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虚ろなる英雄  作者: 春風
第三章
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馬蹄の響きは勝利の韻

 絶望的状況に置かれた人間がどうなるか。理性を失い暴れ狂う者もいるだろう。恐怖におののき震える者もいるだろう。しかし、サジュは前述の例の範疇には含まれない人間だった。


 それは彼が聡明であり、状況把握力に秀でているからこそ起こり得た。残酷なまでの現実をありありと感じ、自らの命の灯火が消える時を予測できてしまう。そうなった時、彼は不思議な程に冷静になった。震えひとつ起こさず、命の危機に晒された動物的本能が働いて死に物狂いで暴れる事も無かった。ただただ状況を受け入れるだけだった。それ以上でも、それ以下でもない。


 次々と薙ぎ倒されてゆく仲間の血飛沫が大地を、草を、握り締めた剣をおぞましいくらいに赤く染めてゆく。


「怯むんじゃねえ! まだやれるぞ!」


 ドゥーハスが血に塗れた、鬼神の如き形相で仲間に発破をかける。しかし疲弊し、気力さえも尽きかけた兵の耳には果たして届いているのかも定かではない。


「くそったれ! ここで終わるのかよ!?」


 一人で兵五人の働きを見せるドゥーハスですら弱気になり、自分を奮い立たせるのに精一杯の様子だ。


「皆、諦めるな! 必ず援軍が来る! それまでの辛抱だ、耐えろ! 耐えるんだ!」


 戦闘に不向きな自分には先陣を切り、ドゥーハスのようにばっさばっさと敵を倒す事は出来ない。ならば最後の最後まで兵達の希望を繋ぎ止めるのが自分に出来る、最高の一手だ。


 今はただ耐えに耐え、伝書を受け取った三人が援軍を引き連れて来るのを祈るだけだ。


 また祈りだ。何時ぞや橋桁に火薬を仕掛け、万事上手くいく事を祈った。彼は思った。しかし今度の祈りは神にではない。信心深い人間ではない自身への神の加護など屁のつっぱりにもならない。彼が祈ったのは、戦神にも似た、今は亡き天国の友だった。










 泥を跳ね上げながら駆ける馬の上から、遥か前方の様子を注意深く観察する。ハウルテッド王国跡地からオズナ砦へ向かった際は、帝国軍の目を気にしたため”エザフォスのへそ”を経由しての行程だった。しかし今は一分一秒を争う緊急事態だ。イシュカ川に沿って北上する最短の道をひた走っている。揺らめく狼煙が徐々にはっきりとしてきた。


「素晴らしい馬だ。脚力といい耐久力といい、非の打ち所がない」


 セリューノは美しい栗毛の馬のたてがみを優しく撫でた。その辺りの駄馬とはまるで違う、恵まれた血筋を引き継いだ、真の軍馬だ。


「…おかげで、なんとか間に合ったようだな」


 手綱を巧みに操り、馬を制止させる。狼煙が天高く立ち上るまでに見える頃には、入り乱れる人々の姿をはっきりと視認できた。動く者も動かぬ者も、おびただしい数だ。


「エリウッド、お前はリュゼ殿と共に味方本陣の救援に向かってくれ。私は小隊を率いて敵陣を掻き乱す」


 隣に馬を並ばせたエリウッドに指示し、左胸を軽く小突く。それに応えるようにエリウッドも微笑みながら胸を小突く。互いの無事を心から祈った。そしてリュゼにも同様の動作をし、騎馬隊を振り返る。剣の柄を握り、滑らかな動作で抜き放つ。


「剣を抜き我に続け! 我ら白銀の矢となり、敵を貫かん!」


 小気味良い蹴りを馬の腹に入れる。大きくいなないた馬は前脚を大きく振り上げ、爆発的速度で黒くうごめく人混みに向けて一直線に駆け始めた。それに続いて数十名の騎馬兵が雄叫びを上げながら突進を開始する。


「我々も遅れるな! 味方本陣に急行し、ありったけの力で敵を討て!」


 その眼差しだけで人が殺せそうなエリウッドが残りの騎馬兵を奮い立たせる。怒号のような返事がしたと思いきや、一団は大きな生き物のように前進を開始した。一呼吸置いて戦場を見渡し、リュゼも彼らの後を追った。








「お、おい! なんだよあれ!」


 どこからともなくそんな声が上がった。敵味方全てが殺し合いの手を止め、泥を跳ね上げて迫り来る騎馬隊に視線を送る。サジュも例外なくそちらに注意を向けた。見えたのは帝国軍の鎧。躊躇なく帝国軍へ向かい駆けてゆく。援軍が合流したのだろう。


 万に一つの可能性も失われた。肩の力が急に抜け、顔が下を向いた。泥だらけの足が見える。この状況で更に敵の援軍など耐えられるはずもない。血がこびり付いた剣を握ったサジュの拳が解かれそうになった、その時だった。


「あの先頭の馬に乗っているのは……セリューノ殿じゃないのか!?」


 その言葉を聞き、はっと顔を上げ、視線を騎馬隊の先頭、剣を掲げて突進する男へと向けた。その男は紛れもなく、穢れなき白銀の鎧を身に付けていた。


 幻を目の当たりにした感覚だった。しかし、幻でもいいから、叫ばずにはいられなかった。


「セリューノだッ!! 我らに援軍が来たぞォーッ!!」


 腹の底から振り絞った大声。身体中の骨の髄にまで響き渡るかのような生気溢れる声だった。その声が響き渡ると同時に、セリューノが率いた騎馬隊が帝国軍の本隊と激突した。横から不意を突かれた形になった帝国軍の隊列がみるみる崩れてゆく。そこまで来て、ようやく仲間から熱気じみた歓声が上がる。


「サジュ! 無事ですか!?」


 声のした方を振り向くと、長髪を棚引かせながら馬で駆け寄ってくるリュゼの姿があった。エリウッドもその隣に並走している。あのセリューノの姿は幻などではなく、本物だと確信させられた。


「まったく本当に…死ぬかと思ったぞ!」


 いつもの彼の笑顔がやっと戻る。僅かに瞼が濡れたのが感じ取れた。そんなサジュの、泥と汗と血と涙でぐしゃぐしゃになった顔を見て謝罪の言葉を口にしたリュゼは、真剣な表情のまま続けて口を開く。


「敵本隊をセリューノさん達が強襲し、撹乱しています。この機に乗じて隊列を組み直し、帝国軍を押し返すのです!」


 彼の言葉を聞いたサジュは、みなぎる思いを拳に込め、ばちんと掌を叩いた。


「よし来た! ドゥーハスが前で踏ん張ってる、加勢してやってくれ!」


 サジュがやや混乱気味の戦場の前方を指で指し示すと、エリウッドが抜刀し、騎馬兵に向き直る。


「お安い御用だ! 全隊、私に続け! 一気に前線を押し上げるぞ!」


 おう、という掛け声と共に騎兵達は怒涛の如く馬を駆らせる。大蛇が戦場を這いずり回るかのように人の波を掻き分けてゆく。


「さあ、私達もうかうかしてられません。反撃です!」


 意気を取り戻した周りの兵達も、リュゼの言葉に相槌を打ち、前進を始めていった。




 反帝国勢力の反撃の狼煙が上がった。

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