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虚ろなる英雄  作者: 春風
第一章
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古きを訪ねて

 機嫌の良さそうな足取りで道を行くレグナッドとは対照的に、不機嫌そうな表情のイジャルが彼のあとを追う。


「おいレグナッド、嘘はやめてくれ。俺は冗談なんかが聞きたいんじゃない」


 責めるような強い語気でイジャルは言い放つ。しかし、レグナッドは相も変わらず軽やかな足取りで進んでゆく。


「俺は酒と冗談がこの世で一番嫌いでな。冗談など言うものか」


 手をひらひらと振りながら先を行くレグナッドを睨みつけながら、イジャルは舌打ちをする。


「あの男を生かしただと? 頭がどうかしたのか!」


「落ち着けイジャル、俺は正気だ」


 怒りが表情に表れているイジャルに向き直りながら彼は言った。大袈裟に手を広げ、自分は平気だ、とでも言いたいのだろうか。それを見たイジャルはため息をつき頭を抱えた。


 二人はロッコスから西、ペルダンへと続く山路を歩いていた。エザフォス地方を大陸から隔離するかのように連なるシュラグレン山脈の最高峰、通称“神の住まう峰エクソリア・ベ・アリシャ”と呼ばれる山の中腹にペルダンはある。良質の鉱石が採掘される鉱脈で仕事をする鉱夫たちの一時的な宿場が発展した街で、質の良い武器を求めて各地から軍人、傭兵、荒くれ者などが集う。


 ロッコスを発ってから既に半日ほど、ひたすら山路を登っていた。それまで一切口を開かなかったレグナッドに耐えかね、イジャルが尋ねたところ返ってきた言葉は、到底信じられるものではなかった。


「いったい何を企んでる?」


 道端に設置された木の長椅子に腰掛け、見るからに質の悪いパンを頬張るレグナッドに問う。口を動かしながら素っ頓狂な表情で彼はイジャルの顔を見やる。


「企む? 俺が?」


「とぼけなくていい。あんたの性格は理解しているつもりだ。なんの代償もなしに、敵の親玉を見逃す訳がないだろう」


 レグナッドはぐい、と水筒に入った水を喉に流し込み、口を拭う。


「なに、簡単な理由さ」


 古ぼけた長椅子から立ち上がり、数歩前に歩み出る。眼下には広大な大地が広がり、風に吹かれ、まるで緑の海が波を立てているかのように見える草原を、彼の黒い瞳が見つめる。


「勇猛な銀獅子様も、まだまだケツの青いガキだったってだけさ。俺に女子供を殺める趣味はないんでね」


 そう言ってイジャルの方に向き直り、白い歯を見せて笑ってみせる。しかし彼は信じられない、といった表情を崩さずにレグナッドを注視している。


「お前は疑り深すぎるんだよ。嘘は言っていない、これがすべてなんだ。これが」


 レグナッドが言い終えたあとも、暫くイジャルは彼をじっと見つめていた。そして彼の頭の中でひとつの答えが出たのか、分かった、とだけ言って立ち上がる。


「この話は俺たちだけの秘密にしよう。考えてもみろ、ドゥーハスがこの話を聞いたら発狂するぞ」


 イジャルがやれやれ、といった表情で微かに笑う。それがいい、と相槌を打ってレグナッドも笑った。


「さて、もう少しでペルダンだ。日が暮れる前には着けるだろう」








 それから二人がペルダンに着いたのは、ちょうど日が沈もうとしている夕暮れ時だった。衣服を汚した鉱夫たちが一日の仕事を終え、束の間の休息を満喫しようと辺りは賑わっている。もうもうと立ち上る煙のいい香りに誘われて、屋台に引き寄せられる。


「旅のお方! 薬蛙(ピアン・シュカン)の丸焼きはいかがかね?」


 恰幅の良い女性の店主が、串に刺した蛙の丸焼きを目の前に差し出す。鳥肉を彷彿とさせる香ばしい香りにレグナッドは顔を綻ばせる。


「ああそうだな、ふたつ頂こうか」


 頭をすっぽりと覆うフードを脱ぎながらレグナッドは応えた。薬蛙(ピアン・シュカン)は比較的標高の高い場所にある池沼に生息する蛙で、雌にしかない臓器に溜まる液体には外傷の痛みを和らげる作用がある成分が含まれているため、加工されて優れた軟膏になる。また、食用にも向き、弾力のある食感に夢中になる人も多い。食用には、もっぱら雄が使用される。


「はいよ! 毎度あり!」


店主が差し出すものを受け取りひとつをイジャルに渡すと、屋台の店主に向き直るって代金を払おうと、銀貨二枚を取り出す。


 と、それがキドラ帝国が新たに鋳造ちゅうぞうした貨幣だという事に気付き、慌ててもう一つの小銭袋から、ハウルテッド王国の紋章である、剣と薔薇が彫り込まれた旧来の銀貨を二枚取り出した。そしてそれを店主の厚い掌に置いた。


