序章 3
勘当されてから三年の歳月が経った。
あっという間に過ぎた三年だった。
あれから俺は霊山に住まう魔拳士に弟子入りし、修行の日々を送っている。
はずなんだが。
「なんで、街で酒の買い出しをしてんだろうか……」
ここは霊山近くの街、カドモス。といってもかなり距離はあるが。
それなりに発展している街で、ときたまこうして山を下りて買い出しに行かされることがある。
ま、大抵の場合は嗜好品だが。
生きるのに必要なものは山で取れるし、師匠の知り合いが週三くらいで訪ねてきてはお土産を置いていくから食べ物に困ることはまずない。
「これも修行とか言ってたけど、絶対に嘘だよなぁ」
師匠の前じゃ絶対に口には出せない。
そのあとにきついお仕置きが待っているからだ。
「ま、いいか。いい気分転換になるし」
呟きつつ、少し前から教わり始めた技を思い出す。
技名は光天掌。
光魔法を掌に集中させ、ゼロ距離で相手に叩き込む魔拳術の技だ。
しかし、これが難しい。
というか、光魔法というのは数ある魔法の中でも難易度が高い。
たとえ初級魔法の【シャイニング】でも、だ。
それを発動させずに掌に留めておくことが難しいし、掌底の瞬間にタイミングよく発動させるのはもっと難しい。
とてもじゃないができる気がしない。
そんなときに酒を買ってこいと言われたわけだ。
もしかしたら、息詰まる俺に気分転換をさせようという師匠の気遣いなのかもしれない。
「……いや、ないな」
ただ単に酒が飲みたくなっただけだ。
そうに違いない。
「とはいえ、ただ酒を買って帰るのも味気ないしな」
今はまだ朝だ。
夜にはさすがに帰らなきゃだが、まだまだ時間がある。
酒は帰る前に買うことにして、街で遊んでいくのも手ではないだろうか。
厳しい修行に耐えているわけだし、これくらいの楽しみがあってもいいはずだ。
自分に言い訳しつつ、どう遊ぼうか考えていると。
「教会?」
ふと視線の先に古びた教会堂が見えた。
女神ルシアを信仰する光神教会のモノだろう。
それを見て、三年前に出会った少女のことが頭をよぎった。
いつか見つけてほしいと言った彼女は、今、どこにいるだろうか?
優秀な神官となってあちこちを旅しているのだろうか。
それとも一つの教会堂で修行の最中だろうか。
そんなことを考えていると、なぜだか教会堂のほうへ足が進んでいた。
そこに理由はなかった。ただ足が向かったというだけで。
ほかに理由はない。
しいて理由をあげるとするなら、あの教会堂が気になったというだけだ。
別に特別な教会堂ではない。
けれど、なぜだか気になった。
俺の琴線に触れる何かがあったのかもしれない。
なんにせよ、俺は教会堂の扉の前まで行き、自然とその扉を押していた。
ギィーという音を立てて扉が開く。
すると一人の少女が祈りを捧げているところが見えた。
白い神官服を着ている。
長い金髪が特徴的で、顔は見えないけれど、祈りを捧げている姿は感嘆してしまうほど絵になっていた。
まるで名画のような光景を目にして、俺は少しの間、身動きが取れなかった。
だが、そんな俺とは裏腹に少女は動き出す。
「今回は見つかってしまいましたね。いつもは見つからないのに、どうして今日は見つけられたんです?」
振り向かずに少女は喋る。
どうやら親しい誰かと勘違いしているようだ。
けれど。
その声に俺は聞き覚えがあった。
耳に優しいその声は、まるで聖母のように俺を包み込む。
そう、俺は彼女を知っている。
偶然なのか、はたまた必然なのか。
俺は彼女を見つけたのだ。
その胸には、かつて俺が渡した青いペンダントがあった。
それを見て思わず笑みがこぼれた。
そして。
