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虚ろなる英雄  作者: 春風
第三章
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「レグナッドは死んだ!」


 騒然とする反帝国勢力の面々に向かい、毅然とした態度でセリューノが言い放つ。喚き散らしていた男達の視線が、彼に集中する。泥にまみれた鉄靴で一歩、また一歩と狼狽うろたえる人集りに歩み寄る。


「その事実は、いかなる方法を持ってしても覆る事はない! 我々は偉大なる指導者を失った!」


 群衆の前を横切るように歩きながら、セリューノは口上を続ける。


「しかし! 偉大なる指導者の、志はどうだ! 彼の命と共に、深淵の闇に沈んだのか? 違う!」


 湿った表情をし、弱気に取り憑かれた男達の陰湿な空気を振り払うかのように腕で空を真横に斬る。


「……例え肉体が滅びようとも、誇り高き精神は他人の心に宿る。それが共に生きるという事だ。ある詩人の言葉だ。……今ここで我々が倒れたら、誰が彼の意思を引き継ぐのだ?」


 心の底から込み上げてくる感情のしずくが、ポツリと零れ落ちた。その言葉が起こした波紋は、男達に伝わったのだろうか。


 地平線の彼方はぼんやりと橙色に染まりつつある。山の稜線は別世界とこの世界を繋ぐもののように思える。


「……いずれにしても、このまま呆然としていれば再度敵襲により、本当に壊滅させられてもおかしくない。……我々に立ち止まったり、後戻りする余地は残されていない」


 セリューノの右隣に肩を並べるようにしてサジュが歩み出る。彼もレグナッドと共に長い間戦い続けていた猛者である。危機的状況には慣れっこだ、と言わんばかりに不敵な笑みを浮かべた。


「こんなに若い奴がこれ程気張ってんだ。一緒に心中してやるってのが男ってもんだろう?」


「…ええ、そうですね。このまま降伏してはレグナッドさんも報われません。彼の為にも最後まで抗いましょう」


 サジュに続き、左隣にリュゼも歩み出た。そしてその後ろから厳つい顔をした大男が彼らの前に進み出て、悲哀に満ちた感情を瞳に宿し、力強く槍を地面に突き刺した。


「必ずレグナッドの仇は取る! 奴の魂は死んじゃいねえ!」


 怒りに震える大男の脇から栗毛色の髪を掻き上げながらエリウッドも歩み出る。


「このまま引き下がるのは癪に障る。レグナッド殿の為にも、我々には戦う義務がある!」


 レグナッドと共に過ごした確かな時間は、彼らの心の中に、レグナッド本人が思い描いた理想、高潔な志の芽と呼べるものを残した。そして今、レグナッドという偉大な指導者を失った彼らの心の芽は、悔いや怒り、哀しみなどの様々な感情に反応し、一気に花開いたのである。セリューノにはそれが感じ取れた。


 次第にその開花の伝播は男達にも広がり、熱くこみ上げる感情を感じ取った男達の目に、次第に生気が満ち満ちてゆく。


「我が師匠は仰った! 夜明け前の空が一番暗いのだ、と! 例え一寸先も見えぬ闇の中でも、もがき続ければ必ず光は見える。……夜明けは来るのだ!」


 力強く剣を鞘から抜き放ち、薄暗さの残る天に向けて突き立てる。山の稜線から、まるでこの世に生まれ落ちた胎児のように、滲んだ丸い太陽が顔を覗かせた。その初心うぶな光を浴びた刀身は、金色の如き輝きを放つ。


 男達の歓声がときの声の如く上がる。






 ーーー夜は、明けた。








 うっすらと夜が明けつつある頃、肌寒さに身を震わせてイジャルは目を覚ます。久方振りに目を開いたような、不思議な感覚に囚われながら辺りを見回す。


「……ルベリオ、なのか?」


 傍で粗末な作りの椅子に座り小刻みに体を揺らしながら眠っているルベリオに声をかける。自分の声に余りにも力が籠らない事に驚きながらも起き上がろうとしたイジャルの体に激痛が走る。痛みの原因は右足の太腿から来ていることが分かり、何故自分がここに寝ているのかも理解した。そして何故彼女が座ったまま眠っているかという事も。


 辺りを見渡し、自分の荷物一式が纏められているのを見つけ、レグナッドから譲り受けた剣に手を伸ばす。それを杖代わりにし、痛む右足を庇いながらベッドから立ち上がろうとする。


「……くそっ!」


 余りの痛みと、言う事を聞かないなまりきった自らの体に悪態をつきながらやっとの思いで立ち上がる。そして纏められた荷物を担ぎ上げ、部屋の出口に向かってゆっくりと進み始めた。


 剣の鞘が床を叩くコツコツという音が耳に入ったのだろう。うたた寝をしていたルベリオが目を覚ます。


「イジャル! あなた何をしているの!」


 足を引きずりながら歩くイジャルを見兼ねて、すぐに彼の体を支える。しかしイジャルは煩わしそうに彼女を離そうとする。しかしその手に力が全く入らないのだ。


「こんな所で寝ている暇はないんだ。…すぐに、レグナッド達に合流しなければ」


 たった数歩進んだだけで息絶え絶えのイジャルをルベリオは必死に止め、必死に支える。


「行っちゃ駄目よ! まだ傷だって良くなってないし、体にだって力が入らないでしょ!?」


「離してくれ、ルベリ……ぐッ!」


 無理に引き離そうと力んだ反動で激痛が走り、イジャルの意識が飛びかける。


「無理しないで! さあ、横になって」


 彼に痛みを与えないようにそっと抱き寄せ、力を感じられない弱々しい体をもとあったようにゆっくりとベッドに戻す。彼の意思とは裏腹に体は言う事を聞かず、なされるがままである。


「……足の方はどうなってる?」


 脂汗を浮かべたイジャルがルベリオに尋ねる。彼女はばつの悪い表情をして、口を開くのを躊躇った。


「お医者さんには診てもらったわ。まだ完治には時間が掛かる、と言っていたわ」


「……ディシェイは、もうレグナッド達の所に戻ったのか?」


 朧げながらも、自分を背負ってきた小さな体は覚えていた。あの少年がよくぞここまで辿り着いたと思える。素直に礼が言いたかった。


「いいえ、あの子もここにいるわ。あなたの事をとても慕っているみたいね。いつも付きっ切りで看病してくれてたのよ、今は疲れて寝ちゃってるけど」


 少しだけ口元を綻ばせたルベリオを見て、彼はそうか、とだけ言い、窓へと視線を移した。


 この薄暗い空の下、仲間は泥にまみれ血にまみれ、目的を果たすために戦い続けている。自分もこの世に生を繋ぎとめられた。まだ為すべき事があるのだ。共に戦う仲間の為にも、一刻も早く傷を癒さねばならない。


「待っていてくれ、レグナッド」


 募る思いが口から零れる。木枠に縁取られた薄暗い空を、一筋の流れ星が横切った。

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