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怪奇探偵司馬衛司  作者: 有井静亮
ケースⅠ:『マンションの赤ずきん』
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ケースⅠ:『マンションの赤ずきん』――第三話――



 二日前 六月十八日 深夜二時ごろ――



 エレベーターに乗り込んだ瞬間、衛司は理解した。なるほど、自分は歓迎されていないらしい。左右の鏡を見て、気を引き締める。彼は腕に力を込める。背後と左右の鏡に拳を叩き込んだ。鏡が粉々に砕け散り、床に破片が散らばる。

「さて、俺を殺せるもんなら殺してみな、化け物」

 そう言い、衛司は不敵に笑った。



 ――やけに空気がひんやりしている。



 赤ずきんの部屋に入った瞬間、そう思った。部屋全体に暗闇が満ちていて、先はまったく見えない。廊下をゆっくり進んでいく。リビングのドアは閉まっていた。慎重に開ける。

「やっぱりな。そこにいたわけだ」

 リビングの中心に、京香が横たわっていた。浅く寝息をたてている。外傷は見られない。よく見ると、薄く青い光を発している。

「幽体離脱して正解だったぜ」

 衛司は独白する。その目は油断なく周囲を探っていた。

「しかし、いちいち幽体離脱しないといけないのは、面倒極まりないな」

 そう言いながらも、衛司は手を休めない。京香に触れ、異常がないか確かめる。豊かな胸元に頭を当てる。心臓は確かに脈打っていた。柔らかな胸の感触が伝わる。

「……まあ、これぐらいはいいだろう」

 顔を赤らめ、頬を掻く。衛司は京香を抱き起こした。

 その時――

「置いていけ……」

 背後から濃厚な殺気を感じる。だが、衛司は慌てない。京香を優しく横たえ、さっと振り返る。その目に敵意を宿し、体全身に闘志をみなぎらせる。

「赤ずきん」が立っていた。赤いフード付きのジャンパーを目深に羽織っている。顔は見えない。身長が極端に低かった。事件当時のままなら、小学一年生の平均身長より十センチ以上小さいだろう。

 病的なまでに痩せた体を左右に揺らしながら、赤ずきんはゆっくりと歩く。ドアの前に立っていたが、部屋の隅へと移動した。右手を挙げ、衛司を指差す。酷くしわがれた声がフードからこぼれる。

「……その娘を置いていけ……」

「やだね。こいつは俺のものだ。だれにもやらねえよ」

 衛司は歯を剥き出しにして笑った。中指をたてて赤ずきんを挑発する。

「いつまでガキの後ろに隠れてるつもりだ? 臆病者め、恥を知れ」

 怒りを滲ませ、衛司はなじる。瞬間、赤ずきんの姿がぶれた。赤ずきんの体が薄く光り出す。赤黒い光だ。赤ずきんの影が床から起き上がった。まっすぐリビングに出現した影は、やがて人形をかたどる。

 影は女に変わった。髪を背中の中ほどまで伸ばしている。黒髪には白髪が交じり、その顔には深々と皺が刻まれている。歳は三十代半ばぐらいか。疲れ果てたその様子から、四十代にも見える。

「……なぜ、わかった?」

 女はしわがれた声で問う。背筋が凍るような威圧感があったが、衛司は一歩も引かない。不敵に笑ったままだ。

「最初からだ」

「なに?」

 女は目を見開く。衛司はにやりと笑った。

「真相はこうだ。十年前、あんたは夫を殺し、娘を傷つけ、自らも命を絶った。だが、あんたは怨霊となってこの部屋に留まり続けた。夫はあっけなく逝っちまったが、娘は生き霊となった。そうして、あんたらは成仏できずに何年もこの場に居座り続けた」

 そう言い、衛司は深呼吸する。女と赤ずきんは黙り込んでいた。

「ある日のことだ。十年以上経ってから、この部屋に人が住むようになった。自ら死を選びながら、未練がましくもあんたは生を求めた。入居者に取り憑き、その身を乗っ取ろうとしたんだな」

