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虚ろなる英雄  作者: 春風
第三章
33/39

暁・東雲

 命辛々、九死に一生。その言葉はまさに現状を示すために存在する言葉だ。帝国軍による突然の強襲と、謎の暗殺者による反帝国勢力総大将ミビヌク・レグナッドの暗殺。反帝国勢力がこうむった被害は尋常なものではなかった。これまで十七年にも及ぶ長い期間帝国と争い続け、しのぎを削ってきた大黒柱とも呼べる黒き巨星が、遂に墜ちた。


 反帝国勢力という統率の取れない、烏合の衆に近いそれを、圧倒的カリスマによって導いてきた男の席が空く意味は想像以上に大きな問題である。精神的支柱としても勿論の事、その優れた統率力により可能となる戦況を支配する力。長年の戦いで培われた豊富な知識と戦闘経験。総大将としての素質は非常に優れており、その項目を挙げると枚挙にいとまが無い。そのような絶対的存在が突然消えてしまったのだ。動揺するなという方が無理な話である。


 事実、敵の波が押し寄せる砦から運良く逃げ出す事が出来た者でさえも、喪失感と絶望感に飲み込まれている。その喪失感や絶望感を、いかる事で一時的に抑え込み、辛うじて闘争心を失ってはいない者も見受けられるが、その表情には不安と焦りの色が滲み出ていた。


「……最悪の状況です」


 血と汗と泥で顔を汚したリュゼが、額を抑えながら言った。三日月にも関わらず、東の夜空は嫌に明るい。現在反帝国勢力の生き残りが位置するハウルテッド王国跡地一帯は小高い丘になっており、エザフォス地方の東部が一望できる。遠くで砦が燃え盛り、崩れ落ちてゆく事を如実に示していた。


「敵が退いたとは言え、波のようなものだ。押して、引いたらまた戻ってくる。だが、こちらには……」


 息絶え絶えのサジュは喪失感に駆られ、言葉を続ける事が出来ず、悔しそうに歯を食いしばった。


「総大将が、いない…」


 汗でへばりつく煩わしい髪を手で掻き分け、頭を抱えながら、悲しみを露わにしたエリウッドが呟く。


「畜生ッ!」


 盛大に悪態をつき、何もできなかった自分を戒めるように、ドゥーハスは額を何度も木に打ち付ける。時折しゃくりあげながらも、リュゼとサジュが止めに入るまで、涙を流しながら頭突きを続けた。









 彼らが駆け付けた時には、レグナッドの胸は凶刃に貫かれていた。大きな壁と見まごう程の厚い体が、膝から崩れ落ちる様を目の当たりにした。三人が部屋に入って来た事に気付いた黒装束の暗殺者は、侵入の際に割れたと思われる窓からひらりと身を投げ出し、消え去った。


「レグナッドォォォー!」


 ドゥーハスが叫びながら、倒れ込む彼に一目散に駆け寄り、体を支える。心臓を一突きにされ、血反吐を吐くレグナッドの首から胸元にかけては鮮血で赤く染まっていた。生暖かいぬめりけのある鉄の匂いが鼻を突く。セリューノとエリウッドも駆け寄る。


「レグナッド殿!」


「しっかりしろよ! 死ぬんじゃあねえ!」


 セリューノとドゥーハスの必死の呼び掛けにも微かな反応もせず、半開きの黒い瞳にもはや生気は残されていなかった。


 なおも続く爆発音と、大蛇が身を打ち付け、暴れ回っているかのような激烈な振動。刻一刻とこの砦は崩落に向かっている事は明らかだった。


「セリューノ様、ドゥーハス殿! ここは危険です! すぐに脱出せねば、我々も危うい!」


 レグナッドの側で屈み込む二人の肩を叩きながらエリウッドが叫ぶ。


「しかしレグナッド殿が!」


「残念ですが、レグナッド殿は心臓を刺されている! 助かる見込みはありません! 冷静になって下さい、セリューノ様!」


 必死に自身を落ち着かせようと説得する彼の言葉に、セリューノは少しずつ冷静さを取り戻す。それと同時に込み上げてくる、惜別の涙。


「ドゥーハス殿、行こう。我々までも死ぬ事をレグナッド殿は望んではいない」


 エリウッドは未だに現実を受け入れられないでいるドゥーハスの肩をぐいと引っ張り、立ち上がらせようとするが、なかなか動かない。しかし目の前で起きている事が、氷のように冷たく、悪魔のように残酷な現実であることを、ドゥーハスは認める。歯を食いしばり、怒りと悲しみが混じり合った表情でゆっくりと立ち上がる。


