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虚ろなる英雄  作者: 春風
第一章
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太陽は天頂に座し、騎士は光に目を醒ます

 レグナッドとルベリオの盃が乾く事はなかった。並々と酒が注がれては、酒豪の口へと飲み込まれてゆく。服を着替え、体の汚れを落とした女性は、先程までと比べて幾分か女性らしく見えた。陽気な笑い声を上げて、二人の話は弾む。


「しかし、あれだけ嫌がっていた君が鍛冶屋を継いでいるなんて驚いたぞ」


「あの頃はまだ私も幼かったし……。それに、年頃の女の子は好き好んで火ぶくれしたいなんて思わないものよ」


 レグナッドの言葉に照れ臭そうに笑みを浮かべ、結った金髪を煩わしそうに振り払ってルベリオが言った。レグナッドも頷きながら微笑んでいる。


「おじいちゃんはあんな人だったけど、仕事に対しては本当に厳しくて妥協しなかったの。その仕事ぶりを見ていたら、私もいつの間にか槌を握っていたのよ」


 ルベリオは頬杖を突きながら、しみじみと述懐する。


「そうそう、あんな人で思い出したけど、初めてイジャルに会った時のおじいちゃん、覚えてる?」


 飾り気のない素朴な瞳がイジャルに向けられる。彼は先程から話についていけず、ただ黙々と料理に手を伸ばしていたが、急に話題が自分に移った事に驚いたようだ。


「ああ、覚えているさ。あのじいさん、イジャルの事を女の子だと思って、体中をまさぐったよな。『可愛い子には先に唾を付けとかんとな!』とか言いながら。そしたらイジャルが泣き出して大変だった」


 酒が回った事が原因かどうかは分からないが、機嫌の良さそうなレグナッドが言った。それを聞きルベリオは大声で笑い、机を叩きながら腹を抱えている。次第に朧げな記憶が蘇ってきたようで、イジャルは眉間にしわを寄せている。


「レグナッドが男の子だって言ったら、おじいちゃんたら驚いちゃって、『男と女を間違えるとは、わしも焼きが回ったのう』とか言いながら笑ってたっけ! 懐かしいなあ……」


 笑いすぎたのか、微かに涙を浮かべながらルベリオが言う。レグナッドは微笑みながら一口酒を飲み、盃を机に置いた。


「そのじいさんも逝っちまったか。すまなかったな、看取りに来れなくて」


「本当だよ、まったく! おじいちゃん、最期までミビヌクの事ばっかり心配してたのよ」


 どうやら自分の言いたい事は、はっきりという人のようだ。ルベリオは包み隠さずハキハキとものを言う。


「最期まで? 自分の孫より他人を気にするとは、薄情なじいさんだな」


「なに言ってんのよ。孫はこんなに立派に育ったから、なんの心配もなかったの! あなたの方がおじいちゃんにとっては悩みの種だったみたいね!」


 胸を張って言い張るルベリオを見て、レグナッドがニヤリとほくそ笑む。


「昔、ロンじいさんから悩みがある、と言って相談されてな」


 自分の知らない話に興味を示したようで、ルベリオは身を乗り出して聞いている。


「『レグナッド、わしの唯一の心配は孫がいい男と結婚できるかどうかじゃ。なんせ、あのおてんばじゃからのう。まったく誰に似たんじゃか』ってな」


 ロンじいさんの口調を真似たレグナッドの言葉を聞いて、彼女はまた盛大に笑う。


「あっはっは! どっちもどっちって事ね!」


 そしてまた、二人の男女の笑い声が室内に響く。そんな調子で進んでいた十数年振りの再会を祝う宴は、レグナッドが眠った事によってお開きとなった。レグナッドを長椅子に寝かせ、毛布を掛けると、ルベリオはまた席に戻った。


「あなたはまだ寝ないの?」


「ああ、そろそろ寝ようかな。ご馳走様、こんなにたらふく食べたのは久々だったよ」


 そう、良かった、と言い、ルベリオは頬杖を突き、動物の毛皮を羽織るイジャルを見つめている。不思議に思った彼は動きを止め、彼女に視線を向ける。


「どうかしたのか?」


 しかし彼女は首を振り、微笑んでいる。


「私より小さかったのに、見ないうちに大きくなったなあ、って思ってね」


 どう答えていいのか分からず、イジャルは羽織る動作を続けた。ルベリオが小さく笑った。


「あなたの剣、見せてくれる?」


「剣? ああ、いいけど」


 ぶっきらぼうに言って、彼は荷物の中から鹿革の鞘に収まった剣を掴むと、彼女に手渡した。汚れを払うような手つきで鞘を軽く擦って、何かを確認している。やっぱり、と言って彼女はイジャルに歩み寄り、指差しているところを見るように促す。


「フォルジュ…ロン。フォルジュ・ロンて、じいさんの名前だよな? これ……」


「そうよ。おじいちゃんはね、認めた人にしか剣を作らなかったの。まあ、そういう鍛冶屋は結構あったけど、昔ほど多くは無くなってきていた。でも、おじいちゃんは断固として認めた人以外には剣を与えなかった」


