第15話 暗殺者
「……?」
この人、いきなり何言い出すんだよ?
俺が目で問うと、まったく予想外の答えが返ってきた。
「どうやら招かれざるお客が、この場にいらしたようですわよ?」
「な――?」
一体どういうことだ? そうたずねる前に、答えは別の口から、警告となって飛んできた。
「メリック、後ろだ!」
それまで黙って一人静かに杯を傾けてたデュラムが、切れ長の目をはっと見開き、声を張り上げたんだ。そばの壁に立てかけてあった槍をつかむなり、素早く後ろへ引いて――投げる!
切っ先鋭い妖精の槍は、唸りを上げて俺の脳天をかすめ、背後の壁に突き立つ。
「な、何しやがるデュラム!」
危うく命を冥界へ落っことすところだったじゃねえか。そう抗議しようとしたが、すぐに今はそれどころじゃねえって悟った。誰もいねえはずの背後で、ドタン、バタンと激しい物音がしたからだ。
その音に引き寄せられて、視線が背後へ、ぐるんと右回りに回転する。デュラムの槍が壁に突き刺さったまま、上下左右にぐらぐらと、激しく暴れてるのが見えた。
槍の穂は、木目がきれいな壁板の他にゃ、何にも刺さってねえ……はず。
けど、よくよく見ると、壁に刺さったまま半分ほど見えてる槍の穂が、真っ赤に染まってた。ぼたぼたと床に滴り落ちてるのは……血じゃねえのか?
じっと目を凝らすと、壁の前――槍の柄が揺れてるあたりの空気が、なんだか変だ。本来目には見えねえはずの空気が、今の俺にゃ水面に広がる波紋みてえに揺らいで見える。心なしかうねうねと、薄気味悪く波打ってるように見えるんだ。
「何かいるぞ!」
デュラムの奴が、警戒を呼びかけてくる。それを聞いて、なんで空気が揺らいで見えるのか、ようやくわかった。
目に見えねえ何かが、デュラムの槍で串刺しにされて、もがいてやがるんだ!
空気の揺らぎが、ぐにゃぐにゃと激しさを増す。やがて、その場にいる「何か」の輪郭が、続いて色が浮かび上がってきた。
全身黒ずくめの……多分、人間の男。妖精の槍に左肩を貫かれて、少なくねえ血を流してる。
長身で、よく鍛えられ、引き締まった体つき。一見して目につくのが、頭だ。黒染めの亜麻布を頭からすっぽりかぶってるせいで、ずいぶん鼻の方へ寄ってるように見える紅玉の瞳以外、顔は見えねえ。ただ、額に何かつけてるのか、そのあたりが異様なまでにふくらんでるのが布の上からでもはっきりとわかる。
あんな怪しい格好で他人様の背後に忍び寄る奴らと言えば、思い当たるのはただ一つ。
「暗殺者かよ……!」
金と引き換えに王族や貴族、あるいは憎い相手の殺害を請け負う殺し屋たち。俺もかつて、何度か襲われたことがある。
……冒険者になる前、一国の王族だった頃に。
「あれは……! メリック、気をつけろ!」
何かに気づいた様子のデュラムが、再び警告を飛ばしてきた。
「昨日私を襲ったのは、その男だ!」
「なん……だって?」
暗殺者が襲撃してきたってだけでも充分驚きだが、妖精の言葉を聞いて、再び驚かされた。
昨日デュラムを襲い、手傷を負わせたっていう黒ずくめの男。おそらく火の神の眷属だろうって話だったが……そいつがこんなにも早く、また現れるなんて。
驚いたのは俺だけじゃねえ。俺たちに給仕をしてくれてた侍女さんの一人が、手にした麺麭かごを取り落とし、悲鳴を上げた。舞踏の途中だった踊り子さんたちが血相変えて、我先にと逃げ出す。
館の住人たちが次々と恐慌に陥る中、果敢に進み出たのはナボン太守だった。
「姫様の客人に何するだぁ!」
