第二章 しがらみ 3
今回はミリアム視点の三人称です。
「光神教会め! 余計なことをしおって!」
白刃城の城門へ続く道で、デズモンド・ルークラインがそう怒りを露わにした。
まだ城内であるため、だれに聞かれるかわからない。
ミリアムは微かに眉を潜めながら祖父を諫める。
「お爺様。あまり怒らないでください」
「これが怒らずにいられるか! こともあろうに我が家を出奔した孫を光神教会が雇ったのだぞ!? 手柄でも立てられてみろ! 我が家はいい笑い者だ!」
デズモンドは忌々しいそうに城の上階を睨みつけた。
そこには客人として光神教会の関係者が滞在している。
これ以上の暴言を関係者に聞かれれば、問題になりかねない。
ミリアムは祖父を鎮めることは諦め、早く城から出すことにした。
「安心してください。ルーカスさんと私で辻斬りを捕まえます。それでルークラインの名は保たれますから」
「当然だ! レオナルドめ! 調子に乗りおって! 光神教会が余計なことをせねば、いくらでも邪魔をしてやったというのに!」
祖父の考えを聞いて、ミリアムはさきほどのことを思い出した。
聖女の提案に従い、レオナルドは光神教会に雇われることを選んだ。
そのとき、レオナルドは傍にいた女性神官と親し気なやりとりをして、決心を固めていた。
もしも聖女の提案があの女性神官の働きかけだとするならば、その目的はレオナルドを守ることにあるのではないだろうか。
そんな考えがミリアムに浮かんだ。
光神教会に雇われた以上、レオナルドに何かすれば光神教会に喧嘩を売ることになる。
騎士国内であればルークライン家の権勢は比類ないが、光神教会は大陸全土に信者を抱える大規模な団体だ。
事を構えれば最悪、家を取り潰しされかねない。
そこでミリアムは自分がどこか安心していることに気づいた。
それはレオナルドにも味方がいる、という安心だった。
七年前に突如として出奔した兄。
それから連絡もなく、行方も知れなかった。
その兄がいきなり現れたとき、ミリアムの心情は穏やかではなかった。
七年前のあの日。ミリアムは親しかった兄に捨てられたと感じた。
それがあまりにも勝手な思いだと、今なら理解できる。
兄はずっと辛い思いをしながら生きてきたのだ、と。
「いいか! あの無能者にこれ以上、デカい顔をさせるな! どこで覚えたのか魔拳術などを使うらしい! あってはならんことだ! 我がルークラインの血を引く者が剣術以外の道を進むなど! 奴の名が広まればこの事実も広まる! 絶対に阻止せよ! 我がルークラインは剣に生きて、剣に死ぬ一族であらねばならんのだ!」
「……かしこまりました」
そう言ってデズモンドは用意された馬車に乗って、城から出て行った。
それを見送り、ミリアムはため息を吐く。
騎士国はその名のとおり、騎士の国だ。
武芸に重きが置かれており、武芸の才能がない者にはとことん冷たい。
その中で、剣術において家を拡大しきたルークライン家は〝剣士であらねば人であらず〟という言葉が残っているほど剣術に拘ってきた家だ。
レオナルドが生きづらいと感じて当然で、出ていくことを責めることなどできはしない。
けれど、子供の頃は理解も納得もできなかった。
相談もなく、兄が消えたとき、ミリアムは最も親しい家族を失ったのだ。
そこからミリアムは一人でいる時間が多くなった。
母は亡くなっており、父は多忙。親戚たちは大勢いたが、家族と呼べるほど親しい人はいなかった。祖父でさえも。
それからの毎日は稽古に明け暮れる日々だった。普通の子供がすることはほとんどせず、ただ魔剣術を習得することにすべてを費やした。
その成果か、ルーカスが更新した最年少聖騎士の記録を塗り替え、わずか十四歳で聖騎士に選ばれた。
誰もが祝福してくれたが、そこに兄はいなかった。
目指していた場所ではあるが、喜びはあまりなかった。
芽生えたのは義務感。聖騎士として国と民を守らねばという気持ちだった。
それ以来、あまり個人的な感情を表に出すことがなくなり、クールだと言われることが多くなった。
だが、とミリアムは思う。
ただ単純に感情を動かす出来事が少ないだけだ、と