 彼女は柄を握り、微かな力で剣を鞘から抜く。斬れ味鋭い刃先と鞘が擦れる小さな音が静寂に響く。スラリとした刀身は一点の曇りもなく、揺らめく蝋燭の炎を弾き返して煌めいている。


「この剣はレグナッドが旅立つ時におじいちゃんが鍛え上げた代物よ。十年以上も前のものなのに、たった今仕上がったばかりのような輝きね……」


 彼女はちらりとレグナッドの方を見やる。小さな寝息を立てて眠っている。


「レグナッドはその剣をずっと使わないでいたんだ。その辺りで叩き売りされているような、粗悪な剣ばかり使っていた」


 イジャルがその輝きに触れようとしているかのように、刀身に指を這わせながら言う。


「そして俺が数年前にレグナッドから譲り受けた。他の剣とは違って、何かとてつもなく重厚で鋭利な気がしたけど、まさかそんなものとは思わなかった」


「……あの人もおじいちゃんに似ているわ。間が抜けているようだけど、心の奥底には決して折れも曲がりもしない鋼鉄の意思を秘めている」


 水面みなもを思い起こさせる、吸い込まれるような刀身を見つめてルベリオは呟く。イジャルはその言葉に小さく頷いた。


「あなたに託されたのね、その鋼鉄の意思は。……でも何故かしら、凄く納得できるのよ。まるでこの剣が、あなたそのものを映し出しているかのような感じがする」


 刀身を鞘に収め、イジャルに手渡しながら彼女は言った。イジャルは剣を受け取ると、もう一度鞘に彫られた文字に目を落とす。


「あ〜! 私もそんな素敵な剣が作れるようにならないとなあ! まだまだ修行が足りないわね!」


 そう言って彼女はきびすを返し、部屋の入口の所まで歩いて行き、振り返る。


「それじゃあおやすみなさい、イジャル。ゆっくり休んでね」


 嬉しそうな笑顔で言う彼女に、イジャルはおやすみ、とだけ返し、彼女が出て行くのを見つめていた。そして手に抱えた剣を荷物の場所に戻そうとしたが、考え直し、脇に抱えて座り込む。やがて長旅の疲れが襲いかかり、深い眠りへといざなわれていった。







 翌日二人はルベリオの紹介で優良の武器を売る鍛冶屋へ行き、新しい武器を調達した。どの鍛冶屋もルベリオの腕を認めており、若くしてペルダンはおろか、近隣の村や街からわざわざ彼女の元を訪れてくる客も多いらしい。


「でも私も人を見て判断して、作りたくない時は断わるの。こんな若い女に断られるもんだから、腕っ節だけが自慢の傭兵なんかひどく怒っちゃって大変なのよね!」


 買ってきた剣を抱えながら、快活な笑顔で彼女は言った。なるほど、頑固さは祖父から丸々受け継いでいるようだった。その華奢にも見える体に秘めた強い意思が、彼女の作る剣に宿るのだろう。


「助かったよルベリオ、こんなにも安く、こんなにも良い剣が買えるとは思ってもいなかった。感謝する」


 腕に抱えた剣たちを大雑把に壁へ立て掛け、彼女に向き直ったレグナッドは小さく一礼した。


「気にしないでいいのよ! それはそうとミビヌク、あなたのその剣、少し見せてもらえる?」


「剣がどうかしたのか?」


 意図が理解できないのか、少し困惑した表情で彼は剣を手渡す。ルベリオは受け取ると怪訝けげんな表情で全体を舐め回すように見つめる。ひとしきり眺めると、刀身を鞘から抜き、目の高さまで持っていって水平に構え、覗き込むように刀身を見る。納得したのかしないのか、なるほどね、と呟いて刀身を元あったように鞘へと収める。


「こんな安物じゃすぐ壊れちゃうわ。あなた用に一本打ってあげたいけど、すぐにつんでしょう?」


 察したように話すルベリオに、すべて見透かされたような気分に陥る。自嘲気味の笑みを浮かべてレグナッドは口を開く。


「ああ、申し訳ないが今日中には発つ。あまり長居するのも良くないんでな」


 今はちょうど昼下がりだろうか。先程昼食を食べた鉱夫たちが作業場へ戻って行く所を見かけた。彼は日が暮れる前には出発したいと考えていた。


「そう、まだ色々話したかったけれど、残念ね。……そうそう、あなた専用に作ってあげれない分、私が鍛えた剣を持って行って! まだそう数が多くないから好みの物があるかどうか…」


 そう言うと作業場の壁に掛けられた装飾の美しい何本かの剣を腕に抱え、レグナッドの立つすぐ横の机上に並べ、どうぞ、と言わんばかりに選ぶように手の動作で促す。彼はそれらの剣をゆっくりと見つめ、時折手を伸ばして何かを確かめるように刀身を抜き払う。