せっかく準備した宴をぶち壊されて、怒り心頭に発したらしい。憤怒の形相凄まじく、手を伸ばしたのは壁に飾られてた武器――なんと、鎖つきの鉄球だ! ずっしりと重たげなそれを引っつかむなり、頭上でジャランと一振り。気合のかけ声と共に、棘だらけの丸い鉄塊をぶん投げる。
だが、敵もさる者。黒ずくめの暗殺者は、肩に刺さったデュラムの槍を引き抜くと、ナボン太守の鉄球を羊皮紙一重で避けた。ぐっと身を屈めたかと思うと、足腰のばねを使って高々と跳躍。一瞬前まで奴がいた場所を、棘つき鉄球が一撃する。
何本もの枝を束ねて一息にへし折ったときに響くような、乾いた音を立てて床板が弾ける。四方八方、方々へ、派手に木っ端が飛び散った。
「ナボン……っ!」
館の主が果敢に戦うのを見て、姫さんも我に返ったかのように、右手の親指、人差し指を口に当てた。一息吸い込んで、ピィーッ! 高い指笛の音が、広間に響く。
「曲者だぞっ! 皆の者、であえであえっ!」
騒々しい足音が、廊下を渡って近づいてくる。姫さんの呼び出しに応え、甲冑姿の戦士たちがどやどやと、広間に駆け込んできた。剣、槍、弓、斧、鎚に矛。各々、武器を引っ下げて。
「姫様、曲者はいずこに!」
「あそこだ! 皆、抜かるな。弓を使えっ! なければ槍を使うのだっ!」
姫さんが指差したのは、俺たちの頭上高くに渡された太い梁。メラルカの刺客はその上で膝を折り、不気味に光る紅玉の瞳でこっちを見下ろしてる。
「あの野郎……助走もつけずに、床からあそこまでひとっ飛びしやがった」
火の神の眷属だけあって、人間業とは思えねえ。まさに魔法の跳躍だ。
そんな感心してる間に、梁の上で暗殺者が動いた。妙な籠手つけた両腕を胸の前で交差させ、左右へ払うように一振りすりゃ、シャキンと音を立てて、指のつけ根から刃が飛び出す。
「鉤爪……!」
片手に一本、二本、三本。両手で六本の鉤爪。それを見たデュラムの右手が、包帯巻かれた左腕に触れ、血がうっすら滲んだあたりを押さえる。妖精の固く引き結んだ口許から、あいつが奥歯を強く、強く噛み締めてるのがわかった。
一方、暗殺者は右足のかかとをふっと浮かせ、爪先に力を入れるなり――ヒョウッ! 弓につがえられた矢が弦を蹴って飛び出すように、梁を一蹴してすっ飛んでくる。
狙いは昨日戦ったデュラム、かと思いきや――。
「俺かよッ?」
暗殺者は脇目も振らず、こっちへ一直線に突っ込んできた。俺に剣を抜く暇も与えず、右手の鉤爪を一閃させる。
下から俺ののど笛めがけ、すくい上げるように繰り出される三本の鉤爪。速すぎて、かわす術はねえ……!
赤い飛沫が、視界にぱっと広がる。
後ろへ退くことも、体を左右にさばくこともできず、俺は――敵の刃を、まともに受けた。
「メリック……!」
俺が周囲に血を振りまくのを見て、魔女っ子が息を呑む。
「平気だ! これくらい、かすり傷――っ!」
サーラに心配かけちゃいけねえと、平静を装ってみせたものの……途中で眉根を寄せ、目をすがめてうめいちまった。暗殺者の鉤爪からのどを守ろうとかざした左腕に、焼けつくような痛みが走ったからだ。
見ると、肘から手の甲までを覆う革の籠手が切り裂かれ、その下から血が、止まることなくあふれてる。
間一髪、危ねえところだった。腕をかざすのが一瞬でも遅れてりゃ、のど笛がこんなふうにかっさばかれてただろう。
命拾いしたからって、気を緩めちゃいられねえ。初手を防がれた暗殺者が、次の一手を繰り出してきやがった。
「うおっと……!」
奴の左手が首筋を狙ってきたのを、上体反らしてかわす。今のうちに剣を抜いて――そら、また来やがった!
