第三章 正体 2
「聖女様の結界魔法には回復効果のあるモノがあると聞きます。どうかそれを試していただけないでしょうか?」
エリックはそう言って影武者であるエリーに向かってしゃべる。
それに対して、ティアナが答えた。
「エリック司祭。私がセラフィーヌです。騙す形になって申し訳ありません」
「え? いえ、だって……」
「影武者なのです。彼女は」
理解の追い付かないのか、エリックは混乱した様子を見せる。
ティアナは申し訳なさそうにしつつ、話を進めた。
「ミリアムさんとルーカスさんの様子が急変したというのは本当ですか?」
「は、はい。傷は塞がっているのですが突如として苦しみだして。我々の回復魔法では手の施しようがないのです。どうか!」
「たしかに私の魔法の中にはそういう魔法が存在しますが、それは長い時間をかけて結界の中で治癒させるモノです。使えばずっと発動させる必要があり、私はほかの魔法を使う余裕がなくなってしまいます」
「そ、そんな……! あの子たちはまだ若いのです! お見捨てになるのですか!?」
エリックの言葉にティアナは苦悩を垣間見せる。
辻斬りがまだ存在する以上、ティアナはほかのことに力を割くわけにはいかない。
いつ攻撃があるかわからないからだ。
しかし。
「そう、ですね……。助けられる命があるならば助けるべきでしょう。私はそのために残っているのですから」
そのことを理解しながらもティアナは見捨てない。見捨てることができない。
それを甘いという人もいるだろう。けど、俺はそんなティアナを尊重したい。
なにより、俺の妹のためにそこまでしてくれることがありがたかった。
だからこそ。
許せなかった。
「国王陛下。よろしいですか?」
「あなたが思うままに。辻斬りのことはレオナルドに一任しよう。任せたぞ」
「畏まりました。ではさっそくやらせていただきます」
それは唐突な言葉だった。
俺は握り締めていた拳で。
エリックに襲い掛かった。
そしてその拳は確かにエリックの顎を捉えた。
普通の人間なら卒倒ものの攻撃だが。
エリックは平然とした様子で俺から距離を取った。
「まさか……バレるとは思わなかった。聞いてもいいかい? どうしてわかったのかな?」
「双連光天掌を当てたとき、攻撃よりも俺の魔力を相手の体内に残すことを意識した。まぁ、マーキングってことだ。つまり、俺の魔力の残滓を感じられる奴が犯人ってわけだ。あとは殴ってみればわかるって寸法だ。俺も聞いてもいいか?」
「なるほど……先手を打たれていたか。まぁいい構わないさ。答えてあげよう」
「光神教会の司祭が魔神を体に宿して、冥神教団に協力してるってのはどんな冗談だ?」
光神教会の司祭になるのは簡単なことじゃない。
神官として厳しい修行に耐えた一握りだけが司祭となり、教義を広める役目を果たせる。
信仰心も人一倍のはずだし、そうでなくては務まらない役職だ。
そいつがよりにもよって仇敵ともいえる相手と手を組むとは。
「今でも女神ルシアへの信仰心はあるさ。ただ、それ以上にこの国への憎しみが勝っただけのことだよ。君ならわかるんじゃないかい? レオナルド・ルークライン。この国の歪みってやつがね。ああ、一応言っておくが君の妹は無事だ。さっきのは嘘だから安心してほしい」
「歪みねぇ。まぁ狂った国だとは思うが……魔神に手を出すほどか?」
世界を滅ぼしかけた魔神に体を差し出すなんて、イカレテいるとしか思えない。
魔神は悪魔と同義だ。そして悪魔との取引は破滅しか生み出さない。
「そんな……エリック司祭が辻斬りだなんて……」
ティアナはショックを受けたようだ。
声も微かに震えている。まぁ光神教会の関係者からすれば受け入れがたいだろうな。
「エリック司祭……なぜだ!?」
「なぜだ? よくそんなことが言えますね。国王陛下。すべてはこの国が悪いんですよ。武芸ができない人間に対して、この国は一様に軽蔑し、まるでゴミ屑のような扱いを受ける。光神教会の司祭であるボクですら例外ではなかった! そこで二年もボクは耐えたんだ。しかし、我慢の限界だった。だから魔神の力を借りてこの国を壊そうと思ったんですよ」
「そんな理由で……そんな理由で人を殺したんですか!?」
「ええ、そんな理由ですよ! 光神教会には何度も異動願いを出した! そのたびに返ってきたのはその国に順応するのも司祭の務めっていう言葉だった! 馬鹿げている! ボクは暴力とは縁のない人間だったんですよ。そんなボクに武芸なんてできるわけないでしょう? そんなにいけませんか? 武芸ができないことが?」
ティアナはエリックの言葉に悲し気に顔を歪ませた。
エリックの言い分はかなり一方的なものだが、まぁ理解できる点もあるっちゃある。
この国の悪辣な点だ。