「ああ、意外に早く見つけられたよ」
俺の声を聞き、ゆっくりと少女が振り返る。
すると、昔よりもさらに綺麗になった少女と目があった。
どんな宝石よりも美しいのではないかと思うほど透き通った紫の目が、驚きで見開かれた。
「……レオ……さん?」
「久しぶり、ティアナ。三年ぶりかな?」
「……はい! お久しぶりです!」
驚いた表情のあと、ティアナは満面の笑みを浮かべて駆け寄ってきた。
そして俺の両手を手に取ると。
「約束どおり見つけてくれたんですね! とても嬉しいです!」
「ああ、俺も嬉しいよ。まさかこんなところで君と会えるとは思ってもみなかった」
あの日から忘れたことは一度だってない。
記憶に鮮明に残っている、柔らかく包み込むような笑みがそこにあった。
その笑みを見て、ようやく実感が湧いてきた。
いつか再会を約束した少女、ティアナが俺の目の前にいるのだと。
「私もです! どうしてこの街に?」
「師匠に買い出しを頼まれてね。それでなんだかここが気になっちゃってさ」
「気になった……? ああ、なるほど。そういうことなら納得です。私が呼んだようなモノですね」
「どういう意味?」
ティアナは納得がいったようだが、俺にはさっぱりだ。
首を傾げて質問するが、ティアナは笑みを深めるだけで答えてくれない。
「内緒です。いつか教えてあげます」
「おいおい、見つけるのに三年かかってるんだぞ? 次に見つけるのはいつになるかわからないじゃないか」
「大丈夫です。どうやらレオさんは私を見つけるのが上手いみたいですから。また見つけられますよ。それより、この後に予定はありますか?」
ティアナは身を乗り出して、俺の予定を聞いてくる。
あまり顔を近づけないでほしい。さすがにティアナみたいな美少女に顔を近づけられると恥ずかしい。
だが、そういうことには疎いのか、ティアナは近い距離感を崩したりはしない。
「えっと……一応、暇かな。師匠にお酒を買っていかなきゃだけど、まだ時間はあるよ」
「では私に付き合ってくれますか? このあとに孤児院に行こうと思ってたんです。レオさんがいるなら帰り道も安心ですから」
「またか……どうして、道もわからない街で好き勝手に行動する気になるんだい? 俺がいなかったらどうするつもりだったの?」
「人に聞きます。大抵の人は教えてくれますから」
人を癒すような柔らかい笑みを浮かべてティアナは言う。
おそらく、道を教える人たちはこの笑顔にやられてしまうんだろう。
いきなりこんな笑顔で聞かれたら、忙しくても教えてしまう自信がある。
「なるほど。それはいいとして、三年ぶりにあった友人を孤児院に誘うのはどうかと思うんだ。もうちょっと違うところに行くって選択肢はないのかい?」
「違うところですか? たとえば?」
逆に聞き返されて俺は返答に困る。
この街には何度も来たことがあるけど、長い間滞在してたわけじゃない。
道くらいならわかるが、遊ぶ場所と言われても思いつかない。
せいぜい街を見て回るくらいだが、ここは発展している街とはいえ騎士国の王都とは雲泥の差がある。あの時ほど回るところは多くないだろう。
「……孤児院に行こうか」
「はい! レオさんがいれば安全安心です!」
「ボディガード兼案内役か。正直、もうちょっと感動的な再会を期待してたよ」
「そうですか? 私は十分、感動しましたよ? だってレオさんが約束を守ってくれましたから。私にとっては人生で三本の指に入るくらい嬉しい日です!」
そうも大げさに言われると困る。
どう反応していいかわからず、俺は曖昧に笑いながら、楽しそうにしているティアナに手を引かれるまま教会堂を出た。
♰♰♰♰♰
