金髪碧眼の青年で、長身。
とても整った容姿をしており、聖騎士団に所属する聖騎士であることを示す白いマントを羽織っている。
女性が放っておかない美男子だ。
その顔に俺は見覚えがあった。
会ったのは七年ぶりだが、あいつがそのまま成長していればおそらくこういう感じに成長しただろうとは思える。
「面倒な奴が来たなぁ……」
「それは僕の台詞だ。レオナルド」
こいつの名はルーカス・ウィンスレット。年は俺と同い年だ。
侯爵家の次男にして父の一番弟子。
ルークライン家の遠縁にあたり、見た目はもちろん、剣と魔法の才能に恵まれた天才だ。昔から将来の聖騎士団長はこいつだと言われ続けていた。
ルークライン家のほうもこいつと俺の妹のミリアムを結婚させて、ルークライン家を継いでもらおうと思っている節があった。
それくらい期待されていた天才というわけだ。
もっとも人格面でかなり問題のある男でもあるんだが。
七年経って治っているかと思ったが、この登場の仕方じゃ治ってないな。
「ご無事ですか、神官様。僕が来たからにはもう大丈夫です」
「はい……?」
「レオナルド。まさか君が辻斬り犯だったとは……。ここに来るまで俄かには信じられなかったけど……神官を部屋に連れ込み、乱暴を働いているところを見れば、信じざるをえないな」
「また始まった……」
俺は片手で顔を覆う。
こいつの欠点は自己完結型であるということ。
人の話を聞かないし、自分の考えも疑わない。
加えて思い込みも激しい。
子供の頃にそれで何度問題を起こし、俺が後始末をさせられたか。
今も毛布に包まるティアナを見て、乱暴を働かれたという考えにつながったようだが、まずティアナの話を聞けよと突っ込みたい。
まぁ、こいつには何を言っても無駄だが。
「一応、聞こう。俺を辻斬り犯と断定する証拠はなんだ?」
「一昨日の夜、死体のすぐそばで君の魔力反応が探知された。今までは上手く痕跡を消していたようだけど、手練れを相手に君も余裕がなくなったらしいな」
残留する魔力の探知はそこまで難しくない。
ただ、よく俺だとわかったな。魔力は指紋と同じで人それぞれ違う。
親しい者なら判別できるだろうが、そうでないなら魔力がある、ということくらいしかわらかないはずだが。
そういう魔法を使う騎士でもいるんだろうか。
まぁ、それはさておき。
「よくもまぁ、それだけで俺を犯人と断定できるな? 国王陛下は事情を聴くから連れてこいって命令したんじゃないのか?」
「確かにそう仰られたが、このような現場を押さえた以上、君は容疑者ではなく犯人だ!」
本当にこいつは騎士に向いてない。
頭も昔から良かったが、こういうときには馬鹿なんじゃないかと思わざるを得ない。
気分は美女を救う英雄ってところか。
冥神教徒も辻斬りもまだ捕まってないってのにいい気なもんだ。
さて、どうするかと思ったとき。
今度は部屋の扉が開かれた。
そして扉を開いた主は一歩、部屋に入ってくる。
その顔はルーカス以上に見覚えがあった。
肩口にかかる程度で揃えられた黒髪に深い海を思わせる青色の瞳。色白で背は標準くらい。涼しげな容貌の美人で、クールビューティーという言葉がピッタリだ。
その姿はまるで母の生き写しだ。まぁ、母はもうちょっと温かい感じの人だったけど。
触れれば折れてしまうのではないかと思うほど、華奢なのもそっくりだ。
だが、腰に差してある細剣が、彼女が剣士であることを示し。
羽織った白いマントが聖騎士であることを示していた。
年は十五のはずだが、もう聖騎士とは。
さすがにびっくりだ。
「見ない間に大きくなったな、ミリアム」
「兄さまも……変わられたようですね」
そう、入ってきた人物は妹のミリアムだった。
俺の記憶の中ではまだまだ小さい姿のままだったが、こうして成長した姿を見せられると時の流れを感じる。
「聖騎士か。いずれなるとは思ったけど、早い出世だな」
「ええ、兄さまが出ていかれてからは一層、努力しましたから」
チクリと言葉が刺さる。
黙って出て行ったことをミリアムはミリアムで怒っているようだ。
当たり前か。
少し遅れて多くの騎士が到着した。
それを見て俺は両手を上げる。
抵抗してもいいが、そんなことをすれば貴重な味方の戦力を失いかねない。
どうせ城へ行くつもりだったんだ。
自分から行くのも、捕らえられて行くのも大して差はない。
「国王陛下があなたに事情を聴きたいと仰せです。城までご同行を」
事務的な声色でミリアムは告げると、俺を拘束することを命じた。
こうして七年ぶりの妹との対面は最悪な形で実現することとなった。