出逢い
鬱蒼とした林、足場のほとんどない泥道を、1人の青年が疾走している。
長身痩躯、銀髪白皙の美しい青年だ。しかし、1つにまとめられた白銀の長髪は赤黒く変色した血で染まり、身にまとうモノトーンの軍服と僅かに露出した肌も、傷にまみれて見る影もない。
革靴やズボンに泥がはねるのも構わず、彼はひたすらに走り続ける。どれだけ進んでも、後方の6人の気配は消えない。傷さえ負っていなければ引き離すのは容易だろうが、右肩と左大腿に深手を抱えている今は、距離を縮めさせないようにするのが精一杯だ。
────その時、疲労と出血で霞む視界の中に、彼の予想になかったものが現れた。
少女が3人。1本の木の前に立ち止まって何やら話している。彼女たちのうち2人は金髪、のこる1人は茶髪。それを考えると、隣国・アンズロードの領民だろうか────。
まずい、と、彼の思考を一瞬の躊躇が横切った。無関係の人間を巻き込む訳にはいかない。しかしどうすれば────。
その僅かな逡巡を、追っ手は見逃してはくれなかった。
背後で魔力が膨張する気配。振り返った途端に視界に入った劫火に、反射的に身を転がす。果たして炎は彼の左腕をを掠り、奥に立つ木々を呑み込んで大きく燃え上がった。
新たに開いた傷口を押さえながら身を起こす。炎の上がる方向に目を向けて、さっきの少女たちが無事なことを確認すると、ほっと安堵の息を吐いた。
腰に下げた砲剣を鞘から抜き、木の根に突き立ててふらつきながらも立ち上がる。後から追いついた《暗黒の光明》の軍人階級5人が、手負いの青年を取り囲んだ。
5本の砲剣が、一斉に彼1人に向けられる。
そして、──全くなんの前触れもなしに、しかしよく連携の取れたタイミングで、色とりどりの魔力の砲弾が、太い光の束として彼を襲う。
避けようと動けば攻撃が当たる。何もしなくても、直撃をまともに受けて死ぬ。しかし──魔力が発射されてから直撃までは、5秒近くも時間があった。
彼にとってみれば、3秒でも長い。
「カタスティ・イズ・ウェッジ────」
力の入らない手で、懸命に砲剣を構える。
「────オー・マギア!」
血濡れた剣先が、迫りくる魔力の表面を薙ぐ。撫でられた多彩な光が、彼の鼻先で固まり────薄いガラス細工のように儚く砕け散った。
彼の細い体が、後方にふらりと傾く。攻撃を防がれたことに対して呆然と固まっている軍人たちを睨みながら、視界の右手に渦巻く炎を捉えて右腕を振って小さく唱えた。
「ガイア・イズ・ウェッジ────オー・アクア」
虚空から、ふと水の塊が生み出される。水の球体はひたすら膨張を続け、音もなく破裂して炎を鎮め、それ自身も蒸発して消えた。
一気に魔力を消耗した青年が、激しく咳込んで大量の血を吐き出す。
そして──口許の血を拭って顔を上げた彼は、目の前の光景に息を呑んだ。
追っ手の1人、隊長格の男が、羽交い締めにした誰かの喉許に砲剣の刃を当てている────ツインテールにした金髪、恐怖に見開かれた深紅の瞳、ほっそりとした体を包むゴスロリ服。間違いない、さっきの少女たちのうちの1人だ。
「民間人を……関係のない人を、巻き込むな」
「ならば──投降しろ」
男が、冷やかな声で告げる。その周りを取り巻く男たちが構える砲剣の先は、揺れることなくぴたりと青年に据えられている。
ここで死ぬ訳には────捕らえられる訳にはいかない。しかし、無関係な彼女たちを巻き込むこともしたくない────。
戦うしかないか、と心を決め、砲剣を握り直す。相対する男を睨み、呪文を唱えようと口を開き、
────右手を固めていた男2人が、いきなり後ろに倒れた。
予期せぬ出来事に、残りの男たちも、そして彼自身も同様を隠せない。呆然とする彼らの前で、半袖のセーラー服を着た小柄な少女が、倒れた2人を跨いで進み出てくる。彼女が握る砲剣は、苛烈な炎を思わせる緋色だ。
彼女の静かな茶色い双眸が、冷たく男たちを睥睨する。
「──その子を返して」
少女1人が放つ気迫に圧されたか、人質を取る男が1歩退く。思わずつられて砲剣を下げた彼の肩を、誰かがそっと触れた。
「────ッ!!」
弛緩しかけていた右腕が跳ね上がる。ほとんど音を立てず後ろを振り返り、血に染まった剣先を突きつける────。
そこに立っていたのは、金髪をポニーテールに束ねた碧眼の少女だった。彼女の細く白い指が、喉許まであと少しのところで彼の剣先を押し留めている。
その人差し指の腹から、一筋の血がつっ、と垂れた。
「……あっち、向いてて下さい。あの人たちに気付かれたくないので」
ごくりと唾を呑み込み、その言葉に従う。彼女の口調には、穏やかながらも逆らえない不思議な凄みがあった。
彼がもたれる木の陰に立ち、少女は淡々と囁く。
「……さっき水を出したの、《創造》の魔法ですよね?それで──槍を1本、創ってくれませんか」
戸惑う。彼女の要求の意図がよく見えない。沈黙を保つ彼に、少女が畳みかけた。
「お願いします……あの子の使ってる武器が、槍なんです。時間は私の友だちが稼いでくれてます。魔力がそこまで足りないのなら、長さがあればただの棒でもいいです。だから──どうか」
彼は、長く息を吐いた。何も持っていない左手で虚空を掴み、密やかに呟く。
「ガイア・イズ・ウェッジ────オー・ランス」
彼の手中に、銀色に輝く棒が現れた。それが両端に伸長し、鋭利な穂を形作っていく。反対側が柄に変化し始めたところで、突如魔力が切れたらしく、槍の形成が止まった。
木陰の少女を振り返り、強張る手でそれを差し出す。少女は安堵の表情で槍を受け取り、しっかり握りしめると、未だ対峙の渦中にある他の少女2人と男5人──さっきやられた2人は復活していた──の方へ向き直り、
「────ルビー!!」
叫んで、槍をぶん投げた。
羽交い締めにされていた少女が、はっと空を見上げる。彼女が何か呟いたかと思うと、直後、槍はその手中に収まっていた。
少女の手許が一閃する。彼女を羽交い締めにしていた男が後ろへ突き飛ばされ、そこに茶髪の少女が斬り込む。木陰に隠れていた少女も2人の治癒に回り、場は大混戦の様相を呈し出していた。
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