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早く大人になりたかった。

大人になればそれから逃げられると私は知っていたから。



●○●○●



ーーシャンシャン


鈴の鳴る音が聞こえる。それは決して大きくはなく、不快な音でもないはずなのに、私に激しい恐怖を与えてくる。

この音を初めて聞いたのはいつのことだっただろうか?

もうそれすらも思い出せない程昔から私はその音を聞き続けている。

それはいつだって一人の時に聞こえてきた。誰も居ない家、夕暮れ染まる帰り道。気づけば一人になっていた時にそれは聞こえてきた。

その音を最初私は恐れてはいなかった。それどころか幼さ故の貪欲な好奇心と恐れを抱かぬ心からその音の根源を探してさえ居た。

その音は私以外の人には聞こえていないようだった。両親に話しても、友達に話しても首を傾げられるばかり。しかし、一緒に住んでいた祖母だけは皆とは違う反応をとった。


「決してその音に反応するな。近づくな。気づかないふりをしろ」


優しく私に甘い祖母。そんな祖母の初めて見る怖い顔と厳しい声に、これはいけないものなのだと、幼心に理解して、しばらく私はその音を無視し続けた。

私が小学校に入学した頃のことだった。夕方自室で宿題をしているとシャンシャンと鈴の音が聞こえた。しかし、私は反応を示さなかった。怖くはなかったが、祖母の教えに従っていたのだ。

けれどふと私は気づく。

鈴の音の中に違う音が混じっていることを。

それは微かで、小さくて、耳をすまさねば、聞こえないほどだった。だから、私は耳をこらして、その音を聞いてみた。


ーー助けて……


そうはっきりと音が聞こえた。それは子供の声のように聞こえた。

私は迷った。その声に私は興味を引かれてしまっていた。しかし、祖母の言葉がある。決して近づくな、そう言われていた。

幼い私は迷って悩んでそうして声に導かれるように歩き出した。

少しだけ。確認したら戻る。もしかしたら、近所のお友達が助けを呼んでいるのかもしれないし、もし違ったとしてもチラリと見るだけなら大丈夫。

そんなふうに楽観的に私は考えて声の主を探しはじめた。

すると声の主はすぐに見つかった。それは庭にある小さな物置小屋から聞こえてきた。色んなものが置かれ積み上げられ詰め込まれているそこは危ないからと母親に立ち入ることを禁止されていた。

その扉を開いてみる。すると簡単に扉は開いた。昔かくれんぼをしている時に勝手に入って以来怒った母親が鍵を必要な時以外していたのに、何故かその時は鍵がかかっていなかった。

