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虚ろなる英雄  作者: 春風
第二章
31/39

暗雲

 総大将を討ち取られた帝国軍に士気などあるはずがなく、逃げ出した者、なりふり構わず斬りかかった愚か者以外は名目上捕虜としてアサナ砦の牢獄に閉じ込めた。前者の中にはツァラー将軍とフィズス第二王子も含まれており、大半が着の身着のまま帝国の方角へ向けて走り去った。レグナッドは逃げる者を追う事はせず、アサナ砦を完全に制圧する事を最優先事項に挙げた。刃向かう者は斬り捨てられ、投降する者や降伏する者も多く見受けられた。


 カヴァードとの死闘で怪我を負ったレグナッドだが、適切な処置を施したので、幸いな事に大事には至らなかった。これには一同も安堵の表情を見せた。


 更に朗報が舞い込んできた。大規模な反乱が起こったカルーア砦も、暴徒によって陥落したという。さしずめ、カルーア砦にとってもアサナ砦との連絡路を絶たれた事は大きな痛手となったのだろう。こちらからすればまさに一石二鳥といったところである。


 アサナ砦の敷地内、殉死した者達の墓が並ぶ中、真新しく土が盛り上げられた場所があった。そこには墓石の代わりに使い古された折れた剣が突き立てられていた。砦内の調査を部下と共に行っていたリュゼが、その墓の前に誰かが佇んでいるのを見つける。部下にはそのまま調査を続けるように言い、自らは小雨の舞う墓場に歩を進めた。その後ろ姿は紛れもなくセリューノのものだった。


「風邪を引いてしまいますよ」


 後ろから声を掛けられて少し肩が動くが、彼は振り向こうとしなかった。リュゼはその気持ちを察し、横に並ぶ事はしなかった。


「残念ではありますが、避けては通れぬ道でした。遅かれ早かれ、いずれは…」


「分かっている、分かってはいるさ。だが……」


 肩を震わせ、耐え切れなかったのか、セリューノはその場に膝を付く。慌ててリュゼが彼の肩に手を添えて、倒れ込まないように支える。


「……すまない」


 雨と涙と鼻水で顔を散らかしたセリューノは、自身を押し殺すかのように歯を食いしばる。しかし抑えきれない気持ちは、大粒の涙となってその碧い瞳から零れ落ちる。


「大切な人を失えば、誰しも悲しいものです。気持ちを押し殺す事は必要ですが、いつ何時でも押し殺す必要はありません」


 リュゼはその真剣な眼差しで墓石代わりの折れた剣を見つめ、続ける。


「時には涙で心を洗い流し、人の死を悼むことは悪いことではないのです」


 冷たい雨に体温を奪われた事もあってか、セリューノの体は小刻みに震えていた。気丈に振舞ってはいるものの、まだ十七の、あどけなさの残る少年なのだ。リュゼはその気持ちを汲み、その繊細な手でセリューノの肩を優しく叩いた。


「彼の戦いを終わらせたのは我々です。彼の死に報いるためにも、我々にはやらねばならない事が山ほどあります。…セリューノさん、あなたが真の平和を打ち立てる所を、カヴァード将軍は見守っているはずです」


 そう、立ち止まっている暇など無いのだ。カヴァード将軍の戦いは幕を閉じたが、自分の、そして自分たちの戦いは終わってはいないのだ。頬を濡らす涙を拳で拭き取り、セリューノは立ち上がる。


