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怪奇探偵司馬衛司  作者: 有井静亮
ケースⅠ:『マンションの赤ずきん』
2/5

ケースⅠ:『マンションの赤ずきん』――第一話――



 ――夢を見た。



 女の子が泣いている。赤いフードを被った女の子だ。顔は見えないけど、フードの向こうからすすり泣く音が聞こえてくる。

「■■■……■■■■……」

 なにかを言っている。わからない。耳に届いているはずなのに、なにを言っているのかわからない。

 暗い部屋の中で、少女はいつまでも泣き続けていた。



 六月二十日 午前八時ごろ――



「起きろ、寝坊助。いつまでも惰眠貪ってんじゃない」

 不意に、頭に鈍い痛みを感じる。私は顔をしかめた。ゆっくりと起き上がる。目をこすった。目を開ける。視界はぼやけていて、よく見えなかった。

「まったく、ぼんやりしやがって。おまえのせいで痛い目に遭ったんだからな。責任とってもらうぞ」

 ぼやけた視界の向こうから、聞き慣れた声がする。私はまた目をこすった。ようやく視界がしっかりしてくる。見ると、司馬くんがいた。

「……司馬くん?」

「その様子だと、なにもかも忘れているようだな。はあ、いったい俺はなんのために……」

「まあ、そう責めるな。彼女に悪気はなかったのだから」

 呆れ果て、私を責める司馬くんを所長がなだめる。所長はいつもどおり、椅子に座ってコーヒーを愉しんでいた。司馬くんは不満そうに鼻を鳴らす。

「しかし、あれだな。偽善者ってのがいかに厄介か、身に染みたぜ。ああいう奴が世の中にのさばってるのかと思うと、俺は反吐が出るね」

「そう言うな。人間、みんながみんな私やきみのように強いわけではない。無論、京香くんのように優しいわけでもない」

「俺は自分が強いと思ったことはないんだが?」

「そうだな。強くありたい……そう思って頑張っているのがきみだったな」

 所長はそう言い、コーヒーをすする。司馬くんはため息をついてソファーに座った。

 私は話についていけなかった。なんの話をしているのだろうか。周りをよく見てみる。どうにも記憶がおぼろげだ。私はさっきまでソファーで眠っていたようだけど――

「あのー、なんかあったんですか? 私が寝てる間に」

「おまえには関係ない話だ。いいから寝てろ」

「さよう。テレビでも見ておきなさい」

 二人そろって私の質問に答えない。きっと、言いにくい話なんだろう。二人とも、異常と言えば異常な人間だけど、悪人じゃないから。私を思ってくれているんだろう。私はそう思うことにした。言われたとおり、テレビでも見ておこう。テレビをつける。



 ――先月から続いている天城マンション連続不審死事件ですが、捜査は一向に進展していないようです。昨夜、三雲署の八重樫警部が事件に関する記者会見を開きましたが、依然として不気味な事件は尾を引くことになりそうです――



 時間は少しさかのぼり――



 三日前 六月十七日 午前十時ごろ――



「で、これはいったいどういうことだ?」

 黒装束の青年、司馬衛司はそう問い詰める。所長はただ黙って微笑を浮かべていた。二人はソファーに座って顔を合わせているが、その間には一人の少女が横たわっている。日に焼けて、健康的な褐色の肌を持つその少女は、まるで眠れる森の美女のようだ。寝息こそたてているものの、静かに眠っていてぴくりとも動かない。

「眠っている京香くんをかわいいとか思ってるんじゃないか?」

「冗談言ってる場合か?」

「今ならなにしても怒られないぞ」

「げすいこと言ってんじゃねえよ」

 二人は会話を交わすが、その目は京香に向けられている。穏やかに眠っているが――

「魂が体に入ってないな。幽体離脱か?」

「まあ、そう考えた方がいいな」

「なにがあった?」

 衛司の問いに所長は答える。

「きみは『マンションの赤ずきん』を知ってるか?」

「ああ?」



 その都市伝説は、怪談の語り口を排除して語るならば、実に単純な話だった。



 三雲市のとあるマンションに引っ越してきた青年、Sはある悩みを抱えていた。それは、常に赤いフードを被っている少女、赤ずきんのことだった。赤ずきんと頻繁に顔を合わせるSは、赤ずきんが持つ不気味な空気を忌み嫌い、その存在を疎ましく思っていた。

 ある日、Sは赤ずきんの母が赤ずきんを虐待している場面に遭遇してしまう。赤ずきんが被っているフードは、赤ずきんの虐待の証を隠すためのものだった。赤ずきんはSに助けを求めるが、Sは恐れをなしてその場を去ってしまう。

 翌日、Sがマンションに戻ると、赤ずきんの母が無理心中をし、夫と娘を殺害、自らも命を絶っていた。だが、不可思議なことに、父と母の遺体は発見されたが、娘の赤ずきんの遺体は発見されなかった。明らかに致命的な量の血痕だけ残し、赤ずきんは姿をくらましてしまったのだ。

 その晩、罪悪感に駆られながらも、結局は赤ずきんが悪かったのだと、責任転嫁したSのもとに赤ずきんが訪れた。彼女はベルを鳴らし、扉を開けるよう迫った。だが、Sは開けず、意味のない言い訳を繰り返した。すると、少女は扉を開け、Sに迫り――。



