第17話 裸の妖精(♂)にまた迫られて
辛くも暗殺者の襲撃を退けた俺たちだが、それで一件落着、めでたしめでたしとはいかねえのが世の中ってもんだ。
「客人方ぁ、申し訳ねえですだぁ! ナボンが不甲斐ねえばっかりに、こんなことになっちまってぇ……」
戦士たちを率いて暗殺者の後を追ったナボン太守は、ほどなく汗まみれになって戻ってきた。暗殺者は……残念ながら、逃したらしい。相手も血を滴らせたまま逃げ回るほど馬鹿じゃなかったようで、血痕は館を出たあたりで途絶えてたそうだ。目下のところ、町中の門番や見回りの数を倍に増やして捜させてるとのことだが、果たして見つかるかどうか。なにしろ、相手は神の眷属だからな。そう簡単にゃ捕まらねえだろう。
太守様にとって、今夜の騒動は頭を悩ます問題だろうが、俺は俺で、別の悩みを抱えてた。これから一体、どうするか。厄介ごとに巻き込まれないよう、さっさとこの町を立ち去るか、この町に留まって姫さんに力を貸すか。さっきからずっと、その問題が俺の頭を悩ませてる。
幸い考えごとをするにゃ、うってつけの場所があった。ナボン太守が俺たちに、熱い風呂を勧めてくれたんだ。
「先代の太守がつくらせた浴場があるんですだぁ。外は見張らせておきますんで、どうぞ遠慮なく入って、疲れを癒してくだせぇ!」
自分の館であんな騒ぎが起こっちまった、せめてものわびに――ってことらしい。正直、心苦しくて遠慮したんだが、ナボン太守は頑固だった。これを断られちゃ、本人曰く「姫様から客人方をもてなすよう仰せつかった、ナボンの沽券に関わりますだぁ!」とのこと。
そんなわけで俺は今、風呂の時間の真っ最中。旅の埃にまみれた革鎧も脚衣も全部脱いじまって、熱々の湯に肩までどっぷり浸かってるところだ。
「はあ、こりゃ快適。いい湯加減だぜ……」
溜め息と共に、そんな言葉が口から漏れる。
先代の太守ってのは、よっぽど贅沢好きだったらしい。案内された風呂場は、見事な石造りだった。列柱に囲まれた湯船は泳いで回れるくらい広々としてて、満たされた湯は火傷や切り傷によく効くとか。奥にでーんと置かれてるのは、焚き火を焚く火の神と、その傍らで水瓶を傾ける水の女神の彫像。女神の水瓶からは絶えず湯が流れ出し、常に湯船を満たしてる。
こんな豪華な大浴場、一人で貸し切ることができたら、さぞかしいい気分だろう。けど、今この場にいるのは俺一人じゃなくて――。
「……ふん。鬼人の館にしつらえられた風呂場にしては、悪くないな」
「おわっ? デュラムお前、いつからそこに?」
「ふう……いいお湯♪ 水浴び好きのあたしだけど、たまにはお湯に浸かるのもいいわね♪」
「サ、サーラまでいたのかよ?」
そう。いつの間にか、デュラムとサーラもいたりするんだよな。
「これだけ広い浴場を、貴様一人で独占するつもりか? そんなことは、神々が許しても私が許さん」
「そうそう♪ こんなに広いんだから、三人一緒に入らない手はないでしょ♪」
「お、俺は別に、構わねえけどさ」
俺たち冒険者にとって、風呂ってのは普通、宿屋で小さな一人用の湯船に入るもんだから、誰かと一緒に湯に浸かるってのは、どうも慣れなくて落ち着かねえ。
それに、何より。
「ってかさ、デュラム。なんでお前、それ穿いてるんだよ?」
どういうわけかデュラムの奴、下穿き穿いたまま風呂入ってやがる。以前シルヴァルトの森で見た、黒光りする逆三角形の下穿きだ。はっきり言って、全裸よりいやらしい感じがするんだが。
「妖精族の掟だ。我ら妖精は他の種族と水浴びや湯浴みをするとき、これだけは脱いではならないとされている」
「川とか泉とか、外で水浴びするときならともかく、ここならそんな掟、気にしなくてもいいだろうに……」
俺が何気なく言ったその言葉を聞いて、裸の妖精はちょいとばかり動揺した様子で、こんなことを言いやがる。
「……貴様、見たいのか? 私のすべてを」
「そんなわけねえだろ!」
即刻、全力で否定した。太陽神リュファトにかけて、俺にゃそういう趣味はねえってば!