。
すべてを捧げた魔剣術の腕は、目標とする父には遠く及ばない。
だから任務でいくら功績を上げようが、嬉しくはないのだ。
父を超えるその時まで、喜ぶことはない。
そうミリアムは思っていた。
けれど。
「大きくなったな……か」
七年ぶりに会った兄は、青年へと成長しており、纏う雰囲気も別人のようだった。
一目でかなり実力をつけたことはわかった。あの兄がそこまでなるのにどれほど努力が必要だったか。
それでも昔と変わらない口調で大きくなったな、と喋りかけてくれた。
自分でも不思議なことに、それがミリアムには嬉しかった。
思えば、昔は楽しかった。
何をしても真っ先に兄に報告しにいった。必ず褒めてもらえるからだ。
「まるで刷り込みですね……」
単純な自分に呆れながら、ミリアムは思考を打ち切った。
どれだけ嬉しかろうと、失った時間は取り戻せない。
兄であるレオナルドは家を出奔し、魔拳士となって戻ってきた。
それをルークラインは許さない。
昔のように気兼ねなくしゃべることはありえないのだ。
自分はルークラインの跡取り娘なのだから。
そう決意を新たにしていると、離れたところが賑やかなことに気づいた。
そちらを見ただけでどういう状況かミリアムは察した。
「おい、ルーカスだぜ!」
「さすが若手ナンバーワン聖騎士、華があるなぁ」
「ルーカス様って凄いイケメンよね。しかもとんでもなく強いのよ!」
「剣術だけじゃなくても、魔法もほとんどの最上級魔法をマスターしてるんですって」
「やっぱり将来の聖騎士団長は間違いなくあいつだな。クロード団長もうかうかしてられないんじゃないか?」
城に詰める騎士や侍女たちが、歩くルーカスを遠巻きにしながら好き勝手なことを言っていた。
それを当然のように受け入れながら、ルーカスが向かってくる。
その顔には満面の笑みが浮かんでいた。
それを見て、ミリアムは今日何度目かのため息を吐いた。
「ミリアム。ここにいたんだね。お爺様はもう行ってしまわれたかい?」
「はい。ついさっき馬車で」
「そっか、僕も一緒に話して安心させたかったよ。だいぶ頭に来てたみたいだし、怒られなかったかい?」
「平気です。お爺様が怒っているのはいつものことですから」
昔からレオナルドに対して当たりの強かったデズモンドは、ここ数年、ほかの者にも当たるようになり始めた。
些細な事で怒るようになり、屋敷の使用人たちには怖がられている。
杖で殴られる使用人を何度もミリアムは見ていた。
それに比べたら多少、声を荒げられるくらい大したことはなかった。
しかし。
「やっぱり怒られたのか。僕がそばにいたら庇ってあげられたのに」
「平気です。もう子供ではありませんから」
ルーカスはその程度のことで心配を口にする。
まるで幼子扱いで、ミリアムは内心、うんざりしていた。
「別に子供扱いしてるわけじゃないよ。婚約者を心配しているだけさ」
「心配はありがたいですが、今は私を心配していられる立場ではないのでは?」
ルーカスとミリアムは婚約者の間柄だ。
もちろん、親同士が決めたことでミリアムの意思は考慮されていない。
ミリアムにとってルーカスはあくまで同じ剣術を学ぶ仲間であり、恋愛の対象ではなかった。
というより、恋愛というものにミリアムは欠片も興味がなかった。
そのため、婚約者として距離を縮めようとするルーカスの行動は、ミリアムには迷惑以外の何物でもなかったのだ。
ましてや、王都が大変なときなら猶更だ。
「僕のことを心配してくれるのかい? ミリアムは優しいね」
「そういうことではなくて……」
都合のいい解釈をするルーカスに、ミリアムは呆れ果てる。
昔から都合のいい受け取り方をするタイプだったが、まさかこの状況でそれを発揮するとは。
「ミリアム様とルーカス様よ。お似合いね」
「そりゃあ婚約者だもの。当然よ」
「互いに超一流の魔剣士で、名門の出。次代の聖騎士団を担うホープだもんね。互いに釣り合う相手はお互いしかいないわ」
通りかかった侍女たちがそんなことを言っていく。
それに気を良くしたルーカスがさらに上機嫌になった。
「お似合いだってさ」
