第5話 コンスルミラで朝食を
「はあ……」
朝っぱらから情けねえ溜め息ついて、俺は突っ伏した。朝飯が温かな湯気を立ててる、食卓の上に。
ここは、コンスルミラの大通りに看板を掲げる宿屋の一つ。昨日の晩、俺たちが泊まることになった木造二階建ての安宿だ。
……本当なら俺たちゃ、今頃は波間を進む船の上にいるはずなんだが。
「まどろむ竜亭」って書かれた大看板をくぐると、一階は宿の受付を兼ねた食堂になってて、朝からお客で大賑わい。客室が並ぶ二階も、昨夜俺たちが一部屋借りたことで、現在は満室になってる。
今俺たちがいるのは一階の食堂、その片隅に設けられた席。少々足がガタつく木の卓にゃ、ついさっき運ばれてきた朝飯が並べられ、食欲そそるいい匂いを漂わせてる。
石造りのかまどでこんがり焼いた麺麭に、玉菜や豆を薫肉と一緒にじっくり煮込んだ熱々の羹。乾した無花果に、井戸水で冷やしてあったらしい、きりっと冷たい牛の乳。
肉料理が好物の俺にはちょいと物足りねえ気もするが、贅沢言っちゃいけねえだろう。旅の途中で食べる朝飯としちゃ、充分すぎるご馳走だ。
けど、今朝はどうにも匙が進まねえ。なぜかというと、それは――。
「すまねえデュラム、サーラ」
どんより曇った目を上げて、俺は同じ食卓に着いてる二人の仲間にわびた。
「俺のせいで、こんなことになっちまって」
「ちょっとメリック。さっきから何回言ってるのよ、そのせりふ」
焼き立ての丸い麺麭を、小さくちぎって口へと運びながら、サーラが言う。
「今ので十二回目です、サーラさん――どうぞ」
そう答えたのは、水差しに入った牛乳を三つの陶杯に注ぎ分けてたデュラムだ。魔女っ子に陶杯を一つ差し出しながら、ちらりと俺を見やって、眉をひそめる。
「ありがと、デュラム君。ほらメリック、あなたも朝の一杯やって、元気出しなさいよ。腰に手を当てて、小指立てて、こんなふうにきゅうっと!」
「……すまねえ」
「ほら、また謝る」
目の前に置かれた陶杯を見つめたまま、石像と化してる俺を見て、サーラが呆れたように肩をすくめる。
「もう、いつになくうじうじしちゃって。忘れん坊のくせに、こういうことはいつまでも引きずるんだから」
「だ、だってさ……」
途中で口ごもり、きゅっと唇を噛んじまう俺。昨日の出来事が、次々と脳裏に蘇ってくる。
……昨日。裏路地の広場で火の神と戦った俺たちは、気まぐれな神が早々に退散してくれたおかげで、どうにか命拾いした。
けど、盗られた俺の財布は、泥棒猫のラティさんともども行方知れず。しかも、三人で乗ることになってた船は、俺たちが港に着いたときにゃ影も形もなく、すでに錨を上げて出港した後だった。
俺の故郷、イグニッサ王国へ向かう次の船が出るのは七日後。それまで俺たちゃ、この町で足止めってわけだ。
まさに、泣きっ面に蜂。悪いことってのは本当に重なるもんなんだって、今さらながら思う。
「貴様の財布に入っていた金銭など、ごくわずかだろう?」
熱い羹を一匙すくい、ふうっと一息吹いて、デュラムが俺を見た。
「ならば、そう気に病むことではないと思うが」
「……」
金だけじゃねえんだ、盗られたのは――と、心の中でつぶやく俺。
デュラムとサーラにゃまだ言ってねえが、あの財布には……二人への贈り物が入ってたんだ。
俺たちが魔物退治やお宝探しで稼いだ金は、ほとんどが路銀――宿代や食費、冒険に必要なもんの買い入れに充てられ、残った分は三人で山分けされる。だから、俺の取り分なんざそう多くはねえんだが、そいつをこつこつ貯めて、昨日ようやく買った品だった。
船に乗って、イグニッサに着いたら、そこで二人に渡そうって思ってたのに。
…………ちくしょう。
膝に載せた拳を、ぎゅっと握り締める。
俺がもっとしっかりしてりゃ、ラティさんに大切なもんを盗られることもなかったし、火の神と危険な一戦を交えることにもならなかっただろう。今頃は波に揺られる船の上で、海の旅を楽しんでたんじゃねえか。
我ながら、情けねえ話だぜ。