騎士国と言われているように、この国では強い者が尊ばれる。どうしてそうなったかといえば、国を守るためだ。
強者を育て、国を守る。それゆえにこの国は弱者に冷たい。
とくに身分の高い者には強さを求める傾向にあり、光神教会の司祭という立場ゆえにエリックは苦しんだんだろう。
「この国は腐っている。そうだろ? レオナルド・ルークライン。その筆頭がルークライン家だ。剣士であらねば人であらず? 馬鹿げている。それが嫌で君は逃げ出したんだろ?」
「まぁ、おおむねそうだな」
「ならボクのことを見逃してくれよ。代わりに聖女を見逃そう。別に聖女を殺したいわけじゃないんだ。ただ魔神が聖女を警戒しているから、殺そうとしただけだ。君がこの国を壊すのを邪魔しないなら、聖女は助けてあげよう」
魅力的な提案……のつもりなんだろうな。
得意げな顔に浮かぶのは優越。
自分の有利を信じてやまない奴の感情だ。
まいったなぁ。まさか光神教会の司祭がここまで腐ってるなんて。
予想外だ。
「聖女様。あなたならわかってくださいますよね? ボクには理由がある。単純な悪じゃないんです、ボクは。仕方がないんです。ボクがやらなきゃ、ボク自身がこの国よって潰されていた。そうこれは正当防衛なんです」
「……」
「あなたは聖女だ。誰もを許す聖なる乙女。神聖にして純粋。ボクの行いも許してくれるはず。いや、むしろあなたはボクを祝福するべきだ。だって、あなたは弱者に優しくなくてはいけないんだから」
狂気的だな。
憧れというより偶像の押し付けだ。
これが光神教会に属する者の総意だっていうなら、俺はティアナを攫ってどこかに隠す必要があるかもしれない。
そんなことを考えていると。
「……聖痕を受け継いだ者を聖女と呼ぶなら……たしかに私は聖女でしょう。ですが……あなたのような人を許すのが聖女というなら、私は聖女にはなれません。あなたの行いはひどく自己満足に満ちている。やり方はほかにあったはずです。すべてを捨てて逃げることもできたはず。それをあなたはしなかった。なぜです?」
ティアナの耳に痛い言葉が始まった。
そうだ。逃げればよかった。こんな国から出てしまえばよかった。
光神教会の司祭になれた奴だ。ほかの職にもいくらでもなれただろう。
けど、こいつはしなかった。
神への信仰は教会に属さなくてもできるのに。
なぜか。
「それは……」
「司祭の職を捨てるのが怖かったんだろ? 結局、お前は他人から尊敬されたいだけだ。司祭だから尊敬されて当たり前。そんな考えがあるから他者からの反感を買うんだよ。司祭の職を捨てるのはプライドが許さず、かといって耐えるだけの忍耐力もない。プライドを捨てられないお前がとったのが魔神の力を借りて国を壊すっていう馬鹿げた道だ。そんなの許されるわけないだろ? この自己中野郎」
「うるさいぞ、レオナルド・ルークライン! しがらみもなく逃げられたお前にボクの何がわかる!?」
「たかが二年で根を上げる奴の気持ちなんてわかるわけないだろうが。たしかに俺はこの国から逃げた。けど、しがらみが何もなかったわけじゃない」
「ボクに比べれば子供のしがらみなんてあってないようなものだ!」
「祖国というしがらみを子供が捨てる……それがあってないようなものだと? 本気で言っているのですか? 家族を友人を捨てて国を出なければいけなかった人に……本気で言っているんですか?」
ティアナが突然、怒気を孕んだ声でつぶやいた。
その雰囲気は今まで見たことのないようなもので、俺だけでなくエリックも圧倒されている。
「あなたはレオさんが逃げたといいました。ですが、レオさんは逃げたんじゃありません。前に進んだんです。魔神の力にすがり、溺れるあなたとは天と地ほども差があります」
「このっ……! やはり聖女を生かしておくのはやめにしよう! レオナルド・ルークライン! 君にも死んでもらおうぞ!!」
「はいはい、お前の言い訳も聞き飽きた。さっさと魔神を出せ。お前なんかに俺は用はないんだよ、小物」
どうせこいつは利用されているだけだ。
その心の闇につけこんだのは魔神か、それとも冥神教団か。
どちらにせよ、こいつは自分で自分をコントロールできてはいない。
こいつを操っているのは憑りついている魔神だ。
「馬鹿にするな! ボクは!」
『もういい。君の出番は終わりだ』
いきなり声が響き、エリックの周りを黒い靄が包み込む。
「な、なんだ!?」
『君の願望は叶えた。魔剣士を襲撃し、聖騎士を襲撃した。王都も混乱に陥れた。もう十分ではないかね? 対価をいただこう』
「そ、そんな!? 魔力を与えただろ!?」
『それは私が集めたものだ。君には君の魂を差し出してもらう。私の復活のために』
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!!??」