「ルーカスさん。本当に状況がわかっていますか? 次に失態を演じれば、いくら代理とはいえ処罰が下りますよ」
すでに二度の失態。
武芸の実力で人の価値を決める傾向にあるこの国でも、三度も失態を重ねれば批判を浴びる。
それを自覚していないというのは、かなり問題であった。
「わかっているさ。けど、失態は成功で取り戻す。次からは僕も辻斬りの捜索に加わるよ。王には許可を貰ってるしね」
「そうですか……」
楽観的な性格がそういわせるのか、それとも自分への過剰な自信がそう言わせるのか。
どちらにせよ、ミリアムは不安だった。
ルーカスが二度の失態で処罰されなかったのは、一度目のときに現場におらず、二度目の失態も直接的な犠牲が出ていないからというのも大きい。
しかし、今回は現場に出てくる。
犠牲者が出ればルーカスの責任は重い。
将来の聖騎士団長と言われているが、失態を重ね続ければ団長の資質について疑問視する声も当然出てくる。
それはルークラインにとって好ましくはない。
聖騎士団長の席はほとんどの時代でルークラインに連なる者が座ってきたからだ。
「安心して。僕は負けないからさ」
「その自信は素晴らしいですが、油断は禁物です。兄さまもお父様クラスの実力者だと言っていましたし、一緒に戦いましょう」
相手が強いからといって諦めるわけにはいかない。
一対一で勝てないならば複数人で掛かるまで。
しかし。
「レオナルドの言うことなんて当てにならないさ。軽く動きを見たけど、あの程度ならどこにでもいる。そういう人間は相手の実力を正確には読めないのさ。自分が勝てない相手が最強に思えちゃうんだよ」
「一人で戦うつもりですか?」
「事件を早めに解決しないとだからね。明日、動ける騎士たちで手分けして探そうと思う」
「危険では? 辻斬りの目的は魔力です。散らばれば各個撃破されかねません」
「望むところさ。出てきたところを潰す。辻斬りの後は冥神教徒だ。僕が出る以上、時間はかけないよ」
「……やはりリスクが大きいと思います」
「ミリアムは心配性だな。じゃあ聞くけど、僕やミリアムのレベルにレオナルドが達していると思うかい? どれだけ強くなっても、レオナルドは初級魔法しか使えないんだよ? たぶん、僕らに手傷を負わせるのも難しいんじゃないかい?」
「それは……」
一目見てかなりの実力をつけたとは思ったが、自分より強いとは思えなかった。
せいぜい一般の聖騎士級。
たしかにそれくらいの実力なら、相手の実力を読み違えてもおかしくはない。
けれど、もしも本当に辻斬りがクロード級の実力者だとすれば自分たちも各個撃破されかねない。
ミリアムとルーカスが力を合わせても、まだクロードには敵わないのだから。
「辻斬りが強いのは認めるよ。襲撃のときの攻撃も凄まじかった。けど、聖騎士ならやろうと思えばあれくらいはできる。大丈夫さ。安心してよ、僕がいるんだしさ」
「……」
「油断大敵という言葉がある。ボクは二人で挑むべきだと思うよ」
横からの声にルーカスとミリアムは同時に振り向く。
そこには光神教会の司祭服を着た男性がいた。
優男という表現がピッタリで、男にしては長い茶色の髪が余計、彼を柔和に見せていた。
浮かぶ表情も優し気だが、その目は若さに満ちたルーカスを諭す意思が見えていた。
「エリック司祭。お久しぶりです」
「お久しぶりだね、ミリアムくん。ルーカスくんも」
「お久しぶりです。それでさっきの言葉はどういう意味ですか?」
ルーカスの目には微かに軽蔑の色が映っていた。
それを感じ取って、優男の司祭、エリックは苦笑いを浮かべた。
彼は騎士国に赴任している司祭であり、現地の光神教徒のまとめ役でもある。
そんな人間に軽蔑の視線をルーカスが送るのは、単純だった。
エリックが武芸をまったく習得していないからだ。
剣術はもちろん、護身術もからっきしなのだ。
そして本人はそれを恥とは思っていなかった。
「そのままの意味だよ。さっき昨日の事件現場を見てきた。ひどい惨状だったよ。四人いた聖騎士はいずれも防御の上から攻撃をくらってやられている。これだけで相手の破壊力は察しが付くだろう?」
