第14話 リアルナさんの忠告
西の彼方に太陽が沈み、東の果てより月昇るとき。吟遊詩人がそう歌う、夜が足音立てずにやってきた。
西の王国フォレストラと、東の帝国サンドレオ。二つの大国の狭間にあり、東西交易の要衝として栄える商都コンスルミラだが、夜は通りを歩く人影も消え、市場の商魂たくましい商人たちも早々に店仕舞いをして静まり返る。砂漠が近いこのあたりは夜の冷え込みがひどくて、町の住人は夜遅くまで出歩いたりしねえからだ。
そんな中――コンスルミラを治めるナボン太守は俺たちをもてなすために、自分の館で宴を開いた。明日はサンドレオ帝国の使節団を迎えなきゃいけなくて、忙しい身だってのに、わざわざ昼から準備してくれてたらしい。
「姫様の客人方ぁ! ナボンの館へようこそおいでくだすっただぁ! 今夜は存分に楽しんでくだせぇ!」
宴の場はナボン太守の館に三十ある部屋の中で、一番でっかい広間。真ん中の炉じゃ盛んに火が焚かれ、その上で牛肉の塊を貫く焼き串が、軋みながらぐるぐる回る。
燃える薪に滴る脂、あたりに漂う美味そうな匂い! 火の粉散らして肉を焙る焚き火の周囲じゃ、異国情緒豊かな踊り子さんたちがくるくると舞い踊り、侍女さんたちが杯に飲み物注いだり、皿に食べ物を取り分けたりするのに忙しい。
「なあ、太守様。その……いいのかよ? 俺たちなんざのために、宴まで開いてもらってさ」
「太守様なんて堅苦しいだぁ。ナボンと呼んでくだせぇ、冒険者殿ぉ!」
遠慮がちな俺の問いかけに、鬼人の太守は町一つを治める権力者にしては気さくな、屈託のねえ笑顔で答えた。俺のことを「冒険者殿」なんて呼んで。
「姫様から話は聞いてるだぁ。あんた方は以前、姫様が世話になった恩人たち。それを粗略に扱うなんてぇこと、ナボンにはできねえだぁ!」
「そうだぞ、フランメリック。遠慮はいらない、今夜は存分に楽しめっ!」
太守の隣に座るフォレストラの王女様が、巨体の陰から身を乗り出し、杯を掲げてみせた。
この姫さんときたら、相変わらず水着同然の革鎧しか身につけてねえきわどい格好で、目のやり場に困っちまうぜ。
「ちょっと、どこ見てるのよ、メリック」
「いっ……!」
俺の右手の席に着いたサーラに、指先でちょんちょん脇腹を突かれた。
「さっきからウルフェイナ王女の方ばっかり見て、目つきがいやらしいわよ」
「そ、そんなことねえって!」
顔がかあっと熱くなるのを感じつつ、俺は魔女っ子の方へと視線を移す。
サーラの奴、ついさっきまで魔法で眠りこけてたはずだが、今はもうすっかり目が覚めて、いつもの調子を取り戻してるようだ。
「いやらしいことなんざ、俺は別に……!」
「考えてない? ふーん、それにしちゃ顔が赤いわよ、顔が。ま、あんなきれいな人、滅多にお目にかかれるものじゃないし。男の子が鼻の下伸ばしちゃうのも、わからなくはないけど」
と、くすくす笑うサーラ。
「……? いつも俺のそばにいるじゃねえか――きれいな奴ならさ」
「きれい」なんて言葉が、まるで自分とは無関係であるかのように言うのが気になって、俺はサーラと目を合わせた。
「そばにいるって、デュラム君のこと? 確かにきれいだけど……男でしょ?」
「あなた、そっちの趣味なの?」って、真顔で疑惑の目を向けてくる魔女っ子。とんでもねえ誤解だぜ。
「いや、そうじゃなくてさ!」
太陽神リュファトにかけて、俺は普通の男だ。ってか、なんでそこでデュラムが出てくるんだよ。
がくっと卓上に突っ伏し、心の中で突っ込んでから、俺は改めて目の前の美少女を見つめる。
「お前だって、その……負けてねえよ、姫さんにさ」
自分のことだって、すぐにゃ気づかなかったらしい。魔女っ子はしばらくきょとんとしてたが、胸が三つ鳴ったあたりで、突然「あはっ!」と吹き出した。
「なーに言ってるのよ。弟分のくせに、あたしに気を遣おうなんて十年早いわよ♪」
と、笑いながら俺の肩をバシバシ叩き……あたたた、サーラ痛い、痛いって!