「尋ねたいんだが、フォルジュ・ロン氏をご存知かな?」


 すると屋台の店主は意外な名を聞いたのか、手作業を取り止めた。そこでひとつ、レグナッドは蛙の丸焼きにかぶりついた。


「あんた、ロンさんの知り合いかい?」


「まあな。古い付き合いだが、かれこれ十年ほど顔を合わせていない」


 そうかい、と言って女性は少し表情を暗くした。止まっていた手は、今ではしっかりと動かしている。


「スケベのロンじいも歳には敵わなかったね、二年前に死んじまったよ。それからというものの、酒場じゃあ喧嘩も起きず、若い女の子の甲高い悲鳴も聞こえずで、なんだか街の活気が萎んじまった気がしてさあ……」


 そう話す店主の表情からは、悲しみが滲み出ている。


「すると、ロンさんの鍛冶屋はもうないのか?」


「それがさあ、弟子が跡を継いでるのよ! まだ若いのに、大した腕だって評判よ!」


 店主は張りのある声で言う。その表情は先程までの明るい笑顔に戻っていた。


「弟子か…。すまない、話し込んでしまって。ありがとう」


 レグナッドは微笑んで小さく一礼し、再びフードを被って屋台を離れる。また頼むよ、と店主の声を後ろに聞き、レグナッドとイジャルは並んで歩いた。


「……そうか、逝ったかロンさん」


「レグナッド、そのフォルジュ・ロンってじいさん…」


 ぽつりと呟いたレグナッドの言葉を抜け目なく聞いていたイジャルが言う。


「ああ、お前がまだこれくらいの時に会った事もある。ふっ、あれは面白かったな」


 レグナッドは自身の腰あたりを手で指し示し、笑みを浮かべる。イジャルは眉間にしわをよせ、考え込むような仕草をしている。朧げな記憶を、必死に辿っているのだろう。


「しかしまあ、あの頑固なじいさんが弟子を取るとはな。驚いた」


 賑わう屋台通りを抜け、その大きな体躯には窮屈そうな、寂れた小道に入って行く。石造りの家と家の間を縫うようにして進んで行くと、高い金属音が微かに聞こえてくる。次第にその音は近くなり、やがて開けた場所に出る。正面にある古びた鍛冶屋から音は響いている。戸の横には“本日終了”と書かれた札が下がっていた。二人は顔を合わせてから、戸をくぐった。


 二人の男が室内に入った事には気付いていないらしく、燃え盛る炉の炎に照らされた職人が黙々と鋼を打ち付けている。レグナッドは少し室内を見回してから職人に近付く。人の気配に気付いたのか、鋼を打つ手が一瞬止まるが、再び動き出した。


「今日はもう終わりと書いてあるでしょう? 見えなかったの?」


 振り向きもせずに、職人は言う。打ち付けた鋼をやっとこを使って掴み、桶に張った水に突き刺す。弾けるような音と共に、白い蒸気が立ち上る。


「無礼を承知でお伺いした。師の、ロンじいさんの知り合いだ」


「おじいちゃんの、知り合い?」


 レグナッドの言葉を聞いて職人は手を止め、二人に向き直る。長時間炎に晒されていたので皮膚が赤く腫れ上がってはいるものの、その顔立ちは間違いなく女性のものだった。


「まさかとは思ったがやっぱり君か、ルベリオ」


 レグナッドが顔を綻ばせて名を呼ぶと、女性は頭に巻いた布切れを取り払い、同じように笑顔を見せた。


「ミビヌクじゃない! 久しぶりね、元気にしてた?」


 二人は握手を交わし、十数年振りの再会を喜んだ。女性、というよりまだ少女といった方が正しいように見える端正な顔立ちをした彼女は、イジャルに視線を移す。


「ミビヌク、この子は……あの?」


 自分に話題が移った事に驚きを見せつつも、イジャルは少女の様子を伺っているようだ。レグナッドはその様子を見ながら笑みを浮かべ、頷く。


「ああ、あのおチビちゃんだよ。でもこいつは覚えてないみたいだな」


「まあ仕方ないわよね、まだ幼かったもの。じゃあ改めまして、イジャル。私はルベリオ、ルベリオ・ロンよ。よろしくね」


 笑顔の彼女は、履いている作業着で拭いてから手を差し出す。それを疑問符を浮かべながら、イジャルは握り返す。


「よし、じゃあちょっと待っててね、お二人さん! さっさと片付けてから奥で話しましょう」


 そう言うとルベリオは作業場の片付けに取り掛かった。レグナッドはイジャルを促し、本来は鍛え上げた代物を受け取りに来た依頼人が座る椅子に座らせた。


 日はすっかりと落ち、格子の付いた窓から、ツンと冷える風が吹き込んできた。


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