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虚ろなる英雄  作者: 春風
第二章
32/39

奸計

 セリューノはエリウッドを部屋に招いていた。考えてみれば皇帝暗殺の濡れ衣を着せられて投獄されてからと言うものの、このように気の休まる時間は無かった。涼しい夜風が開け放たれた窓から室内へ流れ込んでくる。二人は束の間の休息に気を休め、これまでの出来事の整理と、これからの未来を考えていた。


「停戦協定についてどう思う?」


 現在最も早急に対処すべき問題である。キドラ帝国と反帝国勢力の今後を左右する岐路に立たされている。尋ねられたエリウッドは腕組みをしながら悩むが、答えは出そうにない。


「レグナッド殿が何を考えているか、私にはまるで分かりません。セリューノ様はいかがですか?」


 文字通りお手上げといった様子でエリウッドが両手を挙げる。セリューノは顎を摩りながら思考を巡らすが、はっきりとした答えを導き出す事は出来なかった。


「分からない。だが、彼も平和を望んでいる。それだけは確実だ。無益な争いはしないだろう」


 セリューノにとって帝国が停戦協定の話を持ち掛けてきた事は喜ばしい事だった。それをレグナッドも否定はせず、まだ決定とまではいかないものの、いずれは和平条約を結ぶ事も考えているような口振りであったので、余計である。彼の決めた条件に達するまでの辛抱だ。




 不意に窓から望む草原地帯が、妙に明るい事にセリューノは気付く。皆寝静まっている頃だが、何事かと思い、彼は窓の外を覗き込む。エリウッドもそれに倣う。


「……馬鹿なッ!」


 エリウッドが思わず言葉を零す。眼下にはおびただしい数の、揺らめく松明が煌めいていた。その群れの所々になびいているのは、紛れもなく帝国軍の旗だった。既にその距離は一人一人の兵士がくっきりと肉眼で視認する事ができる所にまで迫っている。セリューノは余りにも不測の事態だったので、自分が夢を見ているのではないかと錯覚した。


「見張りは何をしているんだ!」


 エリウッドが壁に立て掛けた剣を乱暴に掴み取り、すぐさま部屋を出て行く。セリューノもすぐさま我に返り、剣を取り部屋を飛び出す。廊下を走り、隣の部屋の扉を荒っぽく叩き、鍵のかかった扉が開くのを待つ。暫くすると眠たげな眼をしたドゥーハスが寝間着のままのっそりと出て来た。焦燥しきった表情のセリューノを不思議そうに見つめている。


「ドゥーハス殿! 敵襲だ! 帝国軍が北からこちらに接近している!」


「なに〜? 夢でも見てんじゃねえのかよ」


 まだ半分寝ているドゥーハスは目を擦りながら、セリューノに促されて窓辺へ近付き、外を眺める。先程セリューノとエリウッドが見た光景を見たのだろう、すぐにその目に焦りの色が浮かんだ。


「おいおい、冗談だろ! 他の奴らは気付いてんのか!?」


「恐らくまだだ! ともかく皆に伝えなければ!」


 セリューノが丁度言い終わった所で大音量の鐘が砦中に鳴り響く。誰かが敵の到来に気付いたのだろう。砦中の人の気配が慌ただしく動き始めるのを感じた。


 不意に背後から殺気を感じ、反射的に飛び退く。不気味に煌めく銀の短剣がセリューノのいた場所を斬りつける。態勢を整え、すぐさま抜刀し、対峙する。殺気を放つ、見たことのない漆黒の装束に身を包んだその影は、両の手に逆手で短剣を持ち、間合いを計っていた。ドゥーハスも傍に置いてある愛槍を引っ掴み、ただならぬ雰囲気を醸し出す敵と対峙した。


「なんだてめえは? 帝国の差し金か?」


 ドゥーハスの問いに答えるそぶりもなく、開け放たれた扉から音もなく侵入したであろう暗殺者は、その蛇のように不気味で鋭い視線を二人に送り続ける。舌打ちをしながらドゥーハスが間合いを詰める。


「帝国ではない。皇帝直属の“目と耳(ダーラ・ズホ)”とも違う。いったい…」


「考えてる暇はねえぜ、坊ちゃん。とにかくこいつをぶっ倒して仲間の所へ急がねえとな!」


 ドゥーハスは巨体に秘められた膂力りょりょくを発揮し、爆発的な速度で暗殺者との間合いを詰め、剛腕から渾身の突きを繰り出す。しかし暗殺者は、まるでその突きがくることを最初から知っていたかのように無駄な動きなく軽やかにかわし、槍に沿うように短剣を走らせ、ドゥーハスの首目掛けて斬りかかる。だがセリューノが横から斬撃を繰り出した事でその攻撃は中断される。セリューノの剣さえもいとも簡単に躱し、またも間合いを取る。


「ちっ、すばしっこい野郎だぜ」


 ドゥーハスが悪態をつき、槍先を暗殺者に向ける。再び攻勢に転じようとしたところで息を切らしたエリウッドが部屋に飛び込んで来る。


「セリューノ様! ……! 貴様は!」


 エリウッドの介入により不利を悟ったのか、暗殺者は背後の窓を突き破り、外へと消えた。


「野郎、待ちやがれ!」


 ドゥーハスが急ぎ窓から下を覗き込むが、既にそこには暗殺者の影は無かった。くそっ、と悪態をつき、窓の木枠を拳で叩く。


「エリウッド、今のは何者だ?」


 二人と対峙する漆黒の装束を身に纏った人物を目にした際のエリウッドの様子から、彼が暗殺者の正体を知っているのかと勘ぐったセリューノが尋ねる。しかしエリウッドは申し訳なさそうに力無く首を横に振る。


