初めての一人暮ら……え?
◆帆風夜疾視点◆
「じゃあ母さん俺そろそろ行ってくるから、だからさ……」
「イヤ!イヤよ!夜疾ちゃんはお母さんとずっと一緒なんだからっ!わざわざ遠くの高校なんて行かなくていいわ!」
玄関で靴を履けたは良いが、背後から母さんにガッチリとホールドされてしまい、俺は身動き一つ取れない状況に陥っていた。
「母さん……俺ももう子どもじゃないんだからさ、そういうのはやめた方が……」
「ーー貴方!夜疾ちゃんが反抗期になっちゃったわ!うわーん、どうしようっ!」
俺の背中に顔を埋めた母さんが「イヤイヤ!」と涙を流して首を横に振る。
(これは困ったなぁ……)
中学三年生の夏休みが始まる前には、高校生になったら東京へ一人暮らしをする事を両親に伝えていた。その時は母さんも快く承諾してくれていたはずだったんだが。
(やっぱこうなっちまうか……)
母さんは俺の事を随分と溺愛している。俺がいなくなる実感を覚えたのか、東京へ行く事を今になって猛反対し始めたのだ。
とーーそこへ救世主のご登場。筋肉親父が奥の部屋からドスドスと足音を鳴らしてやって来た。
「父さん良いところに!母さんが全然離れてくれないんだよ!」
親父は「任せておけ夜疾。俺が今助けてやる」と頼もしい事を言って母さんの肩に手を掛けた。
(よしっ、これでやっと動けるぞ!)
そう思ったのも束の間ーー
「叶、夜疾が困っているだろう?さあ、早くそこを変わってもらおうかっ、夜疾は俺のもんなんだぞっ!」
「お前もかよっ!?」
思わず素で突っ込んでしまったではないか!
(ダメだこの親バカ過保護ペアレンツ!早くなんとかしないと……!)
「ちょっと父さーーギャアッ!?」
「貴方!?夜疾ちゃんを殺す気なのっ!?」
親父に締め上げられた俺の身体が、ミシミシと骨の髄から痛烈な悲鳴を上げる。
「うん?あ、ああっ?す、すまん夜疾!つい力が入ってしまったっ!」
親父から解放された俺は玄関に崩れ落ちて荒い息を繰り返した。
(あ、嗚呼……俺、ちゃんと生きてるんだな)
ーーパタッ………………。
「や、夜疾ぉおおおっ!!??」
「夜疾ちゃあぁぁぁんっ!!??」
気を失った俺を抱き上げ、二人は家中に響き渡る大絶叫を何度も繰り返すのだった。
「じゅあ本当に行くからね……」
「あ、待って夜疾ちゃんっ!」
ボロボロの身体でトランクを引き摺って外へ出ると、母さんが慌てて駆け寄ってきた。
(今度は一体なんなんだ……)
げんなりしつつも振り返って母さんに向き直る。
「こ、これっ、御守り作ったの!」
「え、御守り?」
母さんが差し出した御守りを受け取る。
その御守りは俺が小学生時代に見ていたテレビアニメ「二人はキュンキュン!ブレザー美少女戦士♡」に登場するメインのヒロインキャラが刺繍されていた。
「か、母さん……」
「夜疾ちゃんこのアニメ大好きだったでしょ?気に入ってくれると嬉しいなぁ!」
キラキラと瞳を輝かせて俺を見上げる母さん。
御守りを持つその手は針で傷つけたのか、指には幾つかの絆創膏が巻き付けられていた。
(うっ……だ、ダメだ!受け取れないとか絶対に言えねえ!)
「あ、ありがとう母さん。肌身離さず持っておくよ」
「良かった〜夜疾ちゃんは絶対気に入ってくれると思ったんだ〜!」
「あ、あはははは……」
受け取った御守りをズボンのポケットにサッとしまい込んだ。
忙しい時間の中で一生懸命作ってくれたのは素直に嬉しいが、このような低学年が観るようなアニメのキャラをカバンにぶら下げて持ち歩く訳にはいかない。
(あ、でもキュンブレザー戦士って結構面白いんだぜ?オタクの父親なら、娘と一緒に観る事を口実にして毎朝を楽しみにする事は間違いないとみた。「やっぱロリ最高!ハァハァハァ……!」って感じでな)
……ゲフンッ!失礼、話が変な方向に逸れてしまったので戻すことにしよう。
結局東京へ行く船が出る港まで付いてきた母さんと親父。
「夜疾、本当に忘れ物はないのか?」
「大丈夫だって父さん。もしなんかあったら送って来てよ」
「分かった!父さんという忘れ物を俺が送ってやるからな!」
「いらねえよっ!?」
「冗談だって冗談!」
ニヤリと気色の悪い笑みを浮かべる親父。
(あの……それは冗談に聞こえないんですが……)
「御守りをお母さんだと思ってね!寂しい時はちゃんと話しかけるんだよっ?」
「あ、う、うん……ありがとう、そうするよ……」
それからようやく船の中に乗り込み、俺は甲板に上がって未だ手を振りつつげている母さんと親父に対して苦笑して手を振る。
やがて船が出港し始めた。母さんと親父がどんどん小さくなるのを眺め、15年間過ごしてきた人工島の姿が目にめえなくなるまで見守り続けた。
(なんかこうやって見てたら不思議と感慨深いもんだ……)
しばらく舟べりにもたれ掛かってしみじみと青い空を見つめて黄昏ていたが、俺をめいいっぱい背伸びをして気持ちを入れ替える。
「さあっ、今日から俺は一人暮らし!可愛い女子高生を家に上げまくって食い散らかしてやるぜ!!」
ざわ……っ!
声に出ていた事を知らず、俺は周りの人々からドン引きされながら甲板から自室へと向かうのだった。
(東京まで約3時間。嗚呼、今から心がぴょんぴょんする!ふ、フハ……!)
「ふふぁふぁふぁふぁふぁっ!!」
ご近所の部屋から苦情が飛び交ったのは言うまでもなかった……。
3時間の船旅を終え、電車に乗って下町の駅で降りる。
(もうすぐだ!もうすぐ俺のアジトが見えてくる!)
街から少し離れたところにある民家が集まったところへ歩いてやって来た……。
「ーーって!ここかよっ!?」
俺のアジトであるアパートを見上げて愕然とした。
その名も『辺河草荘』
(ダメだ!こんな所に女子高生なんか連れてこれない!絶対バカにされる!!)
そして愕然としたことがもう一つ……。
「……で?貴女は一体誰なんですか?」
アジトの前で立っていた、眼鏡をかけた金髪スーツ姿の外国人お姉さんを頭の天辺から爪先まで舐め回す。
(で、デカイ!そしてエロイな……ではなくてだっ!)
俺の問いかけに対して、金髪外国人お姉さんは優雅に腰を折って、眼鏡を持ち上げる。そして流暢で丁寧な日本語でこう言った。
「船での長旅お疲れ申し上げます。私はこの度、こちらの管理人なるようにお母上の叶様に仰せつかった『アリサ』と申します者。夜疾様のお高校での生活を手助けする為に馳せ参じました。以後、なんなりとお申し付けくださいませ」
「な、な、な、なにぃぃぃっ!?お、俺の一人暮らしの話はどこに行ったぁぁぁっ!!??」
俺の一人暮らし計画「ヤッフー!青春ラブラブハーレム」の夢が完全に朝露の様に儚く消え去った瞬間であった……。