「あなたが聖騎士なら説得力もあるんですけどね。司祭、その程度で相手が強いと決めるのは早計だ。戦闘は僕らの領分です。素人は口出しは控えていただきたい」
「ルーカスさん! 口が過ぎます!」
「本当のことさ。司祭は辻斬りを恐れすぎなんですよ。武芸ができない人間はこれだから困る。いざというときの覚悟ができていない」
呆れたようにルーカスはため息を吐くと、失礼しますといってその場から立ち去っていく。
それを見て、ミリアムはすぐにエリックに頭を下げた。
「申し訳ありません! 大変な失礼を!」
「いいんだよ。ミリアムくん。尊ばれる物は国によって違う。前任の司祭様はそれを理解して剣術を習得していたから、多くの人に尊敬されてた。けれど、ボクはそういう荒事が苦手だ。だからこの国じゃ尊敬されない。もう慣れたよ」
「それは……本当になんと言っていいか……」
エリックはあくまで派遣されただけの司祭であり、騎士国の人間ではない。
派遣されたのも二年前であり、それまで武芸とは縁のない生活をしてきた。
当然だ。基本的に司祭の仕事は教えを広めることであり、戦うことではない。
間違っているのは価値観を押し付けるルーカスのほうだとミリアムは理解していたが、それは騎士国の全体に広がる風潮でもあった。
剣術に拘るルークラインはもとより、騎士国の人間は武芸のできない人間を軽視される傾向があるのだ。
だからミリアムはエリックに掛ける言葉が見当たらなかった。
「そんな顔をしないでいいさ。その国の風潮に溶け込むのも司祭の仕事だ。ただ、ボクは溶け込む力がなかった。任期はあと二年。それまで頑張るよ。もっとも……この事件が終わるまでにボクが生きていればだけど、ね」
「ご安心ください。光神教会の方々は必ずお守りします」
「そう言ってくれると嬉しいよ。さきほど、光神教会の聖職者たちの遺体が見つかってね……。思い出すのも嫌なくらい惨いものだった。二度とあんなことがないことを期待していいかな?」
「もちろんです。この白光のマントに誓って、もう悲劇は起こしません」
「ありがとう。ミリアムくんがそう言ってくれると嬉しいよ」
エリックはそう柔和な笑顔を浮かべると、ミリアムの肩に手を置いて、その場を去った。
その笑顔が悲し気だったのを見て、ミリアムはこの事件を解決することを心に誓った。
♰♰♰♰♰
次の日。
ルーカスの指揮の下、聖騎士団と騎士団が動き出した。
王都にいる聖騎士のほとんどが動員される一大捜索作戦。
目的は冥神教徒のアジトを潰すことと、最大の敵である辻斬りの捜索、および確保。それが難しい場合は殺害だ。
この作戦はデズモンドの意向により、騎士団による捜索としてレオナルドは参加していない。
そのことを少し寂しいと感じつつ、ミリアムは臨時に編成された小隊を率いて、王都を捜索していた。
聖騎士やベテランの騎士を隊長として、四人一組の小隊には確かな実力がある騎士たちが選ばれていた。
だが。
「お嬢。若はお元気でしたか?」
能天気な声がミリアムの耳に届く。
捜索が始まってから六度目の問いに、さすがのミリアムも根負けして答えることにした。
「はぁ……元気でしたよ」
「本当ですか!? じゃあこれが終わったら会いに行きましょうよ!」
そういうのは一人の若い騎士。くすんだ金髪に濃褐色の瞳。軽そうな雰囲気と愛嬌のある笑顔が特徴的だ。
年はミリアムよりも一つ上の十六歳だが、最近、騎士になったばかりの少年である。
彼の名はビリー・ガードナー。ルークライン家の門下生であり、幼い頃からミリアムの知り合いでもある。
ガードナー家は昔からルークラインに付き従う家であり、その関係から二人は昔から共に行動することが多かった。
もっとも、大抵の場合はビリーが付きまとう形ではあったが。
「ビリー。今は任務中ですよ?」
「って言ったって、さっきの報告じゃルーカスさんの小隊が四つ目のアジトを潰したらしいじゃないですか。オレらの出番なんかないですよ。それに名誉挽回に張り切ってるのに、そのチャンスを取ったら悪いでしょ? だからオレらは適当に行きましょう。そういうわけで質問ですけど、若が帰ってきたんですよ? 嬉しくないんですか?」