「将軍、必ずや戦いの無い、真の平和をもたらします。どうかそれまで、天国から見守っていて下さい」


 そう言うと彼は右手を左の胸に当てる。自らの師であり、偉大な騎士であったカヴァード将軍に対しての、敬意を表した。


 そのやりとりを、左腕に血の滲んだ包帯を巻いたレグナッドが、木の幹に体を預けて聞いていた。複雑な表情をし、目を瞑りながら腕組みをしていた彼は、静かに思いを馳せる。




 思いもよらぬ事態となった。防衛の要所であるアサナ、カルーア両砦が反帝国勢力の手により陥落した。これにより帝都キドレリアはほぼ裸の状態と言っても過言ではないほど、無防備となった。悪い知らせは続く。第二王子のフィズスは敗走、生死は定かではないが行方が分からなくなっている。更に痛手なのが、帝国建国以前から皇帝を支え続けた古参の猛将、シャラフ・カヴァードが討ち死にしたというのだ。セリューノに続き、カヴァードという英雄も失った。兵の士気が落ちる事はもちろん、民衆の不満の声も高まるだろう。防衛の要所の陥落と帝都の守護神とも呼べる将軍の戦死、まさに飛車角落ちという形になってしまった。


「すぐさま停戦協定を締結交渉するのだ! このままでは態勢を整える前に…」


 やられてしまう。言葉にこそしなかったが、部下にはその意味が余す事なく伝わった。誰しもが思っていた事だ。それほどまでに今の反帝国勢力の勢いたるや、筆舌に尽くし難い。凄まじい勢いで流れ落ちる瀑布のように強大なものになっていた。


「ともかく、すぐに使者を送れ! 連絡員、それに先んじて鷹を飛ばせ!」


 皇帝は怒りを露わにしながら、配下に怒鳴り散らすかのように命じた。忙しく動き回る男たちを目で追いながら、立派な髭を指で撫で、思索にふけった。




 帝国の刻印が印された手紙が届いたのは、アサナ砦近郊での戦いから三日が経った日の事だった。防衛の要所の陥落、更にはフィズス第二王子の敗走とカヴァード将軍の戦死。帝国にとっては大きな痛手となったはずだ。その手紙の内容は見る前から大凡おおよその検討はついた。


「先刻、皇帝から手紙が送られてきた」


 アサナ砦の一角、以前は作戦室として利用されていた部屋に集まった面々に向かってレグナッドが手紙の内容を朗読する。


「我々キドラ帝国は、ミビヌク・レグナッドを筆頭とする反帝国勢力に一定期間の停戦を要求する。後日そちらを使者が訪ねる。協定を締結し、これを認められよ」


 そこまで読み終えると手紙を閉じ、そっと机の上に置いた。そして男たちの顔を見回す。


「はっ、偉そうに! もう首は締まりかけてるってのに、癪に障る物言いだな!」


 そう言ってドゥーハスは背もたれに体を預け、ふんぞり返る。


「まあそう言うな、ドゥーハス。表面上は威厳を失っちゃあいないが、あちらもかなり焦っているようだ」


 停戦を持ち掛けられるところまで来たことにご満悦のサジュがドゥーハスの背中を肩を手荒く叩く。


「して、どうするのですか? レグナッドさん」


 リュゼがレグナッドに向き直り、尋ねる。レグナッドはわざとらしく考えるそぶりをしてみせ、微笑みを浮かべる。


「現段階ではなんとも言えないな。だが俺個人の見解では、停戦協定を締結すべきではないと考えている」


 一転して険しい表情になり、両手で頬杖を突く。皆の表情も真剣なものへと変化した。


「過去そういう話に乗って痛い目を見た事があるもんでな、どうしても警戒してしまう」


 彼の言いたい事は分かる。十七年前、当時のハウルテッド王国とキドラ帝国の前身、キドラ公国軍との間で結ばれた停戦協定が、キドラ公国軍によって破られ、ハウルテッド王国は滅んだ。当時の状況を知っているからこそ、安易に話に乗るわけにはいかない。


