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虚ろなる英雄  作者: 春風
第三章
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舞い戻りし銀獅子

「騒がしいな、何事だ?」


 反帝国勢力の面々を集め、限りある武具や食糧の整理を指揮していたサジュの耳が、遠くから捲し立てるように発せられる声を拾った。彼方から僅かに聴き取れる言葉は、現在最も恐れる事態に彼らを巻き込む事になるであろう言葉だった。


「帝国軍だ! 帝国軍が攻めてきたぞ!」


 辺りは騒然とした。疲弊の癒えを待たずしての第二波である。セリューノの鼓舞によって絶望の淵から引き戻されたとはいえ、士気が良い状態にあるなどという楽観的な見方は出来ない。この現状で帝国の大軍勢と対峙したとなれば、受け入れ難い結果が待ち受けているであろう。


「くそッ! 奴ら徹底的に潰す気だぜ!」


 肩に担いだ木箱を乱暴に地面に置き、ドゥーハスが悪態をつく。


「皇帝め、機を逃さんつもりだ。我々が弱っている内に方を付けにきた」


 思わず冷や汗を流したサジュが歯を食いしばり、皺の目立つようになってきた顔に、更に皺を作った。


「皆、戦の準備だ! 帝国軍はまだ遠い! 陣形を整え、戦闘態勢に移れ!」


 サジュの一声で反帝国勢力の者は散り散りに作業に移る。しかしその姿に覇気はなく、不安と焦燥が顔色に滲み出ていた。


「陣頭指揮はお前に任せる。俺はリュゼに急ぎ鷹を飛ばす!」


 おうよ、とドゥーハスは鼻息を荒立てて返事をし、反帝国勢力の面々を捲し立てながらその場を離れていった。暗い表情で忙しく動き回る彼らのその気持ちに対し、気の利いた言葉をかける術もない自分の不甲斐なさに一度悪態をつき、横にあった木箱の上に羊皮紙を乱暴に広げる。机の上に置いてあった羽ペンを引っ掴み、羊皮紙の上を走らせてゆく。










 門番は度肝を抜かれた事だろう。目の前に佇む金髪の青年は紛れもなく、かつて自身が仕えた主人あるじであった。一人の門番は手にした槍の切先を少し傾けたかと思いきや、柄を叩きつけるかのようにして槍を地面に置き、泥濘みを気にも留めずに片膝を付いた。


「よくぞご無事で戻られました、セリューノ様!」


 そう言うと彼は頭を深々と下げた。彼が発した声が微かに鼻声に変わっていった事に三人は気付く。多分の水を含み、飽和状態になった泥に、溢れ出る暖かい雫がゆっくり染み込んでいった。もう一人の門番も彼と同じように片膝をついてお辞儀をし、セリューノに視線を戻す。


「只今、門を開けさせます。さあ、どうぞ中へ! 皆、主人の帰還を待ち望んでおります!」


 感激のあまり泣き崩れた同僚に肩を貸し、門番に合図を送る。今まで異物の進入を拒むかのように固く閉ざされていた落とし格子門が、地鳴りに似た音を立てながら上がっていく。過去、数多の戦いの後に見た光景だった。『また生き延びる事が出来た』この光景を見る度にそう思っていた。そしてレグナッドと行動を共にするようになった時から、二度と見る事はないと思っていた。この数週間の間に様々な出来事を経験したからであろうか、殊更ことさら生き延びた実感が湧いてくる。それに加え、『生き延びなければ』という使命感にも囚われた。


 自分は死ぬ訳にはいかない。逃げる訳にもいかない。進むしかないのだ。彼が目指した理想郷への道を、ただひたすら、前へと。


 思わぬ主人の凱旋の報を受けた危険粒子掃討部隊の面々からは、頻りにセリューノの名を呼ぶ者、無事を確認し、安堵の言葉を呟く者、様々な声が聞こえてきた。彼らの面立ちをひとつひとつ確認するようにしてセリューノ達は奥へと進んだ。


 レグナッドの討伐命令がでる直前まで腰掛けていた司令室の椅子に腰を下ろし、エリウッドと共に彼を支えた副長に向き直る。


「よくぞご無事で、セリューノ様」


「長い事世話をかけた。留守中に何があった?」


 単刀直入に伺う。彼はピシッと背筋を伸ばし、セリューノの留守中の出来事を語り始める。


「セリューノ様の処刑通知が知らされ、エリウッド殿が帝都に発った後、皆の混乱を抑える事が第一でした。『あの通知は何かの間違いだ』と。確証などありませんでしたがそう言うしかなかったのです。その後はセリューノ様が脱走し、反帝国勢力に加担した、との知らせが」