「で、どうなったんだ?」

「さあな、話はここで終わりだ。おおかた、Sは赤ずきんに呪い殺されたんだろうよ」

「いい加減な話だな。語り手の力不足がはっきりしてるよ」

「そう言うな。たいていの噂話はそんなものだ」

 二人は話しながらコーヒーをすする。衛司は話を聞きながら、細かくメモをとっていた。

「つまり、あれだな。こいつはこの噂話を聞いて、愚かにも真相を暴こうとしたわけだ。んでもって、仕舞には呪われて魂を持ってかれちまった。そういうことだろ?」

「大正解だ。相変わらず勘が鋭いな」

 所長は手を叩いて衛司を賞賛する。衛司は顔をしかめた。

「まったく面倒くさいな。こいつ、少しは自重しろってんだ」

「さようだな。しかし、このままほったらかしにはしておけん」

「はあ、またただ働きかよ……」

 そう言い、衛司は深々とため息をついた。



 三日前 六月十七日 正午ごろ――



 八重樫克也にとって、司馬衛司は疫病神だった。というのも、彼が八重樫の弱みを握り、八重樫をいいようにこき使うからである。

 その日も、八重樫は衛司に呼び出されていた。街のほぼ中央にある、人通りの多い公園。そこに来て、八重樫は我が身の不運を嘆いた。

「遅い! 遅いぞ、八重樫! カップラーメンが五個できるわ!」

「はあ、なんだって俺はこんな目に……」

 八重樫は頭を抱えながらベンチに腰を下ろす。隣に座っている衛司は、明らかに機嫌が悪そうである。歯を剥き出しにしながら、せんべいをバリボリと噛み砕いている。

「頼んでたもの、さっさとよこせ」

「はいはい」

 八重樫は手にしていた資料を衛司に渡す。衛司は礼も言わない。さっさと封を開け、資料に目を通し始める。

「今度はなにに首を突っ込んでるんだ?」

「おまえの尻ぬぐいをしてるんだよ」

「はあ!」

 八重樫は声を荒げた。目くじらをたて、衛司に詰め寄る。

「てめえ、人が黙ってればいい気になりやがって!」

「最近起きてる連続不審死、あれの原因だ」

「はっ?」

 思わぬ一言に、八重樫は目を丸くする。衛司は鋭い目で八重樫を見た。

「この事件、生き残った女の子は今どこにいる?」



 三日前 六月十七日 午後三時ごろ――



 扉を開け、衛司は部屋の中に入った。いまだに京香は眠り続けている。幸いにも、容態は悪くなさそうだ。顔色もいい。ただひたすら眠り続けている。

「八重樫警部からはなにか情報を得られたか?」

「ああ、もらってきたよ。あいつ、有能なのか無能なのかわからんな……」

「まあ、そう言うな。神秘絡みの事件を常人が解決できるわけがなかろう」

 衛司はソファーに座り、資料を取り出した。「天城マンション一家無理心中事件」と題されたその資料を、衛司は所長に手渡す。所長は受け取ると、早速目を通し始めた。

「今から十年前のことだ。天城マンションの最上階、十階に住んでいたある家族で陰惨な事件が起きた。母親が無理心中を図ったんだ。父親と娘が包丁で刺され、母親も自分ののどを突いて自殺した。父親はそのまま死亡。娘はかろうじて一命を取り留めたが、今なお意識が戻らず、植物人間となっている」

「事件の概要はそのようだな。細かいところを教えてくれ」

「第一発見者は隣人だ。彼は、自分の家の前で倒れている少女を見つけた。少女の出血は酷かったが、息はあった。隣人はそのまま救急車と警察を呼んで、娘はどうにか助かった。だが――警察が少女の家に入ってわかったことだが――父親と母親は息絶えていた」

「なるほどな。『マンションの赤ずきん』の原典はその事件か」

「生き残った少女が赤ずきんで、隣人がS、ってことだな」

「『現場から消え失せていた赤ずきんの遺体』は、『少女が母親から逃げて隣人の家の前で倒れていた』ことが、基になっていると見て間違いない」

「無理心中の理由は生活苦だ。かつては仲のいい親子だったようだが、父親が痴漢の冤罪で仕事を追われてからは一変したらしい。父親はショックで体調を崩したあげく、末期ガンを患っちまったようでな。精神に異常をきたして鬱状態に陥ったらしい。母親も酷いもんだ。夫の不祥事のせいで迫害をこうむったようで、精神を病んじまった。世間を憎むようになって、そのくせ怒りを発散できず、仕舞には娘を虐待するようになった」

「両親ともに自分のことで手一杯になった。父親は迫り来る死を前に為す術なく、妻の虐待を止めることもせず、いや、止めようともしなかったのか。母親は母親で気が狂って、娘を虐待。自分のどす黒い衝動を思う存分発散したようだな」

 そう言う所長の顔は暗い。苦虫を噛みつぶしたような渋面を浮かべている。

「しかし、酷い話だよな」

「ん?」

 衛司は頭を掻きながら話す。その顔にはくっきりと怒りが浮かんでいた。

「赤ずきんだよ。かわいそうだと思わないか? 実の母親に殺されかけて、十年間も意識不明なんだぜ」

「まあ、同情はする。だが、だからといって人を殺していいわけではない」

 そう言いきり、所長は机からなにかを取り出した。見ると、大きめの封筒だった。衛司は封筒を受け取り、中を見た。いくらかの資料が入っている。

「私も自分なりにいろいろ調べたんでな」

 所長がにやりと笑った。



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