「あー、疲れた」
街を歩きながら俺はそう呟いた。
横には目立たないようにフードを被ったティアナがいる。
昼頃まで元気の有り余っている子供たちの遊び相手をしていたら、鍛えていようが疲れる。
子供とは恐るべき体力を持っているのだ。
今、向かっているのはこの街の領主が住む館だ。
ティアナはそこにお邪魔しているらしい。
「ふふ、みんな楽しそうでしたね。レオさんは大変そうでしたけど」
「誰のせいだと思ってるんだよ……」
俺は最初、子供と遊ぶティアナを見ているだけだった。
けど、孤児院の男の子がティアナに惚れたのか、将来、お姉ちゃんの夫になるとか言い出した。
ここまでなら微笑ましいで済むのだが、ティアナが「そうですね。あのお兄さんより強くなったら考えてあげます」とか笑顔で言うもんだから、男の子たちが総出で俺を倒しにきた。
しまいには孤児院の子供たちが総出で俺を倒すことに全力を注ぎ始め、その相手で俺の体力は一気に持っていかれた。
「だって、レオさんが立っているだけなんですもの。なんとか子供たちと遊んでほしくて」
「それにしてもやり方があるでしょ……子供とはいえ、あれだけ総出で来られると疲れる」
「ふふ、修行不足じゃないですか? あの方の弟子になったんですよね?」
ティアナがあの方と呼ぶのは師匠のことだ。
たしかに最強といってもいいくらいの人で、有名な人でもある。
どうしてそんな人とティアナが知り合いだったのか。
今でも謎だ。
でも、それ以上に。
「一応ね。それで君に見つけたら絶対に言おうと思ってたことがあるんだ」
「なんです?」
「君、師匠のこと優しい人って言ったよね?」
「はい。とても優しくありませんでしたか?」
おそらくティアナと俺は別の人のことを話しているんだろうな。
そうだ、そうに違いない。
あの人から優しさを感じたことなんて、この三年間一度だってない。
なにせ寝ている俺を魔獣が巣くう森に叩きこむ人だ。
常識的に考えて優しくはない。
「その顔は優しくなかったんですね……。でも、多くの師匠は弟子に厳しいものです。きっとレオさんのためですよ」
「君は一体、どんな師匠を見たんだ? 双子か他人の空似じゃないのかな?」
「違いますよ。あなたの師匠は優しい方です。そうですね。少なくとも私には」
茶目っ気たっぷりな笑みでティアナは言う。
そりゃあ、こんな明るい笑顔を浮かべる美少女には誰だって優しいだろうさ。
何か言い返す気にもなれず、俺はそっぽを向く。
すると、スルリとティアナが俺の視界へと入ってきた。
「怒りましたか?」
「まさか。こんなんで怒ってたら身が持たないよ。ただ不公平さを感じてただけだよ」
「不公平? どんなです?」
「君くらい綺麗だと色々と得だ。もちろん損もあるだろうけど、うちの師匠に優しくされるっていう利点に比べたらどんな損だって霞むさ」
「綺麗……ですか。本当に綺麗ですか? 私は」
恐る恐るという感じでティアナが聞き返してきた。
何を言ってるんだ、この子は。
ティアナが綺麗じゃないなら、どんな人にだって綺麗っていう褒め言葉は使えない。
それくらいティアナは綺麗だ。
「綺麗だよ。君ほど綺麗な子は見たことがない。これからもっと綺麗になると思うと恐ろしさすら感じるよ」
「そ、そうですか……恐縮です……」
恥ずかしそうにティアナは俯いた。
なんで恥ずかしがってるんだろう。このくらいなら言われ慣れてるだろうに。
「どうしたの?」
「い、いえ……レオさんに言われると恥ずかしいな、と」
「ほかの人に言われない?」
「よく言われます。あなたは美しいとか、可憐だとか。でも親しい人に言われるのはまた違います……次からは控えてください」
