吸血鬼の血統・後編
【前回までのあらすじ】
16世紀の吸血鬼についてお話ししました。
今回は、19世紀~現代の吸血鬼についてお話しします。
●カルト集団、『インジェクション』
最も新しく、最後の、そして、最も過激な吸血鬼集団は、19世紀末期の『インジェクション』である。彼らは、始めはたった5名の狂信者たちから始まった。
事の発端は、16世紀までさかのぼる。女王に忠誠を誓い、隠れて生き延びてきたクラシカルの末裔、アーレント・ミッツェル博士。インジェクションはどこからかそれを突き止め、『レディ・マケドニア』の保管血液を手に入れると、同博士を殺害。
彼らは注射器を媒介して、なりふり構わずに吸血鬼を増やそうとした。
1856年、彼らはアメリカのケンジット医院の輸血用血液に吸血鬼の血液を混入、1857年、1859年にもセイントマルクで同様の事件を起こした。最初は医療事故と考えられていたが、59年、インジェクションの指導者、ブランデルが声明を発表したことで、彼らの所業は明るみに出た。
中途半端に吸血鬼になったものが45名、本当の意味での死亡者は――つまり、人のまま、人として亡くなったのは、およそ340名にも及ぶとみられている。
しかし、このころの輸血と言うのは確度の低いものであり、どの程度がブランデルの所業だったかはわからないが、少なくとも、9歳の少女が吸血鬼に変化し、今も眠り続けている。
彼らの思想は、『全ての人類を吸血鬼にして、誰もが力強く、誰もが寿命で死なない、平等な社会を築くこと』だった。
16世紀のマケドニア以後、事の収拾にあたっていたヴァンパイア・ハンター『教会』は彼らを敵と認定し、彼らと徹底抗戦の構えをした。
熱狂的なカルト教団は、1878年、指導者が死亡したことで、この事件は終息を迎えた。
この騒動を機に、ヴァンパイア・ハンター『教会』は暴力的でないクラシカルの連中もターゲットと定め、熾烈に吸血鬼をあぶりだすように要請した。
一方で、この動き反発する者もいた。ヴァンパイア・ハンター『協会』の指導者らだ。ヴァンパイア・ハンター協会はなんたってヴァンパイアの血縁者ということもあって、ほとんど吸血鬼みたいな人間もいた。
皮肉なことに、この騒動の恩恵を被ったのは、クラシカルが卑下してやまない、ラットルートのものたちであった。教会と協会は、ラットルートについて、『彼らは生来の人間であり、彼らの血液が我々に感染することはない』と断言した。
多くのクラシカル、全てのインジェクションの連中も、今はもう残ってはいない。
感染型吸血鬼がいつ現れるかと恐怖する者たちも多い。確かなのは、16世紀の『レディ・マケドニア』以降、人に感染させる力を持った吸血鬼の例は一度も報告されていないということだ。
それに、インジェクションの行った行為で、吸血鬼になれる、成功する者の数が少ないことも明るみに出た。実用的な数字ではないのである。
●現代の吸血鬼と、吸血鬼のこれから
吸血鬼。
『クラシカル』はそれを特権とみなし、コントロールしようとした。『インジェクション』は人類すべてを吸血鬼にして、幸福に生きようとしていた。
彼らの末路は、前回と今回で語った通りである。
感染型吸血鬼というものがいなくなってからというもの、吸血鬼は、仲間を選ぶ手段を奪われた。我々は、気に入ったものを仲間にしているわけではない。善人や悪人を吸血鬼にするわけではない。ろくでなしも聖人君子も、みな一様に吸血鬼になりうる。
吸血鬼が感染するものであるという偏見は、我々にとって困難でありながら、良い点もあった。「理由がなければ、吸血鬼になるわけがない」と考える人たちにとって、吸血鬼が感染するものであるという考えは、非常に有効な脅しであったのだ。
実際、事実無根というわけでもない。
遺伝型吸血鬼は、親から子にうつるともいえる。今となっては、吸血鬼病は遺伝子病である。吸血鬼が一族にいる場合は、吸血鬼病の発症率リスクはおよそ3倍になる。それでも、たとえ両親ともに吸血鬼であったとしても、子が吸血鬼になるリスクは1パーセントにも満たない。
吸血鬼因子を持っていても、大方の人間は、吸血鬼になる前に死ぬ。16世紀を境に、吸血鬼の数は年々減りつつある。
●死後も縛られ、解けざれ
ところで、血液型のほかに、吸血鬼になるには理由があるのだという。吸血鬼になれる人間と、そうでない人間を分けるのはいったいなんであろうか。
古来より、吸血鬼になる人間というのは、不自然な死に方をしたものだといわれてきた。
自殺、他殺、溺死、落雷……。
生死を分けるような何かしらの困難を経験したものは、吸血鬼因子を持った者たちのなかでも、その後の人生での吸血鬼病の発病率が高いという研究がある。
実のところ、この問題はいまだに明らかになっていない部分である。この調査が正しいのか、はっきりとしたことは言えない。
私の場合は、ハリケーンだろうか。1919年のハリケーンのことは、一生忘れられない。
年配の吸血鬼たちに、彼らの直面した『困難』について聞いてみたら、喜んで話してくれるか、あまり話してくれないかの二択だろう。
吸血鬼。
脅しであり迷信であり威力であり、虚勢であり、願掛けのようでもあったり。
難しいことに、いろいろな思惑があって、吸血鬼の話はあまり世の中に広がっていない。私は、なんとなくそれをもったいないようなことのように感じる。
はるか昔、16世紀。吸血鬼の跋扈した時代は、人類の三分の一が二八か月未満で死に、半数は八歳未満で死ぬ、そういう時代だったのだ。
吸血鬼が減っているというのなら。
ひょっとすると、人類は少しずつ幸福になっているのかもしれない。