「……じいさんの武器を握っているようだ。どれも素晴らしいよ、ルベリオ」


 嬉しそうに品定めをするレグナッドから包み隠さず漏れた言葉だった。その端的ながら核心を突くような賛辞が余程嬉しかったのだろう、ルベリオは白い歯を見せて照れ臭そうに笑う。


「うん、こいつだ。これに決めたよ」


 レグナッドは自分自身に語りかけるかのような口調で言った。彼が選んだのは、手触りの良い漆黒の鞘を携えた、やや太めの刀身を持つ長剣だった。彼の立派な体躯に負けず劣らずの荘厳さを放つ、まさにうってつけの業物だ。


「うん、あなたに似合っているわ。背も高いし、それくらいの長さの方が釣り合いは取れるわね。もちろん、見てくれだけじゃなく、質もそんじょそこらの鍛冶屋の武器には負けないよ!」


 親指を立てて突き出す若い女性にレグナッドは向き直り、ありがとう、と再度一礼した。


「それで、いくらだい?」


「野暮な事言うもんじゃないわよ、ミビヌク? あなたの為に作った物じゃないから金はいらないわ。次に会った時にちゃんとした剣を作る。その時はたくさん頂くから、覚悟しといてね!」


 無邪気に笑って見せる女性には、まだ幼さも残っているのだとレグナッドは感じ取った。きっとこの剣にも、そんな彼女の魂が込められているのだろう。


「すまない、遅くなった。お、剣買ってきたのか?」


 戸をくぐって剣や矢を抱えたイジャルが作業場へ入って来て、見慣れない剣を持つレグナッドに向けて言った。レグナッドは彼に剣を見せるように持ち上げる。


「ああ、ルベリオの作だ。ちょうど新しい剣を探していたが、素晴らしい業物に出会ったよ」


 満足気に言うレグナッドを見てイジャルも少し微笑み、物珍しそうに剣を眺める。そうして抱えていた武器を壁に立て掛け、レグナッドの横に並び、ルベリオと対面する。


「世話になったな、ルベリオ。こんなに素晴らしい頂き物もしてしまって。荷物をまとめたら発つよ」


 レグナッドは腰に携えた新たな剣を軽く叩きながら言った。彼女は理解していたとはいえ、やはり一抹の寂しさを覚えたようで、微かに眉が下がった。


「いいのよ、私も二人に会えて嬉しかったわ」


 そう言って彼女はレグナッドに歩み寄り、背伸びをしながら彼の厚い胸に頬を寄せる。レグナッドは包み込むように腕を回し、優しく抱き締めた。彼女の両肩を大きな手のひらで優しく掴んで彼女を離すと、潤んだ瞳と視線を合わせる。


「気をつけて」


「ああ、また伺うよ」


 彼の言葉にルベリオは頷いてイジャルに向き直り、レグナッドにしたように彼の胸に頬を寄せた。彼は不慣れな手つきで腕を回し、恐る恐る彼女を抱き寄せる。すると急にルベリオはイジャルに腕を回し、力一杯締め付けた。


「いてて! 何するんだよ!」


 耐えかねたイジャルは強引に彼女を引き離そうとするが、なかなか離れない。横で見ていたレグナッドはきょとんとしている。


「もう、なってないわ! いい? 別れの時はこうやって、目一杯抱き締めるのよ! そんなに弱々しかったら心配になっちゃうじゃない!」


 わざとらしく頬を膨らませて彼女は言った。


「レグナッドはそんなに強くしてなかったじゃないか!」


「彼は彼! あなたはあなたよ!」


 たじろぎながら言い返すイジャルだったが、更に威勢良く言い返されたのでぐうの音も出ないようだった。脇で見ていたレグナッドが声を上げて笑う。


「そういじめてやるなルベリオ。こいつはそういうのにはうといんだ」


 レグナッドはイジャルの肩に手を回し抱き寄せながら言った。バツが悪そうな表情でイジャルが引き離そうとするがレグナッドの腕は離れなかった。


「ちょっとした意地悪よ!…でも本当に、気を付けてね、イジャル」


 意地の悪い笑顔を見せたかと思えばいつくしむような眼差しになって語りかける。ルベリオの言葉にイジャルは強く頷いた。


「よし、じゃあ行くとするか。達者でな、ルベリオ。また伺うよ、今度は土産も持って来よう」


「また来るよ、君も元気で」


 イジャルの肩に回していた手を彼の頭に持って行き、髪をぐしゃぐしゃにかき乱すように撫でたレグナッドが言う。その手を振り払いながらイジャルも続いて言った。


「うん、待ってる! その時には二人に武器を作ってあげられるように、私も精進しておくわ!」


 この女性の象徴とも言える屈託のない笑顔が出発を見送ってくれた事で、二人の足取りは不思議と軽かった。荷物を抱え、レグナッドとイジャルは昨日歩いた山路を麓に向かって下って行く。

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