「嬉しくありません。だから黙りなさい」
「出て行ったとき、あんなに泣いてたのに」
「泣いてません」
「嘘は良くないですよ。兄さまに捨てられたって大泣きして大変だったのを今でも覚えてます。しばらくの間、すごい不機嫌で何度ぼこぼこにされたことか……」
懐かしいなぁ、とビリーは呟き、小隊に配属された残りの二人は苦笑いを浮かべる。
このお調子者め、とミリアムはビリーを睨むが、ビリーはどこ吹く風で喋るのをやめない。
「ビリー。いい加減にしなさい。今は王都を脅かした辻斬りを探すという重要な任務が先決です。あなたのお喋りに付き合ってる暇は」
「昔は兄さまと結婚するって言ってたのに、若も可哀想に。お嬢は変わられてしまった」
「ビリー。本当に黙りなさい!」
昔の恥ずかしい記憶を掘り下げてくるビリーに対して、ミリアムはいつもよりも強めに制しをかけた。
だが、ビリーは笑うだけで真剣には受け止めない。
「どうせお嬢のことだから、素直になれずに冷たく接したんじゃないですか? 駄目ですよ。嬉しいなら嬉しいって言わないと」
「あなたを私の小隊に入れたのが失敗でした……」
「悲しいことを言わないでください。ガードナーはルークラインの従者にして盾。お嬢を守るのがオレの務めですよ」
「守らないでいいので、もう少し静かにしてください……」
ため息を吐くミリアムを見て、さすがにやりすぎたかとビリーは口を閉じた。
しかし、十秒もしないうちにまたビリーはしゃべり始めた。
「しかし、今頃になってなんで戻ってきたんですかね?」
「まったく……あなたは喋っていないと死ぬんですか?」
「まぁまぁ、今回は真面目な話です。オレは昔から疑問だったんですよ。あの若がお嬢に何も言わずに出ていくのかなって」
「……どういう意味ですか?」
「そのままです。若は恐ろしく剣術の才能はなかったですよね? だからめちゃくちゃ苦労してた。けど、オレは若の泣き言を聞いたことはないんです。あの人はそういうところが凄かった。その若がお嬢に何も言わず出ていくなんてありえない。オレはなんか理由があったんじゃないかなって思うんですよ」
それはミリアムも考えた。
そう考えることが救いだった。
なにか理由があったならば仕方ないと思えたからだ。
だが。
「考えるだけ無駄ですよ。どんな理由があれ、あの人は家を捨てた。もうルークラインの人間ではないんです。昔のようには……いきません」
「オレはそうは思わないですけどね」
「あなたは本当に……」
軽いビリーに呆れつつも、羨ましいとミリアムは思っていた。
この軽さが自分にあれば、レオナルドと関係を再構築するのも難しくはないだろう。
少なくとも、ずっと胸にある言葉。
おかえりなさい、という言葉を言うのに躊躇うことはないだろう。
「やっぱり会いにいきましょうよ、お嬢」
「それは……!? 少し黙って」
ミリアムは目を瞑って、遠くで感じた違和感に集中した。
様子を察し、ビリーは黙り込む。
遠くで魔力が一気に消失した。
一般人程度の魔力じゃない。
聖騎士級の魔力が一瞬で消えた。
つまり。
「辻斬り! けど、これは……」
ミリアムはどんどん魔力が消失していることに気づいていた。
王都の端から順番に、魔力が消えている。ものすごい速さで。
聖騎士たちがここまであっさりやられるなんてありえない。
あるとすれば、それは。
相手が聖騎士たちよりも恐ろしく強いという場合のみだ。
レオナルドの言葉が蘇り、ミリアムは思わず唇を噛み締めた。
レオナルドは相手の実力を測り間違えてなどいなかった。しっかりと相手の実力を理解したうえで忠告してくれたのに、それを聞かなかった。
それどころか相手に魔力を差し出してしまった。
完全に作戦が崩壊したことを理解したミリアムは、深呼吸をすると。
「ビリー。残りの二人を連れてすぐに城へ向かいなさい。そして兄さまに援護要請を」
「え? お嬢は……?」
「私は辻斬りを止めます……。兄さまが来るまでの時間稼ぎくらいはできるはずですから」
聖騎士を子供扱いする相手と相対し、無事でいたレオナルドはミリアムの想定よりもずっと強いはず。
