吸血鬼と役所手続き・前編
●事の始まり
「なんだって?」――ことあるごとに言われる。
電話口で、言ったことをなんども聞き返される。繰り返し同じことを口にしていると、ケンカを売っているようなきまりのわるさがある。
どうやら、最近ついてない。
カメラが自分だけ顔認識してくれない。自動ドアもうんともすんとも言わない。インターフォンに出ても、客人は留守だと思って帰っていく。
耳が遠くなったのか。年を取って、存在感をなくしつつあるのか。
朝が苦手になって、土曜日は特につらい。なかなかベッドから起きられなくなる。いや、さぼってるわけじゃなくて。そんなことを言っても、いいトシの大人は理解されない。
半面、ちょっといいこともあるにはあった。
新しい能力に目覚めたのだろうか。実のところ、答えはイエスだ。
ほんの少し、頑丈になった。足が速くなり、力が強くなる。階段の上り下りも苦ではなくなったような気がする。
電話を億劫に思って、家族に隠れてこっそり宅配のピザを食べることができなくなったからだろうか。血圧も低くなりつつある。
健康になったと喜んでいたのもつかの間のこと。会社の健康診断で、血圧は、ついに人ではありえないほどのロースコアを記録する。
もしやと思って、病院に行ったら……悪い予感は当たっていた。
「お気の毒ですが、あなたは吸血鬼です」
●門をくぐらぬものも一切の希望を捨てよ
診断(※1)を下されたあなたは、茫然と診断書を眺めることだろう。診断書を何度も何度も読み返して、自分が死んでいることを理解する。
死因の欄には、『吸血鬼』。
吸血鬼に殺されたわけではない。じぶんが吸血鬼になったことである。
さて、吸血鬼になることを歓迎するのでなければ、そこまで自分の生の終わりをを楽しめる人物もそうそうはいまい。
じぶんが吸血鬼であると知らされたら、しばらく立ち直れなくなるのが普通だ。なんだか死んだような実感が得られず、ぼけっとしたり、急に怒りっぽくなったり、暴れだしたり泣き出したり。逆に陽気になりすぎたり、飲んだり笑ったり。
ライフロス・ロスと呼ばれるこの時期には、専門的なカウンセリングを受けることをお勧めする。
私はといえば、なぜか猛烈に生産的なことがしたくなり、農具を手に夜な夜な郊外に出て、空いている畑という畑を耕しまくったのを覚えている。作付けの時期ではなかったので、アルバイト料はもらえなかった。
農村生まれじゃなかったら、第二の人生を目指して農業に目覚めていたかもしれない。
私も、ライフロス・ロスにはずいぶん苦しまされた。なにしろ私が吸血鬼になった1930年代といったら、アメリカ映画、ハリウッド黄金期の真っ最中だ。私は、永遠にフィルムに映る機会を失ったわけだ。私が吸血鬼になった一週間後に、かの有名な「風と共に去りぬ」が公開されたのだっけ。
別にスカウトされたわけでもないのに、なんだかそんなことを悔しく思ったのを覚えている。
安酒をあおりながら、新米吸血鬼ははこれまでのことと、これからのことに思いをはせる。
空っぽの棺桶で自身の葬式の喪主を務めるのも乙なものだ。葬式は、配偶者や子どもたち、親戚に頼ることにしよう。吸血鬼になってからの二度目の葬式は、最初から灰になっているわけだから、それほど手間はかかるまい。
いちばん問題なのが、牧師は頼むべきか頼まざるべきか。聖書の朗読で撃退されてはいけないから、やっぱり自分の葬式には出席しないほうがいいだろうか。受付にでも回って、お悔やみを受け取るのだろうか。
「ええ、突然のことだったので、なんだか自分も、ほんとうに信じられなくって……」とか言うのか?
半ばやけくそになって、いろいろな段取りを済ませていく。
ところが、おちおちケシ粒を数えてもいられないのだ。現代吸血鬼の困難はここから始まる。
葬式やバカ騒ぎの前に、吸血鬼にはやるべきことがある。
心に刻み付けておいてほしい。「吸血鬼には人権がない」のだ。
なにをバカなことを、と思われるかもしれないが、いまいちど考えてみてほしい。吸血鬼は法的に死体である。なにをされてもたいして文句は言えない状態だ。
生来の権利は死によって返される。死んでからの手続きは、それなりのルールがある。
恐れる必要はない。現代の人間は、不思議生物に対して、それほど野蛮でもないのである。
とくに、我々のようなもともと人間であったアンデットに対しては、非常に寛大な処置をとっている。
アンデットの場合は、自分の死を知ってから40日の猶予がみとめられることになっている。
40日のちに我々は死ぬ。
それまでに、「特殊出生証明書届け」を出し、吸血鬼は社会的にも吸血鬼にならねばならない。
どんな役所嫌いも、この手続きをしっかりとっておかねばならない。これをやっておかないと、賃貸マンションも借りられないし、ロクな仕事もできない。家を差し押さえられたりだとか、預金を差し押さえられたりだとか、非常な困難が付きまとう。
それどころか、いつヴァンパイア・ハンターに寝首を掻かれても仕方がない。なんといっても、彼らは死体損壊を許されている。ボーナスまで弾まれるというのだから、あまりに不公平というものではないか。
この一連の手続きだけは死んでもとっておかなくてはならないのだ。
我々に残された期限は、およそ40日。
そこそこ十分なように思えるが、葬儀があることと書類の申請があることを考えればあっという間だ。
覚えておいてほしい。役所は昼には空いていないということを。
考えてみてほしい。月に曇りの日が何日あるかということを。
吸血鬼がいかにして吸血鬼として社会に生きていくための手続きをとるのかは、次号で詳しく説明する。
次号を待つ吸血鬼諸君は、少なくとも30日は要するわけである。やはり40日という期限は、あまりに短い。
(※1)
ところで、吸血鬼病は、知名度の割には見つけやすい病である。なんたって、レントゲンにも鏡にも映らないのが吸血鬼であるから。
間抜けなヤブ医者ほど、高価なMRIがぶっ壊れているかと思うよりは、まっさきに患者が吸血鬼である可能性にすがる。