告白
夕方の3時になっていた。アンズロック家のリビングで、3人と1人の人間が向き合っている────3人はまだ成人前の少女、あとの1人は傷だらけの青年。服はぼろぼろすぎて話にならなかったので、とりあえずナサたちの父親の物を貸している。
「……ナサ=アンズロック、ディキィール高等学院の5年生です。所属する学生騎士団は《第十三の使徒》。────あなたの名前も、教えて頂けますか」
そう告げたナサに続いて、2人も名乗る。──もっとも、アリーは初対面ならばかなりびびるほどの無感情だったし、ルビアンスは判りやすいほどの仏頂面だったが。
「ルビアンス=アンズロック。ナサの妹、グランの3年生、《緋色の巫女》」
「…………アリー=グリーン、ノークエン立グラン高等学院5年生、《焔の薔薇》」
青年は、膝許できつく両拳を握ると、躊躇いがちに口を開いた。
「………………僕は、ジャック・レイ=シェール。今日で、18歳」
ミドルネームがある。
現在、ヴァーラン──少なくとも聖大陸界では、ミドルネームを名乗るのを許されているのは、各領国の領王の4親等までと、セントラル帝国の帝王の10親等まで──ついでにセントラル帝国の帝王の4親等まではミドルネームを2つ持てる──だけだ。即ち、彼は王族またはそれに近しい上級貴族の嗣子ということになる。ついでにいえば男は伸ばせる髪の長さも身分によって決まっている。目の前の青年の髪は、だいたい胸の辺りまでだ。
ぎりぎりミドルネームを名乗れる上級貴族辺りか、見当をつけたところで、青年が続けた。
「──────そして、シェラフ領国王室第二皇太子。……もしかしたら、皇太弟って名乗った方がいいのかもしれないし勘当されてるかもだけど」
沈黙。
「…………はい?」
とルビアンスが聞き返したのに次いで、アリーが飲んでいた牛乳を若干吹いた。
銀髪と漆黒の目──シェラフの王族にのみ受け継がれる特徴の組み合わせ──、という辺りからなんとなく予想はしていたナサだけが辛うじて平静を保っているように見える。一方どう返せばよいか判らない2人を待つことなく、青年が密やかな声を漏らす。
「…………悪魔王、っていうのは、知ってるよね?」
「それくらいは私も知ってる。魔界2大陸全域を統治する邪神の使徒」
アリーが言う。どうやら領国によって伝承の仕方が若干違うらしい、そうは思ったが思い浮かべている対象は一致しているようなので続ける。
「100年前、……150年前からの方がいいかな。ヴァーラン史に詳しい人はもう知ってることだろうけど。────長らくセントラル帝国の植民地となっていたシェラフ──当時は『第1分割占領領域』って名前だったみたいだけど──で、植民統率官と開拓民、先住民が一体となって、本国からの不当な扱いに対して蜂起した。共同で厳しい訓練に励み、軍人・兵士階級だけでなく一般市民も武装してセントラルのレギオンが派遣した鎮圧部隊を返り討ちにし、とうとう独立を勝ち取った。……その時の統率官の子孫が今のシェール家ね。あのセントラルに勝った領国、ってことで、他の領国はシェラフに攻め込んでこようとはしなかった……そして50年後、100年前、攻めてきた魔界軍に、平和ボケしたシェラフ軍は勝てなかった」
ここまでを一気に語った青年が、一息吐いて唇を舐める。
「……あの、何か飲みます?」
そう言って立ち上がったナサを制し、彼は、再び口を開いた。
「魔界軍は、僅か3日でシェラフセントラルとその東側一帯を陥落させた。……そして、当時の領王にこう提案したんだ。これから永久に、シェラフ領国王室の第二王子を悪魔王の後継者として差し出すと約束すれば、占領を中止すると。そして領王はこれを呑んだ。────そのことを、僕は、昨日初めて聞かされた。僕は逆上し、その場で父親を殺して東に逃げてきて……今に至る」
彼は、小さく微笑むと、表情を消して黙り込んだ。しかし、3人の視線を一身に受けて付け足す。
「……後悔はしてないよ。少なくとも父親を殺したことに対してはね。でも──まだ19歳の兄さんに重荷を背負わせてしまったことは申し訳なく思ってる。一言謝りたいけど……あれじゃあきっと、宮殿にすら入れないかな」
そう、と呟いたアリーが、抑揚の薄い声で問う。
「────じゃあアンタは、どうするつもりなの」
「…………悪魔王になるのを阻止する方法は2つ。神によって統治された聖域で死ぬか、神聖系の魔法や《三の神器》で在位中の悪魔王を殺すか。だから────《果ての蒼海》まで行って、そこで死のうと思ってる」
ナサは、ふと気になった疑問をぶつけてみることにした。
「逆に、悪魔王になる十分条件は何なんですか?」
少し首を傾げてから、青年がいらえを返す。 どこか冷たさを孕んだ静かな声には、よく聴いてみると恐れの色が含まれているような気がした。
「────それも2つ。聖域以外の場所で死ぬか、在位中の悪魔王と血盟の儀を交わすか」
彼が恐れているのはきっと、不可抗力のまま前者が起こることだろう。だからこそ、あんなにぼろぼろになってもなお抗戦を貫いたのだ。
静寂に満ちたリビングの中に突如、とん、という音が響く。アリーが空にしたコップをテーブルに置いた音だ。
「提案がある」
