狼の王国 下
朝、ヒナは自分の体がおかしいことに気づきます。
「なんか、毛深くなってる?」
しばらく自分の体を観察します。
「気のせいよね」
ヒナはみんなの待つ広場まで行き、朝食を用意する子供達を見ています。
広場の真ん中には昨日の冒険で見つけた立方体がおいてありました。
「ねぇ、そういえば、あれって何なの?」
ヒナはプルートに尋ねます。
「何って、宝物さ」
「宝物? なんの役に立つの」
「別に、何かに使うってわけじゃないさ、ただ大切なものだよ」
「そっか」
なんだか昨日やった冒険が、ひどくつまらない、何の意味もないことのように感じてしまいます。
今頃、ヒナの同級生達は学校に行く準備をしていることでしょう。
「私達は、勉強はしなくていいの?」
「いいんだ。あれは大人たちのためのものだから」
「そっか」
そしてヒナは気づきました。
「ねぇ、子供達少なくなってない?」
「足りない?」
プルートは子供達の数を数えます。
「ああ、アプがいない。そういえば昨晩もいなかったね」
「アプ」
ヒナはその名前で呼ばれていた子供の顔を思い出します。
「大変! 昨日の洞窟ではぐれちゃったのかしら!? 助けにいかないと」
「思い出した。はぐれたんじゃない。昨日、毒蜘蛛に襲われてアプは殺されたんだ」
なんでもないことのように言います。
「殺された?」
「そうさ。前足でブスっとやられた。見てなかった?」
「見てない。死んだの?」
「死んだ」
「死体はどこにあるの?」
「洞窟の中だろうね」
「どうしてそのときに言わなかったの」
「そんなの言っても仕方ないじゃないか」
「取り返しのつかないことになってしまった」
ヒナの中で、昨日どうして洞窟なんかに出かけてあんなことをしたのだろう、という気持ちが沸いて来ます。
「仕方ないさ」
「そうね。私、そろそろ帰らないと。お父さんとお母さんが心配してるわ」
プルートは真っ直ぐにヒナの目を見つめます。
「帰る必要はないよ。君はもうすぐ狼になるんだ。美しい狼になるんだ」
「私が狼に?」
「そうさ。一緒に雪原を走ろう」
「私、狼なんかになりたくない!」
ヒナはプルートに飛び掛りますが、子供達に引き剥がされてしまいました。
「ひどいことするなぁ。ヒナのために首輪も用意したのに」
プルートはニッコリと笑顔を浮かべます。
「ほら、朝ごはんが出来たよ。朝ごはんを食べたら、冒険にいこう」
「わ、私! 食べないわ! どこにもいかない!」
「素敵な冒険が待っているのに?」
「いかない!」
「仕方がないな。今日はヒナはお留守番だね」
そして子供たちは、ヒナを置いて出かけて行ってしまいます。
ヒナが泣いていると、白い狼がヒナの背中に鼻をこすりつけてきます。
「何よ、あっち行って」
白い狼は困ったようにヒナの周りを歩きます。
「あっち行って!」
白い狼はヒナの前に座って、真っ直ぐにヒナを見ます。
「帰りたい。私、狼なんかになりたくないの」
すると狼は、お手をするときのように真っ白な手をヒナの手の上に重ねてきます。
「どうしたの?」
狼は歩き出し、少しはなれたところでこちらを振り向きます。
「ついて行けばいいの?」
ヒナが狼について歩くと、塀の裏側に地下へと続く階段がありました。
「ここに行けばいいの?」
狼はヒナを見つめます。
ヒナは恐る恐る階段を下りますが、中は暗いばかりで何も見えません。手探りで入り口付近を探すと、棒を見つけました。棒を振りかざすと、あわい光が放たれます。
中はだだ広い空間でした。生活に必要なこまごまとしたものや、使い道の分からない子供の玩具のような木製の道具もあります。
そしてその中の一つに首輪を見つけました。たくさんの首輪がひとつの箱の中に置いてあり、一番上には"ヒナ"と名前のついた首輪が置いてあります。ヒナはその首輪を手にし立ち去ろうとしましたが、ふと外で待つ丸い瞳の狼が気になりました。
「これ、かしら」
箱の中からひとつを選ぶとヒナは再び外に出ます。
子供達はまだ戻っておらず、狼はおとなしくヒナを待っていました。
「動かないでね」
ヒナは狼に首輪をつけます。
「ありがとう、ヒナ」
狼が言いました。少し大人の男の人の声でした。
「あなた、ユウって言うのね」
「正しくは雄太だ。ここではユウだけど」
「私は、雛季」
「よろしく雛季さん。ようやく自分の名前を思い出せたよ」