「おっと!」
再び飛んできた右手を、抜き放った剣で弾き返す。次は左手、お次は右手! その次は左手……じゃなくてまた右手! 幾度となく襲ってくる鉤爪つきの手を、右へ左へ跳ね除けた。
諸刃の剣と片刃の鉤爪。金属の刃同士が互いに打ち合い、擦れ合い、弾き合う。張り詰めた空気を震わせて、神殿で神々に捧げられる管弦の響きさながら、荘重で硬質な楽の音を奏でる。
最初の一手は意表を突かれて不覚をとったが、後に続く二手三手、それ以降はどうにか防ぐことができた。
俺だって、それなりに冒険の場数は踏んでるからな。そう易々と殺られてたまるかってんだ。
「この首欲しけりゃ、力ずくで奪ってみやがれ!」
ちなみに……当然と言うべきか、神々は俺に、なんの手助けもしてくれなかった。
リアルナさんは、暗殺者が姿を現したときにゃもう、俺に冷ややかな一瞥をくれて、広間を後にしてる。他の神々も、リアルナさんの後に続いて出ていく奴や、腕組みして高みの見物を決め込む奴ばかりだ。他と少々違うのは、無表情な大地母神の隣ではらはらと、心配そうな顔してる水の女神。それに、その後ろで固唾を呑んでこっちを見てる森の神だが、この二人にも助けてくれそうな気配はねえ。
――おっさんか、アステルの奴がいてくれりゃ、話は別だったかもしれねえが。
半年前、俺たちと束の間一緒に旅をした太陽神と、その三男坊である星の神の顔が、脳裏に浮かぶ。けど、あの二人はどうやら、ここにゃいねえようだ。
……今どこで、何してるんだろうな。
暗い部屋にぽつんと一つ点された灯器と、その火を揺らす冷たい隙間風にも似た、懐かしさと寂しさ。二つの気持ちが胸の奥で渦巻いたが、今は思い出に浸ってる場合じゃねえ。
それに……神々の助けなんざなくても、俺には頼れる奴らがいる。デュラムとサーラって、二人の仲間が。
「加勢するわ、メリック! デュラム君も、助太刀お願い!」
「わかっています、サーラさん」
途中から妖精の美青年と魔女っ子も加わって、三対一の攻防になった。
俺が剣で敵の鉤爪を弾き、デュラムの槍が相手を近づけねえよう牽制。その間に、サーラが呪文を唱えて魔法を使い、杖から昨日火の神に撃ち込んだのと同じ、水の玉を放った。それをかわした暗殺者に、俺とデュラムが息を合わせて、左右から同時に攻めかかる。
三つの刃が入り乱れて火花を散らし、魔法で生み出された水球が飛沫を振りまく。
三人がかりでちょいと卑怯な気もするが、相手は規則無用で他人様の命を狙う手練の殺し屋だ。細かいことを気にしてちゃ、こっちが冥界の門をくぐる羽目になっちまう。
「昨日のようにはいかんぞ、暗殺者!」
三十六手目だったか、それとも三十七手目か。デュラムが相手の鉤爪を槍で打ち払いざま、反撃に出た。右脚を軸に、腰を捻って回し蹴り! 体をぐるんと半回転させて、敵の右肩を強か蹴り飛ばす。
ぐらりとよろめき、一歩、二歩と後ずさる暗殺者。俺はその隙を逃がさず間合いを詰めて、追い討ちをかけた。
「てめえの正体、見せやがれ!」
右から左へと、顔面を真一文字に横切る一の剣。続けて額から顎へと打ち下ろし、初太刀が引いた一線と垂直に交わる二の剣を見舞う。
別に、頭を断ち割ろうとしたわけじゃねえ。狙いは奴の顔を包み隠してる黒い亜麻布。あの覆面をはいで、素顔を拝んでやるつもりだった。
狙い通り、黒布は十字に切り裂かれ、はらりと床に落ちる。そして、その下から現れたのは――。