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英雄の処女たち Ⅰ ─運命の覇者─  作者: 遠野 葉月
序章
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序章 日常 ─シェラフ─

 石壁の隙間から漏れた水滴が、ぽたり、と床へ落ちる。


 どこからか入り込んでくる冷気に撫でられ、壁の松明の炎が微かに揺れた。錆び付いた鉄格子が耳障りな悲鳴を上げる。


 宮殿地下にある、今はもう使われていない重罪人用の牢獄。冷やかな空間の中に、金属質な足音が2人分、反響して消えていく。


 そのうち1人は、精悍な体つきの若者だった。身にまとうのは、レアル・ギルドレギオン《暗黒の光明(ダークレイライト)》の制服。肩章が示す階級は上級兵士だ。その口許が、彼の不機嫌を表すように歪んでいる。


 彼は、背後を歩くもう1人を振り向き、感情を押し殺して問うた。


「……殿下。何故、このような場に来ようとなさったのですか」


 彼の掲げるランタンの光が、「殿下」の姿をおぼろげに浮かび上がらせる。


 年の頃は20歳に少し届かない程度か、美しく端整な要望は、僅かな幼さと多分の女らしさを孕んでいる。人生の全てに退屈したような表情の中で、漆黒の双眸だけが鋭い光を放っていた。


「んー、……」


 殿下、もとい青年が、小さく首を傾げる。甘やかさと冷たさが同居した落ち着いた声音が、兵士の耳朶を打つ。


「強いて言えば、暇潰し……かな?」


 自分の歯がぎりっと鳴ったことを、兵士ははっきりと自覚した。


 10年前、領王にこの青年──当時は少年だったわけだが──の護衛を命じられた時は、簡単な任務だと高を括っていた。対象が成人するまで勤め上げれば、二階級の、即ち下級騎士への特進を約束する、その領王の言葉に、自分は運の良い人間だと思いもした。当時の彼の主は、常に何かの病で臥せっているほど病弱で、自らの力だけではベッドを出ることすらできなかったのだ。


 そんな追想をしていると、前方に大きな鉄扉が現れた。兵士は、懐から鍵の束を取り出すと、そのうちの1つを目の前の鍵穴に差し込んだ。


 厚く重い扉を、両腕の力を使ってやっとのことで動かす。完全に開くと、青年に外に出るように促してから再び施錠した兵士は、主の横顔にふと目を凝らした。


 高い位置で結んだ長い銀髪が、冬の柔らかい陽光を控えめに反射している。その前髪の奥に見える瞳には、さっきは見いだせなかった憂いが含まれているようにも思えた。


 ────と、その時、青年の名を呼ぶ声。それを聞いて、兵士は訝しげに眉を寄せた。彼の主を名前で、しかも呼び捨てで呼べる人物はかなり限られている。


 そこで思考を止め、声のした方へ目を向け────兵士は、反射的にその場に跪いていた。


 やや褐色の肌、男らしい雰囲気の端整な顔立ち、腰まで届く長い白銀の髪。ほとんどその姿を見ていない兵士がここまで詳しい見た目を説明できるのは、何度も国政の場で目にしているからだ。


 シェラフ領国王室第一皇太子、そして領王の座の後継者。国政では領王を凌ぐほど優れた意見を出すこともあり、やや気が短いのが玉にキズだが、それを補って余りあるほどの人望を集める。その上領王のお気に入りとあっては、そんな人間の気分を損ねたらと考えるだけでも恐ろしい。


 兵士は、微かな苦笑と優越の混じった声が、自分に注がれるのを聞いた。


「……面を上げろ。だいたい、俺ごときに対してそこまでかしこまる必要もない」


 どう返せば良いか解らずに黙って立ち上がった彼のすぐ後ろで、ぽそぽそとした呟き声が、兄さんはごときじゃないよ、と反論する。そればかりは主に賛成だ、と感じながら、兵士は第一王子の顔を見返した。


 第一王子が、口許に微かな笑みを浮かべて告げる。


「弟の護衛、ご苦労だったな。この後父上が、こいつに用があるそうだから、あとは俺に預けてくれ。お前は、もう今日は休んでいい」


「は……いえ、しかし」


 第一王子の言葉は嬉しいが、主の護衛は彼の任務だ、たとえどれだけ嫌でも、領王に任を解かれない限りはそれを放り出すわけにはいかない。


 その様子を見た第一王子が、思い出したように付け足す。


「────ああ、俺の独断じゃないぞ。父上の指示だ」


「…………わかりました」


 もう一度深く頭を下げ、兵士がその場を立ち去る。その姿が完全に見えなくなってから、青年────第二王子は、自らの兄に向けて問うた。


「────それで、兄さん、どうしたの」


 第一王子が、深いため息を吐く。


「……ったくお前は毎度のごとく人の話を聞いてなかったのか父上が用だと言ったはずだが」


「やだ」


 即答である。逃亡を図りじりじりと距離を取る彼の腕をがしっと掴み、第一王子は、彼を引きずるようにして歩き出した。


「────で、今度は何やらかしたんだお前」


 半ば呆れたような、決めつけのような口調で第二王子を詰問する。その脳裏には、過去に弟が犯した数々の失態があった。


 第二王子が、ふるふると首を振る。


「……な、何もないって。最近は大人しくしてたもん」


 本当かよ、と吐き捨てるが、その目には弟への労りがありありと浮かんで見える。明日成人するといってもまだ子供だ、そんな年頃から外交や式典への出席を押し付けられる負担は、同じ道を通ってきた第一王子が1番よく解っている。


 その時、第二王子が小さく「……あ」と声を上げた。兄が彼をじろりと睨む。


「……どうした」


 第二王子は、暫くあー、うー、と唸っていたが、やがて上目遣いになって問うてきた。


「あのね兄さん、怒らないで聞いてほしいんだけど」


 この時点で嫌な予感を抱きながら、無言で続きを促す。


「こないだの外交で、酔って相手に水ぶっかけちゃったかもしれない」


 広大な庭園に、第一王子の盛大なため息が響き渡った。



 ────これが、クアントレ宮殿の日常。



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