「雄太さん。私を連れて行って欲しいの。ここにはもういたくないわ!」
「それは出来ない」
「どうして?」
「あの、雛季さんを連れてきたときのコートがないといけない。あれがないと君を守れない」
「コートはどこにあるの?」
「宝物庫だ。鍵はプルート君が持っている」
「取り出せるかしら」
「なんとかして、鍵を開けさせなきゃならない。見たいって言えば、開けてくれるかもしれない」
「わかったわ。なんとかする」
「あいつらが帰ってくる前に首輪を戻さなきゃ」
「大丈夫なの?」
「きっとうまく行く」
その日の夜、子供達が帰ってきましたが、今日は宝物の収穫はない様子でした。
雛季は食事の用意をして待っていました。
「おかえり。どうだった?」
「うん。やっぱりヒナがいないと楽しくないよ」
プルートは笑います。
「これ、全部ヒナが作ったのかい?」
広場に並ぶ食事を見て、プルートが驚きます。
「うん。食べてみて」
「すごいや。みんな、夕食にしよう」
子供達は集まって夕食となりました。今日の冒険では、星屑の川を渡って黒い海まで行ったという話をします。
「いつもこんな冒険をしてるの?」
「そうさ。いろいろなところへ行くんだ」
「宝物を集めるのね」
「そう。たくさんの宝物があるよ」
「へえ、すごい、見てみたいな」
「いいとも。昨日の宝物も仕舞わなきゃいけないからね」
プルートは懐から短い棒を取り出して地面に円を描き、その中に複雑な模様を描きました。
円が穴となって、階段が開かれます。
「さぁ行こう」
ヒナとプルートは宝物庫の中へ入っていきます。
中には様々なものがありました。小さな家の模型や、銅製の花束。透明な球体や、まるで生きているかのような精巧な人間の模型。様々なものがありましたが、ただひとつ共通していることが一つだけありました。それらは、何かの役に立つために作られたものではない、ということです。
ヒナは、それら一つ一つのものにまつわる冒険の話を聞きながら、すばやくあたりに目を走らせ、そしてコートを見つけました。コートは奥の壁に吊り下げられています。
「ねぇ、これ、なあに?」
雛季は置いてあった巨大な骨のような形をした石を手にとりプルートに聞きます。
「ああ、それはね、ウールバスの骨さ。ウールバスは足のない鳥のような形をしていてね。ほら、あれを見てごらん」
壁の近くに置かれた絵を指差して説明しようとしますが、雛季はもう聞いていません。その適度な重さのある骨を振り上げ、そして力いっぱい後頭部に振り下ろしました。
鈍い音がして、プルートが倒れました。
雛季はあわててコートを壁から引き剥がし、宝物庫を後にします。
外では子供達がいまだに騒いでおり、中で何があったかには気づいていないようです。
それから雛季は地下室から二人分の首輪を取り出し、急いで雄太に取り付け、コートを着てまたがります。
「そいつらを捕まえろ! 逃げる気だ!」
目覚めたプルートが、地下室から出てきました。
子供達はわらわらと雄太と雛季に追いすがります。
「行くよ」
しかし、雄太に追いつけるものはいないのでした。
二人は、真っ白な砂原の上空を通り過ぎ、赤い夕日の国を通り過ぎ、濃い緑の国を通り過ぎました。
「ね、雛季さん。血でてる」
「ほんとだ。いつ怪我したんだろう」
雛季は自分のおでこを触って少しの血が流れていることに気がつきました。
「髪も真っ白だよ」
「本当だ」
自分の髪が真っ白になっていることに気づきます。
「あなたも、あの国に巻き込まれて狼にされたのね」
「そうだ。助かったよ」
「私も、ありがとう」
二人は、自分達のことを話し合います。ところが、黄色い砂漠の国の上で、雄太の口調が変わります。
「ねぇ。追いかけてきたみたいだ」
雛季が後ろを向くと、数頭の狼が雄太と雛季のことを追ってきています。
「もう少しなんだけど」
雄太は懸命に駆けましたが、ついに追いつかれてしまい、一頭が雛季に噛み付きました。雛季は空中に振り落とされて、雄太と離れ離れになってしまいます。
そして雛季は落下しました。
狼達の姿が空にのぼっていくように見えました。
気がつけば雛季は、雪の上に仰向けになって、空から落下する雪を見ていました。
それは、あの日の夜でした。
「ここ、私の家か」
子供達の国へ行った日、見ていた景色の中に雛季はいました。
