狼の王国 上
「ヒナ! 雪降ってるから外に出ちゃダメよ!」
「はあい。お母様は?」
「お父さんを迎えに行ってくる。もう。今日は早く帰ってくるって言ってたのに」
そんなこと言ったって。
テーブルの上には冷めかけのスープとチキン。ポテトのサラダに海老のカナッペが置いてあります。しかしそんなものはヒナにとっては憂鬱のフル コースと変わりはありません。ただ黙って雪降る景色を部屋の中から眺めています。
きっとお母さんは一人で帰ってくる。そして後からお父さんが帰ってきて、また喧嘩をするんだ。仲良くすればいいのに。
ヒナがぼんやりと外を眺めていると、積もりはじめた雪の上に、軽やかに飛び跳ねる子供の姿があることに気付きました。ヒナと同じくらいの年齢で、首周りに毛の生えた長いコートを着て、一様に白い髪をなびかせていました。その光景を見ていると、これから繰り広げられる憂鬱な想像から逃れられるような気がして、心が安らぐのを感じます。
「あの中に入れたらいいのに」
湧いてきた眠気に引かれてうとうとしていると、一人の少年が窓越しに近づいてきたことに気が付きました。少年 はノックを二回。ヒナは窓を開けました。奇妙に静かな冷気が部屋の中に流れ込んできます。
「やあこんにちは、お嬢さん」
「変な喋り方」
「変かい? そうかな。まぁそんなこと言わずに」
ニコリと笑って手を差し出します。少年は、どこか異国めいた美しい顔立で、黄金色の瞳がきらきらと輝いていました。
「こんにちは」
ヒナが手をとると、少年は身を乗り出してヒナの耳元で秘密を打ち明けるようにささやきました。
「つまらなそうにしているね。一緒に遊ばないかい?」
「その、私、そんな暖かそうなコート持ってないわ」
「大丈夫。僕が貸してあげるよ」
いつの間にかヒナにぴったりのコートを持っています。
「髪の毛だって、白くないし」
「おや、君の髪は黒いのかい。きっと人気者になれるよ」
「そんなこと言ったって、お母様が外に出ちゃダメって言ったもの」
「大丈夫。ちょっとだけ遊んですぐに帰ればバレやしないよ」
「でも、私」
「そこから逃げ出したいって顔をしているよ?」
ヒナが唾を飲み込むと、急に玄関のドアが開いて真っ白な毛並みの狼が入ってきました。
「ほら、迎えに来たよ」
「私、怖いわ」
「大丈夫」
ヒナが玄関へ行くと、狼は冷たい鼻を何度かこすりつけて、喉を鳴らします。
「ほらこれを着て」
いつの間にか部屋の中へと入っていた少年からコートを借りて羽織り、狼に乗り込んだ少年を真似してまたがります。
「ほらいこう!」
そして狼は空を走ります。
見知った風景はすぐに消え去り、いつしか真っ白な雪原を走っているだけとなりました。
「どこにいくの?」
「僕たちの国さ」
狼が足を緩めた場所では、真っ白な風景の中に、いくつもの小さな湖が広がり、ところどころにサボテンやヤシが生えているのが見えました。
「雪じゃないのね」
ヒナがつぶやくと、少年は照れくさそうに笑います。
「僕はプルート、君は?」
「私はヒナ」
それから二人は、ひたすらに白い砂浜を連れ立って歩きました。
傍らの狼が何度もヒナに顔をこすり付けてきて、そのたびにヒナは狼の頭を撫でます。
「僕より君に懐いているみたいだ」
「そうかもね」
やがて一際大きな湖の前に、風避けの塀に囲まれた屋根と簡単な柱だけの建物が見えてきました。
二人が近づくと、その建物からワラワラと子供達が出てきます。ヒナと同じか、少し幼いくらいの年齢の子供達です。
それに数匹の狼がつながれています。
「僕たちの国の国民達だ」
「素敵ね」
「ほら、これを着て」
ヒナはコートを脱いで、子供達と同じゆったりとした白い服に着替えます。
「ここに住んでいるの?」
「そうだよ」
「いつも何をして暮らしているの?」
「歌ったり、踊ったり」
「私にも教えて」
「いいとも」
それからヒナと子供達は、輪になって踊ります。
やがてあたりが暗くなり気温も下がると、薪を燃して湖でとった魚を焼きました。
ヒナの黒い髪はここでは珍しいようで、子供達が恐る恐る触ったりして、目を輝かせて見ています。
「私ね、すっかり満足しちゃったわ。ずっとここに居たいくらい」
「うん。ヒナ。ずっとここに居ようよ」
プルートがおねだりするように言って、ヒナは少しだけ家で心配しているかもしれないお父さんとお母さんのことを考えました。けれど半分は二人のことなんかどうでもいい、という気持ちがわいてきます。
「もう少しだけね」
すぐ傍で狼の鳴き声がして、それに応えるように遠吠えが聞こえてきました。
翌朝、パンと果物の朝食を済ますと、子供達は棍棒やナイフを身に付けて、出かける準備をしているようでした。
「ねぇ、どこへ行くの?」
「冒険にいくのさ。これに着替えて」
ヒナも子供達と一緒のなめし革のジャケットを着て、重たい木で作った棍棒や水筒を持ちました。
プルートは子供達の服装の他に、皮製のマントを身に付けています。
すると、昨日ヒナを連れてきた狼がヒナの足に鼻をこすりつけてきます。
「ねぇ、この子も連れて行っていい?」
プルートは、一瞬だけ表情の抜け落ちた顔をしました。
「その子は、君に何を感じているのかな?」
「ダメなの?」
「きっとかまわないさ」
プルートは狼の鎖を外します。