「変わった要求だなぁ」
普通、言われたいもんじゃないのかなぁ。
俺だったらカッコイイと言われたい。
ま、容姿に恵まれた人間にしかわからない悩みがあるんだろう。
そう納得して俺は話題を変える。
「そういえば聞いてなかったけど、どうしてこの街に?」
司祭と一緒にあちこちを巡っているにしても、ここは辺境の一都市だ。
何の用があるんだろうか。
「私は今、聖女様付きの神官なんです。今は聖都に帰る途中です」
「……聖女?」
「はい、聖女様です」
さも当然のようにティアナは言うが、その言葉が意味することは大きい。
〝光の聖女・セラフィーヌ〟。
五百年ほど前、冥神教団が召喚した魔界の戦闘種族〝魔神〟を封じて、世界に平和をもたらした〝封印の聖女〟の再来といわれている女性だ。
封印の聖女と同じ聖痕を持ち、特殊な結界魔法を使用できるらしい。
今から六年ほど前に光神教会から聖女の再来と認定され、それ以来、各地でさまざまな活動をしているという。
光神教会の象徴ともいえる人物で、一国の王といえど簡単には会えないらしいなんて噂もある。
その聖女付きの神官ということは、聖女の側近ということだ。
神官ではあるが、そこらの司祭よりもよほど重要なポジションにティアナはいるということだ。
「出世したんだなぁ……」
「ふふ、これで私をまた見つけやすくなりましたね」
「聖女のいるところに行けば会えるって? 冗談じゃない。どうやって聖女の行動を知るんだよ。それに近づくのも一苦労だろうし」
「そこは努力してください。私はいつまでも待っていますから。あ、これはお返ししますね」
そう言ってティアナは胸のペンダントに手をかける。
しかし、俺はそれを制した。
「君が持っていて。それが目印だからさ。今回会えたのも、そのおかげかもしれないしね」
「でも……」
「また会いにいくから大丈夫だよ」
「はい! それなら預かっておきますね!」
「ああ、頼むよ。まぁ、また数年がかりになりそうだけどね」
「大丈夫です。レオさんなら私を見つけられます。約束したんですから絶対に見つけてくださいね? 見つけてくれないなら、私はあなたのお師匠様に泣きつきます」
脅しかよ。
勘弁してくれよ。
「師匠のところに来れるなら俺に会えるだろ? 君から会いに来るって選択肢はないの?」
「私の行動は聖女様次第ですから。自由は利かないんです」
「俺も自由とは程遠いはずなんだけどなぁ。ま、やれるだけやるよ。気長に待っていて」
「ええ、とても期待して待っていますね」
「はいはい……じゃあまたね」
「はい、また会いましょう!」
そう言ってティアナはすぐそこまでに見えた館へ向かっていく。
俺が向かうのは街の外。
また別々の方向だ。
けれど、今回も会えたし、また会うことも可能なはずだ。
いつになるかわからない〝また〟を期待しつつ、俺は館へ背を向けた。
♰♰♰♰♰
師匠への酒を買った帰り。
俺は超常現象に直面していた。
「神様のご降臨とは、またレアですなぁ」
『おう、レアだぞ。もっと感激しろ』
俺の目の前には黒いトト〇みたいな生物がいた。
大きさは三十センチくらい。
道のど真ん中に空から降臨したのに、誰も気づいていないあたり、俺にしか見えないらしい。
当然か。
俺の目の前にいるのは死者の神、オスクロ。
この世界じゃ冥神と言われて邪神扱いの不憫な神様だ。
まぁ、それは置いておいて。
「暇なんですか?」
『暇なわけないだろ。毎日、死者で溢れかえってこっちは精神がまいりそうだぜ。というわけで部下にいろいろ押し付けて散歩に来た』
前世で死んだときから思っていたが、こいつには神らしさが足りない。
