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虚ろなる英雄  作者: 春風
第一章
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駆る疑念

 小鳥のさえずりに目が覚める。どうやら座ったまま眠り込んでいたようだ。寒気に身を震わせ、寝床に放り投げたままの外衣にさっと腕を通す。一瞬、あの出来事は悪夢だったのではないか、という考えがよぎるが、蝋燭とその受け皿は机から落ちている。ほんの数時間前、今、自分が立ち尽くしている場所、手を伸ばせば届きそうな所に、あの男はいた。ふと我に返り、部下の事を思い出した。彼は身をひるがえし、天幕から一歩出る。


「セリューノ様、おはようございます!」


 セリューノの天幕からほんの少し離れた場所に、腕組みをして立っていたエリウッドがこちらに気付き、姿勢を正して挨拶を述べた。それに気付いた数人の兵士も、同じように挨拶をする。


「……一杯食わされたか」


 騙されたのだ、自分は。かの男に。悟ると同時に、笑いが込み上げてくる。何が起きているのか理解できないでいる部下の視線を気にもせず、ひたすら笑う。怒りでもない恥ずかしさでもない。騙された、手玉に取られたというのに不快感はまったくない。むしろ爽やかな気分でさえある。ただほんの少し、悔しさが込み上げてくるのが分かる。頬を温かいものが伝った。笑いが一段落すると涙を拭い、怪訝けげんな表情を浮かべる部下に向き直る。


「いや……すまん。おかしな夢を見てな、それを思い出してしまった」


 はあ、と小さく聞こえたが、いまだに不可思議な光景の余韻が残っているようで、エリウッドを始め数人の部下はセリューノを凝視する。


「ところでエリウッド、何か情報は得られたか?」


 不意に名指しで呼ばれたので慌てつつもピシッと姿勢を正し、はい!と返事をする。


「これと言って有益な情報は得られておりません!」


 そうか、と言ってセリューノはエリウッドに休めの姿勢をするように手で促す。それに従い、エリウッドは休めの姿勢を取る。


「ああそうだ、昨日の見張り番は誰だ?」


 歩み出て兵士達に尋ねる。二人の兵士が敬礼をして見せる。


「はっ! 我々でございます!」


「ふむ、お前たちか。どうだ? 昨晩変わった事はあったか?」


 王子に尋ねられ、しどろもどろ片方の兵士が応える。


「……いえ! 特にございませんでした!」


 なるほど、目撃者は誰もいない、か。さすがと言ったところだろう。夜襲をかけた、とあの男は言ったが、人的被害はまるでない。全てが大嘘だったのだ。先程の笑いがぶり返しそうになるのを堪える。


「お勤めご苦労」


 それだけ言うとセリューノはきびすを返し、エリウッドに歩み寄る。


「帰るぞ」


「はっ!…え、あ……今なんと仰いましたか?」


 主人の言った言葉自体は理解できたが、その意味が理解できない、という事だろう。


「帰るぞ、と言ったんだ。……いや、正確には違うな。お前らはオズナに帰れ、私は帝都へ向かう」


「皇帝からの御勅命でしょうか? そのような知らせは届いておりませんが…」


「いや、そうではない。少し調べ物をしたくてな」


 愛馬がつながれている場所へ歩きながらセリューノが言った。雨は止んだが、ぬかるみが酷い。それに並行するように歩くエリウッドは未だに主人の意図が理解できないでいる様子だ。そうだ、と言ったのはセリューノだ。


「任務の褒美として第一騎馬隊にロッコスの酒を振る舞え。美味いらしいからな、ここの酒は」


 誰も利用していないくたびれたうまやにつながれた愛馬の額を撫でる。


「それは承知致しましたが、お一人で帝都まで向われるおつもりですか? 私も…」


「駄目だ」


 エリウッドが言いかけたところでセリューノは振り向き、言葉を遮るように言う。


「お前は私の代わりに第一騎馬隊を率い、オズナまで帰れ。任せたぞ」


 そう言うとセリューノは馬に跨り、エリウッドの前まで馬を進ませる。フードを被りながら、不満気なエリウッドに微笑んでみせる。


「数日中には帰る。最近働き詰めだっただろう、お前も少し休暇を取れ」


 そう言って自分の左胸を拳でトン、と小突く。武運を、という意味の仕草だ。


「ご命令承ります。しかし、道中はお気を付け下さい! 重要反逆人が近くに潜伏している事をお忘れなく!」


 暗闇に浮かぶあの男の顔が脳裏をよぎる。不敵な笑みを浮かべた男の顔が。


「……ああ、忘れてはいないさ。では、あとは頼んだぞ」


 敬礼をするエリウッドを尻目に、馬の腹を蹴って愛馬を進める。


 キドラ帝国の帝都キドレリアはここロッコスからほぼ真東、エザフォス地方の東端に位置する。“エザフォスのへそ”を迂回し、オズナ砦を経由していると時間がかかってしまうので、ロッコスの東に広がる森を抜け、エザフォス地方の中央を流れるイシュカ川を渡り、東へ東へと進む。


 ロッコス東の森の道を進むセリューノは、あの男の言葉を思い出した。すべてが大嘘だったと思えるあの男の言葉だが、ひとつだけ疑問があった。セリューノが口にした“正義”という言葉を聞いた途端、男の表情は一瞬で怒気に染まった。あの激昂までもが嘘とは、到底思えなかった。あれは、あの掴み所のない男がさらけ出した、唯一の真実だったのではないか。つまり、我が帝国が残虐な行為を行なった、という事だ。そして、その残虐な行為とはいったい何なのか。そのふたつの疑念が今の自分を突き動かしているのだとセリューノは理解している。


 まだ先は長い。しかし、セリューノは一刻も早く真実が知りたかった。嘘であればそれでいい。しかし何故か、調べずにはいられなくなってしまった自分がいる。ミビヌク・レグナッド。あの男の不思議な魔力にでも魅了されてしまったのだろうか。


 彼は馬に揺られ、木々の隙間から微かに顔を覗かせる透き通るような青空を見上げた。

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