中に入ってみると埃臭さを感じた。夕方で窓が一つしかないため薄暗い。そんな中にその子はいた。

そこに居たのは同い年くらいの綺麗な男の子だった。お祭りで着る浴衣に似たそれよりも薄く真っ白な生地の服を纏っていたその子は涙で瞳を濡らして私を見ていた。


「どうしたの?」


泣いている私は彼にそう聞いた。どうしてここに居るのか?あなたは誰なのか?なんで泣いているのか。私には何もわからなかった。

私の問いに彼はくしゃりと顔を歪める。そうして私に抱きつきしがみついて来た。


「怖い……怖いよ……」


その体はガタガタ震えていて、体はまるで水のように冷たかった。私は目を丸くしてもう一度どうしたの?と尋ねた。


「助けて……怖い……助けて……」


私はどうすればいいのかわからなかった。でも、悩んでどうしたらいいのかわからない時、することはわかっていた。


「おばあちゃん呼んでこようか?」


困ったら大人を呼べばいいのだ。両親は今は出掛けていないけれど、祖母なら家に居た。だから、そう言えば彼は止めて!と悲鳴のような声を上げた。


「大人は怖い……僕をいじめるんだ……」


「おばあちゃん怖くないよ?優しいよ?」


しかし、彼は頑なに首を縦には振らない。だが、それならどうすればいいのか私にはわからなかった。


「怖い……怖いよ……お願い。一緒に来て」


「一緒にってどこに行けばいいの?」


しかし、彼は一緒に来て。一緒に行こうと繰り返すばかり。私は窓から差す赤い光を見て言った。


「もう五時のチャイムが鳴っちゃったから今日はどこにも行けないよ。お母さんに怒られちゃう」


「……じゃあ、今度会ったら一緒に行ってくれる?」


私はしばらく考えて、こくりと頷いた。


「五時のチャイムが鳴る前なら良いよ」


そう言うと彼は涙を止めて嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう。嬉しい」


その顔はとても綺麗だった。こんな綺麗な子は見たことがなくて、私は彼に興味を持って、あなたのお名前は?と聞こうとした。するとそれよりも早く彼に名前を聞かれた。


「私の名前は美穂だよ」


「……美穂。じゃあ、美穂。約束だよ」


そう言うと彼は小指を私に差し出した。指切りをするのだと私は理解して彼の指と私の指とを絡めて、歌を歌った。


ーー指切り拳万、嘘ついたら針千本飲ます、指切った


歌を、歌い終えた時だった。


「美穂!!」


まるで悲鳴のような声が私を呼んだ。

驚いて私は目を丸くして振り向く。するとそこには怒ったような悲しんだような絶望したような……色々な感情をごちゃ混ぜにした祖母の姿があった。


「おばあちゃん?」


その様子に驚いて、祖母を呼んだ。祖母は厳しい顔のまま私の肩を掴むと言った。


「何をしていたの!……何と喋っていたの……!!」


「お、おばあちゃん」


肩に込められた力が強い。痛みで顔が歪む。いつもの祖母らしからぬ雰囲気に私は自然と涙を浮かべていた。

きっと祖母は怒っているのだ。だって祖母は言っていた。音に近づくなって。

私は泣きながら祖母に謝った。ごめんなさい。でも男の子と話していただけなの、と泣きながら説明する。男の子にも事情を話してもらおうとしたところで気づいた。

彼は忽然と消えてしまっていた。

呆然とする私。すると、祖母は青ざめて、震えはじめた。


「ああ!ああ……!なんてことを!!」


祖母は私の手を引いた。その力は強くて、歩む速度は速い。足がもつれて転びそうになるけれど、祖母は決して速度を落とさない。

そうして、連れていかれたのは近所にある神社だった。

知り合いの神主さんは祖母の形相に驚いたような顔をしたが、祖母の話を聞くと顔を厳しくさせた。ニコニコといつも優しい神主さんのその顔に私はとんでもないことをしてしまったのだと思った。

お坊さんは私と祖母を大きな畳の部屋に連れていった。そうして、神主さんの奥さんに持ってこさせたお守りを私に渡した。


「決してこれを肌身離さず持っていなさい。これはあなたの身を守ります。しかし、持っているからと言って安心してはいけない。あれは強力で、このような小細工などすぐに壊してしまうでしょう」


そう言って渡されたお守り。私はあれがなんなのか最初理解できなかったが、なんとなく理解し始めていた。

きっと、あの少年は悪いものだったのだ。

それは私を害そうとしていて、あれからこのお守りは私を守ってくれるのだ。

しかし、このお守りを持っていても安心してはいけないと言った。では、どうすればいいのか。私は不安ですがるように祖母を見た。そうしてそんな祖母は私と同じ表情を神主さんに向けていた。


「私では力不足で、あれには勝てません。ですが、あれが狙うのは子供であり、あれは大人を恐れている。大人の前には現れません。そうして過去にも子供が狙われたことがありましたが、何人かは子供が大人になればその姿を見なくなったそうです」


だから決して大人になるまで大人の居ない場所に行ってはいけない。あれに遭遇しないようにしなくてはいけない。

……その日から私は少年から逃げる日々が始まった。

私は子供だからか当事者でありながら詳しい話を聞かされては居なかったが、両親は祖母から話を聞いていたらしい。しかし、祖母の息子である父は地元であるからこそその話を少しは知っていたのか信じていたが、母は年よりの迷信と信じてはいなかった。しかし、姑に逆らって良いことはないと信じたふりで祖母の言葉に従っていた。

その日から私はほとんどの時間を祖母と過ごすようになった。学校の送り迎え、放課後は家で祖母の監視の元でしか遊ぶことは許されず、トイレの時には扉の前で祖母が待っていた。お風呂も寝る時も常に祖母と共にいた。

しかし、どうしても大人の視線がない状況を皆無にすることはできなかった。だが、幸いなことに私は純粋な一人になることはなく、最低でも子供の一人は誰か傍にいた。そうすると鈴の音が聞こえては来るが、無視していれば彼の姿は見えなかった。

そうして無事なままに私は三年生になっていた。その頃には私は祖母とずっと一緒にいる変な子として学校で有名になっていて、ババコンなんて呼ばれていた。それに三年生になりクラス替えで仲の良かった子と離れてしまい、私は学校で孤独になってしまった。