「分かりません。しかし、以前セリューノ様を追って帝都に潜り込んだ際、今と同じ装束に身を包んだ二人組に襲撃された事がありました」


 エリウッドから得られた情報から導き出せる答えは、帝国以外の何者かの介入。帝国に刃向かうような者は大抵反帝国勢力に身を置いている。しかし、あの暗殺者はドゥーハスにも躊躇なく斬りかかった。もし、エリウッドが帝都で遭遇した暗殺者と、今回の暗殺者が同一人物だとすれば、そこには大きな矛盾が生じる。


 帝国の人間であるエリウッドと、反帝国勢力に属するドゥーハス。相対する二つの勢力に属する人間の命を狙っているのだ。つまり、どちらの勢力にも属さない、いわば第三の勢力。暗い闇に溶け込む凶暴な瞳が、常に自分の背中を見つめている。新たな脅威に不気味さを感じつつも、セリューノは気を強く持ち、二人に向き直った。


「ともかく今は考えている時間がない! すぐさま…」


 セリューノが言葉を発しきる前に、鼓膜を突き破るような突然の爆発音が猛獣の咆哮のように轟く。強烈な揺れと共に砦の一部が崩落する。これまでに見たことも聞いたこともない驚異的な威力だった。転びそうになるも何とか態勢を保ち、耐える。


「今度はなんだ!」


「分からん! ともかくレグナッド殿たちと合流しよう!」


 余りにも強烈な爆発に驚きを隠せないドゥーハスとエリウッドだが、駆け出すセリューノの後を追った。廊下を駆けていると、下から男たちの雄叫びが聞こえてくる。続いて剣のぶつかり合う音、断末魔の悲鳴。どうやら階下では既に戦闘が勃発しているようだ。時間がない。三人は全速力で廊下を駆け抜ける。





 安眠とは言えないが、意識の深淵に沈んでいたレグナッドは強烈な爆発音によって現実に引き戻される。いまいちキレの鈍い寝起きの頭で周囲の情報をくまなく解析する。地震のように上下左右に大きく揺れる。どうやら先程の爆発で砦の一部が崩落したようだ。


 舌打ちをし、廊下に出ようと扉に向かうが、突然窓が割れ、硝子が辺りに飛び散った。それと同時に黒い影が部屋へと飛び込んでくる。着地の間際に放られた鋭利な銀の短剣がレグナッドの右腕に深々と突き刺さった。鋭い痛みに顔を歪めるレグナッド。傷口からは鮮血が止めどなく流れ出し、みるみる腕を赤く染めてゆく。


「……死ね」


 小さいが、はっきりとそう口にした。まるで感情というものを感じられない、冷たく、抑揚のない言葉だった。


 鋭い太刀筋で次々と斬撃を繰り出す暗殺者に対し、レグナッドは素手での戦いを強いられる。運悪くベッドから離れた場所に剣を置いてしまい、ベッドと剣の間には暗殺者が立ち塞がっている。自身の気の緩みを悔やみながらも、命を摘み取ろうとする凶刃を紙一重で躱してゆく。


 数回ほど避けたところで、暗殺者の斬撃に合わせて相手の腕を掴む。二度と離さないように拳に力を込め、次なる斬撃に備える。予想通りに、残りの左腕からの斬撃を、目を見開き見切る。命の危機に曝された人間の力は侮れない。レグナッドは見事に相手の両腕を掴む事に成功する。


「…詰めが甘かったな!」


 この至近距離なら人間の急所である顔面に頭突きを食らわす事が可能だ。渾身の頭突きを見舞おうと、首を逸らして放とうとしたその時、レグナッドの目にそれは飛び込んできた。






 暗殺者の膝に仕込まれた、短いナイフ。しかし、胸に突き刺せば十分に心臓へ到達する。


 膝蹴りと共に自分の胸に向かってくる凶刃。その瞬間ほど、時間がゆっくりと、ゆっくりと流れているように感じた事は無かった。


 鈍い音と共に突き刺さる、鋭利な刃。徐々に、徐々に鋭い痛みを脳が感じ取る。


 破られた鼓動。突き立てられた刃は、完全に心臓を貫通していた。


 遠のく意識、引く血の気。目の前に見えるのは、闇に浮かぶ不気味な一対の赤い瞳。命の灯火が消えるのを待つかのように、じっとこちらを見つめている。


 死という名の闇に引きずり込まれる自分と、彼は驚くほど冷静に向かい合っていた。これから自分は死に、何処でもない、何もない場所へと向かう。何も待っていない、何も出来ない、白でも黒でもない世界へと。




 意識が断たれる最期の瞬間、彼が思い浮かべたのは懐かしき友と、黄金色に輝く麦畑。心地よい風の中、振り向けば共に戦った仲間たち。皆沈んだ表情をしてこちらを眺めているが、自分の足が勝手に動き、止まることが出来ない。


 彼は身を翻し、かつての仲間が待つ方向に向かって、歩いて行く。

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