子供達が湖へと近づくと、ヒナはヤシの木の傍に大きな洞窟があることに気がつきました。中は真っ黒な岩でできていて、暗闇の中にところどころ光を放つぐるぐる巻きの植物が生えています。
「さぁ、いこう」
入り口には、侵入者に警告を放つように派手な模様の甲虫が何匹も張り付いています。
「怖いわ。中はどうなっているの?」
「それはわからないんだ。でも大丈夫。きっと僕が守るから」
ヒナの手を、プルートの柔らかな手が掴みます。彼女を勇気付けるように狼が声をあげました。
洞窟は延々と続いて、ヒナは何度も転びそうになりながらプルートの後についていきました。
「大蜘蛛が出たぞ!」
誰かが叫んで子供達は混乱します。プルートがジャケットから棒を投げると、棒は光り輝いて辺りを照らしました。
光に照らされて現れた影は、全長二メートルほどもある大きな蜘蛛でした。狼がヒナを守るように前に立ちます。
「毒液に気をつけろ!」
プルートが言って、子供達は蜘蛛から距離をとろうとします。蜘蛛がはきだした毒液が子供に掛かろうとしたとき、プルートが飛び出してマントで受けました。マントは毒液を浴びて溶け、プルートはあわててマントを外します。
「大丈夫なの?」
「任せろ」
ヒナの声に応え、プルートは蜘蛛に飛び掛りました。プルートは手にしていたナイフを三度振り下ろし、蜘蛛の足が三本、根元からちぎれて落ちます。
「まだやるか!」
プルートが声を出すと、蜘蛛は怖気づきそそくさと逃げていきました。
歓声が上がります。
「やった」
「大丈夫なの? もういなくなったの?」
「大丈夫。ほら」
ヒナは子供達と一緒に棍棒を掲げて歓声をあげます。
それから一行はさらに奥へと進み、洞窟の中の湖となっている場所に出ました。
「これ以上は進めないよ」
「大丈夫。そんなには深くないさ」
プルートはヒナの手を引いて冷たい湖の中へと入っていきます。進むにつれ、光を放っていたぐるぐる巻きの植物が減り、ついには真っ暗闇になってしまいました。
「暗くなっちゃった。大丈夫?」
「大丈夫さ」
プルートは懐から光を放つ棒を取り出して進みます。
「ねえ、この先には何があるの?」
「宝物さ」
やがて暗闇の中に光が見えてきました。
植物から放たれる光ではなく、しっかりとと地上を照らす太陽の光のようでした。
ヒナも思わず歓声をあげて、知らず足早になります。
彼女が光の下へ飛び出した瞬間、大きな手の平が彼女をさらいました。
「ヒナ!」
プルートもあわてて外へと飛び出します。
外は色あせた建物の並ぶ人気のない町で、開けた場所に身の丈三メートルはあるかという巨人がヒナを捕らえています。
「助けて! プルート!」
ヒナが叫び、狼がぐるぐると喉をならします。
「黙ってろ! 俺の子分をやってくれたみてーじゃねーか!」
巨人が獰猛な声を張り上げました。
「あの蜘蛛が先に襲ってきたんだ。僕達は追い払っただけだ」
「じゃあ俺も子分がやられた分を仕返しするだけだな」
「ヒナを離せ!」
「離してやる。ただし俺の子分は三本やられた。お前も三本折ってやろう。おいそこの小さいやつら。その勇ましいチビを縛り上げな」
子供達は顔を見合わせました。
「いいから言うことを聞いてくれ」
子供達はプルートを縛ります。
「ふん、この女は離してやる」
巨人はヒナを放り投げ、ヒナは背中から地面に落下しました。狼が受け止めようとして下敷きになりましたが「ゲ」と「グ」の中間のような音を出して肺の空気が搾り出されます。
「ヒナ!」
巨人は大きな手でプルートを殴り、プルートはうめき声をあげます。
「おっと、武器も取り上げておくか」
プルートの腰に下げられたナイフを奪い取り、投げ捨てました。
「ほら、まずは右足からだ。痛いか? 痛いだろう」
巨人がいよいよプルートの右足を千切りとろうとしたとき、ヒナは立ち上がり、捨て置かれたナイフを拾って巨人に飛び掛りました。
ナイフは腰に刺さり巨人は暴れます。
その隙にプルートを縛る紐を切り、プルートはヒナから渡された棍棒を振り上げて、巨人を打ち据えました。
巨人は悲鳴をあげ逃げていきます。子供達は口々にヒナとプルートを褒め称え、ヒナは胸をなでおろします。
首尾よく追い払った子供達は、町の教会を目指しました。
中には、四角いものがありました。
すべての面が正方形で構成されている、一辺30センチほどの黒い立方体です。
側面は、いくつもの薄い紙を積み重ねて作ったかのように層となり、上下の面はめちゃくちゃにかき混ぜた年輪のような模様が走っています。
「見つけたぞ!」
「やった! 見つけた!」
プルートが叫び、子供達も歓声を上げます。
ヒナは意味も分からず歓声をあげました。
夜はパーティとなりました。
大きな肉の塊を棒に挿して炙り、削りとりながら食べていきます。たくさんの果物と、パンやジュースが並べられ、冒険の話をして盛り上がります。
最初は大人二人分だった巨人の身長は、いつの間にか西の一本杉より高くなり、やがて雲をつく高さとなっていました。
パーティの間、狼はずっとヒナについて回りましたが、あるときヒナはプルートに尋ねます。
「ねぇ、この子の名前は?」
「名前なんかないさ。必要ないもの」
ヒナは首を傾げます。
騒ぎ疲れて横になると、空にはたくさんの星が見えました。
「素敵な一日だったね」
「明日はもっと素敵な一日になるよ」
ヒナが言ってプルートが応えました。