痛がる俺に「まったくもう、余計な気遣いしてくれちゃってー!」とか言いながら、魔女っ子はふっと目尻を下げた。口許もちょいと緩んで、丸みを帯びた顔に優しい笑みが浮かぶ。
「……けど、ありがと。お世辞でも、嬉しいわ」
「う……」
柔らかな笑顔をまともに見るのが気恥ずかしくて、思わず目をそらしちまう俺。うつむいたまま、ぽつりと一言。
「…………じゃねえよ」
お世辞じゃねえよ、って言ったんだが、恥ずかしくて小声になっちまったからな。果たして魔女っ子の耳に届いたか、定かじゃねえ。
……サーラの奴、自覚ねえのかよ? 自分だって、充分美人だってのに。
まあ、それはさておき。今、焚き火を囲む宴の席にゃ、俺とデュラム、サーラ、ナボン太守と姫さんの他に、中庭で会った神々が着いてる。ほとんどの神様は今も中庭でどんちゃん騒ぎを続けてるが、こっちの宴に興味を持ったらしい神が何人か、「我らもまぜろ♪」とばかりに、館の中までついてきやがったんだ。
その中にゃ――背中を流れる銀髪が美しい、あの人の姿もあった。
「仲がよいのですわね、お二人は。まるで幼馴染みか、姉弟のようですわ」
卓上に置かれた白銀の大皿へ手を伸ばしながら、その人――リアルナさんこと、月の女神セフィーヌが声をかけてきた。皿に盛られた大粒の葡萄を一つ、指先で摘んで口へと運ぶ。両端がつり上がった三日月形の唇に、みずみずしい薄緑の実が紫の皮ごと、ぷつりと押し潰された。
「はは……そりゃよく言われるぜ、リアルナさん」
昨日はメラルカ、今日の昼には姫さんに、そう言われた。半年前、この人の旦那さんに言われたこともあったっけ――なんてことを考えながら、俺は愛想笑いしてみせた。続けて二つ、三つと葡萄を摘んでる、夜の女王に向かって。
俺がこの女神様と出会ったのは、他の神々と同様、半年前――シルヴァルトの森でのことだ。リアルナってのは、この人がそのとき使ってた偽りの名だが、俺は本当の名前より、こっちの方が呼び慣れてたりする。
当時リアルナさんは、俺たちと一緒にいた自分の夫、太陽神リュファトを天上へ連れ戻そうとしてて、それが上手くいかねえと、なんと俺たちに刃を向けてきた。神話や伝説じゃ死神の商売道具とされる、長柄がついた三日月形の刃を。
本人曰く、旦那さんが地上にいるのは「あなた方に興味があるから」で、俺たちが冥界行きとなりゃ「主人もきっとわたくしの許に戻ってくださいますわ」とのことだったが……おかげで俺たちゃ大迷惑! 以後、何度もこの人に命を狙われる羽目になっちまった。
最後に戦ったのは、〈樹海宮〉の地下だ。激戦の末、リアルナさんの恐るべき武器を俺たち三人がかりで打ち砕き、どうにか道を譲ってもらえたが、もうあんな目に遭うのはご免だぜ。
そんなことがあったからだろうか。正直な話、俺はこの人が苦手だ。今も無理に笑顔をつくってみせてるが、胸の内はと言えば、どうにもこうにも落ち着かねえ。また、あの物騒な得物を振りかざして襲ってくるんじゃねえかって思うと、背筋にぞっと寒気が走る。
一方、リアルナさんは以前のことなんざきれいさっぱり忘れちまったような顔して、優雅に葡萄を味わってる。
それにしても、この人、一体どうして――。
「どうしてこんなところにいるのか、ですの? フランメリック様」
「いぃっ?」
なんてこった。この女神様、どんな魔法を使ったのか、俺の心を読みやがった!