靄は完全にエリックを飲み込み、エリックの姿は見えなくなった。
人型の黒い靄があるだけで、その中でどうなっているのかはうかがい知れない。
だが。
「来るぞ。ティアナ。下がるんだ」
「……はい」
ティアナの前に進み出ると、ティアナはそんな俺の背中に隠れた。
部屋にいるすべての者が靄から距離を取っていく。
そしてそれは徐々に姿を現した。
真っ黒な鎧に真っ黒な剣。
身長は二メートルを超え、筋骨隆々。
顔は獅子のようであり、青い鬣が印象的だった。
「ふむ、よいものだ。自分の体というのは。挨拶がまだだったな。私はサブナック。魔界に君臨する七十二の魔神の一人。かつては〝剣閃封じの侯爵〟の異名をもらっていた者だ」
「ふん……肉体を持ったなら手間が省ける。除霊は専門外なんでな」
「強気だな。レオナルド・ルークライン。私を見ても平然としていられる者は少ないのだがね」
確かに。
発する雰囲気は常軌を逸している。
獅子の顔を持つからとか、デカいからとかじゃない。そういう外見的な要素ではなく、
内からにじみ出る威圧感が半端ではないのだ。
これが魔神か。
なるほど。こんなのが七十二体もいれば世界も滅びかけるわけだ。
けれど。
「魔神だからどうした? お前はティアナの命を狙うんだろ?」
「聖女にもう一度封印されるのはごめんなのでね。早めに消させてもらおう」
「それだけで十分に殴る理由になる。それとは別にお前には絶対に清算させなきゃいけない借りがある」
「ほう?」
「人の妹の腹に風穴開けた礼はしっかりとさせてもらう。実体を持ったことを後悔させてやるから覚悟しろよ?」
「面白い。やってみろ、レオナルド・ルークライン!」
その名を呼ばれるために違和感が湧く。
なにせもう捨てた名だ。
俺はレオナルド・ルークラインではない。
もっと相応しく誇らしい名を持っている。
それを名乗るということは、なにもかもを背負いそして絶対に負けないという意思表示ということになる。
なにせその名をくれた人は一度だって負けたことがない。
だから俺も負けるわけにはいかない。そのことが引っかかって、今まで名乗らなかった。
まぁ、でも。
ここまで来たら名乗らないわけにはいかないだろう。
都合よく相手は魔神だ。
かつて封印の聖女と共に魔神と戦った五英雄は、それぞれの武の道を極めることを選んだ。
それは聖女を犠牲にして魔神を封印したという後悔からだった。
自分たちの非力さを嘆き、そして未来に備えるために彼らは後世に自らの武を残した。
やがて復活するだろう魔神に備えて。
それから彼らの後継者は五極星と呼ばれ、最強の称号となった。
その称号を巡り、多くの者が争ってきた。
弟子が継承する場合もあれば、継承者を倒した猛者が受け継ぐ場合もあった。
だけど、それでよかった。そうやって武は研鑽を重ねてきた。
このときのために。
「サブナック……お前は俺をルークラインと呼ぶが、その名は捨てた」
「ふむ、ではどう呼べばいいかね? 殺す者の名は覚えておこうと思っているのだが?」
「ああ、よく覚えておけ。お前を滅する奴の名だ。俺の名前はレオナルド・ローデンバーグ! 師はアルトリート・ローデンバーグ。誉れ高き五極星が一角、拳皇アルトリートが俺の師だ!」
その名乗りはサブナック以上に、その場にいる人間たちに衝撃を与えた。
「なっ!? あの拳皇の弟子だと!? あのレオナルドが!?」
「ば、馬鹿な……ご、五極星の弟子だと!? 我が家を出た男が五極星に認められただと!?」
国王や祖父が驚きの声を上げる。
それに興味を示さず、俺は懐から一対のナックルダスターを取り出した。
それは師匠から貰った特殊な魔道具だ。
魔力を通すことで形状変化する優れもので、これは師匠が作らせた特注品。
本気を出すときだけ使っていいと言われている。
それに魔力を通すと肘までを覆う籠手へと変化した。
その中心には拳皇のシンボルマークである〝交差する拳〟が銀色で刻まれている。
「なるほど。強いわけだ。かつて私を倒した者たちの後継か……しかし大丈夫かね? 私が封印されたとき五英雄たちは総出で私と戦った。君一人では心許ないのでは?」
「余計なお世話だな。お前が寝ている間、常に最強の武人たちは備え、磨いてきたんだ。己の技を。だから、かつての五英雄たちより今の武人のほうが遥かに強い。お前を滅してやれるくらいにな」
「それは楽しみだ。実を言えば、わざわざ召喚されたのは強者と戦いという個人的願望のためだったのだよ。だから楽しみだ。私を失望させるなよ? レオナルド・ローデンバーグ!!」
「ああ、叩き込んでやるよ。研鑽を重ねた武の神髄をな!!」
そう言って俺の拳とサブナックの剣がぶつかりあった。