「ああ、そうだ。私は生きたかった。あんな男やこの子のせいで、私は人生を棒に振ってしまった! だから、新しい人生が欲しかった!」

「だが、残念ながら失敗した。無理もない。体を乗っ取るってのは荒業だからな。あんた、こう思ったろ? こいつを殺せばいい、包丁でのどを突いて殺してしまえ。だが、肉体の死は魂の死だ。魂は健全な肉体に宿る。死体には宿らない。あんた、自分の手で器を壊しちまった。だから毎回毎回失敗したんだ」

「だが、今度は失敗しない」

 女は笑う。だが、その笑みもすぐに消えた。衛司の鋭い視線が女を黙らせたのだ。

「あんた、そうして五人も殺した。そのうえ、その後やって来た女に取り憑こうとした。だが、致命的なミスだったな。こいつはな、ちょっとばかし特殊だ。取り憑かれたものの、あんたを追い出した。まあ、反動で幽体離脱に陥ったようだが」

「この娘はなんだ? 私は殺そうとした。だが、触れることさえできない」

「まあ、知らんでいいよ。あんた、この後死ぬんだから。良かったな、やっと成仏させてやるよ」

「ふ、ふざけるなああああああ!」

 瞬間、女が怒鳴り声を上げた。見ると、右手に包丁を持っている。包丁は血で濡れていた。禍々しい邪気をまとっている。

「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねええええええ!」

 包丁を振り回し、女は衛司に迫る。その目は鋭い。明らかに人間的な「なにか」が欠けていた。幽鬼めいた表情で、女は殺意を振りまく。包丁が鈍く光った。

「はあ、できるだけ優しくしてやるつもりだったのになあ……」

 衛司はいかにも残念そうな顔を浮かべる。その顔に向かって、女は包丁を振り落とした。

 その瞬間、衛司は動いた。女の手首を掴む。と同時に足払いを仕掛ける。女の体が宙を舞った。裂帛の気合いが放たれる。鈍い音をたて、女は床に叩きつけられた。呻き声を上げる女。その顔を衛司は引っ掴む。

「邪気退散!」

 言下に、部屋中に光が満ちた。衛司の手のひらから、まばゆい光が生じている。光は女を呑み込んでいく。断末魔の悲鳴が室内に満ちる。だが、それもわずかな間だった。

 女は次第に消えていく。その体が淡い光を放つ。女は緩やかに輝く粒子に変わっていった。苦悶の叫びもやがて途絶える。ついに、女は完全に消滅した。

「ふう、手間かけさせやがって」

 衛司は手をはたいた。呼吸を整え、京香に近づく。優しげに彼女の顔に触れる。衛司は愛しそうに京香を眺めた。

「まったく……無茶しないでくれよ……」

 衛司は京香の顔を撫でる。目尻からあご先まで、ゆっくりと、優しく、まるでその存在を確かめるかのように。やがて、衛司は名残惜しそうな顔をしたが、その場を去ることにしたようだ。彼女を抱き上げ、部屋を出て行く。

 扉を開け、通路に出た。エレベーターが見える。すると、衛司はなにを思ったのか、振り返ってリビングを見た。

 暗闇に包まれた廊下の向こう、リビングに通じるドアの前に、赤ずきんは立っていた。暗闇とフードが彼女の顔を隠している。いったい、どんな表情をしているのか。それを知ることはできない。

「……きみはどうするつもりだ? いや、どうしたい?」

 穏やかな笑みを浮かべ、衛司は尋ねる。すると、少女は顔を上げた。両手を挙げ、フードを上げる。衛司は目を見開いた。

「■■■……■■■■……」

「……わかった。少しだけ待っててくれ……」

 衛司は神妙な顔つきで頷く。少女の言葉を聞き、なにかを決意したようだ。その澄んだ黒い瞳に強い意志を宿している。

 衛司は赤ずきんに背を向け、エレベーターに向かう。静寂に満ちたマンションの廊下に足音が反響する。ふと、衛司は空を見上げた。天高く月が輝いている。穏やかな月光が衛司と京香を包んでいた。

 衛司はエレベーターのボタンを押す。ドアが開き、それに乗り込む。

 そして、ゆっくりとドアが閉まった。



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