 彼はそこで言葉を一度切り、丸められている地図に手を伸ばした。そしてセリューノの眼前のテーブルに手際よく広げてみせた。


「反帝国勢力の宣戦布告を受け、アサナ、カルーア両砦への援軍を要請されました。しかし、サベムの町周辺で反帝国勢力に刺激を受けた民による暴動が起きたと報告し、増援要請を断りました」


 広げられた地図で地名を指でなぞりながら副官が言う。一息に話した彼は呼吸を整え、更に続ける。


「そのような暴動は実際には起きておりません。ここにいる全ての者がセリューノ様と敵対する事を拒みました。無論、そうでなくても私は嘘の報告をしたと思います」


 そう言って彼は不敵な笑みを浮かべてみせる。セリューノもそれにつられるように口角を上げる。


「無謀な事を。…しかし、九死に一生を得た。私は良い部下に恵まれたようだ」


 目頭が熱くなるのを感じながら、セリューノは机に手を付いて立ち上がる。


「我が失態を釈明したい。皆に講堂に集まるよう伝えてくれ」


 はい、と短い快諾の返事をし、副官は早足で部屋を出て行った。セリューノはエリウッドとリュゼに目配せし、歩を進める。倣うように二人も後を追い、部屋を後にする。





「皆、よく集まってくれた。…そして、長く留守にした事をこの場で詫びたい」


 副官の招集により集められた兵たちを前にセリューノは口を開いた。数百という番いの眼差しが壇上の自分を捉えているのが肌を刺すように伝わってくる。その視線は砥いだやいばの如く鋭く、真っ直ぐだった。


「私は敵対していた反帝国勢力の筆頭、ミビヌク・レグナッドの誘いに乗り、反帝国勢力に加わった。我が父や帝都の人間から言わせれば『裏切り』というやつだ。そう捉えてもらって何ら問題はない」


 ひとつひとつ、口から発せられる声が静まり返った講堂に木霊する。背筋を伸ばし、一糸乱れぬ隊列を組んだ兵達の耳に、土に雨水が溶け込むように言葉が染み込んでゆく。


「しかし、これだけは言わせてもらう。私は単に己が命欲しさに帝国に背いた訳ではない。我が理想たる、真なる平和な世界を実現させる為にレグナッドと手を取り合ったのだ」


 一息置いて、更に続ける。


「…私は父の統べるこの帝国こそが正義と信じて疑わなかった。しかし、その自分が信ずる正義という物がどれだけ虚ろで曖昧な物だったのかをまざまざと目の当たりにした。これは私が求める正義ではない、と。…自分の信じてきた物が足元から崩された気分だった」


 レグナッドとのやり取り、テーゾ伯爵の独白、そして父親に直訴した際の事を思い出し、セリューノは僅かに俯いた。


 力こそ正義、そう言い放った父。間違った正義を正そうと戦うレグナッド。ふたつの正義の間の虚空に浮かぶ自分。何が正しいのか分からなくなった自分。セリューノは顔を上げる。


「私はレグナッドの目指し理想とした、真の平和に賭ける事にした。…亡き母が望んだ、真の平和を導くしるべとなる、と」


 波ひとつ立たぬ湖沼のように静かな言葉であった。しかし、その言葉には地に根を張った巨木の如き不退転の決意が込められていた。その深き覚悟は、エリウッドを始め、ここにいる全ての兵が感じ取ったであろう。一人の兵が声を張り上げた。


「我が命、セリューノ様と共にあります!」


 涙ながらに叫んだ彼の言葉を皮切りに、四方八方から同様の声が発せされた。次第にそれは大きなひとつの声となり、大蛇の如く講堂をうねり回る。その熱気はセリューノの鼓動を感じるかのように脈打ち、徐々に体に流れ込んでくるような感覚を覚えた。