そのせいか、どうにも尊敬の気持ちが薄れてしまう。
「早く帰ったほうがいいと思いますよ」
『おいおい、つれないこというなよ。久々の再会だろ?』
「神様なんですし、ずっと見てたんじゃないですか?」
『まぁな。勘当されたときはさすがに焦ったぜ。ヤベ、オレのミスじゃね? って』
まったくもってその通りだ。
剣術の才能がないのに剣術の名家の跡取り息子とか、どんな罰ゲームだよ。
危うく詰みかけた。
ま、ティアナのおかげ順調に魔拳士の道を歩めてるけど。
『まぁ、順調そうで安心だ。とはいえ、いつまで経ってもオレとの約束が果たされてないのも事実だ』
「あと五年くらい待ってください。しっかり教団は壊滅させますから」
『それくらいお安い御用だが、そんなに待ってるとお前の大事な大事なお友達がオレのところに来ちまうぜ? ま、あれくらい美人ならこっちは大歓迎だけどな。死者はオレの言うことには逆らえねぇし』
「……どういう意味だ?」
一瞬、目の前のトト〇もどきが神であることを忘れてしまった。
そんな俺の反応にオスクロはニヤニヤ笑いを浮かべる。
『必死だなぁ。もとは三十過ぎのおっさんなのに、十代の子供に夢中なんて。このロリコンめ!』
「いいから言え」
『はいはい、わかったよ。簡単な話だ。光神教会と冥神教団はずっと対立してる。聖女は光神教会の象徴だ。常に狙われているってわけだ。今、このときもな。当然、そばにいる奴も危険ってわけだ』
「おい、まさか……」
『そのまさか、だ。冥神教徒の一人が領主の館に潜入して、聖女の暗殺を企んでる。ささっと行って片付けてこい』
「……は?」
『急いだほうがいいぞ。もう潜入してる。見分け方は簡単だ。聖女を獲物を見るような目で見ている奴が教徒だぞ』
そう言うだけ言うと、オスクロは、じゃっ! といってまた空へと帰っていった。
一瞬の間があり、俺は我に返る。
周囲には俺が独り言を呟いていたように見えたようで、遠巻きでひそひそ言われている。
けど、気にしてはいられない。
俺は屋根に飛び乗り、全力で領主の館を目指す。
屋根から屋根に飛び乗って移動するなんて、木から木へ飛び乗って移動することに比べたら楽なもんだ。
速攻で館までたどり着くと、館のバルコニーに着地する。
その向こうでは大きな部屋でパーティーのようなものが開かれていた。
部屋の中にはかなりの人がいた。
けれど、聖女を見分けるのは簡単だった。
煌びやかなドレスに身を包み、顔を白いベールで隠している女性がいた。
その人に対してだけ、周りの対応が段違いだった。
間違いなく、その人が聖女だ。
周りには護衛らしい人たちもいたが、オスクロが注意を促すくらいだ。
護衛は当てにはできないだろう。
俺はその聖女を見る人物を探っていく。
邪な感情がにじみ出ている奴。
嫉妬が溢れている奴。
はたまた過剰な尊敬を抱く奴。
いろいろいたが、その中で異質な視線を向ける奴がいた。
鋭い視線だった。一番近いのは狩人が獲物に向ける視線だ。
自分の獲物と相手を捉えている証拠だ。
つまり。
そいつが冥神教徒だ。
俺はバルコニーから部屋へと侵入する。
「ん? なんだ小僧!」
「おい、悪ガキが入ってきた! つまみ出せ!」
不審者である俺に注意が集まる。
それを好機ととらえたのか、俺が見つけた冥神教徒は聖女へ近づいていく。
誰もそいつを怪しいとは思わない。
なにせ、そいつの姿はウェイターだ。
飲み物をもって近づくことは自然なことだ。
俺はそいつから目を離さず、俺を捕まえようとする奴らの手をかいくぐり、接近する。
今、俺は左手に師匠への酒を持っている。
だから右手しか使えない。
周りに人がいる以上、万が一にでも仕留めそこなうなんてことはあってはいけない。