「それはそうと、サーラ……お前は恥ずかしくねえのかよ?」
同性の裸身をずっと見てるのも気が引けて、俺は異性の方へと視線を移した。
「いくら仲間だからって、女の子が男二人と風呂入るのはどうかと思うんだが……」
そうたずねてみたものの、魔女っ子にゃまるで恥じらう様子がねえ。片手ですくった湯を肩にかけながら、
「何言ってるのよ、弟分のくせに♪ あなたやデュラム君に見られたって、別になんともないわよ♪」
涼しい顔して、そう答える。おまけに「うーん、楽園、楽園♪」なんて言いながら、背伸びなんかするもんだから、反らした胸のふくらみが軽く上下に揺れて、俺をどきっとさせやがる。
「だ、だからってなあ……」
サーラの奴、大胆すぎるぜ。もう少し、慎みってもんがあってもいいだろうに。
俺たちゃ別に……恋人同士とかじゃ、ねえんだからさ。
普段から水着みてえな革服を着て、結構きわどい格好してるサーラだが、全部脱いだときの色気もまた、相当なもんだ。
触れれば指が吸いつきそうな、滑らかな肌。細首のつけ根に、くっきり浮き出た鎖骨。まだ成熟しきってねえ、小ぶりだが形の整った胸。腰は硝子の水差しみてえにきゅっとくびれ、尻は優しい丸みを帯びて桃と見紛うばかり。他にも……いや、あんまり女の子をじろじろ見たりしちゃ、無礼ってもんだ。これくらいにしておかねえと。
「それよりメリック。貴様、これからどうするつもりだ?」
そのとき、デュラムがサーラの様子を横目でうかがいながら、俺に問いかけてきた。まさに俺が今、悩んでる問題を投げかけてきたんだ。
「神々の話が本当ならば、近いうちにこの町で――」
「よくないことが起こるみてえだな」
「だとすれば、この町に長居は無用だろう? 明日にでもウルフェイナ王女に別れを告げて、ここを発つべきだと思うが」
明らかにデュラムは、姫さんと別れたがってる。こいつは仲間以外の他人と深く関わるのを嫌ってるからな。
そんなあいつが、俺の意見に賛成してくれるとは思えねえが……ものは試しだ。話してみるか。
「それなんだけどさ。実は俺……」
「当ててあげる。力を貸してあげたいんでしょ? ウルフェイナ王女に」
サーラの奴が、俺のせりふを先取りした。
「なんだと……?」
デュラムが片眉を上げ、こっちを見やる。翠玉の瞳の奥で、驚きと呆れが渦を巻いてるのが見えた――気がするぜ。
俺はためらいがちに軽くうなずくと、話を続けた。慎重に、言葉を選びながら。
「さっきから、ずっと考えてたんだ。この町で、俺にできることはねえかって。その……よくねえことだか災厄だか、そんなのが起きるのを、阻止するためにさ」
もちろん、俺だって大したことができるとは思ってねえ。俺たちゃ、ただの冒険者。神でも英雄でもねえんだから。
けど……それでも。
「あの姫さんのために、できることがあるならやりてえなって、そう思うんだ」
「長湯が過ぎてのぼせたのか? 馬鹿なことを言うな、メリック」
案の情、デュラムは早速、反対の票を投じてきた。
「ウルフェイナ王女に力を貸すということは、政治に関わるということだぞ。貴様も王族の端くれだったのなら、知っているだろう? 政治には裏切りや騙し合いといった陰謀がつきものだ。軽い気持ちで首を突っ込めば、間違いなく痛い目に遭う。命を落とすことにもなりかねんぞ?」
普段の嫌味な口調とは違う、厳しい物言いだ。今でもあんまり思い出したくねえ過去に触れられたこともあって、胸がちくりと痛んだ。
それでも俺は、なんとか自分の意見を通したくて、食い下がる。
「じゃあお前、姫さんが困ってるってのに、放っておけって言うのかよ?」
「あの王女はしょせん他人だ。命を張ってまで力になる理由がどこにある?」
「た、他人じゃねえだろ!」
そうだ。半年前の冒険じゃ、姫さんは魔法使いに押されて危機に陥ってた俺を、得意の弓で助けてくれた。それに、その後〈樹海宮〉のお宝を守ってた竜から逃げるときも、疲れきって走れねえサーラを自分の二輪戦車に乗っけてくれたりもした。
そこまでしてくれた人を、「他人だから」の一言で見放していいのかよ?
薄情にも聞こえるデュラムの物言いにいら立つあまり、つい怒気のこもった口調になっちまった。
すると妖精は、不意に立ち上がり――湯の中をざぶざぶと歩いて、こっちへ近づいてきやがった。
「い……いぃいッ?」
あいつのすっと通った鼻梁が、俺の鼻っ面と触れ合うくらい近寄られて、どぎまぎした。
「デュ、デュラム近い、顔が近いって」
同性とはいえ、息を呑むほど端整な顔立ち、しなやかな体つきの妖精に下穿き一丁で迫られちゃ、さすがに平静じゃいられねえ。
「お前……そんな格好で迫ってきて、俺に何するつもりだよ?」
俺がそうたずねると、デュラムは自分の体をちらりと見下ろして、こう答えた。
「安心しろ、穿いている」
「いや、そういう問題じゃなくてだな!」
下穿きの端を指先でつまんで引っ張り、パチンと鳴らされたって、全然説得力ねえぞ。
「いいから聞け、メリック」
あたふた取り乱す俺に、デュラムは真顔で、諭すように語りかけてくる。
「よく考えてみろ。災厄を阻止すると言っても、この先ここで何が起こるのか、わからないのでは手の打ちようがないだろう? メラルカはこの町が火の海になると言っていたが……それなら貴様、毎晩火の用心でも呼びかけて回るつもりか?」
「う……」
妖精の格好についちゃさておき、奴の指摘は的確で、俺は肩まで湯に浸かったまま、しゅんとうつむいちまう。
確かに、デュラムの言う通り、災厄の中身がわからねえんじゃ、防ぐ手立ても考えられねえよな……。