「分かったよ畜生……」


 倒れ、絶命した戦友ともから片時も目を逸らす事なく、彼はそう口にした。


「仇は……必ず取ってやる!」


 セリューノもエリウッドも、ドゥーハスと同じ思いだった。志半ばで凶刃に倒れた戦友のためにも、仇は取らねばならない。そして彼が長年求め、自分の命を賭してまでも実現したかった平和な世を創る。遺された者たちに出来る弔いは、ただそれだけだ。


 三人は惜別の思いを各々の胸にしまい込み、敵の強襲に揺らぐ砦から脱出するため、血の匂いが充満する部屋から飛び出して行った。







 そこからは怒涛の繰り返しである。敵味方入り混じりの大混戦、波のように押し寄せる敵の大群を何とかあしらいながら砦からの脱出を試みる。途中サジュやリュゼと合流し、反帝国勢力も一丸となり敵の攻勢を跳ね返した。しかし数には敵わず、次第に押され始める。レグナッドを失った事をまだ知らない反帝国勢力の兵士たちは、セリューノやエリウッド、ドゥーハス、更には事実を知らされたサジュやリュゼの指示のもと、撤退を開始した。


 砦を破壊している事から帝国軍の狙いは砦の奪回などではなく、反帝国勢力の殲滅であるはずだ。事実、追手にも次々と襲いかかられ、撤退しようにも素直に撤退させてくれない。なんとか追手を振り切り、ハウルテッド王国跡地へと辿り着いた頃には、反帝国勢力の兵力もおおよそ半減していた。押し上げた前線も、振り出しに戻ってしまった。


 予想以上に反帝国勢力が粘り、時間も遅くなった事もあり、帝国軍は深追いして来なかった。態勢を整え、再度攻勢を仕掛けるつもりだろう。今頃皇帝の耳には、反帝国勢力総大将ミビヌク・レグナッド死亡の知らせが入っているはずだ。状況は一転、非常に厳しい苦境に立たされる事になってしまった。


「お、おい! レグナッド殿はどうした!?」


 そんな声が兵士の中から聞こえ始めたのはいつだっただろうか。救いを求めるかのような、教祖に対する信者の盲信的感情のようなものが辺り一帯に漂い始めた。いつも反帝国勢力の主要人物の中心にあった黒き眼差しが、今はない。あるべきものが無い時、その違和感を拭い去る事は出来ない。


「皆、落ち着いてくれ!」


 サジュが必死にざわめく兵士たちをなだめようとするも、彼らの不安の声はどんどん色濃くなってゆく。


「皆さん、落ち着いて聞いて下さい!」


 長髪を棚引かせながら、リュゼが一歩進み、兵士たちの前に躍り出る。


「レグナッドさんは、正体不明の暗殺者の凶刃により、命を落としました」


 先程セリューノが説明した通りに、簡潔にリュゼが説明をする。兵士たちは皆沈黙し、まるでその場の時が止まったかのように感じられた。


「…しかし! まだ戦いが終わった訳ではありません! 力を合わせ、志半ばで倒れたレグナッドさんのためにも…」


 リュゼが話終わる前に、兵士たちは既に混乱状態に陥り、またざわめき立ち始めた。もうお終いだ、とへたり込む者や、帝国への憎しみが増大し、奮い立つ者。未だに現実を受け入れられないで呆然とする者など様々だったが、最早収拾がつかない状態になってしまった。リュゼは騒ぎ散らかす兵士たちを宥めるのを諦め、セリューノ達のもとへ戻る。


「……最悪の状況です」


 血と汗と泥で顔を汚したリュゼが、額を抑えながらながら言った。三日月にも関わらず東の夜空は嫌に明るい。現在反帝国勢力の生き残りが位置するハウルテッド王国跡地一帯は小高い丘になっており、エザフォス地方の東部が一望できる。遠くで砦が燃え盛り、崩れ落ちてゆく事を如実に示していた。


「敵が退いたとは言え、波のようなものだ。押して、引いたらまた戻ってくる。だが、こちらには……」


 息絶え絶えのサジュは喪失感に駆られ、言葉を続ける事が出来ず、悔しそうに歯を食いしばった。


「総大将が、いない…」


 汗でへばりつく煩わしい髪を手で掻き分け、頭を抱えながら、悲しみを露わにしたエリウッドが呟く。


「畜生ッ!」


 盛大に悪態をつき、何もできなかった自分を戒めるように、ドゥーハスは額を何度も木に打ち付ける。時折しゃくりあげながらも、リュゼとサジュが止めに入るまで、涙を流しながら頭突きを続けた。






 総大将を失った反帝国勢力は、動揺と混乱に支配される。だが、沈黙する碧い二つのまなこは、まだその輝きを失ってはいなかった。一度閉じられた碧い眼は、鋭い輝きを宿して、再び見開かれた。

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