「そういう意味では、このアサナ砦を制圧出来たことは大きいな。きっちり態勢を整えられる」


 壁にもたれれかかって話を聞いていたエリウッドが壁から背を離し、口を開いた。皆その言葉に頷く。


「とにかく、この件は保留だ。エリウッドの言うとおり、しばらくはここで足場を固めよう」


 レグナッドがそう締め括ると、座っていた者は立ち上がり、部屋を後にし、各々散って行った。


「…お前も休め、疲れているだろう」


 閑散とした部屋に唯一残ったセリューノに向けられた言葉だった。彼は腰を上げず、レグナッドの正面の席からじっと黒い瞳を見つめる。その眼差しは真剣そのものだった。


「以前あなたが言った『対等な立場』というやつだが、どうなんだ?」


「どう、とは?」


「話し合いは対等な立場の人間の間でのみ成立すると言ったな。今我々は帝国と対等な立場にまで登りつめたのか?」


 セリューノの問いに対してレグナッドは答えようとはせず、席を立ち、近くの窓を開く。木枠から清々しい風が部屋に入り込み、新緑の爽やかな香りを運んできた。


「限りなく対等に近いな。だが、まだだ」


 彼は目を細め、青く澄み渡った雲一つない空を眺めながら言った。一羽の鷹が東へと飛んでゆく。


「帝国にはまだ余裕がある。もしここで要求を呑んでしまったら、微妙ではあるが主導権はあちら側にある。正確には対等じゃ駄目なんだ。こちらが主導権を握らなければ意味がない」


 淡々と己の考えを口にし、セリューノに細かな点を詳細に伝える。普段は口数の少ないレグナッドだが、常にその思考は巡っており、その目は未来を見据えている。


「とにかく焦る必要はない。戦況ではこちらの方が優勢だ。戦というのは詰めが一番重要でな、一手しくじると全てが水の泡になる」


 軋む床を歩き、腰掛けるセリューノの元へと向かう。そして彼の肩を軽く叩き、レグナッドは手を振りながら部屋を後にした。一人残されたセリューノは小さくため息をき、先程までレグナッドが立っていた窓辺へと歩み寄った。昨日とは打って変わり、麗らかな春の陽光が緑の海原に降り注ぎ、風に撫でられた草は気持ち良さそうに葉を揺らしている。


 ふと、小鳥のさえずりが聞こえてきた。鳴き声がした方向を見ると、つい最近も見かけた、パーチェルチが枝の上で楽しげに鳴いている。平和を愛する者の元へ訪れる鳥。この砦には、まさに真の平和を求めて戦う者が多く集っている。迷信などではない、亡き母が言ったことは真実なのだ。彼は微笑み、暫くパーチェルチを眺めたあと、窓を閉めてその場を後にした。






 日が空を茜色に染めながら西へと沈み、濃紺の空が広がった頃、アサナ砦の反帝国勢力は、最低限の見張りだけを残し、寝静まっていた。揺らめきながら闇を照らす松明の光が怪しげな影の動きを石壁に映し出す。足音を立てず、俊敏な動きで闇を駆ける影は、瞬く間に暗闇に溶けて消えた。


 夜間の見張りというものは非常に退屈で、睡魔との連戦である。片方の男が大きな欠伸をし、目に飽和寸前の涙を溜める。


「退屈だよなあ。帝国軍なんか来るはずないのに」


「そうは言ってもよお、誰かがしなきゃならないんだし、仕方ないだろ」


 やる気のない返事を返し、欠伸をした男がうつらうつらしながら目を閉じる。相方も咎めても無駄だと悟り、ため息を吐いて見張りを続ける。


 数分眠っていたようだ。不意に鈍い音がして、何かが倒れ込む音に目が覚める。見ると、相方が倒れているようだ。


「おい、どうした?……ぐッ!」


 背後から急に手が伸びて来たかと思えば、その手には妖しく煌めきを放つ銀の短剣が握られていた。叫び声を挙げようにも口を押さえ付けられているので、声を出せない。抵抗虚しく、喉元に深々と刃が突き立てられ、真一文字に切り開かれた裂傷から止めどなく鮮血が流れ出す。見張りの男がもがき苦しみ、痙攣する。やがて体の動きが止まり、男が事切れたのを確認し、黒い装束を纏った影は速やかにその場を立ち去った。

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