ひどく重い体を引きずって玄関へと歩きます。
雛季は、両親が心配していないのか、雄太はどうなったのかが気になりました。
「ただいま」
そう言ってドアを開けると、お母さんが出迎えます。
「あら、いらっしゃい。どうしたのかしら?」
お母さんが言います。
「どうしたって、帰ってきたの。心配かけてごめんね」
雛季が答えると、お母さんは不思議そうな顔をします。
「ねえ、お父さん、子供が迷い込んできたみたいなんだけど」
「どうしたんだい。おや、寒そうだね。ちょっと休憩していくかい?」
雛季は驚き、辺りの景色がぐらぐらと揺れるのを感じました。
「大丈夫です」
それだけ言って家を出ました。雛季は窓側へとまわり、そっと窓に近づきます。
「うそ」
窓の中の景色は、暖かいものでした。小さな黒髪の女の子が両親に囲まれて笑っています。
女の子は雛季で、両親は雛季のお母さんとお父さんでした。
「うそだ」
家の中の人は、外に居る雛季に気づく気配はありません。
雛季が呆然と窓の中を見ていると、また家に訪問者がありました。
それは茶色のコートを着た少年でしたが、雛季にはその少年が雄太だと一目で分かりました。
「こんばんは」
「あらこんばんわ。また迷子かしら?」
「いえ、お宅の、雛季さんに一言お礼を言いたくて」
「お礼? あの子が何かしたの?」
「ええ。会わせていただけないでしょうか」
「はい。どうぞ、あがってください」
雄太は雪を落として居間へとやってきました。
外で見ている雛季は、声をあげて自分の存在を示そうとしましたが、声が出ませんでした。
「おや」
雄太が首を傾げます。
「僕の知ってる雛季さんは、真っ白な髪をしていて、額に小さな傷がある女の子です。あなたは雛季さんじゃありませんね」
その瞬間、呪いが解けました。
雛季の覗いていた家の中が真っ暗になって、ぼんやりと明かりがついた頃には、家の中には誰も居なくなっていました。
いつの間にか、真っ白だった髪の毛も黒に戻っています。
雛季は玄関へと戻り、そこに立つ少年に気づきました。
「雄太君?」
「雛季さん、無事だったんだ」
少年は安心したように、息をつきます。
「そっちこそ、ちゃんと逃げ切れたんだね」
「うん。助かった」
「私も」
雄太は照れたように笑います。
「おうちの人は?」
「今はいない」
「クリスマスの夜なのに?」
「クリスマスの夜なのにね」
雛季は微かに笑いました。
「あのさ、お父様は今日も仕事で忙しくてさ、お母様は早く帰ってくるって、無理やり約束したんだけどさ、やっぱり帰ってこれないんだ」
雛季の吐く息が冷たい大気中に解き放たれて白く濁ります。
「お母様は早く帰って来ないって分かってるのに、早めに料理を作ったんだよね。わかんないけど、お父様と喧嘩したいのかもしれない。それでお父様は、お母様が怒るの分かってるから、少し遅れたら、なかなか帰ってこなくなっちゃう。仲良くすればいいのに」
「それで、雛季さんはどうしたいの?」
雄太が聞きます。
「私はさ、少し遅くなってもいいから、三人で仲良く祝いたいだけ」
「そのこと、ちゃんとお母さんとお父さんに伝えた?」
「伝えてない。私が言っても、仕方ないもの」
「仕方なくないよ。お父さんも、お母さんも、半分は雛季さんのために行動してるんだから」
「そうなの?」
雛季は少し考えて、ため息をつきます。
「そうかもね。後の半分は?」
「半分はもちろん、自分のためだよ」
「そっか」
「そう。ほら、二人が帰ってきた」
「あ」
二台の車が雛季の家へと入ってきました。
「じゃあ、邪魔しないように、今日は僕は帰るよ」
「あの」
「大丈夫。きっとうまく行く」
「そうじゃなくて、その」
「またすぐ来る! またね!」
「うん!」
「メリークリスマス」
「メリークリスマス」
少年と入れ違いに両親が何かを言い合いながら玄関を訪れます。
けれど雛季のお父さんとお母さんは、雛季の顔を見て、おや、と顔色を変えました。
「雛季、何かあったのかい?」
お父さんが尋ねます。
「ううん」
「こんな寒いところに出てきて、どうしたの?」
お母さんが尋ねます。
すると、雛季は不敵な笑みを浮かべます。
「二人ってば、私がいないところだとすぐに喧嘩するんだから。私が見てないとダメなのね」
両親は驚いて顔を見合わせます。