あからさまに動揺する俺を見て、天上の女主人はくすりと笑った。月明かりが照らす湖面のさざ波を思わせる、静かで冷ややかな微笑。それを見て、俺はますます落ち着かなくなる。
「わかりやすい方。図星ですのね」
そんな俺の反応を楽しんでるかのように、月の女神は笑みを深める。
「心配する必要はありませんわよ? 今回は、特に目的があって来ているわけではありませんもの――わたくしも、他の神々も」
「……そうなのか?」
メラルカみてえに、何かたくらんでるわけじゃねえのか。
それを聞いて、ほっと安心しかけたのも束の間、
「強いて言うなら、一時の退屈しのぎ、暇潰しですわね」
そんなせりふが後に続いて、俺はざわっと胸騒ぎを覚えた。その予感は、女神の唇が続けてこんなせりふを紡ぎ出したとき、的中した。
「この町、場合によっては、もうすぐ面白いことになりそうですもの。それを間近で見物するのも一興かと――そう思いましたの」
「……!」
確か昨日会ったメラルカも、似たようなことを言ってた。あと七日もすればこの町が、火の海になってるかもしれねえって。
「どういうことだよ? リアルナさん……!」
この町で、一体何が起ころうとしてる? 神々は一体、何を知ってるんだ?
だが、俺の問いかけは、黒雲の中で轟く雷鳴みてえな銅鑼声にさえぎられた。
「小僧。短い人生を無難に全うしたいと思うなら、我ら神々の口から未来を聞き出そうなどと思わぬがよい」
背中を弓形に曲げ、黒ずんだ天井の梁に今にもぶつかりそうだった禿頭を、俺の前まで降ろしてきたのは雷神ゴドロムだ。眉間に皺寄せたしかめっ面、隆々の肩、胸板。その威圧感たっぷりな強面と巨体に圧倒されたか、巨漢のナボン太守も思わず腰を浮かして目を見張る。
「答えの代わりに、我が白熱の撥が飛んでくるやもしれぬぞ?」
掌の上で、雷神だけが扱えるという魔法の武器、火花散る稲妻をもてあそびながら、にたりと笑う荒天の王。口髭と顎鬚の間で、上下二列に並ぶ四角い歯がぎらりと光った。
「ゴドロム。脅しは、それくらいに」
月の女神がなだめると、荒ぶる雷帝は肩をすくめて身を引いた。ごろごろとのどを鳴らし、不満の意を示しながら――だったが。
一方、女神様は卓上の杯を取り上げ、優雅に口へと運びながら、こんなことを言い出した。
「まあ、ここで再びお会いできたのも何かのご縁。そちらのウルフェイナ王女には以前お世話になったこともありますし――一つだけ、忠告しておきますわ」
杯の中身を一口味わい、のどを潤してから、ちらりとこっちを見やる。
「明日、この町へやって来るサンドレオ帝国の使節団。お気をつけになった方がよろしいですわよ」
「それは……どういうことかっ?」
姫さんが、明らかに驚いた顔して立ち上がった。それまで腰かけてた椅子が、ガタンと後ろに倒れる。
「なんでもたずねれば答えが返ってくるというものではありませんわよ、ウルフェイナ様」
他人が知らねえ秘密を知ってる奴特有の、優越感に満ちた笑みを浮かべて、リアルナさんは杯の中身を飲み干した。空になった杯を卓上に戻すと、椅子の背もたれに手をかけ、ゆらりと立ち上がる。
他の神々も一人、また一人と席を立った。「宴は終わりだ」とでも言うように。
リアルナさんが妙なことを言ったのは、そのときだった。
「ところで皆様――武器をお取りになった方がよろしいのではありませんの?」