「実力を測り間違えていたのは私のほうです。今の兄さまはおそらくお父様に近い実力をもっています。だからすぐに呼んできなさい」
「待ってください! そんな若が必要な相手に一人で挑むのは無謀です! オレも残ります!」
「足手まといです。あなたを守りながら戦える相手ではありません。いいから行きなさい!」
ミリアムの覚悟を見て、ビリーは一目散に城へ向かって走り出した。
それを追って、残りの二人も走り出す。
一人になったミリアムは周りを見渡す。
今、ミリアムがいるのは城に通じる大通りの真ん中。
周りには人が多すぎる。
だが、時間がない。
ミリアムはすっと息を吸い込み。
「聖騎士ミリアム・ルークラインの名において伝えます! ここはすぐに戦場となります! いますぐ避難しなさい!」
ミリアムの突然の避難勧告。
白いマントを確認した住民は一瞬の間のあと、やや混乱しながらその場を離れ始めた。
それを見て、ミリアムは持ってきていた玉型の魔道具を空へ投げる。
魔道具は空で爆発し、赤い煙をまき散らした。
緊急事態発生の合図だ。
これを見た小隊はすぐに城へ撤退するはず。
「どれだけ残っているか微妙なところですが……」
今も魔力反応はどんどん減っている。
その速度は先ほどよりも早い。
魔力を取り戻し、調子が出てきたのだろう。
だが、今の合図で小隊は撤退を始める。
辻斬りの魔力回収はここまでだ。
「私がここに残れば……誘いに乗らざるを得ないでしょう」
魔力を高めながらミリアムは剣を抜く。
この剣は母の形見だ。
といっても、母が使っていた物ではない。
死の直前、母が知り合いの鍛冶師に頼んで作らせた物だ。
大人になったミリアムのために、と。
その剣を握り締め、ミリアムは内に沸く恐怖を払拭した。
それと同時に黒い影がいきなり目の前に現れた。
「勇ましいことだ。撤退の時間を稼ぐつもりかな?」
「辻斬り……」
黒いマントに銀の髑髏仮面。
レオナルドの言っていたとおりの外見だった。
その纏う雰囲気は異様だった。
今まで対戦したどの剣士とも違う雰囲気を見て、ミリアムは思わず質問してしまった。
「あなたは……人間ですか?」
「一応、人間のはずだ。それに私は剣士だ。それで充分じゃないかな? 君にとっては」
「……そうですね」
ルークラインは剣士を尊ぶ。
相手が剣士ならば敬意を払うが、そうでない場合、どれだけの実力者でも認めはしない。
だからルークラインの流儀に従うならばこの辻斬りは敬意を払う相手となる。
レオナルドよりも、だ。
しかし。
「私はミリアム・ルークライン。ルークラインの跡取り娘ですが……その前に騎士国の聖騎士です。陛下よりこの白光のマントを授かったときより、騎士国の民を苦しめる者は何者であれ、私の敵です!」
「さすがは神童。言うことが違う。では私を斬ってみせるといい。できるなら、だが」
小細工無用。
ミリアムは初手から最高の技を出すと決めていた。
一瞬で間合いを詰めると、ミリアムは細剣に風の最上級魔法【エアリアル・ストーム】を纏わせる。
「ルークライン流魔剣術奥義――蒼破空烈閃!!」
高密度に圧縮された空気が、ミリアムの渾身の突きと共に解き放たれる。
蒼色の輝きを放つ暴風が大通りを駆け抜け、辻斬りを飲み込んだ。
ミリアムが会得している技の中では最高の威力を持つ技だ。
そもそもが強力な最上級魔法を纏わせることで、小型の嵐をぶつけるような破壊力を生み出している。
準備には時間がかかるが、それは喋っているうちに終わらせていた。
しかし。
「たいした威力だ。当たっていたら私も危なかったかもな」
辻斬りは平然と先ほどの場所に立っていた。
その周りには無数の剣が浮かんでいた。
それを重ねて強固な盾を作ったのだ。
防がれた。
その事実はミリアムに迷いを生み出した。
これ以上はない技を防がれたため、打つ手がなくなったのだ。
そして辻斬りはその隙を見逃さなかった。
「これで終わりだと拍子抜けだが?」
素早くミリアムの後ろに回った辻斬りは、召喚した剣で攻撃を加える。
咄嗟に受け止めたミリアムは、予想以上に重い攻撃に驚き、思考を切り替えた。
受けに回ったらすぐにやられる!