彼女の焦茶色の瞳が、青年を射抜く。
青年がアリーを見返す。怯えと諦観の同居したその双眸を見据えたまま、アリーは、とんでもないことをさらりと言ってのけた。
「────────悪魔王を、倒そう」
「………………え?」
「………………はい?」
青年とルビアンス、2人の声が重なる。声こそ上げなかったものの、ナサも静かに頭を抱えた。
「──え、ちょ、ちょっと待って」
困惑した声のまま、青年が割って入る。
「えっと、君が言ってるのは、今在位中の悪魔王を、倒す、ってこと…………?」
呆れたようにため息を吐くアリー。そして、無感情な声のまま毒の入った口調で吐き捨てる。
「だから言ってるじゃない。アンタって意外とバカなの?」
ナサは、その服の裾を慌てて引っ張った。
「…………ちょっとアリー、この人一応あれだよ?王族なんだよ?」
「本当のことを言っただけ」
悪びれることのない彼女の様子に、今度はナサがため息を吐く番だった。その後そっと青年の表情を伺うが、彼の表情に変化は見られない。微笑みを保ったまま、彼が言う。
「別にそんな気を使ってくれなくてもいいよ。……実際、学院の成績も下から数えた方が早かったし」
再度の静寂。ナサは、今一度青年を見返して問うた。
「…………あなたは、どうしたいですか」
青年が視線を下に落とす。膝の上で握られた2つの拳が、途端にきゅっと強張る。
「………………僕は」
その唇が微かに震えた。ひきつったような乾いた声が零れる────しかし直後に発せられた言葉は、彼自身の意志が込められていることを示すかのように、まっすぐとした芯を伴って響いた。
「僕は、生きたい。…………自分じゃない者として生きていくのも、運命に振り回されて死ぬのも────僕は、ごめんだ」
「じゃあ決まりでしょうよ。私は……悪魔王を、この手で倒してみせる」
抑揚の薄いアリーの声は、かつてないほどに決然としていた。はいはいはい、とやや軽さを持った声と共に挙手したのはルビアンスである。
「じゃああたしも行くー。悪魔王倒したら賞金出るかな?」
妹の考えの浅さに、ナサは思わず頭を抱えた。
「あのねえアンタ、自分が何言ってるか解ってんの?いつもの学生騎士団の試合とは違うんだよ?殺されたら死ぬんだよ?だいたいアンタはこの3人の中で1番弱っちいじゃないのよ」
「それ言ったらアレじゃん、お姉ちゃんだってそんな強くないじゃん」
「そりゃどっちかってったら私は治癒とかの補助専門だからね」
突然勃発した姉妹喧嘩に、青年が呆気に取られた顔で固まっている。やめなさい2人とも、とアリーが割って入り、ようやく大人しくなった。
「────で、どうすんの、ナサ?」
アリーの問いに、ふと黙り込むナサ。そのまま1分、2分と時間が過ぎていき────、
「…………わかった。私も行く」
3分、とアリーが数えたところで、そう呟いた。
なんだ結局お姉ちゃんも行くんじゃん、と言ったのはルビアンスだ。青年が慌てた様子で言う。
「え、あの、…………ごめんなんか」
何に対して謝っているのか判らない。判らないので聞き流すと、そこで思い出したとでもいうように、ナサは何でもないことのように告げた。
「そう言えばさ、アリーにルビー、1ヶ月くらい前に、18歳になってないけど年齢制限破って医師免許試験受けたって言ったじゃん」
「ゆってたね」
とは返すものの、ルビアンスはいきなり何を言い出すんだという表情をしている。アリーが続きを促した。
「それで、言うの忘れてたけど、さっきその結果が届いたのね」
アリーは、どうだった、と訊く。今まで無感情だった彼女の声に、若干期待の色が混じった気がした。
「うん、なんか、合格者成績1位だったみたいで、免許取れました。まだ17歳だけど」
「………………は?」
2声がシンクロした。ルビアンスと、ずっと黙っていた青年である。アリーだけは、おー良かったね、と通常運転だ。
「だからさ、言っちゃえば、もう学院に通う意味がないんだよね」
「…………それを言いたかったのか」
意を得たようにルビアンスが頷く。じゃあ決まりね、とアリーがその場を締めにかかった。
ずっとアンタ、と呼んでいた青年を見上げ、問う。
「────ねえ、なんて呼べばいい?」
「んー、…………」
青年が首を傾げて黙り込んだ。本気で1分は悩んだ後、微かに笑って言う。
「────じゃあ、レイ、で。さんとかくんとかいらないから、呼び捨てでいいよ」
「様、殿、殿下」
手を挙げ、ほとんど嫌がらせのように言ったのはルビアンスだ。レイが心の底から嫌そうに顔をしかめる。
「………………もっとやめて」
「あ、そうだ、じゃああたしだけほかの2人より名前長いから、略してルビーって呼んで」
わかった、と、レイが首肯した。そして、ナサに向き直る。
「…………ナサ、だっけ。別に、敬語とか使わなくていいよ。あんまり堅苦しいのは好きじゃないから」
「ん」
ナサが頷く。そしてにこりと微笑み、右手を突き上げて宣言する。
「そいじゃ、悪魔王討伐、頑張りますか!」
それに対してあとの3人が、おー、と追随した。
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