 セリューノは上下の瞼が触れるか触れないか程度に目を閉じ、溢れ出しそうな力をぐっと貯め、腰に差した剣を抜くと同時にその力を一息に解き放った。


「皆、剣を抜けッ!!!」


 数百という男達が纏め上げた一息の大蛇を、猛き獅子を思わせる咆哮で打ち破った。次々と鞘走りする剣の音が聞こえてくる。


「汝ら、我が剣となるか!?」


 怒号にも似た猛々しい返事が返ってくる。さらに続ける。


「汝ら、我が盾となるか!?」


 再び同じ怒号がおうむ返しのように講堂に響き渡る。それを聞き、セリューノは剣を高く振りかざす。


「ならば、我は汝らの旗となろう! 我が倒れぬ限り、汝らは死せず! 我、倒れるまで、汝らを勝利へと導こう!」


 怒号という言葉すら生易しく感じさせる叫び声が発せられる。その声は屋根を突き抜け、天高く響き渡ったのではないかと思わせる程の壮絶なものだった。


 興奮冷めやらぬ男達を残し、壇上で身を翻して司令室へと戻る。ひとつ安堵のため息をついて椅子に腰掛ける。共に壇上から戻ったエリウッドは目頭を熱くさせ、対照的に、同じ場にいたにも関わらずリュゼは柔らかな微笑みを浮かべていた。


「セリューノさん、ご苦労様でした。…あなたの言葉には”魔力”のような物を感じられずにはいられません。まるで、レグナッドさんが乗り移ったかのような…」


 感嘆の辞を述べるリュゼがポツリと溢した言葉にはっとさせられた。


 あの男が力を貸してくれたのかも知れない。自分にも今した事が不思議な感覚だったのは否めない。亡き友人の顔を思い浮かべ、感傷に浸っていると、リュゼが何かに気付き窓辺へと駆け寄る。それに倣いセリューノとエリウッドも窓辺へ身を寄せる。


「…伝令の鷹。サジュですね。何かあったのでしょうか?」


 リュゼがそう呟きながら窓の木枠の止め具を外す。すると鷹がひとつ鳴き、止まり木を見つけたかのように一直線に滑空して袖の下に手甲を忍ばせたリュゼの腕に止まる。慣れた手つきで伝書を筒から取り出し、その小さな羊皮紙を広げる。


 その目が困惑と焦燥の色を示した事を、二人は見逃さなかった。


「セリューノさん、エリウッドさん、緊急事態です! 我々が残してきた本隊が帝国軍と対峙しているようです!」


 度肝を抜かれるとはこういう感覚の事を言うのだろう。一瞬にして冷たいものが背中を這い上がっていった。


「伝書が書かれたのが約二時間前…馬を飛ばせばまだ間に合います!」


 焦りながらも冷静さを保とうとするリュゼの金言によりセリューノもエリウッドも何をすべきか、という思考を瞬時に取り戻した。結論はすぐに出た。


「エリウッド、緊急出撃の命を出せ! 足の速い騎馬隊を誘導し、我々は急ぎ発つ! 残りの兵は副官を筆頭に我々に続くように! 事態は一刻を争う、皆にそう伝えろ!」


 短い、しかし必要最低限の了解の返事をし、すぐさま彼は駆け出してゆく。セリューノは鷹を腕に止まらせたリュゼと共に、馬舎へと続く道を駆け出す。


 緊急出撃の命が伝わったのだろう。オズナ砦全体に警鐘が鳴り響き、忙しなく走り回る足音があちらこちらから聞こえてくる。馬舎へと辿り着き、上等の馬を二頭用意させたセリューノの元へエリウッドが駆け寄ってきた。


「セリューノ様、全騎馬隊の出撃準備が間も無く完了致します! セリューノ様も早くこちらへ!」


 急かすように言うエリウッドの意が汲み取れず、セリューノは疑問符を浮かべた。エリウッドが滅多に見せない不敵な笑みを浮かべ、ある天幕を指し示したながら口を開く。


「セリューノ様のセリューノたる所以です」


 天幕の周りには笑みを浮かべた兵達の姿もあった。鞍を付けた馬から離れ、天幕の入口を少し手で開ける。


「…そういう事か」


 自然と出た言葉だった。この緊急事態にも関わらず、なかなか心憎い演出をしてくれるものだと、セリューノは僅かに口角を上げた。






 数分後、全騎馬隊の出撃準備が整い、その先頭にエリウッド、リュゼの両名。そして”若き銀獅子”の異名に相応しい白銀の鎧に身を包んだセリューノの姿があった。落とし格子門の直前で彼は騎馬隊に向き直り、剣を抜き払った。


「このセリューノ・ソルバルド、亡き母・亡き友の志を胸に秘め、誤った正義を打倒すべく出陣する! 皆、我に続け!」


 先程の講堂での怒号にも引けを取らない怒号が打ち鳴らされた。




 絶体絶命の仲間を救うために、若き銀獅子が戦場に舞い戻る。


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