一撃の威力で及ばないならば、手数で攻めるまでと、ミリアムは剣を跳ね返し、連続の突きを辻斬りに浴びせる。
「さすがに並みの聖騎士とは格が違うか」
言いながら、突きを防ぐ辻斬りにはまだまだ余裕が見えた。
ミリアムの心に焦りが生まれ始めた。
そしてその瞬間はやってきた。
「ちっ!」
「そこっ!!」
ミリアムの手数に押された辻斬りが、距離を取ろうと後ろに下がった。
それを逃さず、ミリアムは前に踏み出して渾身の突きを放つ。
それは辻斬りの腹部にダメージを与えるはずだった。
しかし。
「え……?」
気づけばミリアムは自分の左肩を刺していた。
痛みと熱さが同時に襲ってきた。
それと同時にミリアムの周りを無数の剣が囲む。
「残念だったな。剣士である以上、どれだけ強かろうと私には敵わないのだよ」
「くっ!」
その言葉を聞いた瞬間、ミリアムは剣から手を放し、右手を辻斬りに向ける。
魔法での攻撃ならばと考えたのだ。
しかし、それはかなわない。
「かはっ……!」
ミリアムの背後にあった剣が胴体を貫いたからだ。
血を吐き、視界を歪ませながらもミリアムはそれでも辻斬りを睨む。
だが、そこまでだった。
同時に周囲の剣がミリアムに襲いかかり、殺さない程度の傷を与えていく。
魔力を吸い取るには生きていなければいけないからだ。
四方八方からの攻撃にミリアムは膝をつき、その場で動けなくなった。
「はぁ……はぁ……」
腹部の傷は深く、血が大量に体内から出ていく。
それ以外にも体中に浅い傷ができており、血が足りないことからミリアムの意識は朦朧とし始めていた。
「さて、魔力をいただくとするよ。ほう? さすがはルークラインの跡取り娘だ。すぐには吸い付けないほどの魔力量、素晴らしい」
「くっ、あぁ……」
体内から血と共に魔力が抜かれていき、ミリアムは急速に寒さを感じ始めた。
凍えそうな寒さに恐怖がよぎる。
寒さによって意識がどうしようもなく弱くなっていく。
その寒さは経験があった。
昔、高熱を出したときに感じたことのある寒さだった。命の火が消えかかるときに感じる寒さだ。
けれど、あのときは近くに温もりがあった。そして、その温もりによって救われた。
「に、い……さま……」
「まだ意識があるのか。可哀想だ。そろそろ止めを刺してあげよう」
ある程度、魔力を吸い終わった辻斬りはミリアムの口から手を放す。
すでにミリアムに体を支える力はなく、そのまま地面に崩れ落ちた。
辻斬りはすでに戦いは終わったと判断したのか、ミリアムの腹部に刺さったままの剣や、周囲に展開している剣を消し去る。
そして自分の腕に持っている剣を、ミリアムへ向かって無慈悲に剣を振り下ろした。
だが、その剣がミリアムに当たる直前。
強い風が吹いた。