そんなある日のことだった。


「その本私も好き!」


クラスで一人で本を読んでいると、クラスメイトの女の子が話しかけて来てくれた。その子は明るくて、優しくて、ババコンと言われていた私にもなんの躊躇なく接してくれた。

その子と居ると楽しかった。なによりその子と居れば孤独ではなくなった。


「今日放課後私の家で遊ばない?」


だから、彼女の言葉を私は断ることができなかった。

断れば、もう彼女が遊んでくれなくなるかもしれない。そうしたら私はまた孤独に戻ってしまう。そう思うと私は彼女についていくしかなかった。

祖母に隠れて校門を出る。こっそりと家にランドセルを置いて、その子の家に遊びに行った。

思えば私は油断していたのだ。

あの日から少年の姿は見ておらず、音さえ無視すれば大丈夫だと楽観的に考えてしまっていた。


「じゃあねバイバイ!」


その子の家で遊んで家を出る。世界は夕暮れに染まっていて、あと少しで五時のチャイムがなりそうな時刻だった。

祖母はきっと怒っている。だから、私は走って家路についた。人通りが少ないけれど、早く帰れるその道を私は選んだ。


ーーシャンシャン。


鈴の音が聞こえた。

しかし、その頃にはもう私にとってその音は日常で、今さら気にするものでもなかった。

誰か居れば大丈夫なのだ。そうすれば音を無視するだけでいい。そう誰か居れば。

ふと気づく。周囲を見渡す。細い道。そこには自分以外誰も居ない。


ーーシャンシャン。


鈴の音が鳴る。音は先程よりも大きかった。

ドクンドクンと心臓の音が響く。急がなくてはいけない。早く、人の居るところにいかなくてはいけない。

私は走った。そうすると、人影が見えた。

ほっとした。涙目でそちらを見た。……白い浴衣みたいな服を着た綺麗な男の子がそこに居た。


「美穂」


彼は嬉しそうに笑った。その顔はあの約束した時の顔に酷似していた。

私は思わず足を止めた。

彼が一歩こちらに近づいてきた。私は反射的に一歩後ろへと下がった。

彼と初めて会った時怖いとは思わなかった。しかし、祖母もお坊さんも彼に怯えていた。彼はそれほどまでに恐ろしい存在なのだ。


「……美穂?」


不思議そうに彼は首を傾げてこちらへと近づいた。私は彼を見つめたまま後退して……


「きゃっ!」


石に引っ掛かって転んだ。

お尻を強く地面に打ち付けた。痛い。反射的に閉じた目から涙が滲む。


「大丈夫?」


その声は真横から聞こえた。

ひゅっと息が鳴る。怖くて目を開けたくない。しかし、開けないこともまた怖かった。

見る恐怖よりも見えない恐怖が勝って、私は目を開けた。

そこには彼の顔があった。綺麗な綺麗な彼の顔が。

怖くて私は動けなかった。体がガタガタと震えた。

彼が伸ばした指が頬に触れる。それは氷のように冷たかった。


「大丈夫。泣かないで。僕がいるから。僕のところに来ればもう怖いことも痛いことも何もないよ。……行こう?」


手を、差し伸べられる。その手を取れるはずがなくて、私は首を振った。

すると優しかった彼が抜け落ちた。


「約束を破るの?」


その声は冷たかった。彼の温もりと同じように。


「指切り拳万、嘘ついたら針千本飲ます、指切った」


彼が歌った。あの日共に歌った歌だった。


「約束したよね?」


彼の手が無理矢理私の手をつかんだ。子供の力ではあり得ないほどの強い力だった。

助けて……!そう強く願った。それと同時に彼の手がびくりと離された。

彼は目を丸くして私を見た。そうして怖い顔で私を睨んだ。


「美穂。それ捨てて。それは嫌い」


それがなんなのか私には瞬時に理解できなかった。しかし、彼が見つめているのが私ではなくてポケットであることに気づくと共に、それがなんなのか私は理解した。

それはお守りだった。


「それは僕と美穂の邪魔をする。捨てて」


私は首を振ることしかできなかった。彼の目はさらに冷えていき、冷たい声で言った。


「美穂は僕に嘘をつくの?一緒に行くって言ったよね?……美穂が嘘つきでも僕は嘘をつかないよ」


ーー指切り拳万、嘘ついたら針千本飲ます。


頭の中で歌が木霊する。嘘をついたらどうなるのだろう?彼が嘘をつかなかったら……私はどうなるのだろう?


「わ、私、は……」


どうすればいいのかわからなかった。だけどこのまま黙っていてはいけないこともわかっていた。

お守りをポケットの上から強く握る。彼には効いているようだけれど、これでは守りきれないとお坊さんは言っていた。きっと時間稼ぎぐらいにしかならないのであろう。

ならどうすればいい?わからない。でも、何かしなくてはいけない。どうしよう。どうすればいいの。どうしようどうしようどうしよう。

その時だった。


ーーキーンコーンカーンコーン。 


チャイムが鳴った。五時を知らせるチャイムだった。


「……家に、帰らなきゃ」


私はなんとかその言葉を紡いだ。彼の手はその言葉で簡単に離れた。


「……約束だからね。五時のチャイムが鳴る前にしか美穂は一緒に来てくれない」


そう言うと彼は私から距離をとって


「またね、美穂」


その言葉を残して姿を消した。


「早く……」


夕暮れの中震えながら私は呟いた。

早く大人にならなくては。あれから逃げなくては。連れていかれてしまう。あれに。

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