第16話 蜘蛛の仮面
「こ、こいつは……?」
艶やかな黒髪に皺一つねえ顎、口許を見る限りまだ若い、俺よりちょいと年上くらいの男の顔。ただ、不気味なことに、上半分を鉛色の仮面が隠してやがる。
その形は、頭を下に、尻を上に向け、逆さづりになった蜘蛛のよう――いや、蜘蛛そのものだった。八方に伸ばした脚の爪を、男のこめかみや耳の裏、顎などに食い込ませ、額から鼻面にかけて、ぴったりと張りついてる。大小合わせて八つの目にはめ込まれてるのは、真っ赤な輝きを放つ紅玉だ。
……なるほどな。額のあたりがふくらんでたのは、あの仮面のせい。鼻の方へ寄ってるように見えた目は奴自身の瞳じゃなくて、仮面の目になってる紅玉――八つのうち、一際大きな真ん中の二つ――だったってわけか。
薄気味悪い蜘蛛の仮面をつけた暗殺者は、なおも鉤爪を振りかざし、俺に襲いかかる気配を見せたが、ここで奴にとっちゃ、まずい事態が起きた。
「皆の者、何をしてるっ! 早く曲者を仕留めよっ! フランメリックと……ついでに妖精と魔女を助けるのだっ!」
フォレストラ王国の戦士たちが、姫さんに急かされて、暗殺者を追い詰めようと包囲の輪を狭めてきたんだ。その中にゃ、片手で棘つき鎖つきの鉄球ぶん回す、ナボン太守の姿もある。
「冒険者殿ぉ、あとはナボンがお引き受けしますだぁ! お下がりなすっておくんなせぇ!」
多勢に無勢、この場は不利。まわりを見て、そう悟ったらしい。仮面の暗殺者はじりじりと後ずさりながら、何やら呪文を唱える。そして――不意にぐにゃりと体の輪郭を歪ませ、色を周囲のそれに溶け込ませて、姿を消した。
「ちくしょう、また魔法かよ……!」
半年前の冒険でも、カリコー・ルカリコンが魔法の外套で姿を隠し、俺を翻弄したもんだ。どうやら奴と同じような魔法を、あの暗殺者も使えるらしい。
俺たちがその場に固まって驚く中、奴がいたあたりの空気がゆらゆらと揺れ、あわただしい足音と共に広間の出入り口へ向かう。
揺らぐ空気が近づくと、一見誰も手をかけてねえ扉が開き、足音が遠ざかっていった。その後を点々と、床に滴る血が追う。
それを見て、姫さんが配下の戦士たちに命令を飛ばす。
「奴は手負いだぞっ! 血の跡をたどって、追いかけるのだっ!」
「合点ですだぁ姫様ぁ! 皆の者ぉ、ナボンについて来るだぁ!」
鬼人の太守に促された戦士たちが、騒々しく広間を出ていく。後に残ったのは、俺たちと姫さん、それに、この騒ぎをずっと見物してた神々だけ……。
「なんとか、退けられたな……」
俺は剣を鞘に納めると、手近な卓に手をついた。荒い息をつきながら、もう一方の手で額に浮いた玉の汗をぬぐう。
デュラムもサーラも、深い傷は負ってねえようだが、今の激しい戦いで疲れたらしく、俺と似たり寄ったりな状態だ。
それでもサーラは、俺のそばへ来て、魔法で左腕の怪我を手当てしてくれた。
……自分だって、くたくただろうに。
「いつもすまねえ、手間かけさせちまって……あたっ!」
「こういうときは、いちいち謝らないの!」
俺がわびを口にすると、軽く握った拳で、こつんと額を小突かれた。
「困ったときはお互い様よ。あたしたち、仲間なんだから」
片目をぱちっとつぶり、「ね?」って、屈託のねえ笑みを浮かべるサーラ。
「……へっ。そう、だな」
その愛らしい笑顔につられて、俺もほっぺたを緩めちまう。
けど、俺たちの様子をそばで見てた姫さんは――なぜだか急に、ご機嫌斜めになっちまったようで。
「……やはり仲がよいのだな、お前たちっ」
ごごごごご。そんなおどろおどろしい響きが似合いそうな顔して、ぼそりとつぶやく。そのままこっちに背を向けて、大股でずんずん、広間の出入り口へ歩いていく。
「あ……おい? なあ、待ってくれよ、姫さん!」
「構うな、放っておいてくれっ!」
俺が呼び止めるのも聞かず、そのまま出ていっちまう。
「……お、俺が悪いのかよ……?」
よくわからねえが、どうもそういうことらしい。後で、謝りにいった方がいいんだろうか。
デュラムがこめかみのあたりを指で揉みほぐしながら、
「鬼人並みに鈍感な奴め」
とか言って、苦い顔してる。まだこの場に残ってた雷神も、
「おうおう、まっこと罪つくりな男よのう……」
なんて言いつつ、意地悪な笑みを浮かべてるが……一体、どういうことなんだろうな?