うつむき、食卓に陰気な影を落としてる俺を見て、デュラムが「やれやれ」って感じの溜め息をついた。
「鬼人並みの記憶力しかない貴様が、過ぎたことをいつまでも気にするな」
いつもの嫌味な調子と違う、柔らかい口調に違和感を覚え、俺は思わず顔を上げる。すると妖精の美青年は、たまにしか見せねえ優しい微笑をふっと浮かべ、こんなせりふを口にした。
「〈樹海宮〉で決めたのではなかったのか? もう過去には捕われない、と」
最後のあたりを聞いて、はっとなった。
半年前の、カリコー・ルカリコンとの戦い。その中で、俺はそれまで引きずってきた過去と決着をつけた。魔法使いに親父を殺され、故郷を出る羽目になったって、忌まわしい過去と。
「デュラム君の言う通りよ。一つ聞くけどメリック、あなたって神話や伝説に出てくる勇者? 神様に選ばれて魔王を倒したり、世界を救ったりした英雄?」
「……? い、いきなりなんだよ? その質問」
妖精の後に続いて、妙な問いかけをしてくるサーラに、とまどう俺。
「いいからほら、答えて。あなたは何者? この世界で、一体どういう存在なの?」
重ねて問われ、俺はしばらく考えた。胸が十拍鳴るくらいの間、考えて――その結果、導き出された答えがこれ。
「俺は――ただの冒険者だ」
「正解!」
人差し指を俺の鼻先にぴしりと突きつけ、魔女っ子は「大変よくできました♪」とでもいうように片目をつぶってみせる。愛らしさたっぷりに、ぱちっと。
「あなたもデュラム君も、それにあたしだって、ただの冒険者でしょ? 半年前に神様と出会って一緒に冒険したとか、ちょっと変わった経験はあるけど、それ以外は何も、特別なところなんてないわ」
「そりゃまあ、そうだけどさ」
「――でしょ? だったら失敗だって、あって当然じゃない♪」
「そういうことだ、メリック」
サーラの向かいで、デュラムが相槌を打った。
「だからこれ以上、こぼれた葡萄酒のことでくよくよするはよせ。この先どうするかは、後でゆっくり考えればいい。それより今は、その空き腹を満たすことでも考えたらどうだ?」
からかうような口調でそう言って、妖精は麺麭と乾し無花果が載った皿を、俺の方へと押しやってくる。
「そろそろ、貴様の腹時計が鳴り出す頃合だと思うが?」
「――へ?」
頭上に疑問符を浮かべた直後――ぐきゅう、ぐるるる! むき出しの腹が賑やかに鳴って、思わず赤面しちまう俺。それを見て、魔女っ子がこらえかねたように吹き出した。卓に左右の肘をつき、両手の上に顎を載せて、こんなことを言いやがる。
「ほら見なさい。口じゃ食欲ないなんて言ってても、体は素直じゃないの。わかったら、今は余計なこと考えないで食べる、飲む! ウォーロ様だってお腹が空いちゃ戦えないんだから、あなたならなおさらでしょ?」
神々の中でも最強と伝えられる軍神の名前を引き合いに出し、ここぞとばかり、俺に朝飯を勧める魔女っ子。持ち前の世話焼き根性、全開だ。
そう言えば……いけねえ、すっかり忘れてたぜ。昨日はメラルカとの戦いの後、どよーんと落ち込むあまり晩飯がのどを通らなくて、そのまま一夜を明かしちまったんだ。
昨夜の飯は、俺の好きな肉料理――香辛料が効いた羊肉の串焼きだったのに。惜しいことをしたもんだって、今さらながら後悔の念が込み上げてくる。
と、いうわけで。
「確かに……それもそうだな」
俺は気を取り直して匙を取り、朝飯に手をつけることにした。
もぐもぐ。サーラの言う通り、腹が減っちゃ戦はできねえからな――旅も、冒険も。
考えてえことはいろいろあるが、むしゃむしゃ。今はとにかく、腹ごしらえだぜ。
……ただ、夢中でぱくぱく食べる間も、俺の脳裏にゃ一粒だけ、不安の種が残ってた。
それは、メラルカが去り際に言い捨てていった、あのせりふ。
――キミたち、できるだけ早くこの町を出た方がいいよ?
――あと七日もすればこの町……火の海になってるかもしれないよ?
あれは一体、どういう意味なんだろうか。
この町に危険が迫ってるって、一体どういうことだ……?