そこまで考えると、自然と使う技は決まっていた。
そいつが服の袖から短剣を出した瞬間。
最高速度で間合いを詰める。
ゼロ距離。
そこで出せる技を俺は教わっている。
自然と体が動いた。
「光天掌!」
流れるような動作で覚えたての技を出す。
自分でも驚くほどの出来栄えで、光魔法を打撃と共に叩き込むことができた。
「おい! なんだ、この小僧!」
「いきなり攻撃してきたぞ!」
「聖女様を守れ!」
俺の攻撃を受けたウェイターは泡を吹いてその場に崩れ去り、俺を囲むように衛兵たちが集まってきた。
剣や槍が俺に向く。
別に蹴散らすのは難しくないけど、それをするともっとややこしくなるしな。
さて、どうしたものか、と思っていると。
「待ちなさい」
不思議な声が耳に届いてきた。
今まで聞いたどの声とも一致しないのに、なぜだか聞き覚えがある声だ。
見れば、ゆっくりと聖女が近づいてきていた。
その顔はベールで窺うことはできない。
おそらくただのベールじゃない。
魔道具だ。
この声もその効果だろう。
用心深いことだ。
「黒爪を持っているということは、この者は冥神教徒です。危ないところを助けられました。ありがとう」
「いいえ、たまたま気づいただけですから」
聖女の言葉を聞いて、部屋にいた者たちが倒れたウェイターを見る。
その手にはやや反身の入った黒い短剣が握られていた。
それは黒爪と呼ばれる冥神教徒の武器にして祭具だ。
これで生贄を殺すことで、オスクロに確実に魂を届けることができるらしい。
迷惑な話だ。
「冥神教徒が侵入してくるなんて……!」
「いったい、警備は何をしていた!?」
「まだ潜んでいるかもしれんぞ!」
混乱が大きくなるが、聖女はいたって冷静な様子だった。
背丈は俺と大差はない。もしかしたら年齢も俺と大して変わらないのかもしれない。
そうであるならティアナが聖女付きの神官に選ばれた理由もわかる。
年が近いほうが気が楽だろうという配慮だろう。
「今の技には見覚えがあります。あなたがティアナの言っていたレオナルドですか?」
「ええ、よくわかりましたね」
「その技を使えるのは開発した本人か、それを教わっている弟子くらいですからね。あのお方はお元気ですか?」
「お知り合いですか?」
「ええ、とてもよくしていただきました」
「なるほど。元気ですよ。弟子をぼこぼこにするくらいには」
「そうですか。それならば安心です。ではレオナルド。助けてもらったお礼をしなければいけませんし、別の部屋にいるティアナにも知らせなければいけません。別室に来てもらえますか?」
そう聖女が俺を誘う。
だけど。
「残念ながら師匠に酒を届けないと殺されるので遠慮しておきます」
「そう、ですか……」
「貴様! 聖女様の誘いを!」
「いいのです。弟子にとって師は絶対。仕方ないのです……」
なぜだか落ち込んだ様子で聖女はつぶやく。
それに罪悪感を覚えつつ、俺は一礼してバルコニーへ向かう。
正直、寄り道のせいで時間がない。
まともに戻っていたらマジで殺される。
ショートカットで街を抜け、山を登るしかない。
そう思って、バルコニーから飛ぼうとしたとき。
「レオナルド。また……ティアナを見つけてあげてくださいね」
「善処しますよ。あなたが目立つところにいてくれると楽なんですけどね」
「では私も善処しましょう。また会える日を楽しみにしています。そのときは師匠以上の魔拳士になっていることを祈ります」
「無茶を言う人だ」
笑いながらバルコニーから俺は飛び降りた。
ベールで表情はうかがえなかったが、最後に見たとき、聖女が柔らかく微笑んでいたように俺には思えた。